透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

塩尻市宗賀の火の見櫓

2024-11-17 | A 火の見櫓っておもしろい


▲ この写真のみ2024.11.18撮影

1525 塩尻市宗賀 366型トラスもどき 2024.11.16

 火の見櫓めぐりを始めたのは2010年の5月だが、この年の11月13日にこの火の見櫓を見ていた。だが、ブログには載せていなかった。あの頃は撮った写真の整理もきちんとしていなかった・・・。新たに番号をつけて載せる。


平面が3角形の櫓に6角形の屋根、同じく6角形の見張り台。366型は中信地域で最も多いタイプ。脚は分類したが、屋根を見張り台はまだ分類できていない。屋根下に半鐘と共に木槌を吊り下げている。


消防団詰所の外付け階段をさらに伸ばして火の見櫓と繋いでいる。建設当初は火の見櫓に外付け梯子が設置されていたのではないか、と思う。注意深く観察すれば、このことが確認できるかもしれない。いつも課題を残してしまう。


トラスもどきの脚


 


ぽすくま切手

2024-11-15 | D 切手


 10月1日から郵便料金が変わり、通常はがきは85円、定形郵便物は110円(50gまで)になった。

先日届いた封書に貼られていた110円切手。調べると9月11日に発行された切手で、ぬいぐるみのぽすくまをデザインしたもの。10種類のデザインのぽすくまがシートになっている。

これはぽすくまが睡蓮の花を描いているところがデザインされた切手。


 


「五色の虹」を読む

2024-11-12 | A 読書日記


『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』三浦英之(集英社文庫2017年)第13回  開高 健ノンフィクション賞受賞作。

 少し前のこと。塩尻の「本の寺子屋」で9月8日に行われた三浦英之さん(朝日新聞記者・ルポライター)の講演を聴いた。講演会場で講演内容とも重なる本書を買い求めた。他にも読む本があったために、なかなか読めなかった。

講演を聴くまで満州建国大学という大学があったことすら知らなかった・・・。

満州建国大学は日中戦争の最中(1938年)、日本が満州国に設立した大学。日本、朝鮮、中国、モンゴル、ロシアという五つ民族から選ばれたエリートたちが学ぶ。「五族協和」というスローガンを実践し、日本の傀儡国家を担う人材育成を狙うという国策大学だ。この大学は日本の敗戦に伴い満州国が崩壊したことで消滅する(1945年)。開学からわずか8年で。

本書はこの大学で学んだエリートたちの戦後のルポ。著者の三浦さんは国内はもとより、大連、長春、ウランバートル、ソウル、台北等に卒業生を訪ねる旅をする。

カザフスタンのアルマトイ国際空港。第六期生の元ロシア人学生のゲオルゲ・スミルノフさんと宮野 泰さんは65年ぶりの再会を果たす。
「スミルノフ!」「ミヤノ!」
宮野さんは5,000キロ離れた日本からはるばるカザフスタンまでやって来たのだ。再会のシーンには涙が出た。加齢とともにますます涙もろくなった。

アルマトイに残された日本人抑留者たちの墓参りをする宮野さん。その時のことを三浦さんは次のように書いている。

**「日本から来ました」という声だけが私の耳に届いた。
それが、宮野が「彼ら」にかけることのできる精一杯の言葉だったのだろう。(中略)六五年前、宮野もまた中央アジアのキルギスの地で、彼らと同じように生活していた。そして六五年後の今、土の中にいる人々と土の上にいる自分とを分けたものは、ほんの少しの偶然でしかなかったことを、彼は誰よりも知り抜いていたに違いない。(292頁 太文字化は私による)

生きるとはどういうことなんだろう・・・。生きているということはどういうことなんだろう・・・。


 


カフェで本を語る

2024-11-11 | A あれこれ

 塩尻市立図書館が中心となって開催している「本の寺子屋」は今年(2024年)で13年目とのこと。昨日(10日)関川夏央さんの「司馬遼太郎『坂の上の雲』の方法と、それが書かれた時代」と題した講演が行われた。私は関川さんの語り口が好きで、講演を聴きたいと思っていた。ここでは講演内容については触れない。ちなみに次回12月1日のねじめ正一さんの講演会が今年度最後。

講演会の後、高校の同期生5人で会場近くのカフェでおしゃべりをした。みんな読書好きということで、話題になったのは好きな作品などについて。

同じクラスだったKさんは中学1年の時、谷崎潤一郎の『痴人の愛』*1 を読んだとのこと。中1で『痴人の愛』か・・・。僕はというと、中2で松本清張の『砂の器』だから、読書体験が随分違う。他には横溝正史だったかな? 江戸川乱歩? メモしておかないと・・・。

Iさんは浅田次郎の作品が好きとのこと。浅田次郎の涙小説は僕も好き。

Tさんは高1の教科書に載っていた柳田国男の「清光館哀史」が印象に残っているそうだ。僕はこの作品を読んだ記憶が全くない。調べると、岩波文庫の『日本近代随筆選 1』に収録されている。丸善にあるかな。青空文庫で読むことができることも分かった。

僕が覚えているのは丸山真男の「「である」ことと「する」こと」という文章。*2 このことを話すとTさんも覚えていた。他にTさんは福永武彦の「草の花」*3 を挙げた。僕にとって「忘却の河」と「草の花」は忘れることができない作品。

さて、S君が挙げたのは、何だっけ・・・。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』*4 だったかな。僕が最初に読んだ司馬作品は直木賞を受賞した『梟の城』だった。

今年2024年は安部公房生誕100年。安部公房の作品を読んでいると話すと、難しくないですか、とIさん。演劇部が安部公房の戯曲「友達」を上演したことはみんな覚えていた。 

司馬遼太郎と藤沢周平、このふたりは対比的に評される。僕は藤沢作品では新潮文庫の『橋ものがたり』*5 に収録されている短編「約束」が好きだ。**「約束を、忘れなかったのか」「忘れるもんですか」激しく、ほとんど叫ぶようにお蝶は言った。**(37頁)何年か前、倍賞千恵子の朗読でここを聴いて泣いてしまった。

高校生活や本のことは話がつきない。気がつけば5時半。外は暗くなっていた。で、「カフェでおしゃべり」はお開きに。次回も楽しみ・・・。


*1 僕が『痴人の愛』を読んだのは40代のときだった。
*2 岩波新書の『日本の思想』に収録されている。手元にあるのは1980年3月に購入した本。
*3 『草の花』新潮文庫。手元にあるのは1981年9月に購入した本。
*4 司馬遼太郎の文庫はすべて古書店に引き取ってもらったので『竜馬がゆく』もない。
*5 藤沢作品では『橋ものがたり』だけまた買い求めた。


 


260枚目

2024-11-10 | C 名刺 今日の1枚

 日本の風景は「水」によって特徴付けられる。輪郭が曖昧な水っぽい風景は水彩画が相応しく、油彩画では表現が難しい。水彩画でも輪郭をペンで きっちり描いて、透明水彩絵の具で淡く着色するという私の描法は日本の風景、特に遠景には適してはいないだろう。なぜなら水っぽい風景では春に限らず遠景の山並みなどの輪郭線は不明瞭で霞んで見えるから。このようなことは理解しているが、私の場合、風景の構成要素の形、要素間の関係、即ち風景の構造を捉えることに関心があり、その把握と表現に力点を置いている。


若狭宣子水彩画展 「空」 

11月8日(金)から今日10日(日)まで3日間の会期でBLUE HOUSE STUDIO(長野県東筑摩郡朝日村針尾)で開催された作品展を昨日(9日)観てきた。在廊中の若狭さんと名刺交換して、作品についてあれこれ話しをすることができた。有意義なひと時だった。


260枚目の名刺をお渡しした画家・若狭宣子さん

展示作品は私の描法とは対照的で、対象の形を明確に表現したものはなかった。上掲写真に写っている作品は水をたっぷり含ませた絵筆で色が紙に置かれ、後は紙の表面の水の作用によってグラデーショナルな広がりになっている。従って形も曖昧だ。

会場に掲示されている挨拶文に**知ろうとし、理解ろうとする気持ちは持ち続けながら、今の時点での知っていることを結論のように絵の中に 「こう感じました」と持ち込まないで描きたいと思いました。**という一節があった。

なるほど、そうであるなら、表現されるのは確定的な形ではないし、確定的な色でもないのだな、と得心した。ただし若狭さんは常にこのように思っているのではないのだろう。会場に置かれていた絵はがきには展示作品とは別の表現のものがあったから。複数の描法、表現法を持っていると、その時その時の気持ちというのか、想いに相応しい描法を選択できるという強みがある。

展示作品を鑑賞者が自身の美的感性によって、美しい絵だなと感じようが、理性的で分析的な見方をしようが、構わないだろう。作者の手を離れた作品は観る者に委ねられるのだから・・・。


会場に置かれていた「岳人」という月刊誌に掲載されていた若狭さんの文章に次のような下りがあった。

**見える物は人それぞれで違うと思います。**
**あなただけが見出した風景を表現する喜び**

まったくその通りだと思う。


 


カレー大作戦だけど今回はロコモコ丼

2024-11-09 | A あれこれ


 我が村では今年度10回のカレー大作戦が予定されている。二八会が初回を担当した。回を重ねて今日9日が7回目だった。カレー大作戦という名前になっているけれど、今年度からカレーでなく、他の食事を提供しても良いことになった。で、今回は手づくりハンバーグのロコモコ丼だった。

毎回11時半開始だが、11時頃から並んだので前から10人目くらいだった。

ハンバーグにも味だけでなく違いがあると思うけれど、食べ比べができるほど食べていないのでよく分からなかった。で、ひと言、美味かったです。 


 


「大阪・関西万博「失敗」の本質」を読む

2024-11-07 | A 読書日記


ガラスの高層ビルを背にする東京駅 2024.11.03
ガラスは東京駅の外装の化粧煉瓦とは対照的で、時間の経過とともに表情が味わい深く変化していくということがない。 


 今月(11月)3日、友人と鎌倉に行く約束をして東京駅で待ち合わせしていた。待ち合せ場所は八重洲中央口改札。そのすぐ近くのカフェ(JAPAN RAIL CAFE)で『大阪・関西万博「失敗」の本質』松本 創  編著(ちくま新書2024年)を約束時刻の10分前まで読んでいた。読む時間があろうがなかろうが、本を常にリュックに入れて持ち歩いている。それは旅行の時も変わらない。

大阪・関西万博については、パビリオン建設が遅々として進んでいないことを時々メディアが報じている。それにしてもまだ開催前だというのに、本書ではなぜ「失敗」だと断じているのか。

私は万博には関心がなく(NHKの世論調査によると関心がない人は62%、読売新聞では69%に達したという。本書9頁)、会期中に出かけようとは思っていない。だが、本書が明らかにする万博の失敗の理由については知りたいと思った。

本書は次のように全5章から成り、各章異なる執筆者が担当している。

第1章 維新「政官一体」体制が覆い隠すリスク 万博と政治
第2章 都市の孤独「夢洲」という悪夢の選択 万博と建築
第3章 「電通・吉本」依存が招いた混乱と迷走 万博とメディア
第4章 検証「経済効果3兆円」の実態と問題点 万博と経済
第5章 大阪の「成功体験」と「失敗の記憶」 万博と都市

目次が示すように、政治、経済、メディア、都市、建築というテーマからこの万博を論じ、問題点を指摘している。万博の裏側の政治事情など、全く知らないし、その他のテーマについても知らないことばかりで、なるほど、そういうことなのかと、知ることも多く、勉強になった。

万博は2025年4月13日に開幕する予定だが、間に合うのだろうか。会期中に大きなトラブルは起こらないだろうか・・・。本書を読んで今まで以上に気がかりになった。

これからはメディアが報ずる万博に関する情報に注意するようになると思う。


 


「あきらめなかった男」を読む

2024-11-06 | A 読書日記


 大黒屋光太夫の漂流記は2006年に『大黒屋光太夫』吉村 昭(新潮文庫)、『大黒屋光太夫 ―帝政ロシア漂流の物語―』山下恒夫(岩波新書)を読んでいる(写真①)。


『あきらめなかった男 大黒屋光太夫の漂流記』小前 亨(静山社 2023年 児童書 図書館本)を読んだ(写真②)。

私が暮らす村では読書習慣を身につけ、それを大切にして欲しいという願いから、毎年ファーストブックを4か月児に、セカンドブックを1年生に、そしてサードブックを6年生にプレゼントしている。

『あきらめなかった男 大黒屋光太夫の漂流記』は図書館運営委員会(私も委員のひとり)がサードブックとして推薦した10冊の本の1冊。この児童書のタイトル「あきらめなかった男」が気に入って、図書館から借りて来て読んだ。

本の帯にこの本の内容が簡潔に記されているので、引く。**鎖国時代に北の孤島へ漂着。命は助かっても国へ帰れる見込みはなかった。それでも決してあきらめず、ついにロシア女帝から勲章をもらって帰国した日本人がいた。島から半島、ロシア本土、そして帝都へ― 仲間を連れて可能性を追い求めた信念の10年**

この引用文中、北の孤島とあるのはアムチトカ島、半島とはカムチャッカ半島、そして帝都とはサンクトペテルブルクのこと。

著者の小前 亨さんはあとがきにジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』の影響で、子どもの頃から漂流ものの小説が大好きだったと書いている。私も『十五少年漂流記』を小学生の時に読んだという記憶がおぼろげながらある。

『あきらめなかった男 大黒屋光太夫の漂流記』を読んで、生きて日本に帰るという光太夫の強い意志と仲間を励まし、まとめたリーダーシップに感銘を受けた。

光太夫は辺見じゅんさんの『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文春文庫)に紹介されている山本幡男さんとよく似た人だなと思った。第二次世界大戦敗戦後にシベリヤに抑留された仲間を、希望を捨てることなく必ず生きて帰還するのだと励まし続けた人。決定的に違うのは光太夫は生きて日本に帰ったけれど、山本さんは病魔に襲われ、亡くなってしまったことだ。

『あきらめなかった男 大黒屋光太夫の漂流記』を希望した6年生が33人中2人いたとのこと。どんな子だろう。読後の感想が聞きたいなぁ。


 


259枚目@龍門渕てらす

2024-11-06 | C 名刺 今日の1枚

 安曇野市明科にある龍門渕てらすはフリースペース。シェアオフィスで仕事をする人やシェアキッチンを使ってランチ営業をする人が何人かいたり、そこで食事をする人やセルフカフェを利用する人もいる。色んな人が利用するから、ここは人と人を繋ぐ結節スペースのような役割も果たしてもいる。

昨日(5日)の昼過ぎにこの龍門渕てらすに運営スタッフで友人の中村君を訪ねた。久しぶりに会って、あれこれ話をしていた。そこにやって来た若者とあいさつをして、名刺交換した。


259枚目 安曇野市の地域おこし協力隊の山崎大輝さん(*1)。

山崎さんは愛知県出身。10代の頃はバンド活動をしていて、全国ツアーもしたそうだ。その後、西表島でネイチャーガイドを経験して、自然が身近にある生活っていいなぁと思ったとのこと。地域の活性化にも興味があったそうで、今の仕事に就いたと聞いた。まさにピッタリの仕事。

山崎さんの名刺には地域おこし協力隊 明科地区活性化 アクティビティ担当とある。明科はアクティビティ活動の拠点としてポテンシャルの高いところと捉えることもできるのではないか、と思うと伝えた。

シェアオフィスを利用していた女性の方にセルフカフェのコーヒーを私の分まで淹れていただいた。感謝。

山崎さん ガンバってくださ~い。




こんなサードスペースが我が僻村にもあったらいいなぁ・・・。


*1 拙ブログでの紹介を了解していただいた。


週末鎌倉 その2

2024-11-05 | A あれこれ

 JR北鎌倉駅のすぐ近くの円覚寺(えんかくじだと思っていたが、リーフレットには円覚寺にえんがくじとルビがふられている。覚えておこう)、明月院を見て徒歩で鶴岡八幡宮へ向かう。この間、距離はおよそ1.6km。途中、道路沿いのお店で食事をする。

4 鶴岡八幡宮


お決まりのアングルで写真を撮る。背景は真っ青な空。晴れ男効果抜群、この日は朝から天気が良かった。暑くなく、寒くもなく、過ごしやすい日だった。3連休で、前日(2日)が雨だったこともあるのだろう、鎌倉は人出が多かった。鶴岡八幡宮参拝は2015年7月以来9年ぶり(過去ログ)。


5 鎌倉の大仏

江ノ電で極楽寺、長谷駅、鎌倉の大仏に行く予定だった。鎌倉駅に向かう途中、店の奥にテーブルを設えたケーキ屋さんを見つけて、コーヒーを飲みながら休憩した。そこで、すっかり話し込んで気がつくと4時。大仏さんだけ参拝しようと江ノ電で長谷駅へ。電車は朝の通勤ラッシュ状態。長谷駅から徒歩で高徳院へ向かう。公開時間を知らなかったが、ぎりぎり間に合った。鎌倉の大仏は2013年9月以来11年ぶり(過去ログ)。

大仏さん以外、顔が写らないようにタイミングを見計らってパシャ!

設置されていた大仏の説明板から主な値を挙げる。
総高(台座共)13.35m
面 長 2.35m
眼 長 1.00m
耳 長  1.90m
螺髪数   656ヶ
仏体重量  121トン

5時半ころだったか、夕暮れの鎌倉駅までバスで戻り、電車で東京駅へ。食事をする時間的な余裕が無く、友人と別れて新宿駅へ。特急あずさに乗車。こうして週末鎌倉は終わった・・・。


徒歩数 2日:8,793歩 3日:18,653歩 よく歩いた。


週末鎌倉 その1

2024-11-05 | A あれこれ

11月3日 朝から快晴。鎌倉へ。同行者ひとり。東京駅で待合せて横須賀線で鎌倉へ。

1 円覚寺


山門


仏殿


舎利殿(国宝)




洪鐘(おおがね 国宝)

この鐘楼は石段を130段くらい登ったところにある。途中の踊り場で一息。もう若くはない。


2 明月院




あじさい寺として有名な明月院。やはりあじさいの季節がよいと思うが、混むだろうな。


3 建長寺


仏殿(重要文化財)


唐門(重要文化財)


梵鐘(国宝)


鐘つけば銀杏ちるなり建長寺
夏目漱石がこの句を詠んだのは案内板によると1895年(明治28年)9月。
正岡子規が柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺と詠んだのはその数か月後だそうだ。知らなかったな。


 


名刺 250~258枚目

2024-11-04 | C 名刺 今日の1枚

 名刺を渡したその日に書いてこそ「名刺 今日の1枚」なのに、このところサボっていた。

過日(って、大分経っていて9月24日)、村議会議員二人と名刺交換する機会があった。250枚目、251枚目の名刺だった。10月31日の二八会でシンガーのあこさんに渡した名刺が252枚目。

今月2日のOB会でHR君とTKD君、それからID君、ON君、TKS君の5人に名刺を渡した。その順番を覚えていないが、253枚目~257枚目だった。

**平林さんには研究室当時から使っていたロゴの “U1” マーク入り名刺を頂き、また、予定やら日々の細々した記録を留めた綴りを見せていただき、当時と変わらないなぁ……と、懐かしく、その几帳面さに改めて感心した次第です。** グループラインに寄せられたON君のコメント。よく覚えていてくれたものだ。そうあの頃からずっと続いていて、今年のダイヤリーは47冊目。

先生に叙勲のお祝いの花束を手渡したSSさんは卒業年度からして、まだ30代。OB会では初対面の人と話をすることを自分に課しているので(そうすることで知り合いが増える)、SSさんに声をかけて少しだけ話をした。で、名刺交換したが、渡した名刺は258枚目だった。


 


週末東京

2024-11-04 | A あれこれ

 引退間近だった「なぎさTRAIN」に二日続けて会うことができたから、週末東京で何か予期しない楽しいこと、嬉しいことがあるだろう、と先日書いた。

11月2日の土曜日、久しぶりに東京へ出かけた。大学の恩師の叙勲のお祝いを兼ねたOB会に参加するために。OB会の会場へ行く前に変貌著しい渋谷駅周辺を見学しようと思っていたが、この日はあいにく雨降り。あきらめて、会場近くのカフェで読書して過ごした。

OB会開始時刻の12時に数分遅れて会場に入ると、思いがけず懐かしい顔、顔・・・。HR君とTKD君、それからID君、ON君、TKS君の5人とは彼らが大学を出てから初めて会った。40数年ぶりの再会だった。5人はOB会に出るのが初めてとのこと。予期しない嬉しいことはこのことだったんだ、と納得。髪の毛が薄くなったり白くなったりしてはいたが、すぐに誰だか分かった。

彼らにOB会に参加するよう声をかけてくれたSK君とも7,8年ぶりくらいの再会か。他にもON君、HY君、YKさん、SN君との再会もあり、あっという間に2時間半経過してOB会はお開きに。その後、いくつかのグループができてそれぞれ別れていった。私は何人かで近くの居酒屋に移動して、あれこれ思い出話に花を咲かせた。「夏の合宿は楽しかったですね」「え、そんなことがあったのか、知らなかったなぁ・・・」「・・・?」「・・・!」

夕方4時過ぎ。

この日は夕方5時半に友人と会う約束をしていたので、渋谷に出て、山手線で東京駅へ向かった。待合せ場所の八重洲中央口改札には5時頃ついてしまったが、数分後に〇さんも来て再会。

雨が降り続いている。駅近くの居酒屋に入った。乾杯! 〇さんとは思い出話をすることが多い。

この日の夜、〇さんと東京駅で別れ、ホテルにチェックインしたのは9時半ころだった。健全な飲み会。


 


ブックレビュー 2024.10

2024-11-04 | A ブックレビュー


 10月の読了本は6冊。

『笑う月』『密会』安部公房(新潮文庫)
新潮文庫に収録されている安部公房の作品を月2冊のペースで今年の3月から読んで来た。読んで感じるのは小説家に求められる能力をきっちり備えているということ。発想が豊かでそれを小説に仕立てる創造力・構成力、更にそれを文章化する能力に秀でていることだ。だからこそ、ノーベル賞候補に名が挙げられ、今なお読み継がれる作品を遺すことができたのだろう。

『41人の嵐 台風10号と両俣小屋全登山者生還の一記録』桂木 優(ヤマケイ文庫)
あきらめず、生還するという強い意志。みんなで生還するという連帯感。

『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』麻田雅文(中公新書)
**日ソ戦争とは、1945年8月8日から9月上旬まで満州・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第2次世界大戦最後の全面戦争である。**本書の帯の文章からの引用。
終戦直前のソ連参戦については、全く何も知らなかった。本書によってその概要をはじめて知った。知らないことを知りたいと思う気持ちはいつもでも持ち続けたいものだ。先日書いたように、これからは第二次世界大戦の関連本を意識的に読んで行こうと思う。

『詭弁社会 日本を蝕む〝怪物〟の正体』山崎雅弘(祥伝社新書)
パターン1:間違った定義から話を始める
パターン2:論理的思考と情緒的思考のすり替え
パターン3:間違った二項対立と極論への飛躍
(以上本書の帯より)
**日本では「批判」という言葉は「否定的」と混同して使われることも多いですが、批判的思考は必ずしも対象を否定的に捉える思考ではなく、論理的に問題点の洗い出しを行なうことで、対象の完成度を高めるという肯定的効果が得られる場合もあります。**(114頁) これは覚えておきたいことば。

『奪還 日本人難民6万人を救った男』城内康伸(新潮社)
終戦直後に北朝鮮に取り残された日本人を身を賭して帰還させた人物がいたことを本書で知った。どの時代にも凄い人はいるものだな、と改めて思う。