透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

― この踊り場は・・・

2010-11-13 | A 火の見櫓っておもしろい





 なぜか火の見櫓の近くに電柱が立っていることが多い。邪魔だな~。

スレンダーな櫓。屋根も櫓も上方に引き伸ばしたようなプロポーションだ。ところでこの火の見櫓は踊り場にも半鐘が吊り下げられているが・・・。

三角形の櫓の外に設置された梯子を上っていくと・・・、あれ?踊り場の三方にブレースがある。これでは梯子から踊り場に入り込むのに苦労しそうだ。さらに上の梯子も櫓の外に設置されている。これでは踊り場の用をなしていないのでは・・・。上り下りするのが怖そう・・・。

塩尻市宗賀の火の見櫓 101113


安曇野のシンボルは常念岳?

2010-11-11 | A あれこれ


秋のフォトアルバム 101111

常念岳は既に冬衣。

安曇野のシンボルが三角形の常念岳か台形の有明山かは見解の分かれるところだろう。

安曇野の全景を俯瞰するような遠景には凛とした常念岳、日本むかし話に出てくるようなほのぼのとしたふるさとのイメージには有明山が似つかわしい、と私は思うのだが・・・。


110 半鐘の音

2010-11-10 | A 火の見櫓っておもしろい



110

 秋の火災予防運動期間(9日~15日)。初日の早朝、私の住む山里では火の見櫓の半鐘が打ち鳴らされることはなく、半鐘の音はスピーカーから流れてきた。記憶にある半鐘の音とは違う音が、火の見櫓とは違う方向から聞こえてきた。

たぶん、この集落でも事情は同じだろう。火の見櫓の近くにあるスピーカーから半鐘の音が聞こえてきたに違いない。

いろいろなものが時の流れとともに暮らしの中から消えてゆく・・・。


 


「子どもの絵は何を語るか」

2010-11-08 | A 読書日記



 川端康成の『日も月も』角川文庫を読む前にこの本を読もう。

**子どもの絵の発達の道筋を軸に、子どもの発達とは何か、人間とは何か、絵の表現とは何か、子どもの絵は何を語るかを発達科学の視点から考察していきたい。そして古代人の絵や部族の絵の特徴と対比しながら、人類の発達とは何かを問いなおしていきたいと願っている。**

著者は「はじめに」でこのように書いている。なかなか興味深いテーマだ。

先日、書店で本をさがしているとき、この本が私を呼んでいるような気がした。即、手にとって、レジへ直行。時々このようなことがある。このようにして入手した本はなぜか面白い。


「みずうみ」川端康成

2010-11-07 | A 読書日記



■ 今日は立冬。『みずうみ』川端康成/新潮文庫を読んで過ごす。七十近い老人の有田。有田は水木宮子という若い女のところに通ってくる。有田の家には家政婦という名目の美人がいる。名前は梅子。

作品の表層の奥にあるものは何か。川端康成がこの小説で描こうとしたものは何か。

川端康成はあっさりと種明かしをする。**老人が宮子にも梅子にも渇望しているのは母性だということは、第一に明らかだった。有田の生みの母は二つの時に離縁されて、まま母が来た。**

**七十近い老人はこの若い二人に手枕されて、首を抱いてもらって、乳を含むと、お母さんという気持ちになるこの世の恐怖を忘れさせてくれるものは、老人にとっても母のほかにはない。**

川端康成は数え年二歳のときに父を失い、三歳のとき母と死別した。数え年八歳のときに祖母が死に、以後十年、祖父との二人暮らしであった(*1)。

川端康成の作品では「母」を若くて美しい女性に求める男が描かれる。『千羽鶴』の菊治も女性に求めたのもやはり「母」のやすらぎ、救いではなかったか。『山の音』の信吾も息子の嫁に「母」を求めていたのかもしれない。『雪国』も『伊豆の踊子』もこのモチーフ。

川端康成が生涯求め続けたのは「母」と「美」だった・・・。

メモ)
*1 『日も月も』川端康成/角川文庫の解説による。
    今夜(7日)の「龍馬伝」で描かれたのは龍馬の姉の乙女からお龍への「母」の委譲だった。

 


「千羽鶴」川端康成

2010-11-07 | A 読書日記



 川端康成の小説は中高生の頃に読んだという人が多いと思うが、そのときこの作家のエロティックな世界を理解できていたのだろうか・・・。『雪国』←過去ログ

先日約40年ぶりに再読した『山の音』。主人公の信吾はある朝、突然ネクタイが結べなくなってしまう。40年間毎日結んできたのに。息子の嫁の菊子が見かねて胸に近づいて、結ぼうとするが結べない・・・。

そのとき、**信吾はまかせたつもりになっていると、幼い子がさびしい時にあまえるような気持ちがほのめいた。菊子の髪の匂いがただよった。** 例えばこの何気ない描写にもエロティックな雰囲気が漂っている。

ここで信吾が菊子の肩に手をかければ・・・。菊子も義理の父親に恋慕の情を抱いているのに、理性的に振舞うふたりの間には何も「起こらない」。

『千羽鶴』も40年ぶりの再読。**女がこんなにしなやかな受身であって、ついて来ながら誘ってゆく受身であって、温かい匂いにむせぶような受身であるとは、菊治はこれまで知らなかった。**

菊治が関係をもった女、太田夫人は亡くなった父親の愛人だった。年は45歳前後、菊治より20歳近く上。

**菊治はつっと立つと、呪縛で動けない人を助け起こすように、文子の肩をつかんだ。文子の抵抗はなかった。** 菊治は太田夫人の娘の文子とも関係する。

このように『千羽鶴』の男と女の間には「起こる」。意図的にこんな場面だけを引用すると、男と女のどろどろした世界を描いた通俗的な小説のような印象になるが。

菊治の父親にはもうひとり栗本ちか子という愛人がいた。菊治はちか子の企画した茶会で稲村ゆき子というやがて結婚することになる女性と出会う。ただし、菊治とゆき子の新婚生活が描かれるのは続篇の「波千鳥」で、40年前に読んだ文庫本には収録されていない。

**「僕はね、不具じゃないよ。不具じゃない。しかしね、僕の汚辱と背徳の記憶、そいつが、まだ、僕をゆるさない」** 熱海に新婚旅行にでかけた菊治とゆき子だったが、菊治はできなかった・・・。

太田夫人と栗本ちか子、ひとりの男に対するふたりの女の情念と執念が息子にまで及ぶ・・・。太田夫人は茶室で菊治と関係した夜、自殺してしまう。が、彼女の情念が娘に引き継がれたかのように、文子も菊治と深くかかわっていく。

栗本ちか子はある事情で結婚せず、子どもがいない。で、ゆき子を菊治に差し向けて太田夫人に対抗したなどと解釈してみる。菊治はゆき子と結婚したのだから、女のバトルはちか子の勝ち、と思いきや、菊治はゆき子には性的に不能・・・。

文子は菊治に宛てた長い手紙を旅先で何通も書いて♪私は 私は あたなから 旅立ちます と宣言するのだが・・・。

川端作品の再読、次は『みずうみ』。この作品も40年ぶり。 


― 火の見櫓に学ぶ

2010-11-03 | A 火の見櫓っておもしろい


 梯子型の火の見櫓 日本大正村(岐阜県恵那市明智町)にて


 櫓型の火の見櫓 松本市内にて


 飛騨高山 山桜神社の火の見櫓

「火の見櫓」は2本柱の梯子型(1本柱のものも含める)と3本、4本柱の櫓型とに大別される。

火の見櫓と聞いて思い浮かべるのは後者、櫓型のものが多いのではないかと思う。櫓型の火の見櫓は屋根と見張り台、そして櫓という構成要素から成る。これらの構成要素にはいくつかの造形要素があるから、組み合わせはかなりの数になる。実際、櫓型の火の見櫓は千差万別の造形を生んでいる。

火の見櫓の起源は江戸時代の前期にあるということだが、現在では消火ホースを乾燥させたり、防災用無線(サイレンやスピーカー)設置のための塔としてかろうじて生きながらえているものが多い。その一方、役目を終え、取り壊されてしまったものも少なくない。

単一機能であるのにもかかわらず、多様なデザインが見られる火の見櫓は景観構成上の要素であり、地域のコミュニティーの象徴でもある。建築が景観上好ましくないデザインであったり、地域のシンボルとは成り得ない存在であったりするのとは対照的だ。両者の違いは一体何に起因するのだろう・・・。

たかが火の見櫓、されど火の見櫓。この頃、火の見櫓に学ぶことは多いと感じている。


ブックレビュー 1010

2010-11-03 | A ブックレビュー



 国民読書年、読書の秋。 10月に読んだ本。

『ばかもの』絲山秋子/新潮文庫 
芥川賞受賞作『沖で待つ』に描かれた男と女のべたべたしない「友情」関係っていいなと思ってから、この作家の作品を読み続けている。 『ばかもの』では男と女の「恋愛」が描かれる。一度別れたふたりが、それぞれ何もかも失って再会。そしてお互い、相手がかけがえのない人だと気がついて静かな時間を取り戻してゆく・・・。

『買かわねぐていいんだ』茂木久美子/インフォレスト
山形新幹線アテンダント、JR東日本で車内販売売上ナンバー1。どんな世界にもプロ中のプロはいるものだ。

『日本近現代史⑩ 日本の近現代史をどう見るか』岩波新書
日本が歩んだ150年とは何だったのか?これからどこへ行く?
近現代史への本質的な問いかけに識者たちが答える。

『官僚たちの夏』城山三郎/新潮文庫
官僚たちの熱い闘い。実在の官僚や政治家をモデルにした政治・経済小説。全く疎い世界。

『街場のメディア論』内田樹/光文社新書
情報社会の「?」を理路整然と解き明かす。読了後は「!」の付箋が何枚もついた。

『鞄心理学』中山和彦/先端医学社
カバンには持ち主の心理状態が投影されている・・・。
精神科医による「カバンリテラシー」。

『山の音』川端康成/旺文社文庫
息子の嫁に初恋の人を重ね、淡い恋心を抱く初老の男。若くて美しい女性へのあこがれ、やがて訪れる失望・・・。

『美術館をめぐる対話』西沢立衛/集英社新書
ホワイトキューブから町の一部へ。 アートが変わる、美術館も変わる。美術館再定義の試み。

11月はどんな本が待っているだろう・・・。

 


109 松本市南浅間の火の見櫓

2010-11-03 | A 火の見櫓っておもしろい


浅間温泉に続く道路の脇に立つ火の見櫓 


109

 柱材にも横架材にも鋼管が使われ、ブレースにはスリーブジョイントが使われている。これと同様の火の見櫓をこの先数キロのところ(稲倉←過去ログ)で見ている。屋根のデザインもよく似ている。

やはり火の見櫓はこのような市街地より自然豊かな郊外の集落の方がよく似合う。
この火の見櫓は居心地悪そうに、寂しそうに立っている・・・。


 


108 日本大正村 4 火の見櫓

2010-11-02 | A 火の見櫓っておもしろい


108

■ 恵那で高速を下りてから、火の見櫓がないものかと、助手席から注意して見ていたが、見つからなかった。だから、この火の見櫓を目にしたときは嬉しかった。

大正路地を抜けると更に道路はまっすぐ続いていた。その正面にこの絵画館(元小学校とパンフレットにある)と火の見櫓が建っていた。 火の見櫓はパンフレットには「もちろん」載っていない。是非この火の見も載せて欲しいと思う。

2本の木柱の間に丸鋼を渡して、梯子状の火の見櫓にしている。片方の柱から腕木を持ち出して半鐘を吊るし、その上には切妻の小屋根がつくられている。半鐘を大切に思う地元の人たちのこころの表れだ。木柱のてっぺんは腐朽保護のために鋼板で包まれている。

半鐘を右手で叩くとすれば、こちらを向いて上ることになる。火の見櫓巡りはまだまだ続く・・・。


日本大正村 3 大正路地の板張り

2010-11-02 | A あれこれ




路上観察 板壁 101030
 
■ 大正路地と呼ばれる細い通りに面した板壁。通りの左右でその構法が違っていた。

上の壁は目板張り。縦に張った板の継目に細幅の「目板」を留めている。目板は板の継目から雨が浸入するのを防ぐために付けている。

下の壁は押縁下見板張り。この構法の場合は細幅の「押縁」は横に張った板のあばれを防ぎ、板を固定するために付けている。

ほぼ同じサイズの細い部材だが、上の目板は雨仕舞のため(板の反りも防ぐが)、下の押縁は固定のためで、
役目が違う。共にこの細い部材を付けない構法もあるが、耐久性を考えればやはり付けた方が好ましいと思う。


 


日本大正村 2

2010-11-02 | A あれこれ




 中央道を恵那インターで下りて日本大正村に向かう途中で見かけた茅葺き(樹皮との混ぜ葺き)の長屋門(恵那市内)。全体のバランスが良く美しい。

屋根棟の雨仕舞。

棟を樹皮で覆い、竹で押さえ(一番上の1本だけ少し長い)、その上に5か所、千木を載せている。千木の上には丸太の小棟。小棟の端部はこのように少し反っているのが一般的。

久しぶりに状態の良い茅葺き屋根を見た。