3週間ほど前に、劇団のオバさまたちと会話していて、
僕が『陸湯(おかゆ)』と言ったら、誰一人解らなかった。
『陸湯(おかゆ)』とは、上がり湯の事で昔の木のお風呂についていた
小さな蓋のついたところにある、熱いお湯の事。
風呂からあがる時に、この綺麗なお湯を水でぬるくしてかけ湯にしていた。
今では、シャワーがあるから、こう云った事も無くなってしまい、
『陸湯(おかゆ)』という言葉自体が死語になってしまったのかも知れない。
この『陸湯(おかゆ)』
我家では、普通に使っていたので多分、東京の言葉だとは思うのだけれど
上がり湯の事を『陸湯』と書いて、船(湯船)から陸に上がる・・・・
という小洒落た言葉なのは、いかにも江戸っ子の遣いそうな言葉ですね。
うちの親戚では、こう云った洒落や駄洒落を良く使ってました。
今の人たちが言う『駄洒落』は、『語呂合わせ』と言って、
ちょっと笑いの格が下がるので、人前で言うのは憚ったりしたものですが
今はいい大人が、ひねりも面白くも無い『語呂合わせ』を『駄洒落』と言って
恥ずかしげも無く口にしてしまうところに、言葉の文化の衰退を感じます。
ちなみに神田の伯父などが良く話に使う言葉は、洒落や駄洒落満載で
傍で聞いていて解らない人が多かったり、聞き様によってはややこしいので
若い人には単なる『親父ギャグ』と称されてしまう事が多いのですが、
違うんだよなぁ・・・・
最近こそ言わなくなったけれど、婆ちゃんや芸者だった叔母などは
人に会って別れる時に「さようなら」とは言わず『ごきげんよう』だったり
トイレを『はばかり』と呼んだり、まさに江戸言葉の生き字引だったんだけど…
前出の『陸湯(おかゆ)』を知らないと言った、劇団のオバさまが
私は江戸っ子よ・・・・なんて言うもんだから、
『江戸っ子ってぇのは、河向こうとかの偽者が多いからなぁ』って
小馬鹿にしてからかったり・・・・・
ばあちゃんは他に、こんな言葉も良く使っていましたよ。
鼠が6匹だね⇒夢中
芸者の羽織 ⇒文(紋)無し
髪結いの正月⇒口だけ、言うだけの奴(結うだけ)
こっちは現役の伯父ですが・・・・
材木屋⇒木(気)が多い
ガソリンスタンド⇒油売ってる
その他にも沢山あるんだけど、なんせ伯父との会話はこんな感じで、
他人から見たら面倒くさい会話をしているのであります。