水戸に出張した際、本屋に並んでいたのを見かけて、迷わず購入した。水戸市施行百二十年および水戸藩開藩四百年を記念して、郷土の先人百二十二人を選んでその業績を紹介した本である。自分の興味のある時代でいえば二十番目に紹介されている長久保赤水から、八十四番目の人見寧くらいまでなので、精々半分くらいしか目を通していないが、それでもこれを読むと水戸という土地は、政治思想や医術、絵画、書道、作刀、学問等、様々な分野において優れた人物を輩出していた事実を思い知らされる。
かつて茨城県の方が実に無念そうに話してくれたことがある。「茨城県は人物が出ないんです。それも大物がいない。梶山静六が総裁選に出たのがやっとで、まだ一人も総理大臣を出していない。これというのも、幕末の政争で人材が払底してしまったことが原因です。」
この発言の真偽は定かではないが、少なくともこの本に紹介されている人物で、幕末の風雲を経験した上で、明治新政府に仕えた人物は、香川敬三と、梅村速水、人見寧、栗田寛くらいのものである(うち梅村速水は明治三年(1870)に非業のうちに獄死)。桜田門外の変を引き合いに出すまでもなく、幕末という時代を主導していた水戸藩から、明治新政府に人材を送り込めなかったという無念は、茨城県人に共通のものであろう。血で血を洗う抗争を繰り返し、これほどまでに人材を浪費した藩は水戸を除いて見当たらない。悲劇性でいえば、会津藩にひけをとらないだろう。水戸の抗争は、新政府の樹立とともにいわゆる尊攘派が勝利を得たが、この結末をもって果たしてこれを勝利と言えるのだろうか。虐殺に対して殺戮で報復するような抗争の末には、誰も勝者は生まないという事実を、後世の我々は肝に銘じておく必要があるだろう。
かつて茨城県の方が実に無念そうに話してくれたことがある。「茨城県は人物が出ないんです。それも大物がいない。梶山静六が総裁選に出たのがやっとで、まだ一人も総理大臣を出していない。これというのも、幕末の政争で人材が払底してしまったことが原因です。」
この発言の真偽は定かではないが、少なくともこの本に紹介されている人物で、幕末の風雲を経験した上で、明治新政府に仕えた人物は、香川敬三と、梅村速水、人見寧、栗田寛くらいのものである(うち梅村速水は明治三年(1870)に非業のうちに獄死)。桜田門外の変を引き合いに出すまでもなく、幕末という時代を主導していた水戸藩から、明治新政府に人材を送り込めなかったという無念は、茨城県人に共通のものであろう。血で血を洗う抗争を繰り返し、これほどまでに人材を浪費した藩は水戸を除いて見当たらない。悲劇性でいえば、会津藩にひけをとらないだろう。水戸の抗争は、新政府の樹立とともにいわゆる尊攘派が勝利を得たが、この結末をもって果たしてこれを勝利と言えるのだろうか。虐殺に対して殺戮で報復するような抗争の末には、誰も勝者は生まないという事実を、後世の我々は肝に銘じておく必要があるだろう。