透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

950 茅野市玉川の火の見櫓

2018-01-08 | A 火の見櫓っておもしろい


950 茅野市玉川上赤坂の火の見櫓 4脚6〇型 撮影日180107

■ 平面が4角形の櫓に6角形の屋根を載せた変則的な組合せで、脚元に倉庫を納めた火の見櫓。



屋根下地の様子がよく分かる。なるほど、4本の柱と6角形の屋根の取り合いはこうすればよいのか。 下り棟の下地材の平鋼を伸ばして蕨手にしている。屋根のてっぺんの避雷針に付けた風向計はどうなっているのかな?



別の方向から見ると・・・、どうやら羽(矢羽と呼んでいいのかな)が曲がってしまっているようだ。羽は2枚あるのが一般的だから、1枚はとれてしまったのだろう。



見張り台の半鐘はつるりんちょ、この踊り場の半鐘は乳付き。この組み合わせをどう考えるか・・・。

乳付きの方が古いということを前提にすれば、火の見櫓を建設して何年か後に見張り台の半鐘をここに移動して、見張り台に新たに設置したと考えるのが妥当? でもなぜわざわざそんなことをする? 相当重い半鐘を移動させるのはかなりしんどいはず。これを片手で持って、梯子を下りてくることは困難ではないか。

では、初めからこの状態だったか・・・。




鉄筋コンクリート造の陸屋根の端部と火の見櫓の脚が干渉しあっている。もちろん意図的だろうが、なぜこんなことをしたのだろう?


 


949 茅野市玉川の火の見櫓

2018-01-08 | A 火の見櫓っておもしろい


949 茅野市玉川(玉川郵便局前)の火の見櫓 4脚4〇型 撮影日180107

 火の見櫓のある風景 少し俯瞰気味に撮った写真。既に何回か書いたことだが、道路によって奥行き感が強調された構図は私の好み。背景に山があるのも好ましい。



前稿の火の見櫓より屋根の勾配が急で印象がだいぶ違う。軒先4隅の飾り、いまだ名称不明。これは何?



火の見櫓の正面のみアーチ部材を用いている。入口ゲートとして表現するという意図かな?コンクリート基礎にステップあり。


 


948 茅野市玉川の火の見櫓

2018-01-08 | A 火の見櫓っておもしろい


948 茅野市玉川穴山(長円寺)の火の見櫓 4脚44(面取り)撮影日180107

 一日に何基も見て写真を撮ると、工夫もなく同じようなアングルの写真になってしまう。全形、屋根・見張り台、踊り場、脚元を撮ってオシマイ。これではいけない。いや、常に同じアングルで撮り続けるというマニアなこだわりも好い。

全形を撮る方向は限られてしまう。この火の見櫓の場合は逆光気味で上手く撮れなかった。

長身の櫓で、横架材の間隔が広く、間延びして見える。バランス的に屋根が少し小さい。踊り場部分が印象的。脚元に屋外消火栓とホース格納箱。共に赤く目立つ。尤も目立つように赤くしているのだが。



屋根と踊り場は今まで見てきた大半の火の見櫓と同じ組合せ。屋根の構成要素のバランスが実に好く美しい。やはりバランスが大事だ。このことは建築家・吉村順三の住宅作品が示している。手すりがすっきりしているのも好ましい。



踊り場では手すり(*1)に注目。垂直ではなく、外側に傾斜させている。この意図は? ブレースとの干渉を避けるため?



何回でも繰り返す。これは美脚!


*1 手すりは上端の横材を指すこともあるし、手すり子を含めた全体を指すこともある。ここでは後者。


947 茅野市玉川の火の見梯子

2018-01-08 | A 火の見櫓っておもしろい


947 茅野市玉川菊沢下 2脚無無型(梯子型) 撮影日180107

■ 火の見櫓は風景に溶け込みやすいので見逃してしまうことがある。特にこのような梯子型で屋根の無いものはなおさらだ。事前に火の見櫓の所在地を調べて出かけたわけではないので、見逃してしまったものが何基もあると思う。この火の見梯子も見逃してしまうところだった・・・。

2本の柱は直線ではなく、下方に向かって少し開いている。このあたりは製作者のこだわりか。控え柱)を設置している。下げた半鐘の上に切妻の小屋根。


 


946 茅野市玉川の火の見櫓

2018-01-08 | A 火の見櫓っておもしろい


946 茅野市玉川神之原南の火の見櫓 4脚44(面取り)型 撮影日180107

道路に対して屯所の奥に防災行政無線柱と共に立っている。







この銘板では建設年が読み取れないが、隣に設置してある寄贈者名を記した銘板により1962年(昭和37年)3月竣工と分かる。



改築された屯所。シンメトリックな構成、母屋を省略した屋根の架構、外壁の仕上げ材の選択、すべて好ましい。


 


945 茅野市玉川の火の見櫓

2018-01-08 | A 火の見櫓っておもしろい


945 茅野市玉川の火の見櫓 JA信州諏訪玉川の近く 4脚44(面取り)型 撮影日180107

 オーソドックスなタイプの火の見櫓だが、特徴を挙げるとすれば櫓中間の踊り場まで外付け梯子が設置されていること。外付け梯子は珍しくないが、これほどの高さまで掛けてあるのは少ないと思う。私の印象に過ぎないが。



反り付きの屋根に風向計と頂華、蕨手が付いている。見張り台との大きさのバランスも好い。見張り台の直下に消火ホース乾燥作業のためのカンガルーポケット(バルコニー)を設けてあるが、見張り台に掛けて乾燥させるのとあまり変わらないように思う。何か理由があったのだろうか。



踊り場の様子 外付け梯子が付いている面だけブレースではなく、両側に縦材を入れてラチス状に組み、開口を設けている。梯子に手すりを付けて、踊り場の手すり近くまで伸ばしてあるのは好ましい。



脚元の様子 美脚の条件を満たしており、好ましい。


 


944 茅野市玉川の火の見櫓

2018-01-07 | A 火の見櫓っておもしろい


944 茅野市玉川の火の見櫓 4脚6〇型 撮影日180107

■ なかなか美しいフォルムの櫓だ。



見張り台に比して屋根が小さい。見張り台にも踊り場にも半鐘が無いのは残念。



踊り場の垂直構面に逆U形の部材を使っている。身を乗り出して半鐘を叩くのに支障がある1面だけ逆U形の部材で、他の3面はブレースもよかったはずだが、見た目はこの方が好ましい。踊り場の床面は半分しかつくっていない。梯子の切り替えという機能上はこれで支障ないが、全面的に床があった方が、恐怖感が和らぐはず。




 


― 今年初の火の見櫓巡り

2018-01-07 | A 火の見櫓っておもしろい

■ 茅野市・原村・富士見町で今年初の火の見櫓巡りをしてきた。もし東京に住んでいたなら谷中七福神巡りをしていたかもしれない。既に見ている火の見櫓を含めて22基見てきた。本稿以下、見てきた火の見櫓を掲載する。


茅野市玉川の火の見櫓


― 撮影日180107 4脚6〇型 1961年(昭和36年)5月竣工






「谷中七福神」

・東覚寺(福禄寿)
・青雲時(恵比寿)
・修性院(布袋)
・天王寺(毘沙門天)
・長安寺(寿老人)
・護国院(大黒天)
・不忍池弁天堂(弁財天)

※元日から10日まで期間限定


 


松本市のマンホールカード

2018-01-06 | B 地面の蓋っておもしろい

 

 松本市でもマンホールカードを配布している。昨日(5日)配布場所の松本市観光情報センター(松本市役所大手事務所)で入手した。

裏面のデザインの由来には**マンホール蓋の丸いキャンバスに丸いてまりが絶妙にマッチし(後略)**と説明されている。私もこの蓋について以前「円の中に丸いものはデザイン的に上手く納まる。」と書いたが(過去ログ)、本当に好いデザインだと思う。松本のカラー蓋には色違いのものもある。

    


 


943 やぐら女子の初火の見(追記)

2018-01-06 | A 火の見櫓っておもしろい

ヤグラガールかやぐら女子か 

 昨年(2017年)読んだ『灯台はそそる』光文社新書の著者・不動まゆうさんは灯台女子と自称しているが、その理由について次のように書いている。

**〇〇の部分がカタカナだと“女子”や“女(じょ)”、漢字だと“ガール”になることが多いみたいです。字面がいいからでしょうか。その方式で言うと、「灯台」の場合は「灯台ガール」となるのですが、ガールって何歳まで名乗っていいのだろう? という疑問が湧き、「女子」とすることに決めました。**(はじめに 3、4頁)

〇〇ガール、例えば山ガール、宙(そら)ガールより、〇〇女子、例えば理系女子(リケジョ)やカープ女子、歴女、スー女の方がよりディープな世界に入り込んでいるというイメージが私にはある。〇〇ガールの方は、なんというか、ミーハーなイメージ。それでヤグラガールよりやぐら女子の方が好い、と思っている。

何歳までということについては女子とガールどちらの上限が高いイメージなのか、私は分からない。女子の方が高いからという理由でやぐら女子としたなどと書こうものなら、写真を送ってくれたKさんが怒るだろう。


943 栃木県塩谷郡塩谷町の火の見櫓 4脚88型(詰所またぎ)写真提供 Kさん


同上 屋根・見張り台部分

やぐら女子と私が勝手に決め込んだKさんが栃木県の塩谷町で見つけたという火の見櫓の写真を送ってくれた。2階建ての消防団詰所をまたいで立つ火の見櫓! 

詰所の側面に垂直に立つ柱とブレースが写っている。この写真でははっきりしないが、スレースも柱も軒を貫通しているようにも見える。こういう火の見櫓を見ると、なぜまたいで立っているのだろうといつも思う。隣は空き地なのに・・・。

櫓は詰所をまたいでいるから脚元は広く、上方へ大きく逓減している。櫓内部に設置された梯子の勾配が緩いから上り下りしやすいだろう。

老朽化が進み、屋根材が無くなって骨組みだけが残っている。半鐘も撤去されている。屋根頂部の避雷針には風向計と飾りが付いている。見張り台の手すりの飾りはよく目にするデザイン。火の見櫓の左側面と後ろの様子も見たいが写真は他にもあるのだろうか。屋根直上の構面の後ろの1面にブレースが入っていないのが気になる。

*****

詰所の1階の外壁には大屋石を使っているようだ。栃木といえば大谷石、建材の地産地消は好ましい。

20180103


以下追記 20180106

貫通する櫓

 写真は他にもあるのだろうかと書いておいたところ、記事を読んだであろうKさんから写真③と④が送られてきた。 

 

③の写真から梯子を掛けてあるのは詰所の後ろ側(前面道路の反対側)だと分かる(詰所の屋根は切妻だから分かりやすい)。この梯子で屋根の上の踊り場まで上り、そこから櫓内のやや緩やかな勾配の梯子で見張り台まで上るようになっている。

④から前2本の柱も軒を貫通していることが分かる。

詰所は2階建てで、櫓の垂直構面も2段になっているものと思われる。ブレースに加えて方杖を設けて補強している。なぜこんな建て方をしたんだろう・・・、謎だ。

詰所の1階の外壁は正面以外の3面共大谷石を使っていることが③の写真で何とか分かる。



もう1枚、詰所の屋根上の踊り場の様子が分かる追加写真④。ブレースと方杖が軒を貫いている。詰所正面側の柱と取り合う屋根面に雨仕舞上の納めに必要なパラペット状の立ち上がりを設けている。この部分は①にも写っている。この雨仕舞上の納めから、正面側の垂直構面にもブレースなり方杖なりの補強材を入れていると判断できる。建物内はどうなっているのだろう、使い勝手上邪魔になっていないとは思うが気になる・・・。

詰所をまたぎきれず貫通している櫓が栃木県にもあることが分かった。 


Kさん ありがとう!


正月限定のランドマーク

2018-01-05 | A あれこれ


撮影日 180105

 毎年正月になると松本や安曇野のあちこちに遠くからでもよく目立つきれいな飾りのついた柱が立つ。色紙を付けたおんべ(御幣)を何段もつけたこの柱は御柱(おんばしら)と呼ばれている。そう、諏訪大社の奇祭・御柱と同じ呼び名。

安曇野だけで16か所(*1)も立てられているという御柱のなかで、安曇野市三郷(旧三郷村)北小倉の下村・中村・上手村の3地区の御柱はてっぺんに日天と呼ばれる赤い円と月天と呼ばれる白い三日月形が付けられている。よく目立つランドマークだ。

一体何のためにこの正月限定のランドマークを立てるのか。

歳神さまがこのランドマークを目印に天から降りてくるとされている(*1)。そう、これは歳神降臨の依り代なのだ。よい正月を地区のみんなで迎えるためにみんなで立てる御柱。みんなのために みんなで立てる というところに大いに意義があると思う。この御柱は歳神さまが天に帰った後、7日ころの朝に倒される。

火の見櫓は御柱ほど分かりやすくはないが、やはり みんなのために みんなで立てた シンボルタワーだ。こちらは期間限定ではない。




*1 ふるさと歴史 新発見(19)/浜野安則 市民タイムス(2016年12月18日)


年末年始に読んだ本

2018-01-04 | A 読書日記



■ 『蒼天見ゆ』葉室麟/角川文庫 と『敵討』吉村昭/新潮文庫を読んだ。

仇討を描いた作品を新年早々取り上げて好いものかどうか、でも両作品とも読み終えたから載せておく。共に実際に起きた最後の仇討を基にした小説。

幕末の地方藩内の政争により惨殺された父母の仇を明治になって息子が討つ、仇討禁止令発布後に起きた最後の仇討、「事件」。江戸時代に美風とされていた仇討は明治になって殺人として処せられることに。時代の大きな転換期に起きた「悲劇」。

吉村昭も「最後の仇討」というストレートなタイトルの短編にしている。両作品のラストは次の通り。

**故郷の秋月の黒田家歴代の菩提寺でもある古心寺の墓地に、両親の墓に寄り添うようにして六郎の墓は建っている。**(『蒼天見ゆ』)

**寝棺は、秋月まで運ばれ、古心寺の両親の墓のかたわらに埋葬された。**(『最後の仇討』)

葉室麟の作品はタイトルからして文学的、描写も然り。吉村昭は当時の新聞記事に書かれた名称をそのままタイトルにしている。史実の細部にまでこだわる吉村昭の作品は記録文学のよう、この作品然り。