このところ、栃木県、茨城県の史跡訪問に際してテキスト代わりに愛用しているのがこの本である。会津戦争に至るまで戊辰戦争の経緯が克明に記録されており、数々の史跡も紹介されていて、大変使い手がある。
著者は、大鳥圭介に傾倒しており、大鳥と好対照をなす土方歳三には批判的である。更にいえば、最期まで幕府への忠誠と武士の意地を貫いた会津藩に好意的であり、陰謀と武力で殺戮を繰り返した薩長には批判的である。
人間誰しも好き嫌いがあり、そこから容易に逃れられるものでない。歴史を見るとき、幕府、薩摩、長州、会津、それぞれに正義があり、敵対勢力がある。幕府にしてみれば、開国は当然の流れであり、それに抵抗する薩長勢力は非道な存在でしかない。反対勢力から見れば、貿易によって利を得るのは幕府だけである。どうしても幕府は抹殺せねばならない。
どちらかに軸足をおくということは、視点を固定できて批評し易くなることは事実である。しかし、視点を固定することで見えなくなることも多い。私は意識してできるだけ中庸に軸足を置き、幕府、薩摩、長州、会津、それぞれの視点から幕末史を見るように心がけている。それでも人間である限り完全に感情を排除することなど不可能である。全く中立などという立場はあり得ないのだが…。
著者は、大鳥圭介に傾倒しており、大鳥と好対照をなす土方歳三には批判的である。更にいえば、最期まで幕府への忠誠と武士の意地を貫いた会津藩に好意的であり、陰謀と武力で殺戮を繰り返した薩長には批判的である。
人間誰しも好き嫌いがあり、そこから容易に逃れられるものでない。歴史を見るとき、幕府、薩摩、長州、会津、それぞれに正義があり、敵対勢力がある。幕府にしてみれば、開国は当然の流れであり、それに抵抗する薩長勢力は非道な存在でしかない。反対勢力から見れば、貿易によって利を得るのは幕府だけである。どうしても幕府は抹殺せねばならない。
どちらかに軸足をおくということは、視点を固定できて批評し易くなることは事実である。しかし、視点を固定することで見えなくなることも多い。私は意識してできるだけ中庸に軸足を置き、幕府、薩摩、長州、会津、それぞれの視点から幕末史を見るように心がけている。それでも人間である限り完全に感情を排除することなど不可能である。全く中立などという立場はあり得ないのだが…。