(高野寺)
高野寺
元治元年(1864)の禁門の変に敗れた長州藩の大阪蔵屋敷は幕府に没収された。毛利家がこの地を買い戻したのは、明治元年(1868)二月のことであった。明治二年(1869)、毛利家はこの地を高野山に寄進した。高野山では、三蔵院という塔頭を蔵屋敷跡に移し、以降「長州大師」と呼ばれることとなった。現在「長州大師」は高野寺として存続しており、本堂の前には「三蔵院境内」と刻まれた石碑も立っている。本堂奥の仏壇には長州藩の歴代藩主の位牌が安置されているそうである。
三蔵院境内
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/03/2b99f2a9224c861e5611cc23ed69350e.jpg)
高野寺
元治元年(1864)の禁門の変に敗れた長州藩の大阪蔵屋敷は幕府に没収された。毛利家がこの地を買い戻したのは、明治元年(1868)二月のことであった。明治二年(1869)、毛利家はこの地を高野山に寄進した。高野山では、三蔵院という塔頭を蔵屋敷跡に移し、以降「長州大師」と呼ばれることとなった。現在「長州大師」は高野寺として存続しており、本堂の前には「三蔵院境内」と刻まれた石碑も立っている。本堂奥の仏壇には長州藩の歴代藩主の位牌が安置されているそうである。
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三蔵院境内
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