土曜日に出席した従妹の結婚式は、自分の妹が結婚するような、
何とも言葉で上手くいえない感じがあった。
3年前にたった一人の肉親である、従妹の母親の叔母が他界した時には、
この先『天涯孤独』になってしまいそうで、とても心配した。
叔母の葬儀の後で、埋葬をする墓地が決まっていなくて、訊いてみたら
叔母が信仰していた関係の墓地を考えていたらしいのだが、その場所が山梨の身延だと言う。
それを聞いて、僕は独断で我家の墓に伯母を埋葬させることにした。
墓の持ち主である僕のお袋には、伯母が亡くなった事を話せなかった上に、
兄、姉共に海外に居て、相談できるのは弟と兄弟同様の従弟だけ、本当に独断だった。
苗字が同じな事、僕の両親が結婚した当時、叔母はまだ小学生でお袋が可愛がっていた事、
何よりも、墓を一緒にすれば何かと集まり易いし、つながりが切れない。
色々考えた上で、決めた事だった。
一番喜んでくれたのが、結婚した従妹の母親代わりだったもう一人の叔母と、舎弟の従弟。
叔母は叔母で亡くなった実の母親の姉で、波乱万丈で連れ子を二人も抱えて叔父と再婚した。
叔父は、心優しい穏やかな東北人でやんちゃな従弟を実の子供のように育て、
さらに亡くなった叔母親子まで引き取って、当時2歳だった従妹を実の子の様に育ててくれた。
叔母は仕事で殆ど家に居なかった実母代わりに、学校の参観日や運動会などに出向き
叔父と一緒に実の子のように育ててくれた。
この結婚式で、その叔父が従妹とバージンロードを歩く事になった。
叔父以外に適役は居ないと、従妹も、親戚の誰もが思っただろう。
普段は職人である叔父の晴れ舞台は、着なれない燕尾服を身に纏って、
照れくさそうにしていたが、穏やか表情で素晴らしい顔をしていた。
『叔父さんも、これで報われた』って、僕はそれが一番嬉しく、感動的だった。
披露宴は結婚する両人が教員と言う事もあって、親族以外は全部教員。
まるで教職員大会のパーティーに紛れ込んだしまったかのような、『完アウェー』。
来賓の挨拶は両人が勤める学校の校長先生。
話慣れているという事もあるのだけれど、やっぱり話の内容は素晴らしい。
ただね、舎弟の従弟と二人で
『何だか、体育館に居るようだなぁ』なんて茶化したり…
そう云えば、結婚すると報告があった直後に、僕が従弟と一緒に
みんなに紹介させようと切り出したんだけど、従弟は
『ゆうちゃんと俺が居たら、ビビって破談になる可能性があるから、入籍するまで待とう』
と、結局今日まで我慢したのだけれど、これで晴れて従兄妹同士の集まりに呼べる。
当然、年齢的にも一番下っ端だってことを教えなければならないけれど
どうやら、体育会系の教員らしくそのあたりは大丈夫でしょう。
披露宴で紹介された、学校の先生が作ってくれたビデオが楽しかった。
今流行りのAKB48の『恋するフォーチュンクッキー』を生徒や、校長先生まで
照れながらダンスをしていた姿は、観ていて羨ましかった。
我家に来た時に、男性が怖くて怯えていた子供が、30年以上経って立派に結婚式を挙げた。
母親に見せたかっただろうけれど、叔父夫婦が親に代わって立った。
従弟が叔父夫婦に書いた手紙を読み上げた時、僕は涙が出て仕方がなかった。
心が温まる、良い結婚式だった。