(本立寺)
正五位柏木忠俊君墓
本立寺墓地には、江川家代々のほか、江川英龍に仕えて英龍亡きあとは家僕のように江川家を支えた柏木忠俊を始めとして、江川英龍の弟子の墓が数多い(それと同じくらい薮蚊も多い)。柏木忠俊は、江川英龍が安政二年(1855)に没すると、その長子江川英敏を補佐し、英敏が父の死後七年で世を去ると、幼少の嗣子英武を助けて江川の安泰に尽くした。慶応二年(1866)には英龍の遺志を継いで農兵の組織化に尽力した。維新後は会計判事補を皮切りに韮山県判事、関八州物産取建御用掛、韮山県大参事、足柄県令などを歴任した。明治十一年(1878)五十五歳にて没。

正五位柏木忠俊君墓
本立寺墓地には、江川家代々のほか、江川英龍に仕えて英龍亡きあとは家僕のように江川家を支えた柏木忠俊を始めとして、江川英龍の弟子の墓が数多い(それと同じくらい薮蚊も多い)。柏木忠俊は、江川英龍が安政二年(1855)に没すると、その長子江川英敏を補佐し、英敏が父の死後七年で世を去ると、幼少の嗣子英武を助けて江川の安泰に尽くした。慶応二年(1866)には英龍の遺志を継いで農兵の組織化に尽力した。維新後は会計判事補を皮切りに韮山県判事、関八州物産取建御用掛、韮山県大参事、足柄県令などを歴任した。明治十一年(1878)五十五歳にて没。
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