透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

581 須原駅の火の見櫓

2015-11-14 | A 火の見櫓っておもしろい


581 木曽郡大桑村 JR須原駅の構内 




消火ホース乾燥塔+火の見櫓+防災行政無線塔、かな・・・。屋根の上の小屋にはモーターサイレンが納められていると思われるが・・・、この半鐘をまだ叩いているのかな?

半鐘を吊り下げてある腕木の鋼材は柱材に溶接接合してあるのかな? 半鐘はかなりの重量だから(具体的にはどのくらいだろう・・・)、片持ちだと根元の接合部にかなりの負担がかかる。溶接だと野ざらし状態では錆びてダメになってしまうような気がする。接合部を確認しなかった・・・。機会があればもう一度観察したい。



柱はレール型の鋼材。レールの転用かどうかは分からない。火の見櫓が駅の構内に立っていて、柱材がレールの転用だとすると、そこには明快なストーリーが浮かぶが・・・。



現在ごみステーションとして使われているがもともとは消防車車庫だったことを示す館名板が撤去されずに残っている。



 


福来屋の黒部ダムカレー

2015-11-12 | F ダムカレー



■ 福来屋は2回目です。全20店の黒部ダムカレーを食べ尽くすという私的企画は今年の5月26日にここから始まりました。

楕円のお皿は長径約37cm、短径28cmとかなりの大きさです。黒部の氷筍水のペットボトル(500ml、高さ21cm)との比較で皿が大きいことがわかります。遊覧船ガルベに見立てたトッピングは信州サーモンのサクサクフライ。ダムの下流側には新鮮野菜。

前回はどんな感想を書いたか確認していませんが、ここのカレーは懐かしい家庭の味で美味しいです。氷筍水のペットボトル付きで964(くろよん)円はお得でしょう。 


 


「建築の大転換」

2015-11-10 | A 読書日記


『建築の大転換』 伊東豊雄 中沢新一/ちくま文庫

 先週の土曜日(7日)に久しぶりに松本駅近くの書店、丸善に出かけた。

高村 薫の『空海』新潮社を買い求めるためだったが、地階の文庫と新書のコーナーもざっと見て回った。その時、『建築の大転換』 伊東豊雄 中沢新一/ちくま文庫を見つけた。

『銀の匙』 中 勘助/岩波文庫を中断して『空海』を読み、そしてこの本も読んだ。

中沢新一さんは本書の中の「建築のエチカ」という文章で、チベットの仏教寺院のありようについて、**自然からできるかぎり祝福されていなければならないのである。**(272頁)と書き、続けて**彼らは自然のなかにおかれる寺院という建築が、人間の作るものとしてどうしても自然に同化しきれない部分を持ってしまう運命にあることを知って、だから人間の精神の作り出すものは自然のプロセスが産み出すものより優れているのだ、とその優位を誇ったりするのではなく、可能なかぎり自然から祝福されたものであろうとした。**と説いている。

伊東豊雄さんは「おわりに」のなかで3.11以降、自然から祝福される建築という言葉の持つ意味は重いと述べている。

この言葉は本書のキーワード、伊東さんが舵を切って向かうべきとする建築のありようを示す言葉なのだろう。


 


76、77 名刺 昨日の2枚

2015-11-09 | C 名刺 今日の1枚

76枚目 Hさん 77枚目 Nさん

昨日(8日)の午後、カフェ  バロでふたりの方と名刺を交換した。

76枚目は山形村にお住まいのデザイナー、Hさん。

何年か前、清水高原の住宅が雑誌に紹介されたことがあった。その時私は外観だけでも見たいと思って探しに出かけたが、所在地が分からなくて見ることができなかった・・・。偶然にもHさんはその住宅にお住まいの方だった。 いつか拝見する機会があることを願う。

77枚目は新潟県長岡市在住の建築士、Nさん。

カフェ バロで11月15日(日)までの会期でNさんのスケッチ絵画展「まつもとそぞろあるき」が開催されている。昨日はNさん終日在廊、とのことだったので出かけた。

スケッチの描法は私と基本的に同じだが、道具が違う。Nさんは万年筆で線を描く。使わせていただいたが、細い線がなめらかに描けた。もちろん腕も違う、Nさんは上手い。

街中の何気ない風景に魅力を見出す独自の視点、オリジナルな見方が魅力。

来年は「火の見櫓のある風景」のスケッチをしよう!


 


高村 薫の「空海」を読む

2015-11-08 | A 読書日記

 菩提寺の壇信徒総代を2012年の4月から今年の3月まで3年間務めた。総代を務めるのを機に菩提寺の宗派・真言宗の開祖、空海について基礎的な知識を得ようと何冊か本を読んだ。それまでは、「空海は真言宗、最澄は天台宗」、「空海は三筆のひとりで、あとのふたりは嵯峨天皇と誰だっけ・・・()」、くらいの知識しかなく、まことに情けない状態だった。

「高村 薫がたどる21世紀の空海 高野山開創1200年」と題した記事が昨年の4月から今年の3月までの1年間、月2回のペースで信濃毎日新聞朝刊に連載された(写真)。わたしにとって実にタイムリーなこの企画、計24回の記事を毎回じっくり読んだ。

先日あるところで読んだ週刊誌でこの連載記事が書籍化されたことを知り、昨日(7日)丸善で買い求めた。


『空海』 高村 薫/新潮社

ここで空海について復習。新聞連載初回の空海紹介文を載せる。

**空海(774年~835年) 平安時代の初期の僧侶。最新の仏教を学ぶため、遣唐使の一員として唐(中国)に渡り、密教の正統な後継者になり、真言宗を開祖した。密教の思想・世界観を表す曼荼羅、仏と一体化するための瞑想法、憤怒の表情の不動明王などを日本に紹介。816年、修行の場を高野山(和歌山県)に開くことを嵯峨天皇に認められ、東寺(京都市)の講堂も造営した。書家、讃岐(香川県)の満濃池を修理した技術者、日本初の私立学校設立という教育者の顔も持つ。没後、「弘法大師」の号を贈られた。**(信濃毎日新聞2014年4月10日付朝刊11面文化欄より)

18歳の空海は大学で儒学や漢学をなどを学んでいたが、約束されていた官吏への道をなげうって、私度僧となって修行に入る。

空海は804年7月に遣唐使船で九州を出航。34日間漂流の末、唐に渡る。この時、4隻のうち2隻は行方不明になってしまう。漂着した空海の一行に上陸許可がなかなか出ない・・・。大使が書いた書状が受理されなかったのだ。そこで空海が代筆。空海の文才に驚き、めでたく受理される。

唐の長安で空海は不空の弟子・恵果阿闍梨(けいかあじゃり)と運命的な出会いをする。そして・・・、**(前略)とまれ千人以上の門下のなかで両部の大法を相承したのが最終的に空海一人であったという事実は、まさに運命、もしくは奇跡と呼ぶ以外にない。**(55頁)

運命の邂逅からたったの半年後、恵果は入滅。まさに綱渡りの相承だった。当時、留学期間は20年と定められていたとのことだが(なんと長いことだろう)、空海は「滞唐二年、見るべきものは見つ」と帰国を決意して、806年の秋、九州博多へ帰着する。すぐにでも入京を許されるはずだと自信に満ちていた空海だったが、結局3年間も九州に留め置かれてしまう・・・。強運の持ち主の空海はその後入京、嵯峨天皇と交流が生まれる・・・。 

**二十一世紀のいま、お大師さんとともに四国霊場をめぐる人びとは弘法大師に何を求め、何を得てゆくのか。学者や宗教者の手になる数多の研究とは別に、二十一世紀を生きる一日本人にとっての、二十一世紀の等身大の空海像を捉えたいと切に思う。空海を訪ねて日本各地をめぐる旅は、おそらく私たち日本人の信心のかたちをめぐる旅になるはずだ。**(15頁)

本を読むと新聞に掲載された時の文章に手が加えられていることがわかる。タカムラーでもないので、その比較まではしない。今日は用事がいくつかあるが、この本を読み終えたい。


過去ログ1  

過去ログ2

 三筆:空海、嵯峨天皇、橘 逸勢(はやなり)


連想

2015-11-07 | A あれこれ





 昨日(6日)は夕方5時頃まで上高地の奥、横尾にいました。4時前に日が落ちると、前穂高岳の岩肌が黒ではなくて、濃いこげ茶色に。冠雪したその姿が粉糖をふりかけたガトーショコラに見えました。  

今日の夕方、カフェ バロでガトーショコラをオーダー。 どうでしょう、似てるでしょ?


 今日は、Kさんとカフェトーク。彼女が京都で撮った約270カットの写真を見せてもらいました。松花堂庭園の竹林の緑色、萬福寺の水盤の緑色が実にきれいで印象的でした。

緑色にもいろんな色があって、若竹色、老竹色、山ばと色、鶸色、老緑、ねこやなぎ色、若葉色、若苗色、わさび色、浅緑、白緑、灰緑・・・ という具合にいくつも名前が付いています。

緑豊かな自然が日本人の色彩感覚を育てたのでしょう・・・。

Kさんも緑色が好きに違いありません。写真を見て確信しましたが、さて・・・。




 


上高地は神降地

2015-11-06 | A あれこれ







秋のフォトアルバム 撮影日151106

 この時期の上高地は観光客もまばらで閑散としています。 北アルプスの峻嶺は既に冠雪しています。

上の写真は上高地の奥、横尾から見た南岳の稜線です。左側手前は屏風の頭の北壁です。中の写真は前穂高岳の東壁です。昼過ぎですから、逆光になっています。下の写真は大正池の手前で撮りましたが、焼岳はどれ?

神降地(かみこうち)、あまりの美しさに神様も降りてきて風景に見とれる。上高地という地名の由来として、こんな説もあるようです。


 


「銀の匙」を読む

2015-11-05 | A 読書日記

『銀の匙』は灘中・灘高の伝説教師、橋本 武氏が3年間かけてじっくり読み解く指導法を実践したことで知られている。

自室の書棚にあったので読むことにした。岩波文庫は久しぶりだ。2003年頃買い求めたようだが、読んだという記憶が無い。あるいは買ったきり読まなかったのかもしれない。

カバー折り返しの紹介文を載せておく。**なかなか開かなかった古い茶箪笥の抽匣から見つけた銀の匙。伯母さんの限りない愛情に包まれて過ごした少年時代の思い出を、中勘助(1885~1965)が自伝風に綴ったこの作品は、子ども自身の感情世界が素直に描きだされている。**

休日にじっくり読みたいところだが、このところ何かと用事があってまとまった時間を読書に充てることができない・・・。

解説を和辻哲郎が書いている。


 


サザエさんも食べた黒部ダムカレー

2015-11-04 | F ダムカレー

 大町市内他の20店舗で黒部ダムカレーを提供しているが、既に19店舗で食べた。残りの1店舗は爺ガ岳スキー場の「パウダーパフ」だが、スキー場がオープンしないことにはここの黒部ダムカレーは食べることができない。


爺ヶ岳 撮影日151104 

山頂付近は既に冠雪している。爺ガ岳スキー場はこの山の麓にある(注:山は爺ヶ岳、スキー場は爺ガ岳と表記している)。スキー場は12月19日オープン予定とのことだが、それまでに雪が降ってくれるかどうか・・・。





今日(4日)、こまつうどん店で黒部ダムカレーを食べた。ここでサザエさんも黒部ダムカレーを食べていた!店内の壁にその時のシーンが張ってあった。

日曜日の夕方放送の「サザエさん」。オープニングで全国各地の観光地などをサザエさんが訪ね歩く様子が放送されるが、昨年(2014年)の春にこのシーンが放送されていたようだ。サザエさんはほぼ毎週見ているが、このシーンは記憶にない・・・。

上の写真と比べてみると、「サザエさん」では黒部ダムカレーが忠実に描かれていることが分かる。




全20店舗の内、18店舗がスタンプラリーに参加している。この企画が始まった9月1日には既に7店舗で食べてしまっていた・・・。9月以降集めてきたスタンプはこの通り。あと2つ押してもらえば完了! 開催期間中(11月30日まで)には難なくクリア―できそうだ。


 


ブックレビュー 1510

2015-11-03 | A ブックレビュー

■ 朝5時から始まるNHKのラジオ番組「マイあさラジオ」を今朝(3日)も蒲団の中で聞いた。って、まったくどうでもいい個人的な話。でも、そもそもブログは個人的な出来事を書く日記のようなものだから・・・。

普段は5時ころ起きるので「マイあさラジオ」を聞くことはないが、ここ何日かのハードワークは中年、いや初老の私にはきつく、5時半過ぎまで起きることができなかった。

「マイあさラジオ」に過去の出来事を紹介する「今日は何の日」というコーナーがある。今日は1946年(昭和21年)
11月3日の新憲法公布の日を記念した文化の日だが(施行日は翌1947年(昭和22年)5月3日)、他に1949年(昭和24年)の11月3日に湯川秀樹が日本初のノーベル賞を受賞したこと、1954年(昭和29年)の11月3日に映画「ゴジラ」が封切られたことなどが紹介された。


■ さて、10月のブックレビューを書く。10月の読了本は2冊のみ。共に再読。別に読書を自分に義務付けているわけではないから何冊でも構わない。とはいうものの2冊は少ない。10月は忙しくて読書にあまり時間を割くことができなかった、というのは言い訳に過ぎない。


『日本の仏像 飛鳥・白鳳・天平の祈りと美』 長岡龍作/中公新書

10月23、24日の京都旅行に備えてこの本を読んだが、今回の旅行では名庭観賞がメインで仏像を拝する機会はなかった。もっとも、この本は単なる仏像の観賞ガイドではなかったが。人は何を願って、どんな想いで仏像をつくってきたのか、文献などを基に探っている。内容が難しく、字面を追うことに終始してしまった。



『昭和史再発掘 〈昭和人〉の系譜を探る15の鍵』 保阪正康/中公文庫

私でも知っている有名な人、知らない人が本書には登場する。どんな人物を取り上げ、どんな出来事で昭和を語るかで、昭和の様相は変わる。昭和の諸相を知り、自分なりの「昭和観」を持ちたいものだ。そのためにはより多くの類書を読まなければならないが・・・。

著者の保阪正康さんはNHKのラジオ深夜便の「昭和史を味わう」というコーナーで、昭和の様々な出来事について語っている。毎朝3時過ぎには目が覚めてしまう私は、このコーナーを毎回聞いている。朝早く目が覚めてしまうことを嘆くことはない、その時間を楽しめばいいのだ(と強がりを)。本当は朝まで熟睡したいのだが・・・。