史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

早稲田 Ⅶ

2020年01月18日 | 東京都

(大隈庭園)

 この日は、会社の後輩の結婚披露宴がリーガロイヤルホテル東京で開かれたので、披露宴が始まるまでの一時間ほどを利用して、久しぶりに大隈庭園を訪ねることにした。紅葉が真っ盛りを迎え美しい景色を楽しむことができた。

 大隈庭園は、井伊掃部頭、松平讃岐守の下屋敷にあった和様四条家風の名園を大隈重信が文人風に改造したもので、没後、邸宅とともに早稲田大学に寄贈された。昭和二十年(1945)五月の空襲で廃墟と化したが、多くの人びとの努力によりほぼ昔の景観とおりに復元された(新宿区戸塚1‐104)。

 

                     

大隈庭園

 

 

侯爵夫人大隈綾子之像

 

 庭園の一画に大隈夫人綾子の像がある。大隈綾子は、旧姓三枝といい、実父は旗本であった。幼少時に駿河台の小栗家に同居していた縁で、小栗忠順の遺児国子を育て、支援したことでも知られる。大隈重信との結婚は明治二年(1869)、二十歳の時で、以後五十年にわたって夫を支え、賢夫人と称えられた。大正十二年(1923)、大隈重信の没した翌年、あとを追うように死去した。七十二歳。

 大隈庭園の綾子像はいわく付きの代物である。大正天皇の即位の礼に際し、早稲田大学でも慶祝行事が執り行われたが、これを機に総長夫人綾子の御大礼袴姿の銅像を校内に建てる話が進んでいた。そのことを聞きつけた学生が騒ぎ出し、建設中の銅像を破壊してしまった。昭和二年(1927)の早稲田大学創立45周年の際、養子の大隈信常により寄贈され、大隈庭園に設置された。朝倉文夫作。

 

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