透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

岡谷市加茂町の火の見櫓

2022-08-18 | A 火の見櫓っておもしろい


1377 岡谷市加茂町 小井川区民会館のすぐ近く 4柱44型 観察日2022.08.18

 しばらく前に長野県内の火の見櫓を地域ごとにタイプ分けしてみたが、かなり偏在していることが分かった。南信地域では7割近くが4柱44型だ。この火の見櫓も同タイプ。なお、今まで4脚44型としていたが、脚の有無をタイプ分けの観点とはしないこととし、4柱44型に改めた。火の見柱は1柱型、火の見梯子は2柱型というように、柱の本数によってすっきりタイプ分けできる。


かなり背の高い火の見櫓で踊り場が2か所ある。梯子桟の数と桟のピッチ(間隔)の寸法により、見張り台の高さはおよそ18mだと分かった。総高は20mを超える。上の踊り場から上方に櫓が開いている(逓増している)ように見えるのは錯覚だろうか。踊り場より見張り台の方が大きく、さらに屋根の方が大きいこともそのように見える理由なのかもしれない。


なだらかな勾配の方形(ほうぎょう、平面は4角形)の屋根には蕨手も避雷針の飾りもついていない。スピーカーに隠されてはっきり見えないが半鐘を吊り下げてある。見張り台は隅切りをした4角形(これを幾何学的に8角形と捉える人もいる)で、櫓部分と同様に手すり子の間にリング付きの交叉丸鋼を入れている。見張り台は櫓からそれ程はね出してはいないが、方杖を設置している。見張り台直下の垂直構面は山形鋼を交叉させて設置し、がっちり固めている。赤色回転灯は火災発生時に作動させるのだろうか。


この写真でも見張り台から上で柱が開いているように見える。錯覚ではなく、実際に開いているのかもしれない。


下の踊り場の様子。手すりのデザインは上の踊り場、見張り台と同じ。


踊り場床面の先を支える方杖   半鐘が櫓の外側ではなく、内側に設置されているのは珍しいかもしれない。半鐘の後ろに梯子が写っている。桟は丸鋼2本、支柱の平鋼に穴をあけて留めるという丁寧な仕事がしてある。


理想的なトラス脚。脚間寸法はおよそ4m、脚の主材・等辺山形鋼の寸法は9(10?)×100×100。

岡谷はなぜか車で走りにくい。未見のエリアにはまだ火の見櫓がありそうだ。


 


「視覚化する味覚」

2022-08-18 | A 読書日記

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■ 『視覚化する味覚』久野 愛(岩波新書2021年)。書店でこの本のタイトルを見て、「味覚と視覚は五感。その味覚が視覚化するって、どういうこと?」と思った。

**食べ物の色がどのように作り出されてきたのかを探るにあたって、本書では色を二つの側面から考える。一つは着色料や農産物の生産過程の調整など、実際の食べ物の色を作り出す技術や方法といった物理的な側面。もう一つは、人がある食べ物の色をどのようにして「当たり前」だと思うようになったのかという、認識的側面である。**(まえがきⅴ)という、著者が本書で論ずるテーマを読んで、なるほどこのようなことなのかと思った。内容からしてタイトルの「味覚」が相応しいのかどうか・・・、インパクトのあるタイトルとして考えられたのかもしれない。

食品の色ということで「果物の発色」のことが浮かんだ。果実の中でも特にリンゴは味だけでなく見た目、特に色が重視される。色付きが良くないと味は良くても商品価値は下がり、出荷できないこともある。料理の盛り付けでも見た目、色どりが大事だ(味が大事なことはもちろんだが)。

わたしには食べ物の色が作り出されたものだという認識がほとんどなかったから、カバー折り返しの本書紹介文に書かれた**色の多くは経済・政治・社会の複雑な絡み合いの中で歴史的に構築されたものである。**という件(くだり)に、「え、そうなのか、知らなかった」と本書に興味を覚えた。

本書で著者は食品の色について、かなり広範な領域にまで対象を広げて論じている。食品の色を論ずる前提として、色の客観的な捉え方など、色そのものついても解説している。

バナナやオレンジがより「おいしそうな色」に、より「自然な色」に見えるように生産者によって作り出され、消費者には「正しい色」として受け入れられるようになった経緯。バターの代替品として、フェイクバターとして作り出されたマーガリン。バターとマーガリンとで、どっちが本物のバターの色なのかというような食品の色をめぐる認識論。これらはなかなか興味深い。

着色料を巡る産業界の諸相についても第3章「産業と政府が作り出す色 ― 食品着色ビジネスの誕生」で紹介している。

第8章「大衆消費社会と揺らぐ自然観」で著者は食品の自然な色に対する考え方の変化についても論じている。真っ赤なリンゴは自然な色なのか、精製した小麦でつくる真っ白いパンが健康的なのか、茶色いパンの方が自然で本物ではないのか・・・。

最終第9章「ヴァーチャルな視覚」では、前章で論じた食品の見た目に対する考え方の変化を受けて、でも依然としてネットスーパーなどでは黄色いバナナ、赤いトマト、オレンジ色のオレンジの写真が並んでいると指摘し、その理由については**食べ物の「あるべき」色・「自然な」色は、長い歴史の中で作り出されてきた。そうした色を人々が内面化し、ある程度共通認識を持っているからこそ、ネットスーパーの写真は成り立つのだ。(後略)**(186頁)としている。

本書を読んで、食品の色に限らず、様々なものについて自分の認識(常識)が他人の認識と同じなのか確認することも必要なのかもしれないと思った。自分の常識が他人の非常識ということが結構あるように思うので。


本書の目次は次の通り

まえがき

第一部 近代視覚文化の誕生
 第一章 感覚の帝国
 第二章 色と科学とモダニティ
 第三章 産業と政府が作り出す色――食品着色ビジネスの誕生
  
第二部 食品の色が作られる「場」
 第四章 農場の工場化
 第五章 フェイク・フード
 第六章 近代消費主義が彩る食卓
 第七章 視覚装置としてのスーパーマーケット
 
第三部 視覚優位の崩壊?
 第八章 大量消費社会と揺らぐ自然観
 第九章 ヴァーチャルな視覚 

あとがき――感覚論的転回