史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

麻布十番 Ⅵ

2017年08月04日 | 東京都
(賢崇寺)

 賢崇寺の墓地の一角に戊辰戦争の犠牲者の墓が集められている。


上野戦死 肥前藩中地藤太盛邦之墓

 中地藤太は、慶応四年(1868)五月従五日、江戸上野山にて戦死。三十二歳。墓石の側面には「武山性勇居士」という戒名が刻まれている。


會津戦死 村嶋藤左エ門之墓

 村島藤左衛門は平士。慶応四年(1868)九月一日、岩代火玉峠にて戦死。三十九歳。


野口孫太夫墓

 野口孫太夫は明治元年(1868)、東北征戦後、東京で戦死。


上野戦死 肥前藩宮崎代助安禮之墓

 宮崎代助は慶応四年(1868)五月十五日、江戸上野山にて戦死。二十九歳。


三名の合葬墓(左)

 右の墓には「秋林…」という法名が読み取れるが、墓の主は不明。墓石側面には施主として下村辰右衛門、千□忠兵衛という名前が確認できる。没年月日は、慶応四年(1868)六月二十六日となっている。
 左の墓は、朝倉新七、中島義一郎、野中又七という三名の墓。いずれも慶応元年(1868)九月一日、岩代火玉峠に戦死。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新宿 Ⅳ | トップ | 白金台 Ⅳ »

コメントを投稿

東京都」カテゴリの最新記事