■ 友人と白川郷を訪ねたのは1979年の8月のことでした。当時は素朴な農村といった風情で、民家の周りには畑や田圃が広がり庭先には草花が咲き、洗濯物が干してありました(写真)。
民家の周りに私的な領域がきちんと確保されていて、立ち入ってはいけないエリアであることがはっきりと分かりました。その雰囲気は下の写真からも知ることができると思います。
白川郷の合掌造りの民家 197908
先週末の北陸旅行の最後に、白川郷の合掌造りの集落を再訪しました。30年の歳月はすっかりこの集落の表情を変えていました。集落全体の空間の「質」が変わっていたのです。
かつての風情はどこへやら、今や映画のセットのようで生活の営みが感じられません。上の写真と下の写真を比較すると、季節は違っていますが、空間の質の違いがよく分かると思います。
世界遺産に登録され、東海北陸自動車道が開通して観光客で賑わうようになって、民家の周りの私的な領域は失われました。観光客が民家の周りを無遠慮に歩き回るようになってしまったのです。
世界遺産に登録されたことが白川郷の人たちにとって本当に幸せなことだったのだろうか・・・。観光客の少ない集落のはずれを歩きながら考えました。
白川郷 20090412

瑞龍寺のパンフレットより
■ 念願の瑞龍寺へ。加賀二代藩主前田利長の菩提寺として三代藩主利常によって建立された寺。
上の配置図で分かるがこの寺は手前から総門、山門、仏殿そして法堂(はっとう)が直線状に配置されている。
総門と山門を回廊で結び、仏殿を囲むように山門と法堂をやはり回廊で結んでいるがそれらは左右対称に構成されている。
総門(重要文化財)を抜けると白砂利を敷き詰めただけの抽象的でモダンな庭園が参道を軸に左右対称に広がっている。① 正面の山門(国宝)の圧倒的な存在感!


山門越しに仏殿を望む
山門を境に一瞬にして白の空間が緑の空間に転換する。見事な空間演出。

仏殿
左右対称に構成された空間、参道の両側に石灯籠、正面に仏殿(国宝)。仏殿の後方に法堂(国宝)がある。
徹底的に左右対称に構成された空間の荘厳で力強い雰囲気に圧倒された。
建築史家の藤森照信さんは以前雑誌「モダンリビング」に、人は左右対称な構成を美しいと思うようにあらかじめインプットされているのだ、と書いていた。生まれて初めて目にする母親の顔は左右対称。だから左右対称を好ましい、美しいと感じるようになっていないと困るのだ、と。
北陸へ行く機会があれば是非この空間体験を!



■ 11日は金沢泊。翌12日、高岡市の瑞龍寺に向かう途中、高岡市内の住宅を路上観察した。富山県は持ち家率と住宅の床面積が確か全国でトップ。大きくて立派な住宅が多い。
住宅の外観上の特徴として妻壁上部の構成を挙げることができる。中と下の写真で分かるが、木柄の大きな梁と束による構造を「あらわし」にしてデザインしていること、小屋裏通気口だろうか、開口があることなど。
それから今回の路上観察で気がついたが破風板の頂部の形状と継ぎ手部分。ゆるやかなカーブを描いていてジョイントはやとい実(ざね)継ぎとしている。やといを破風板の下端に合わせて切ってしまわないで少し伸ばしていること。かなり長いものも見かけた。
破風板は几帳面取りがされている。また棟端には立派な鬼瓦が載っている。

端整な形の蔵もいくつか見かけた。美しい!

■ 金沢21世紀美術館は直径が114メートル、だったでしょうか。平面形は真円です。円は自己完結的、他の物との関係性を生じにくい形なんですが、外壁がすべてガラスで出来ているので外と視覚的に繋がっています。
この美術館のコンセプトは「まちに開かれた公園のような美術館」だとパンフレットにあります。あたかも公園を歩くかのように館内を自由に歩き回っている子供たちの様子を見ているとそのことを実感します。
芝生にねころんでいる人にも、美術館内のソファに座っている人にも全く差の無い春爛漫な風景を楽しむことができます。内外で視覚的な条件が同じなんですね。鉛直荷重だけを分担しているのでしょう、信じられないほど細い柱の他は視界を遮るものは何もありません。
外壁の白と桜の薄いピンクの組み合わせがとても綺麗で、昨日はこの美術館がとても魅力的でした。

金沢21世紀美術館にて 090411
■ 春爛漫。桜満開の北陸建築巡り。
桜も建築、などと書くと、え?何それ、という声が聞えてきそうな気がします。
仲良しグループなんでしょうね。何人かの若い女性たちが桜の木の下で談笑しています。昨日の金沢は初夏を思わせるような暑い陽射しでしたが、桜がその陽射しを遮って影を落としていますね。
陽射しを遮ること、これは建築の基本機能のひとつ。それ故、彼女たちにとって桜は立派な建築なんですね。
■ 建築切手シリーズ
善光寺の切手が見つかりました。何年も前にいただいた封書に貼ってありました。
前立本尊御開帳中の善光寺。しばらく前に書いたことと重なります。参拝者は回向柱を触ることで前立本尊とのご縁をいただくことができるということなんですが、そのことを回向柱と前立本尊とを善の綱で結ぶことで可視化する、という実に分かりやすくて上手い「演出」がされていますね。
来週あたり出かけて阿弥陀三尊を拝観したいと思います。併せて信濃美術館で開催中の仏像展も観たいと思います。
■ 建築切手シリーズ
切手の右下に「温泉津の内藤家屋敷」とある。 温泉津と書いて「ゆのつ」と読むのだそうだ。温泉津温泉は「ゆのつおんせん」、地名は難しい。
今夜はこれにて。
■ 長野の善光寺の御開帳が始まった。本尊そのものは秘仏中の秘仏で誰も見たことがないらしい。御開帳で宝庫から本堂に移されて公開されるのはその秘仏とそっくりにつくられた前立本尊とのこと。回向柱とこの前立本尊は白い綱で結ばれていて、回向柱を触ると前立本尊とのご縁を得ることができるのだそうだ。
「この発想が面白い。」昨日はこのひとことで済ませてしまっていた。やはりなぜ面白いと思うのかを書かなければ。
二人は赤い糸で結ばれていた、などということがある。この赤い糸は見えない糸だ。回向柱と前立本尊とは「善の綱」というらしいが実際に白い綱で結ばれている。回向柱に触ることでご本尊と直接結ばれる、ということがビジュアルに表現されている。このことを面白い、と思ったのだ。やはり視覚に訴える情報が一番印象的で強い。
先日取り上げた雑誌「ブルータス」によると、仏像には三尊形式があるということだ。仏像のことは全く何も知らなかったが、この雑誌で基本的なことをある程度知ることができた。善光寺の場合は阿弥陀如来の左右に勢至菩薩と観音菩薩が配置されているということだ。
今日の朝刊に厨子の扉が開かれ、前立本尊が姿を現した瞬間を捉えた写真が載っているが、右側の観音菩薩が手前のろうそく立てに隠されてしまって写っていない。これは写真としてはボツのはずだが、他に無かったので止む無く載せたのだろう。
ところで今週末に出かける富山県は高岡の瑞龍寺の場合は本尊は釈迦如来。で、その両脇に立っているのが普賢菩薩と文殊菩薩。
薬師如来と月光菩薩、日光菩薩の三尊は知っていたが、その他の三尊の組み合わせはきちんと覚えていないので、諳んずることが出来ない・・・。
なぜ3体セットなのか、「ブルータス」はその問いに**お供が決まっているからです。水戸黄門のように。**と答えている。そうか、助さん、格さんか。
これが三尊形式と呼ばれる最小単位。真ん中の如来には80種類もの特徴があるそうだが、漫然と見ていてもほとんど見つけることは出来ないだろう・・・。
週末までに、見学先の金沢21世紀美術館、兼六園そして瑞龍寺、さらに白川郷の合掌造りや高山の町屋について少し調べておかなくては。
最後に復習。
阿弥陀三尊:阿弥陀如来と勢至菩薩、観音菩薩
薬師三尊 :薬師如来と月光菩薩、日光菩薩
釈迦三尊 :釈迦如来と普賢菩薩、文殊菩薩

■ 「繰り返しの美学」が成立する必要条件は、とにかくプランが直線的に長い、ということ。通常、駅のプラットホームや空港の通路、そして校舎などがその条件を満たす。
長野県内の某所で見かけた繰り返しの美学な中学校の校舎の外観。普通教室棟は同じ大きさの教室がいくつも直線的に並ぶから、ごく普通に設計すれば外観は手すり子、柱、梁、縦どい、窓など、全ての要素が等間隔に繰り返すことになる。これはそのようなティピカルな実例。
繰り返しの美学などということを意識しなければ、ごくありふれた外観として特に注目もしないだろう・・・。
■ 早や4月。先月読んだ本のレビュー。
『犬のしっぽを撫でながら』小川洋子/集英社文庫
先週末東京したとき、丸の内オアゾの丸善で買い求めた。単行本で書店に平積みされていたとき、手にして気になっていた本。電車の中は読書に集中できる。都内を移動する地下鉄などで読了。
川上弘美さんはエッセイ集『なんとなくな日々』のあとがきで小説家にはなりたかったが、小説家はエッセイも書かなくてはならないから、なんだかなりたくないなあ、と矛盾した思いを長い年月いだきつづけていたそうだ。が、小説の雰囲気に似たいいエッセイを書いている。
小川洋子さんのこのエッセイ集では創作過程が綴られていて興味深い。やはり彼女の小説と雰囲気が似ている。真面目な人に違いない。文章からそんな印象を受ける。
『奈良の寺』奈良文化財研究所編/岩波新書
この新書はブログでは取り上げなかった。執筆者が45人と多い。それだけ総花的な印象を受けた。
**将来新技術が開発されて謎が解き明かされる日がくるかもしれません。**
**この問題の本格的な研究はこれからです。今後解明すべき課題でしょう。**
**今は非破壊分析法が発達しています。いずれ調査結果が出るものと期待しています。**
最後に今後の課題を示しておくことが、研究論文の基本的なスタイルなのかもしれないが、上のような結語が続くのはやはり物足りない。
北品川の原美術館、カフェダールにて
『風土 人間学的考察』 和辻哲郎/岩波文庫。
今や古典的名著。なぜ今この本を再読しているのかは、別の機会に。
■ 雑誌「ブルータス」の最新号は仏像特集。くだけた文章で仏像について解説してるが、なかなか内容が濃い。是非手元に置いておきたい。
三十三間堂の千手観音立像の写真が**造れば造るほど功徳が増える。ブツゾウを造って極楽へ行こう! 春の極楽浄土キャンペーン実施中です。**という上手いコピーと共に載っている。
1001体もの仏像が規則的に並ぶ様は壮観。繰り返しの美学!
平安時代の人たちも繰り返しに美を感じていたにちがいない。
■ 谷中で路上観察 20090329
おそらく戦前の建築。木がらの大きい材料を使っている。構造的には必要のない断面寸法であろう。職人の矜持が伝わってくる。
いつごろからだろう、ぺなぺなのまがい物で建築するようになってしまったのは・・・。
このような町屋が東京からどんどん姿を消している。過去の記憶を喪失してしまった街の一体どこに魅力を見出せばいいのだろう・・・。
以上で春の週末東京終わり。