(中村敬宇旧宅跡)
中村敬宇の旧宅跡地を訪ねて、年末京都の実家に帰省した帰路、静岡で途中下車して、駅から徒歩で当該地を目指した。歩いて三十分。富春院の二本北の道に石碑を発見した。
村敬宇先生舊宅之跡
大正十五年(1926)に建立された石碑の上部は戦災によって欠損しており、中村の「中」の字が消えてしまっている。
駿府藩主となった徳川家達を追って静岡に移り住んだ中村敬宇(正直)は、静岡学問所の一等教授に就任し、家達をはじめとする子弟の教育に努めた。この場所に「無所争斎」と称する半洋式の住宅を建て、明治五年(1872)に東京に戻るまで住んでいた。敬宇が「西国立志編」や「自由之理」を著わしたのは、静岡在住時代のことである。
(静岡陸軍墓地)
先日、中公新書「軍神」を読み終えたところである。この本で静岡市内にも陸軍墓地があることを知り、さっそく訪ねることにした。
静岡駅からバスで十五分くらいの「三松」というバス停で降りれば便利である。
広い敷地のほとんどはグラウンド状の平地となっており、近所の子供たちの良い遊び場であろう。陸軍関係者は木立の中に葬られている。
陸軍墓地
静岡陸軍墓地
陸軍歩兵中佐従六位勲四等功四級橘周太之墓
日露戦争遼陽の戦闘で戦死し、「軍神」と称えられた橘中佐もここで眠っている。
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