(東光院)
東光院
田園調布といえば、高級住宅街の代名詞となっている。かつて多摩川沿いのこの地には、六郷用水が開削されていた。
東光院は、東急目蒲線の沼部駅を降りて、徒歩数分の場所である。本堂の前に、注意しないと見過ごしてしまいそうな小さな石碑が建てられている。上部に「勇士碑」とあり、その下には三名の戒名が書かれているが、彼らの本名や素性は伝わっていない。
三名が当地に来たのは、明治元年(1868)六月五日というから、上野戦争の落ち武者かもしれない。当地の住民との間でトラブルとなり、相継いで惨殺される。一人は東池の畔で、残る二人も逃げ回った挙句、多摩川河原で殺された。彼らの死を憐れんだ医師森某がこの碑を建てたと伝えられる。
勇士碑
常楽院苦心解脱居士
安楽院迷心得脱居士
明楽院疑頓心悟居士

東光院
田園調布といえば、高級住宅街の代名詞となっている。かつて多摩川沿いのこの地には、六郷用水が開削されていた。
東光院は、東急目蒲線の沼部駅を降りて、徒歩数分の場所である。本堂の前に、注意しないと見過ごしてしまいそうな小さな石碑が建てられている。上部に「勇士碑」とあり、その下には三名の戒名が書かれているが、彼らの本名や素性は伝わっていない。
三名が当地に来たのは、明治元年(1868)六月五日というから、上野戦争の落ち武者かもしれない。当地の住民との間でトラブルとなり、相継いで惨殺される。一人は東池の畔で、残る二人も逃げ回った挙句、多摩川河原で殺された。彼らの死を憐れんだ医師森某がこの碑を建てたと伝えられる。

勇士碑
常楽院苦心解脱居士
安楽院迷心得脱居士
明楽院疑頓心悟居士