史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

福知山

2010年10月03日 | 京都府
(福知山城)
 今年の全社野球大会は、播磨で開かれた。五年前、播磨で野球大会があったときは、試合の合間にジョセフ彦関係の史跡を訪問した。今回はレンタカーを借りて生野と福知山まで足を伸ばすことにした。
 野球の方は、数ヶ月前から五十肩で左肩が上がらず、更に一週間前に庭の草刈をして腰を傷めた。キャッチボールもままならず、バットを振ることもできないような状態であったが、それでも野球大会に参加したのは、関西の史跡を訪ねるチャンスだからである。
 試合の方は最終回に代走で出場しただけで、何とも不甲斐ない結果であったが、試合が終わると汗を拭く間もなく、生野に向かった。生野から更に小一時間のドライブで城下町福知山に行き着く。


福知山城

 福知山城は、天正七年(1579)に明智光秀が丹波を平定したのを機に、当地にあった横山城を改築して近世城郭へと生まれ変わらせた。江戸時代に入って、有馬氏、岡部氏、稲葉氏、松平氏と目まぐるしく城主が変わったが、寛文九年(1669)、朽木稙昌(くつきたねまさ)が福知山藩三万二千石の城主に封じられると、その後廃藩置県までの二百年間、十三代に渡って朽木氏が続いた。

 天守閣は昭和六十年(1985)に再建された復元天主で、外観は忠実に往時の姿を再現した鉄筋コンクリート製である。


福知山市
福知山城天守から市街を望む

(円覚寺)


円覚寺

 円覚寺は、福知山城城主朽木氏の菩提寺で、第七代朽木舗綱(のぶつな)、第十二代朽木綱張および第十三代朽木為綱(もりつな)の妻の墓が置かれている。


従五位下朝散大夫兼近江守朽木綱張墓
錦光院殿成徳惟馨大居士

 朽木綱張は、文化十三年(1816)に近江膳所藩主本多康禎の次男に生まれ、福知山藩朽木家の養子となって家督を継いだ。藩政では市川儀右衛門らを登用して財政建て直しに努めたが、これが領民の反発を招き大規模な一揆に発展した。市川は責任を負って切腹。佐幕派として禁門の変や第二次長州征伐にも参加した。慶応二年(1866)二月、病を得て死去。五十二歳であった。
 綱張の死後、藩主は長男為綱に引き継がれ、明治維新、廃藩置県を迎える。為綱の墓は東京青山霊園にあるが、明治三年(1870)に二十歳という若さで亡くなった為綱の妻の墓が綱張の墓の傍らに在る。

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朝来 Ⅲ

2010年10月03日 | 兵庫県
(納座・大川藤蔵殉難之地)


勤皇志士 大川藤蔵殉難之地碑

 水戸藩士小川吉三郎は、大川藤蔵という変名を用いていた。十月十四日早朝、小川吉三郎は沢宣嘉が陣を脱したことを聞きつけ、妙見山の陣を訪ねた。ここで南八郎が決死の覚悟でいることを同士川又左一郎から聞いた。小川は川又とともに南の説得にかかったが、簡単には聞き入れない。諦めて山を下り、因州の大村辰之助、木村愛之助(片山九市)らとともに沢宣嘉を探して丹波路に向かった。そのとき残兵狩の農兵に囲まれ発砲を受けた。窮地に陥った小川吉三郎はここで切腹して死を迎えたが、同伴していた川又、大村、木村の三名は小川に諭され、農兵に捕らえられて、その後出石藩に引き渡された。川又左一郎(水戸藩)は、十一月二十三日、出石の獄で縊死。大村辰之助は翌年七月二十日、京都六角の獄舎にて平野國臣、横田友次郎、本多素行らとともに暴殺され、片山九市(丹波国氷上郡黒井村の庄屋出身)は慶応元年(1865)、長い獄中生活の末、牢死した。

 『生野義挙日記』によれば、大川藤蔵殉難之地碑の所在は朝来町納座となっていたが、実際には隣町の山内である。納座から山内まで車で走り回って、ようやく見つけることができた。想像していたより小さい碑であった。

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生野 Ⅱ

2010年10月03日 | 兵庫県
(口銀谷)


井筒屋

 生野の変が鎮圧された後、京都守護職松平容保は、御目付戸川鉡三郎を巡見使として生野に派遣した。同年十一月七日、戸川は生野に入り、太田治郎左衛門宅に宿を取った。一行の中には会津藩公用人廣澤富次郎(安任)の姿もあった。廣澤ら七名は井筒屋を宿とした。
 現在、井筒屋は、生野まちづくり工房井筒屋という名称でギャラリーなどに活用されている。


宮本池臣の書(左)

 宮本池臣は、竹田諏訪神社の神官。中島太郎兵衛は十九歳まで宮本池臣に学んだ。平野國臣とも交友があった。子息宮本采女も生野義挙に参加している。

毛路登毛尓(もろともに)知る遍支花を(ちるべきはなを)君能為(きみのため)
しはしのこ之(し)し 佐久ら井の佐登(さくらいのさと) 池臣

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