透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

換気扇マニア

2016-03-23 | A あれこれ

 TBSラジオに「安住紳一郎の日曜天国」という番組がある。同僚のT君はこの番組をポッドキャストで聞いていて、仕事で一緒に車で出かける時にそのデータを落とし込んだもの(って何だっけ、名前が浮かばない・・・。アイポッド!)で私も聞かせてもらうことがある。昨日(22日)聞いたのは換気扇マニアの方をゲストに迎え、換気扇についてあれこれ語ってもらうという内容だった。 

凡そ世の中に存在するもの、それが自然のものであれ、人工のものであれ、人の興味の対象になっていないものはない。ありとあらゆるものに深く関心を寄せている人が必ずいるものだ。それ故、換気扇マニアがいても何ら不思議ではない・・・。


三菱電機のウェブカタログより

ゲストは大阪在住の確か20代の男性(以下マニア氏)。2歳の時にかざぐるまなどのくるくる回るものに興味を覚え、なんと5歳の時に自分で換気扇を買ったそうだ。換気扇でもプロペラが見えるタイプのものが好きだそうで、換気扇を210個くらいコレクションしているという。

プロペラが回転する様子を見るのも好きだというし、工業製品の機能美などにも惹かれるとのことだった。番組では換気扇のディープな世界を語っていた。

マニア氏は利き酒ならぬ、利き換気扇ができるとのこと。換気扇の操作音、回転音などからメーカー名・型番が分かるという。そういえば以前、音だけ聞いてどこのジェットコースターか分かるマニアな人をテレビで見た。すごい人っているもんだな~と思う。

東京在住のやはり換気扇マニアの人がコレクション270個(!)の中からスタジオに持ち込んだ換気扇を確か5秒間動かし、マニア氏がメーカー名・型番を当てるという試みをした。これは東芝の○○○○○○というようにメーカー名とアルファベットと数字が5、6個ならぶ型番をズバリ当てていた。引きひもスイッチの操作音やシャッターの開閉音、プロペラの回転音などから分かるとのこと。

すごい!

私などは単なる火の見櫓好きに過ぎない・・・。


 


髪結い伊三次捕物余話 「今日を刻む時計」読了

2016-03-22 | A 読書日記

■ 昨日(21日)の昼間かなり読書に時間を割いて、髪結い伊三次捕物余話「今日を刻む時計」 宇江佐真理/文春文庫を読み終えた。

収録されている6編とも事件がもちろん起きるけれど、恋愛小説のような趣があった。最後の「我らが胸の鼓動」で不破龍之進が結婚したのだ。結婚に至る過程が各編に描かれている。

相手の徳江(結婚後きいという名前に変える)は父親が火事場で亡くなり、母親が徳江と弟を置き去りにしてどこかへ行ってしまった、という不幸な過去をもつ女性。 

小平太という名前の弟が**夜になるといつもかあちゃん、かあちゃんと言って泣いた。腹が減ったと言っては泣いた。**(10巻目の「心に吹く風」に収録されている「気をつけてお帰り」10頁)などという件(くだり)を読んで、なんだか切なくてこちらも涙が出てしまった・・・。親戚に引き取られた後の姉弟の暮らしぶりも「気をつけてお帰り」に描かれている。

伊三次とお文さんのふたりの子どもが成長していく様子や龍之進ときいがどんな暮らしをしてくことになるのかが気になる。

10巻目の「心に吹く風」を読み急ぐ・・・。


 


598 松本市今井西耕地の火の見櫓

2016-03-21 | A 火の見櫓っておもしろい


598 観察日160321

 鉄塔写真家ふじのさんは弁当持参で鉄塔を愛でに出かけるそうだ。長時間眺めていて飽きることはないとカフェトークで聞いた。

鉄塔の見え方は方向によってもちろん違う。季節によっても、天候によっても、また時間帯によっても印象が違うから同じ鉄塔を何回でも見たくなる。火の見櫓も全く同じことが言えるが、繰り返し同じ火の見櫓を愛でるということはあまりしていない。彼女を見習わなければ・・・。

何日か前、この火の見櫓を見つけた。近くの県道を走行中に民家の屋根超しにこの火の見櫓の上部が見えたのだった。今朝、改めて出かけてきた。なだらかなカーブを描く末広がりの櫓の姿は美しい。


きつい反りの屋根、その下の半鐘は撤去されている。見張り台の手すりの控えめな意匠が好ましい。




踊り場に半鐘を吊り下げてある。消防団員はここで背中をこちらに向けて半鐘を叩いていた、と推測できる。半鐘の表面に打鐘の跡が残っている。



これはなかなか美脚。踊り場までの梯子には手すりをつけてある。この火の見櫓がもう長いこと使われていないことを長く伸びた蔓が示している。地域のコミュニティのシンボルでもあった火の見櫓。錆びついた姿に寂びの味わいがあるなどとは言えない。この姿では癒えない・・・。


 


髪結い伊三次捕物余話 「今日を刻む時計」

2016-03-21 | A 読書日記



 この巻(9巻)は前巻から10年後という設定になっている。宇江佐さんは巻末の「文庫のためのあとがき」に10年とばした理由を書いている。マンネリを打開したかったことと、伊三次シリーズの最終回をどうしても書きあげたいという思いだった、と。でも、あとがきの後段に表題作を書き上げた辺りから心境の変化があって、何が何でも最終回を書かなくてもよいと思うようになったと告白している。

龍乃進は27歳になっているが、まだ独身。日本橋の芸妓屋に入り浸りの日々。そこの若い芸者と理ない仲に。で、寝間着姿で髪はざんばら、無精髭というが伸びているというなんともびっくりなことに。

なぜ? 文中で読者の疑問にちゃんと答えているが、ここには書かない。それから伊三次の息子・伊与太には妹ができていた。

表題作では**「いってェ、何があったのよ」
伊三次は早口で弥八に訊いた。
「聞いてねェんですかい。八つ(午後二時頃)過ぎ辺りに頭のおかしな野郎が日本橋で出刃を振り回し、通りすがりの者を次々と刺したんでさァ。日本橋は血の海になってるそうです」**(44頁)

現代に起きた事件が江戸時代にタイムスリップしたかのようだ。

宇江佐さんは時代小説で現代を描いてもいる。


 


壁ネコ

2016-03-20 | F 建築に棲む生き物たち





棲息地:中島書店正面外壁 塩尻市広丘高出1494の6 観察日160320

開いた本のページにうつ伏せになっているのはネコとなんだろう・・・。

ときどき出かける書店。今読んでいる髪結い伊三次捕物余話シリーズは全てここで買っている。今日も「時を刻む時計」「心に吹く風」「月は誰のもの」の3冊を買った。

ネット注文が増えてしまって、書店はどこも苦戦しているのではないかと思う。でも私は書店で買いたい・・・。


 


朝カフェ読書

2016-03-20 | A 読書日記

 髪結い伊三次捕物余話シリーズを順調に読み進み、第8巻「我、言挙げす」を朝カフェで読み始めた(19日)。松本市渚のスタバのオープンは朝7時半。その時刻から40分ほど読書に費やした。

伊三次と妻のお文の間に生まれた伊与太も成長して言葉を覚え、会話するようになった。伊三次が仕える定廻り同心・不破の息子の龍之進も番方若同心となって、物語の主役が伊三次から龍之進に変わったような趣もある。

本書に収録されている「明烏」でお文は実の母親と再会するが、ストーリーは幻想的で現実の出来事なのかどうか、判じがたいところも。いや、これは夢。

人生には「・・・たら」も「・・・れば」もないということ、現実を直視して生きなければならないことを「明烏」で読んだ。

宇江佐さんは問題意識をもって見た現代社会の諸相を江戸が舞台の物語に反映させている。こんなことも意識しながら読み進む。


 

 


朝焼け

2016-03-18 | E 朝焼けの詩


春のフォトアルバム  朝焼け 撮影日時 160318 05:49AM 

今朝は雲の様子から朝焼けになりそうな気がした。しばらくリビングの窓から東の空の様子を見ていた。あまりきれいな朝焼けにはならなかったが、この朝焼けは一期一会。二度と起こらない・・・。


 


髪結い伊三次捕物余話 「君を乗せる舟」

2016-03-15 | A 読書日記

 「君を乗せる舟」を読み終えた。久々のハイペース。

表題作「君を乗せる舟」は収録されている6編の最後。北町奉行所定廻り同心の不破友之進の息子・龍之進が両国橋の欄干にもたれて水の流れを見つめていた。初恋の人が真っ白な花嫁衣装で舟に乗り、嫁入りする様子を見ていたのだった。偶々通りがかった伊三次に声を掛けられて、**「わたしは舟になりたいと思いました」**(318頁)と答える。ああ、いいなあ、この純情。**「いいですねえ、そいつは。惚れた女を乗せる舟になりてェなんざ、坊っちゃんでなけりゃ、言えねェ台詞だ」(中略)「どうです、うちへ寄りやせんか。飯でも一緒に喰いやしょう」**(319、20頁) と優しい伊三次。

「おんころころ・・・・・・」で伊三次の息子・伊与太が疱瘡に罹る。
**伊与太が死ぬ?あどけない笑顔が消える?
そんな馬鹿な。そんなことはある訳がない。**(185頁) 子煩悩な伊三次。こちらもどうなるのかハラハラしながら読み進んだ。この物語には明暦の大火が出てきて、原因とされる「振袖」のことが語られる。この大火の死者数には諸説あるが、ここではおよそ十一万人となっていた。

おんころころ せんだり まとうぎ そわか  タイトルは伊三次が寺で祈った経文から。

このシリーズは変化に富んでいて今後の展開が楽しみだ。毎日読まなくては・・・。



 


― まきだれ

2016-03-15 | A 火の見櫓っておもしろい


春のフォトアルバム  撮影日160315

 火の見櫓の△屋根の軒先の雪が落下しないで、内側に巻くように垂れ下がっていた。屋根面と接触している積雪下面が凍結し、一体化して起きる「巻き垂れ」が住宅の屋根で起きると、軒先や軒天井を傷めることがある。



こんな光景でも季節はもう春だ。


 


髪結い伊三次捕物余話 「黒く塗れ」

2016-03-13 | A 読書日記

■ 髪結い伊三次捕物余話 第5弾「黒く塗れ」を読み終えた。

伊三次とお文の間に男の子が生まれた。名前は伊与太。宇江佐さんは**親子が川の字になって眠るのは庶民のささやかな倖せである。**(「慈雨」289頁)と書く。

**伊三次は濡れたむつきを脇に寄せると、畳んで積み上げてある新しいむつきを取り上げて伊与太の尻にあてがった。
「どうでェ、さっぱりしただろう」
そう言うと、不意に伊与太が笑った。**(336頁)

幸せな家庭の光景が目に浮かぶ。

*****

本書に収録されている「夢おぼろ」で宇江佐さんは次のように書いている。

**桜の季節は、いつもより心寂しい気持ちになると伊三次は思う。(中略)市中を歩く道々、薄紅色の花が咲いているのを見ることができた。(中略)心寂しい気分を醸し出すのは、その色のせいだろうか。
いや、同じ薄紅なら梅の花にも同じ気持ちを抱いていいはずだ。梅の花は一つ一つの花びらがくっきいり際立って眼に残る。だが、桜は花びらと花びらが溶け合い、真綿のようにほんわりと塊になって見える。そのほんわりした風情が淡い寂しさとなって伊三次を包むのだろうか。分からない。**(121頁) なかなか興味深い思索だ。そういえば旧制松高(信州大学)の寮歌にも春の寂しさを詠う「春寂寥」がある。

本書の6編の中では「慈雨」が印象に残った。想いを寄せる女性がいるものの、自分の過去を気にして身をひいていた男がある善行をきっかけに伊三次の仲介でその女性と結ばれるという物語。

**雨が降る。まっすぐな雨が降る。だが、この雨は暖かい雨だ。すべてを洗い流し、代わりに何かを潤す恵みの雨だ。そう、伊三次は思う。**(335頁)

この物語を読み終えた時は涙、涙だった・・・。この手の物語には弱い。


 さて、次はシリーズ第6弾「君を乗せる舟」。


81 鉄塔に魅せられた女性

2016-03-12 | C 名刺 今日の1枚

 
81枚目 山形村在住の写真家・ふじのさん 視線の先には送電鉄塔が・・・。

 先日松本市蟻ヶ崎の「実家カフェ」で開催されている写真展(4月27日まで)を見たことは既に書きました。その時、写真家・ふじのさんは不在で、お目にかかることはできませんでした。カフェの方に私の名刺を託したのですが、数日前ふじのさんから電話をいただき、カフェトークとなりました。

ふじのさん行きつけのカフェのお客さんに私の火の見櫓の講座を聴いてくださった方がおられ、その方の「おもしろかった」との評に、どんな人だろう・・・、と思って連絡してくださったようです。

ふじのさんの鉄塔に向ける優しいまなざしがストレートに伝わる写真、そこには何の衒いもありません。素朴でレトロな雰囲気がとても魅力的です。

電気、電話、テレビ放送、ラジオ放送・・・。鉄塔は人と人を繋いでいる。このことに気が付いたとき、鉄塔がそれまでとは全く違って見えたんでしょう。鉄塔を見ていて飽きることはない、と聞きました。ふじのさんは鉄塔の向こうに人びとの日々の暮らしを見ているのかもしれません。

写真集を見ながらこんな風に火の見櫓の写真が撮れたらなぁと思いました。



鉄塔の先がネコの耳に見えるネコ鉄塔(烏帽子型鉄塔) 朝日村にて 


 


597 松本市野溝西の火の見櫓

2016-03-12 | A 火の見櫓っておもしろい


 ネット上のサイト「塔マップ」を頼りに松本市内の平田、野溝両地区内の一部エリアの火の見櫓巡りをした。細い道路が入り組んでいて分かりにくいところだったが、塔マップ上にプロットされている5基のうち4基を見ることができた。

かなり細身の3角櫓。1面が梯子になっている。梯子の1段目が高い位置にあるのは、不要の登り降りを防ぐためだろう。では必要な時に消防団員はどうしていたのだろう・・・。


双盤の向きと木槌を掛けてある位置からして、見張り台の中からこちらを向いて叩くと判断するのが妥当。だが、見張り台には手すりはあるが、床が無い。
床面の位置の横架材(山形鋼)に金具らしきものが何個かついているが、床面を構成するのに必要なものかもしれない。ならば、どんな床面だろう・・・。




 


防災無線による情報伝達は確実か

2016-03-11 | A あれこれ

■ 東日本大震災から今日(11日)でちょうど5年経った。今年も松本市でシェイクアウト訓練が行われた。


松本市のHPより転載



シェイクアウト訓練って何? アメリカで2008年に考案された、地震発生時の身の安全確保を主眼にした訓練。具体的には上図のような3つの基本行動をする。

私の勤務先でもこの訓練に今年も参加した。午前11時、市内の防災行政無線(町中に設置されている拡声スピーカー)から訓練を知らせる音声が流れた。窓を閉じていれはあまり聞こえないので窓を開けてこの放送を聞いたが、複数のスピーカーから流れる音声が周囲の丘などで反響してずれて重なり、伝達内容がよく聞き取れなかった。

何か重要な内容を聞き落してしまったのではないか・・・、放送の内容が聞き取れないと不安になるものだ。これでは災害発生時にはパニックを引き起こしかねない。伝達内容はシンプルに、誰でも分かることが重要だ。小さな子どもにも当然分からなくてはならない。

多くの人が参加した訓練について改良すべき問題点はなかったのか調査・検証して、その結果を今後活かすべきだ(と昨年も書いたが、このようなことをしていないかもしれない)。


三重県鈴鹿市では津波の避難訓練で防災行政無線のスピーカーの音が聞こえにくいという住民がいるために、寺の梵鐘を叩いて知らせる訓練をしているそうだ(同市のHPより転載(下線は筆者))。

ならば、火の見櫓の半鐘!  

火の見櫓を見直すべきなのだ(実際そのような自治体もあるようだが)。災害発生を伝える時には半鐘を連打することにしておけばどうだろう。叩き方が分からない、などということがないように簡単な叩きかたにしておく。消防団員の不足?火の見櫓の上り下りが大変?危険? いや、半鐘を地上で叩く装置が開発されている。

江戸時代から連綿と続いてきたシンプルで明快な防災システムを簡単に取りやめてしまっていいものか、再考すべきだ。だが、既に時遅し、かな・・・。


過去ログに手を加えて再掲した。