『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

送別会

2014年03月26日 | Weblog
今日は、今の会社で一緒だった大先輩が雇用延長の最終日で、送別会でした。
この大先輩I森さんとは、もの凄く関わりの深い先輩で、思い出も沢山有りました。

I森さんと、最初に出会ったのはサッカー。
今からちょうど31年前になります。
その当時、僕は今の会社に『外注設計』として出入りしていました。
それで、毎日のように広いグラウンドでボールを蹴っている人達を羨ましく思って、
見ていたのですが、図々しい僕は、勝手に着替えて混じってしまった・・・。
その中のメンバーの一人がI森さんだったのです。

その後、会社のサッカー部に加わり、僕がセンターバックをやって
I森さんは左サイドバックをやって、いつも僕に怒鳴られてやってました。
怒鳴ると言うより、『後ろから声を出して指示しろ』と言われてやっていた
いわゆる『コーチング』と言われる類のものです。
その当時は会社のサッカー部も全盛期を迎えて、都リーグの1部目指して
2部で優勝寸前まで言ったんだけど・・・・・それが限界でした。

数年後に、僕が今の本社から引抜きを受けて正社員になってから、
職場で一緒に仕事をするようになりました。
まだ開発途中の装置の機械系の責任者として、電気設計の僕と色々相談して
装置を市場に送りだした思い出もあります。

Jリーグが出来る前の日本リーグや、天皇杯の試合をガラガラのスタンドで観たり、
サッカー以外では、北アルプスや関東近郊の山登りに出かけたり、
北アルプスでは台風の直撃を受けて、死にそうになったこともありました。
とにかく、一緒に行動することが多かった御仁です。

日本代表が初めてワールドカップに出場したフランス大会は、
一緒に観に行く約束で、13日間100万円のツアーを申し込んでいたのに、
僕が仕事でどうしても抜けられない状況になり、僕だけ直前にキャンセル。
I森さんは
『馬鹿者!仕事でW杯に行けないとは何事だ!・・・W杯で仕事に行かないのが世界標準だ』
と言って、一人で出かけたのだけれど、お土産にパリサンジェルマンの
クラブハウスで、ユニフォームを買ってきてくれて、今でも大事に使っています。

今の子会社に移ったときに、子会社の取締役をやっておられて、
色々な意味で、助けてもらったのも、本当に感謝しています。

沢山思い出が有りすぎて、いくらでも文章になりそう・・・・
なので、その他の印象的な教えや語録をトピックで。

会社の仕事:
『サッカーと同じ、試合はキックオフで始まり、笛が鳴ったら試合終了』
チャイムが鳴ったら、速攻でサッカーをやり、昼休みぎりぎりまで使う時の教え
肺炎になった時:
咳が出るのは汗のかき方が足りないから・・・・
その後、一生懸命に頑張ったけど咳が止まらず、肺炎になっちゃいました・・・・・
サッカーを見れば仕事も判る:
仕事がいい加減な奴は、サッカーもいい加減・・・・その逆も。
まだ有るけれど、このあたりでやめておきましょう。

I森さん、雇用延長のアディッショナルタイムも、ぎりぎりまでお疲れ様・・・・・
しばらくゆっくり休んでください。
コメント
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