史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

静岡 Ⅸ

2020年03月07日 | 静岡県

(中村敬宇旧宅跡)

 中村敬宇の旧宅跡地を訪ねて、年末京都の実家に帰省した帰路、静岡で途中下車して、駅から徒歩で当該地を目指した。歩いて三十分。富春院の二本北の道に石碑を発見した。

 

村敬宇先生舊宅之跡

 

 大正十五年(1926)に建立された石碑の上部は戦災によって欠損しており、中村の「中」の字が消えてしまっている。

 駿府藩主となった徳川家達を追って静岡に移り住んだ中村敬宇(正直)は、静岡学問所の一等教授に就任し、家達をはじめとする子弟の教育に努めた。この場所に「無所争斎」と称する半洋式の住宅を建て、明治五年(1872)に東京に戻るまで住んでいた。敬宇が「西国立志編」や「自由之理」を著わしたのは、静岡在住時代のことである。

 

(静岡陸軍墓地)

 先日、中公新書「軍神」を読み終えたところである。この本で静岡市内にも陸軍墓地があることを知り、さっそく訪ねることにした。

 静岡駅からバスで十五分くらいの「三松」というバス停で降りれば便利である。

 広い敷地のほとんどはグラウンド状の平地となっており、近所の子供たちの良い遊び場であろう。陸軍関係者は木立の中に葬られている。

 

陸軍墓地

 

静岡陸軍墓地

 

陸軍歩兵中佐従六位勲四等功四級橘周太之墓

 

 日露戦争遼陽の戦闘で戦死し、「軍神」と称えられた橘中佐もここで眠っている。

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「澁澤榮一」 澁澤秀雄著 ... | トップ | 調布 Ⅳ »

コメントを投稿

静岡県」カテゴリの最新記事