■ 29日の夜、松本市の岡田公民館で行われた歴史作家・関裕二さんの講演を聴いた。演題は「なぜ天武天皇は松本に副都を築こうとしたのか 」、副題は信州から見つめ直すヤマト(日本)の正体。
歴史に疎く、関さんの話にはよく知らない人物も出てきたが、なかなか興味深い内容だった。
壬申の乱(672年)に勝利した大海人皇子(のちの天武天皇)は律令制度を整えていくが、その一環として松本に副都が計画されたということは辛うじて知識としてはあった。だが、なぜ松本だったのか、その理由までは知らなかった。
以下、メモによる。
天武天皇が松本に注目した理由は3つ。
その1 地政学的な見地から松本は好立地だった。最重要ルートである東山道が通り、また犀川・信濃川を下れば日本海に、天龍川を下れば太平洋に出るという陸のルート、水のルートの要所だった。なるほど!
その2 軍事的に馬を確保する必要があったが長野は古代の牧(馬の産地)が32ヶ所ともっとも多かった。
その3 長野は都から寅の方向だった。そうか!
*****
この講演の主題である古代史上最大の内乱と言われる壬申の乱、及びその前後の歴史については、中学の教科書的知識が辛うじてある程度という情けない状況。
この国の歴史については、素養として知っておく必要があったなぁ・・・。
この本を買い求めてじっくり読むか・・・。