透明タペストリー

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「秋葉原事件」を読む

2013-11-10 | A 読書日記



 読み始めた『秋葉原事件』中島岳志/朝日文庫に次のような記述がある。**彼は現実の友人ではなく、ネット上の知り合いを「本音で繋がることができる関係」と捉えていた。現実の友人では、どうしても透明な関係を結べない。真の自分を承認してもらえない。しかし、ネット上で同じネタを共有できる仲間は、自己を真に承認してくれる相手に思えた。**(プロローグ 21頁)

先日行われた中島岳志さんの講演会で、2008年の6月8日に起った秋葉原事件のことが少しだけ取り上げられた。

ルソーに「高貴な未開人」ということばがあって、古代人や子どももそうだが、未開人は外観と内面が一致しているから高貴、比して近代人は外観と内面が分断されていると捉えていたという。

秋葉原事件の犯人は現実の友人を「外観と内面が一致していない」と思っていたが、これはルソーの認識と似かよっているという指摘を、講演者の中島さんがしたのだった。

確かに現実社会において、建前と本音の使い分けが行われていることは事実に違いないが、現実は「建前」で、ネット上の掲示板は「本音」などと、事件の犯人のようには、私は思わない。ネット上の関係より現実社会での人間関係の方が「虚構性」は少なく、より「リアル」だと思う。

講演会で一緒になった友人のKさんが僕に「あなたはネット上では知的な人というイメージなんだからね・・・」と言ったが、これも現実の方がリアルだという認識に因るもの。

社会とは人間関係。「秋葉原事件」に無関心ではいられない。そう思って、この本を読むことにした・・・。


 


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