(一の谷公園)
安徳帝内裡趾傳説地
山陽須磨駅を降りて、目の前の国道を西に進む。住宅街に至る急な坂を昇ると、小さな公園に出会う。一の谷公園と呼ばれるこの公園は、安徳帝内裏跡といわれる場所で、ここに皇女和宮像がある。
皇女和宮像
この和宮像は、兵庫県議などを務めた中村寅吉氏が「日本女性の伝統ある美徳保持」を願って和宮像を造り、昭和初期に神戸の三つの高等女学校に寄贈したという記録が残る。一の谷公園の像は、その中の一つとみられるが、戦後神戸市の山中に放置されているのが見つかり、平成十二年(2000)に現在地に移された。
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安徳帝内裡趾傳説地
山陽須磨駅を降りて、目の前の国道を西に進む。住宅街に至る急な坂を昇ると、小さな公園に出会う。一の谷公園と呼ばれるこの公園は、安徳帝内裏跡といわれる場所で、ここに皇女和宮像がある。
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皇女和宮像
この和宮像は、兵庫県議などを務めた中村寅吉氏が「日本女性の伝統ある美徳保持」を願って和宮像を造り、昭和初期に神戸の三つの高等女学校に寄贈したという記録が残る。一の谷公園の像は、その中の一つとみられるが、戦後神戸市の山中に放置されているのが見つかり、平成十二年(2000)に現在地に移された。
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