透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

― 赤いホース塔

2011-05-02 | A 火の見櫓っておもしろい





 松本市の芳川消防署。

藤森照信さんは建築デザインを「白」と「赤」に大別したが(白:例えば妹島和世さんの抽象的な現代建築、始祖はミース。赤:例えば藤森さんのバナキュラーな建築)、この建築は「白」。デザインはモダンでハイセンス。

火の見櫓の後継の防災無線塔やホース塔はあまり増えて欲しくはない。でもこんなデザインのホース塔なら、「ま、いいか」とも思う。でも・・・、やはり地域防災のシンボルとして、火の見櫓をつくって欲しかった。ホース乾燥もできる火の見櫓。建築に表れている設計者のデザインセンスなら、きっと美しい火の見櫓ができたと思うが・・・。


地名などに込められた意味

2011-05-01 | A あれこれ

 松本は古名を深志という。この深志という呼称には深瀬が転訛したものだという説がある。浅瀬に対する深瀬。

松本駅周辺、特に東側はこの名を裏付けるように、軟弱層(泥炭層や泥炭質シルト層などの細粒堆積物の層)が厚くて強固な地盤、支持層は深い。大昔は沼地のようなところだったのかもしれない。このようなくぼ地は並行する2本の断層などが横ずれを起してその間の地盤が陥没してできるとする説がある。

地盤が陥没してくぼ地(*1)ができる・・・。諏訪湖の成因もこれと同じだという。これは昔々、大昔、ものすごい地殻変動が糸魚川・静岡構造線上に在る松本や諏訪に起こった、ということを示しているのではないか。

朝日村(長野県東筑摩郡)の役場の所在地の小野沢という地名は元は斧沢だったという説がある。斧で雑木を切りながら歩を進めたことに由来するのだとか。ついでに書くと同村には御馬越(おんまご)という木曽義仲伝説に由来するとされる地名もある。義仲は琵琶湖畔の粟津原で討たれたが、この地名は朝日村にある粟津原という姓と関係があるとする説もあるが、本稿ではそこまでは言及しない。 

長野の地附山。この山で起こった地滑りが老人ホームを襲ったのは何年前だっただろう・・・。この山名が強固な岩盤の表面に地(土の層)が附いた山という意味だと捉えていたら・・・。

ところで、仙台市若林区に「浪分神社」と名付けられた小さな神社があるそうだ。貞観津波(福島原発の津波の想定高の妥当性を巡ぐってこのごろ取り上げられる)がここまで到達したという意味でつけられた名前だと聞く。先人がそのことを後世に伝えようと祠を建てたのが起源らしい。しばらく前にラジオ番組で月尾嘉男氏がこの神社を取り上げていた。

内陸4、5kmくらいのところに位置する神社の名前に込められた意味。ここまで津波は到達するという後世への警鐘は今回の震災に活かされたのだろうか・・・。

土地などの名前には信頼するに足りない、まゆつばな歴史に基づくものもあるだろうが、先の例のような「遠くの記憶」が残されていることも少なくないだろう。

土地などに付けられた古い名前を変え、「ものがたり」を忘れてしまうことは大きな損失だ。

*1 プルアパートベーズン (Pull‐apart basin)


ブックレビュー 1104

2011-05-01 | A ブックレビュー



 5月になった。毎春恒例、花さかじいさん全国縦断ツアーも青森から津軽海峡を渡って北海道に到達しただろう。東北の惨状にはじいさんもビックリしたに違いない。

4月の読了本は3冊だった。

川上弘美の『ざらざら』新潮文庫。雑誌「クウネル」に掲載された掌編小説をまとめたもの。「クウネル」の読者層は主に若い女性(私も読むが)、川上弘美はこのことを意識してやはり若い女性を主人公にした様々な恋模様を描いている。

書き出しが上手い。

**風の吹くまま旅をしよう、と和史が言ったのだ。なんなのよそれ、あんたは昔のフォーク歌手か、とあたしは言いそうになったが、我慢した。**「ラジオの夏」 風の吹くまま旅をしようというキャッチコピーのような台詞がいい。いや、これはキャッチコピーだ。あんたは昔のフォーク歌手か、というつっこみもいい。

**あ、から始め。あ、は、あおうみうし。し、は、しかくなまこ。こ、は、こういか。か、は、かくれえび。**「びんちょうまぐろ」 意外性と文字の並びの面白さ。

**「はい」と差し出されたその紙のまんなかには、茶色いクレヨンで何かが描かれていた。**「クレヨンの花束」 読者を一気に物語のまっただ中に引き込んでしまう。登山者をふもとから登らせるのではなく、パラシュートでいきなり山頂に下ろしてしまうように。これは掌編小説に必要なワザだ。

いろんなタイプの女性が登場する。川上弘美は、知人友人が多いんだろうな、と読みながら思う。お酒もきっと好きなんだろうな、居酒屋で飲んだりするのかな、と読みながら思う。そういえば、『センセイの鞄』は居酒屋が主な舞台の恋愛小説だった。小説には作家のリアルな世界が投影されるものだ、と思っている。




既に書いたことだが、ブログを始める前は、読了本を書棚に並べていって2、3ヶ月ごとに写真を撮って、ダイアリーに貼っていた(写真は97年のダイアリー)。私が実践していた一番簡単な読了本の記録法だった。ブログを始めてからはダイアリーではなくブログに記録するようにした。簡単な方法ではなくなった・・・。

豊由美の『ニッポンの書評』光文社新書。「崎」ではなく、「」だった。脳が勝手に「崎」と認識していた。この手の間違いはよくあることだから注意が必要だ。ところで人生いろいろ、読書もいろいろ、書評もいろいろだ。

本書の40頁に **誤解とブーイング覚悟で正直に書いてしまいますが、八〇〇字でも過分というくらい内容の薄っぺらな小説もあれば、かなりシャープに論を展開しても一〇〇〇字を下回る分量ではとても魅力を伝えきれない内容の濃い小説もある** とあるが・・・。

さだまさしの「案山子」の歌詞に出てくる 「金頼む」の一言でもいい ではないが、「続編頼む」の一言でもいい、と私は思う。長編小説を書いた作家はこの単純なメッセージをきっと喜ぶだろう。

誰のエピソードだっけ、自分の本の売れ行きが気になって、確か旅先からだったと思うが編集者に「?」だけ書いて送ったら「!」と返信が来たというのは。


内田樹の『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』文春文庫。樹は、たつる。難しい名前だ。  帚木蓬生、これは読めない。ははきぎ ほうせい。川上弘美、小川洋子という名前は小学生でも読める。読みやすくて覚えやすい名前の方が本は売れるだろうに・・・。

昔々、数学の参考書に示された一般的な解法とは別のスマートな解法をみると、アッタマ、いい!と思ったものだが、内田樹が示す物事の捉え方、論理の流れはまさにこのスマートな解法と同じだ。

別解を知ることが新鮮で楽しい。