史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

生野 Ⅱ

2010年10月03日 | 兵庫県
(口銀谷)


井筒屋

 生野の変が鎮圧された後、京都守護職松平容保は、御目付戸川鉡三郎を巡見使として生野に派遣した。同年十一月七日、戸川は生野に入り、太田治郎左衛門宅に宿を取った。一行の中には会津藩公用人廣澤富次郎(安任)の姿もあった。廣澤ら七名は井筒屋を宿とした。
 現在、井筒屋は、生野まちづくり工房井筒屋という名称でギャラリーなどに活用されている。


宮本池臣の書(左)

 宮本池臣は、竹田諏訪神社の神官。中島太郎兵衛は十九歳まで宮本池臣に学んだ。平野國臣とも交友があった。子息宮本采女も生野義挙に参加している。

毛路登毛尓(もろともに)知る遍支花を(ちるべきはなを)君能為(きみのため)
しはしのこ之(し)し 佐久ら井の佐登(さくらいのさと) 池臣

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「明治鉄道物語」 原田勝正著 講談社学術文庫

2010年10月02日 | 書評
息子と米沢・清川や会津若松、盛岡・一関など各地を旅行したが、方角が一緒でも目的が異なるので、いつも息子を駅まで送り届けたらあとは別行動、暗くなってから所定の駅で息子を拾うというちょっと変わった親子旅行なのである。目的の異なる両者が一緒に旅行するのだから仕方ないといえば仕方ないが、それでもうちの親父に言わせれば、“似たもの親子”だという。日の出前から出かけていって、帰ってくるのは決まって夜遅くという行動パターンだけみると、一緒じゃないかというのである。たまたまこの本を本屋の店頭で見つけた。普段はまるで重なり合うところのない趣味であるが、息子との会話に役に立ちそうな期待もあって読んでみることにした。
この本は、昭和五十八年(1983)に発行されたものが、四半世紀を経て文庫化されて再刊されたものである。二十年以上も前に書かれたものでありながら、読み易く整理されており、陳腐化は感じられない。私が成人した頃、JRはまだ“国鉄”と呼ばれていた。新橋-横浜間の開通はもちろん明治新政府が力を入れて推進した国家的事業である。以後ずっと国有鉄道で鉄道の幹線が整備されていたと思い込んでいたが、実は明治中期以降は財政難から私設鉄道が主流となっていた。その後、日露戦争前夜から軍事目的により国有化が急ピッチで進められたという。さっそくこのネタを息子に話してみたところ、「そんなことは知ってるよ」と一蹴されてしまった。「鉄ちゃん、恐るべし」である。
とはいえ、鉄道国有化の経緯以外にも、「中央線は何故、真っ直ぐなのか」とか、「京都駅の山陰本線のホームは何故、西のはずれから発着しているのか」などといった薀蓄話も散りばめられており、鉄ちゃんを子供に持つ親にはお勧めの一冊である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする