史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

東近江 Ⅲ

2023年02月04日 | 滋賀県

(ホームきたまちや)

 

市田邸跡

 

明治天皇御聖蹟碑

 

 東近江市五箇荘北町屋町のグループ・ホーム「ホームきたまちや」の入り口に明治天皇御聖蹟碑が建てられている。題字は東郷平八郎。当地は、近江商人の一人市田太郎兵衛のあった場所であった。市田家は、「丸棒」という屋号を持つ呉服を扱う商家であった。

 

明治天皇北町御小休所

 

 ホームきたまちやの向かいの小さな公園に明治天皇北町屋御小休所碑が建てられている。明治十一年(1878)十月十二日および二十一日に滞在。

 

(藤井彦四郎(善助)邸)

 藤井彦四郎邸は、藤井家三代目善助の邸宅で、屋敷地には、珍石、名木を配し、琵琶湖を模した池泉回遊式の大庭園と総ヒノキ造りの客殿と洋館、土蔵等が立ち並んでいる。私がここを訪れたのは午後七時近くで、既に公開時間を過ぎていた。

 

藤井彦四郎邸

 

藤井彦四郎像

 

藤井系店創業の地

 

 藤井彦四郎(善助)は、文政元年(1818)の生まれ。農業を棄てて行商をして一家を成した父の家業を継承し、明治維新に際して京都に近江屋なる店を開き、備後、周防をはじめ、大阪、紀伊、伊勢方面にも販路を広げた。染呉服、関東織物を商い、薄利多売主義で、利益の配当も三人連の行商なら三つ割という俗に「善助割」という有利な振合で仲間の協力を得、家業を伸ばし、公共事業にも多く寄附した。明治十八年(1885)、年六十八で没。

 

(金念寺)

 

金念寺

 

島村紀孝顕彰碑

 

島村紀孝墓?

 

 島村紀孝(のりたか)は、文化四年(1807)の生まれ。幼時は家塾で父の教えを受け、長じて彦根の長野義言(主膳)に国文学を学び、さらに京都の書家貫名海屋、岐阜の野々口(大国)隆正、八幡の西川吉輔らと親しく交際し、特に吉輔とは兄弟の契りを結んだ。島村家は代々郷里で子弟を教えた。これが心学舎系の松の舎塾で、紀孝が三十歳の時、もっとも栄えた。高弟に丹羽正雄がいる。和歌もよく詠んだが、長野義言が「市辺忍歯御陵考」を著わした時には実測調査に協力した。明治二十年(1887)、年八十一で没。

 

 この時点で、さすがに夏でも辺りが薄暗くなる午後七時を過ぎていた。サッカーのゲームでいえば、ロスタイムである。この日の史跡探訪はここまで。湖南市内に確保したビジネスホテルに急いで移動した。

 

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