透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

論証責任

2017-12-15 | A 読書日記



 私は意見を述べるときには、なぜそのように主張するのか、その理由も説明すべきだと思っている。普段このことについて人に話すことはあまりない。たまに雑談混じりに同僚に話すくらいか。

何かの計画について、それは旅行の計画でも何でも構わないが、A、Bふたつの案のどちらが良いかという問いに、A案が良いと思う、とは言うものの、なぜなのかその理由を論理的に説明する人はあまりいないのではないか。また、B案は良くないと言うのであれば、その理由まで述べてもらわないことには、A、Bどちらかの案に決めるための議論にはならない。

『「超」入門!論理トレーニング』ちくま新書で、著者の横山氏はあまり論理的ではない日本語を使っていかに論理的に話し、論理的に書くか、というテーマについて解説している。


本書69頁に示された図

横山氏は三角ロジックと呼ぶこのような図を示し、主張・意見(クレーム)は論証責任を伴うこと。そのために事実(データ)を示すこと、そしてなぜいくつもある事実からひとつその事実を選んだのか、理由・根拠(ワラント)を挙げてはじめて、ひとつの意見として認められると説いている。

読み進んで、「主張・意見」・「事実」・「根拠」の定義が曖昧ではないかと思った。違いもよく理解できなかった。

例えば次のような三角ロジックの例示。

主張(クレーム):電子書籍は紙書籍に取って代わるだろう。
事実(データ) :電子書籍の利用者は、今後増えていくと思われる。
根拠(ワラント):10代、20代の若者の6割近くが電子書籍を利用している。

ここで、事実(データ)として挙げている内容は主張(クレーム)ではないか、と思うのだが。横山氏自身、**「日本語でロジックを扱う際のクレーム」の定義は「文尾に「~と思う」と付け足すことができる発言」**(72頁)だと書いている。また、この例示の根拠(ワラント)とする10代、20代の若者の6割近くが電子書籍を利用しているということは事実(データ)そのものではないのか。

ところで6割近くの若者が電子書籍を利用していることが、利用者が今後増加することの根拠(ワラント)になるのだろうか。調査時期の異なる複数の事実(上の例示では根拠)がなければ増加するかどうかの判断はできないはず。5年前に2割だった利用者が現在では6割に達しているということなら、今後さらに増えていくだろうという判断も分からないでもない。ただし6割で頭打ちでもう増加しないかもしれない。

今現在、お湯の温度が60度ということだけで、更に温度が上がるなどと判断はできない。10分前は50度、5分前は55度、そして今60度だから、更に温度は上がるだろうと予測できる。ただし60度がピークでこの後は下がっていくことも起こりうる。

上掲の例示はディベートを念頭に挙げたものだから、あえてツッコミどころをつくってあるのかもしれないな、と思って読んでいくと、**総務省の「電子書籍に関する利用状況についての調査報告書」(平成二十二年)によれば、電子書籍の利用度・認知度ともに、十代、二十代の若者の間では、五割から六割と、非常に高いことがわかっています。この事実をワラントとして、電子書籍の普及率は今後ますます高まっていくと言えそうです。**(173、4頁)と著者は述べている。

引用したこの件(くだり)には「この事実をワラントとして」とある。やはり用語の定義が不明確、曖昧だ。

この本で横山氏が論じているのは、用語の厳密な定義や、記述が求められる学術的な事柄を対象にしているわけではなく、日常生活において意見を述べたり、書いたりすときのことを念頭にしているのであろう。新聞に掲載されているコラムを読んだり、評論を読み解いたりするときにも、三角ロジックは有効だということを大学入試問題などを解説することで示している。

本書によって、冒頭に書いた自分の意見(クレーム)について改めて考える機会を得て、明確に再認識することができた。

常に「論証責任」を意識して、論理的に語るように心がけよう。


 


県歌「信濃の国」

2017-12-12 | A あれこれ



■ 数日前、新聞に折り込みチラシと共に来年(2018年)のカレンダーが入っていた。A2サイズよりひと回り小さいサイズでカレンダーの他に長野県地図(77全市町村の位置関係が分かりやすくて便利)や長野県内各地の民俗文化財(重要有形文化財7件、重要無形文化財10件)の写真、それから県歌「信濃の国」の歌詞が載っている。

「信濃の国」は全国で一番よく県民に知られている県歌だという。1899年(明治32年)に浅井 洌(きよし)によって作詞され、翌1900年に北村季春(すえはる)によって作曲された(いかにも知っていたかのように書いているがつくられた年までは知らなかった)。

以下にわか調べで得た情報。

100年以上も前につくられた「信濃の国」が県歌に制定されたのは1968年で、来年は制定50周年を迎える。2015年の8、9月にこの県歌の認知度を調査したところ、一番から六番まで全て歌える人が18.6%、一番だけなら歌える人が60.8%という結果だったそうだ。

私も小学校でこの県歌の難しい歌詞をを一番から六番まで覚えた。そして学校行事でよく歌った。

ネットで次のような情報を得た。**明治二十七・二十八年の日清戦争のあと、日本中が戦勝気分でいつまでも軍歌をうたい、学校においても唱歌の教材として軍歌をうたわせていたことを、音楽教育に熱心であった第五代長野師範校長で、信濃教育会長を兼務していた本県上田藩出身の正木直太郎が大変心配し、同三十一年新たに地理歴史をとり入れた唱歌教材を作るべく師範の浅井・内田両教諭に依頼した。その結果六曲が出来、そのうちの一つが「信濃の国」であった。**(県歌制定時の責任者・太田今朝秋氏の文章から引用)

作曲をした北村季春は明治学院で島崎藤村と同級だったそうだが、中途退学して東京音楽学校に入学したという。で、その時の校長は伊沢修二という人で高遠藩出身だったそうだ。このことも太田氏の文章の中にある。

太田氏は同文章に長野県は明治初期に時の政府が独自の判断で筑摩県(県庁所在地:松本)を長野県(同:長野)に併合させてできた県で、その後分県運動が起っていたので「信濃の国は一つ」という大原則に立って作詞し、歌詞の中に長野という字句を使わないように配慮したことも記している。

政府が勝手に筑摩県を長野県に併合することを決め、実行させてしまったが、分裂の争いはしないようにというメッセージを込めたということだ。

余談だが、県名を使って長野大学とはしないで信州大学という名称にしたのも同様の理由だとも聞く。

*****

「信濃の国」一番
信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し
松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地
海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき

今、子どもたちはこの一番の歌詞で「境連ぬる」を「境連なる」と歌っているのでは。先生方には子どもたちに歌詞を正確に教えて欲しいと思う。

五番
旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も 象山佐久間先生も
皆此国の人にして 文武の誉たぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽ず


 


「オリエント急行殺人事件」

2017-12-11 | E 週末には映画を観よう

その日、一等車両は容疑者で満室でした。

■ 今月8日に公開が始まった「オリエント急行殺人事件」を観た。

しばらく前にDVDで観た旧作(1974制作 過去ログ)とどう違うのかが関心事だった。

出演していた俳優は旧作の方が個性が際立っていて、動きの少ない、静的な演技も魅力的だった。主人公のポアロだけは今回の作品の方がよかったかな。

旧作と一番違うのは雪崩で立ち往生した列車からポアロや乗客が外に出ること。対応上したところも全く違っていた。この作品はすべてがオリエント急行の中という閉鎖空間の中でストーリーが完結していることろがミソのはずなのに。

一番の驚きはラスト、乗客を前にポアロが謎解きをするシーン。先頭車両が脱線していて、復旧作業中は危険ということで、すぐ近くのトンネルの入り口に乗客たちは避難しているのだが、そこで、ポアロが2通りの推理をする。前作は当然この場面は車両内で行われた。

では、旧作とこのリメイク版とどちらが好みかと訊かれると・・・。

旧作は列車のインテリアは豪華だったが、全体的に地味だった。今回は映像はもちろん綺麗だったけれど、演出が派手過ぎたかな・・・。原作者のアガサ・クリスティーは原作に忠実な映画化を望んでいたとか。

映画の評価は旧作も今回作も暇ならどうぞ、かな。


 


「峠しぐれ」葉室麟

2017-12-10 | A 読書日記



■ 葉室麟の時代小説『峠しぐれ』双葉文庫を読み終えて、文庫のこのカバーは映画であればラスト、エンドロールが流れ出す頃のシーンを描いたものだと分かった。**しぐれに濡れながら、峠を上ってくる半平を見つめる志乃の目に涙があふれた。**(377頁)

岡野藩で隣国との境にある峠で茶店を営む半平と女房の志乃。小柄で寡黙な半平、目鼻立ちがととのった美人の志乃、歳は三十五、六。ふたりにはそれぞれ辛い過去があるが、それは読み進むにつれて次第に明らかになってくる。

峠の茶店にはいろんな事情を抱えた旅人がやってくる。旅人たちとの関わりの中から、次第に「事件」に巻き込まれていくふたり。

小説はいろんな読み方ができるが、この作品は母娘の絆の物語と括ってもよいだろう。

**志乃の顔を見た千春は涙ぐんだ目を向けて、
「母上、この見ず知らずの方がわたしを命がけで助けてくださいました」
志乃はうなずいて、お仙の傍に座り、手をつかえ、頭を下げた。
「お仙さん、ありがとうございます。このご恩は生涯忘れません」
お仙はうっすらと目を開けた。
「なに、盗賊が気まぐれでしたことさ。恩に着なくてもいいけど、ゆりのことは約束したからね、頼んだよ」
「わかっております。必ず、ゆりさんをお助けします」**(372頁)

志乃と娘の千春、盗賊お仙と娘のゆり。志乃は内山理名、千春は誰だろう・・・、お仙は真木よう子、ゆりは卓球選手の石川佳純をイメージした。若い女優は知らないなぁ。


 


山座同定

2017-12-08 | A あれこれ





 山座同定の基本、それは山容から山名を割り出す方法だ。しかしこの方法は案外厄介。山容は見る位置によって変わるし、手前の山に隠れて見えなくなってしまうこともある。このような場合、山名を間違えてしまうことも起こり得る。

2枚の写真、上は長野道梓川SA(下り線)のレストランの箸袋に印刷されている北アルプスのイラスト、常念岳の北側(右側)に描かれた山に東天井岳と大天井岳という山名が付いている。下の写真は本を買ったときに書店員が挿んでくれたしおり、国宝松本城の後方に北アルプスの山並みが写っていて、常念岳の北側に横通岳、大天井岳という山名がある。

拡大図と拡大写真を下に載せる。




常念岳と大天井岳の間の山名が違う。箸袋としおりのどちらかが間違えているのか? 

上のイラストでは横通岳は常念岳の稜線に隠されているのかもしれない(松本から見てこのようなことが起こり得るのかな?)。下のしおりの拡大写真で東天井岳は横通岳と大天井岳の間にあるピークかもしれない。

イラストの東天井岳と写真の横通岳は山容がよく似ているけれど・・・。山に詳しい人に訊いてみよう。


 

 


「峠しぐれ」

2017-12-08 | A 読書日記



 しばらく小説を読んでいなかった。数日前、この本の広告が新聞に載っていた。で、早速書店で買い求めた。葉室麟の作品は昨年(2016年)の6月に『潮鳴り』祥伝社文庫を読んで以来1年半ぶり。

**大切な人を守るため、男は再び剣を手にする。**
**辛い過去と哀しみを背負いながらも、真摯に生きる夫婦の姿が胸を打つ、傑作時代小説。**(カバー裏面の本書紹介文)

葉室麟の時代小説はテーマが好い。今週末はこの小説を読もう。

脳神経科学の次は時代小説か・・・。


 

 


「脳の意識 機械の意識」

2017-12-07 | A 読書日記



■ 本書の5章までに語られている脳神経科学の現在に至るまでの研究の内容紹介とその成果などについては、専門的で私には理解の及ぶ内容ではなかった。

終章(第6章)には書名と同じ「脳の意識 機械の意識」という章題がついている。この章では、意識の機械への移植、機械の意識の展望、侵襲ブレイン・マシン・インターフェイスの展望、脳半球・機械半球の意識の接続に向けての動物実験などの小見出しで、人間の意識を機械に移植するという構想のプロセスが語られているが、その概要については理解できた(ような気がする)。

著者はマウスの左右の脳を分離し、再配線する、つまり人工的に繋ぐ実験(左右の脳半球間を行き交う信号のすべてを観測するため)や、分離した脳の片半球に機械半球を接続する実験、つまりマウスの脳の半分を人工的な機械脳にするという実験を進めているという。

仮にこのようなことが可能になったとしても実行していいのかな、というのが率直な感想。神、造物主の領域で人が入り込んではいけないのではと思われるような遺伝子の解読などは既に人の領域になってしまっている。著者が書いているように遠い将来には人の意識を機械に移植することができるようになれば、その先には人の意識交換、などということも可能になってしまうだろう。このようなことはSF映画に留めておいた方がよいのでは・・・。


 


末広がりのフォルムは美しい

2017-12-05 | A あれこれ


撮影日171205

 この赤白鉄塔は松本市の隣、東筑摩郡朝日村にある新信濃変電所のマイクロ鉄塔だが、末広がりのフォルムがなかなか美しい。

富士山に代表される末広がりの形を美しいと思うように、あらかじめ、そう生まれる前から脳にセットされているのかもしれない。それは私の脳だけに? 

構造的に合理的な塔の形を追求していくと、このような末広がりに行きつく。脳は構造的合理性を直感的に分かるようにできていて、それを美しいと感じるのではないか・・・。



 


「少年老い易く学成り難し」 

2017-12-03 | A あれこれ

■ 『大王から天皇へ』日本の歴史03 熊谷公男/講談社 の第五章「律令国家への歩み」に出てくる壬申の乱に関する記述を読み返した。先日聴いた関裕二氏の講演「なぜ天武天皇は松本に副都を築こうとしたのか」に壬申の乱が出てきたので、その復習(とかなんとか )。

**大海人方の勝因は、なんといってもその的確で迅速な戦略にあったといってよい。大海人自身が吉野を発つにさきだって、美濃に使者を派遣して徴兵と不破道の閉鎖を命じたことをはじめてとして、大海人方が東国の兵力を一手に動員し、近江方の徴兵を不可能にしたことは、乱の帰趨(きすう)に決定的な意味をもった。**(332頁)

分厚いこの本を漫然と読んでいると「大海人方が東国の兵力を一手に動員し」という下りは読み逃してしまうが、このことについては講演会で配布された資料に**天武天皇が担ぎ上げられるきっかけは、壬申の乱(672)でしたが、この時勝てるなずのない天武(大海人皇子)を応援したのが東国でした。信濃からも兵が向かったようです。これまで、古代史に占める東国の影響力は小さいと信られてきましたが、ヤマト建国時の纏向(まきむく)遺跡に集まった土器は、東国の物が半数を超えていて、ここに、これまで語られることのなかった、古代史の真相が隠されています。(後略)**とある。

古代史はジグソーパズルで少ししかないピースを並べて、その完成図をイメージするようなもの。古代史に関する考え方、古代史観の違いによって、その図はかなり違ったものになる。僕たちは複数の図を併せ見ることで、その違いに気がつき、歴史に興味が湧くことになる。

古代史上最大の内乱であった壬申の乱に松本辺りからも出兵していたなんて。額田王と天智天皇、大海人皇の三人が三角関係にあったなどという俗っぽい話もあって、それが壬申の乱の遠因だなどという説もあるなんて・・・。

**「紫草(むらさき)の 匂へる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも」(あでやかなあなたが憎かったならば、人妻だというのに恋をするでしょうか)** 大海人皇子 『大王から天皇へ』(322頁)

少年老い易く学成り難し 実感!


 


岡谷市の防火貯水槽

2017-12-03 | B 地面の蓋っておもしろい


撮影日171202 岡谷市内にて

 防火貯水槽の蓋には消火ホースから放水しているところを描いたものが多い。色は黄色が多いような気がするが何か規定でもあるのだろうか、それとも単によく目立つという理由だろうか。

岡谷市の同蓋には上部に防火貯水槽、下部に岡谷市と入れてある。市章も入れてあるが、デザイン的にシンプルで市章だとは分からないかもしれない。


 


ブックレビュー 1711

2017-12-03 | A ブックレビュー

 早くも師走。この歳になると光陰矢の如しを実感する。さて、11月のブックレビュー。

  

『城の科学 個性的な天守の「超」技術』萩原さちこ/講談社 ブルーバックス

著者の萩原さちこさんは小学生の時に松本城を訪れて城に目覚めたそうだ。この本では国宝に指定されている姫路城、松本城、松江城などの天守の構造などについて詳細に解説している。掲載されている写真がカラーなのは嬉しい。きちんと撮った写真で構図も的確で好ましい。

最終第9章に松本城の天守そのものにも増築の可能性があることが紹介されている。増築説に明確な証拠はなく、推論の域を出ない説とのことだが、このような説があることは全く知らなかった。

『身体知性 医師が見つけた身体と感情の深いつながり』佐藤友亮/朝日新聞出版 朝日選書

西洋の分析的医学論と東洋の統合的身体論をつなぐということについて論じている。

『維新の構想と展開』日本の歴史20 鈴木淳/講談社

**短期間で近代国家を作り上げた明治新政府。
  そのめざしたもの、手法、担い手は?
  「藩」の遺産をどう清算し、また取り込んだのか。
  新たな政策・制度は、いかにして村々まで伝達・徹底されたのか。
  地方官や戸長の役割と活動に注目し、「上からの変革」と人々の自前の対応に迫る。** 以上カバー裏面の本書紹介文より

江戸時代に熟成されたこの国独自の政治・経済・文化などのシステムの大転換を行った明治維新、このパラダイムシフトには関心があるが、詳論は読みこなすのが難しい。


 


岡谷市のマンホール蓋

2017-12-03 | B 地面の蓋っておもしろい

 
岡谷市内にて 撮影日171202 

 複数のモチーフをデザインしたマンホール蓋が多いが、岡谷市の蓋のモチーフは市の花・ツツジのみ。中央に市章を配し、下に小さく汚水と記している。カラー蓋は汚れがなく、きれいな状態。

火の見櫓をバックに撮った写真を載せることにしているが、頑なに守ることもないだろう。


 


941 岡谷市本町の火の見櫓

2017-12-03 | A 火の見櫓っておもしろい

 昨日(2日)岡谷市内で行われた講演会「まちかどにある近代建築の楽しみ方」に参加した。講演会の後、講師の方と一緒にまちなかに点在している近代建築を見て回った。岡谷はかつて製糸業で栄えたまちで、まちなかには関連施設や繭倉などがまだ残っている(写真)。







941 岡谷市本町1丁目の火の見櫓 4脚4〇型 撮影日171202
JR岡谷駅の近くに立っている火の見櫓 隣は岡谷市消防団第三分団屯所



まち歩きをしていてこの火の見櫓と出会った。参加者は皆、反対側の古い医院を観察し、写真を撮っていたが、私だけがこの火の見櫓にカメラを向けていた。

プロポーションがよく、姿・形の整った火の見櫓だ。残念なことに全体的に発錆している。半鐘も同様。





端正なつくりの屋根の頂部に長めの避雷針がある。そこにくるるんな装飾を付けてある。見張り台の床から突き出した梯子のまわりに安全のために手すりを設置している。



踊り場の様子。ごちゃごちゃしていて分かりにくいが手すり子は丸鋼をv字形に並べて付けている。この写真では分からないが、櫓内に設置してある梯子の桟に異形鉄筋を使っている。櫓の外側に設置してある梯子状のものは、消火ホースをスムーズに引き上げるためのガイドだろう。