『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

今日まで何か引っかかっていたもの

2011年03月15日 | Weblog

今日はちょっとした用事があって、会社を休んだ。
午前中に嫁さんと買い物。
計画停電なんて騒いでいるのに、スーパーの中は煌々と電気が点いていて
こんなに明るくする必要があるのかと思ったほど。

午後に実家へ行き、また後片付け。
ついこの間、一ヶ月前までここに姉貴やお袋が住んでいたのが
誰も居ない家になった途端に、どんどん痛んで行く気がして
なんだか寂しい気持ちになる。

自宅に引き上げて、僕の部屋に居るお袋の位牌。
今日は、仏壇に置き去りになっていた親父と先祖の位牌に、
別の仏壇に入っていた祖父母の位牌を持って帰って
久しぶりにお袋と親父を一緒にしてやった。

位牌を並べた後ろに、お袋の笑顔が写った写真。
お袋が嬉しそうにしているように見えるから不思議。
本当は仏壇に入れてやらなくちゃいけないのだろうけれど
まずは放ったらかしになっているよりはマシかな?って。

以前は、人が亡くなったらそれで終わりって思っていたけれど
お袋が亡くなってから、そういう感覚が無くなって
位牌がお袋の一部に見えてきた。
先祖も含めて、親父が居て、お袋が居て、今の自分が居るって
そんな事を感じさせられるようになった。
マザコンって言われそうだけれど、自分にとってお袋の存在が
本当に大きなものだったって、今頃になって気がついた感じ。

こういう感覚を持っているのが、日本人なのかな?
位牌を並べてみて、お袋が亡くなってから、
今日まで何か引っかかっていたものが
ひとつ解消されたような、そんな気がした。

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こんなの大した事は無い

2011年03月14日 | Weblog
今朝はJRが動かなくて参りました。
駅に着いたら、警察官が駅へ入れてくれなくて
列の後ろに並んでくださいと案内している。
何でも、30分に一本の割合でしか電車が動かないらしく
並んで順番を待つことになった。
一時間並んで、進んだ距離が100m。やっと駅が見え始めた。

話では駅で電車に乗るまで2時間以上かかると言う。
それで、諦めて自転車置き場から自転車で会社まで行くことにした。

片道22km、自転車で約1時間半で何とか会社に到着。
若い連中が休憩時間にタバコを吸っているところに登場!
何でも「今日はたぶん来ないだろう」って話をしていた最中に
自転車をぴょんぴょん跳ねさせながら眼前に現れたものだから
若手たちは、びっくりした上に大笑い。
「タイミングが良すぎて、ドラマみたいだった」って言っていた。

会社は輪番停電に備えて、パソコンはお昼まで使用して電源を切る。
夕方から「災害対策会議」が開催され、今後の対応やら、
年度末の製造に必要な従業員の確保などが話し合われ
場合によっては、ホテルを確保して暫くホテル住まいしてもらうとか
通勤方法を提示してもらうとか、とにかく大変な事態になった。

僕は自転車で通うつもりだが、体力的に大丈夫か?とか
普通の会社は、時間通りに出勤するのが当たり前なのだが
僕の会社は、個人に負担を極力させない。
真面目な話、本当にいい会社だなぁって思うのですよ。

帰宅は1時間20分で自宅に着いた。
意外と気分転換になって、面白かったかな?
前から自転車通勤を考えていた事もあるんだけれど、
これをきっかけに、そうしても良いかなと思った。

帰宅後は、昨日の日記に書いた小銭を寄付しようと数えてみた。
5円玉が160枚で800円。

1円玉が860枚で860円
これを100枚単位で、紙でくるんで・・・・
 
子供の頃に、集金したお金をまとめた時の技です。

会社にも300円ほどあるから、合わせて2000円くらいになりそう。
国民一人が1円寄付したら1億円になるんだけどなぁ・・・
なんで、募金とかで数百万円しか集まらないのか不思議です。
とにかく、自分に出来ることを普通にする。
1000円札を一枚出しても良いのだけれど、元々こういう時のために
貯めていた不要な死んだコインだから、これでお金がまた生きる。

自転車通勤だって、被災した人たちの苦労や苦しさに比べたら
全然大した事は無い。生きていて、ご飯が食べられるだけで
本当に有り難いし、贅沢だなぁって思う。
被災者のために、出来ることから始めよう。
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こんな事をやってて良いのかなぁ?

2011年03月13日 | Weblog
今日は芝居の稽古。
一昨日起きた、大災害で悲惨な状況にある人が数万人いる反面
我々のように、暢気に芝居の稽古なんぞをやっている人もいる。

じゃぁ、止めたら良いのかっていうと、そうじゃないと思うな。
止める事で格好つけている人がいるけれど、そんなことをしても
何も変わらないのですよ。
普段どおり、生活ができる事に感謝しなくてはいけない。

ただね、劇団もいい歳をしたおじさんおばさんが居るのだから
災害に対して寄付だとか、物資を送るとかいったこと
考えてもいいんじゃないかなって思ったりする。

6月に開催する公演のチケット代の一部を寄付するとか
来場者に募金を呼びかけるとか・・・・
大人の劇団として、何か出来ること・・・
というよりも何かしなくちゃいけない気がするな・・・

なんだか、自分の懐から何かを出すのが嫌な人が多くて
とても『大人の遊び』をやっている劇団には見えないんだけれど
そういうことをやれたら、劇団のステータスも上がる気がする。

ステータスを上げる為にそういう事をするのは売名行為で
むしろ批判されるだろうけれど、こういった状況のときに
我々『大人』の真価が問われる気がします。

台詞も覚えてこないで、暢気に稽古をやっているような人には
そういう事を求めても、無理な話なのかも知れないけれど、
今日は「こんな事をやってて良いのかなぁ?」なんて
思いながら、稽古に臨んでいたのであります。
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一夜が明けて・・・

2011年03月12日 | Weblog
昨日は何とか帰宅したけれど、兄弟や親戚の安否を確認するためとはいえ
12時過ぎの非常識な時間帯に電話してしまった。

朝起きて、親戚全部にメールを出して安否の確認をした。
なにも自分がやらなくても良い事なのかも知れないけれど
大きなお世話と言われても構わないからとりあえずやってみた。

そうしたら親戚の反応が凄く良くて、皆無事に済んだという情報が来た。
母方の親戚も、父方の親戚も我家では分け隔てなく付き合っているから
メールでそれぞれの安否を連絡してあげたら
「ご苦労様、連絡ありがとう」って、返信が来てちょっと嬉しかった。

でも、逆にツイッターの情報を鵜呑みにして、
何度も連絡してくる人間が何人か居た。
そういう事をしそうな人のリストを作ったら
間違いなく重複するだろうな・・・・って思いながら見ていた。

市原のLNGが爆発した話も、『化学物質が雨に混じって降る』
なんて、情報を3人ほど送ってきたけれど、僕にしてみれば
LNGって、そういう心配がないガスじゃなかったっけ?
なんて、単純に思ったりするから僕の場合は、そういう情報を
自分で調べて確認しない限り、簡単に横流しなんて出来ない。

そういったガセネタを垂れ流しては、訂正メールを送ってきたり・・・・
そういう受け売りをする人間って、普段会ったときの会話や
言動を思い出すと不思議なほど「こいつはやりそう」って言う人と、
一致するから面白い。
正直な気持ちを言うと『信用できない奴』っていう部類に入ってしまう。

僕はとにかく、何か出来ないかな?って思う。
姉貴は豪州でJCS(Japan Club of Sydney)としての
義援金集めの活動を始めると言っていた。
やっぱり、姉貴は国費で日本人学校の教諭をしてきただけのことはある。
まずは、ここ数年間で貯めた一円玉と五円玉が一杯に入った
「小銭募金」を寄付しようと思う。
数千円はあるから、死んだお金が生きるんじゃないかってね。
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M8.8の歴史的な大地震

2011年03月11日 | Weblog
はっきり言って、身の危険を感じた地震は初めて。
上司のデスクの前で立ち話をしていた最中に突然ぐらり。
空いているデスクの上に、液晶ディスプレイが3つ置いてあって
それが落ちそうなので押さえに行ったら、今度は隣のデスクトップが
落ちそうになって、空いてる手でそれを押さえたんだけれど
床ががたがたして、抜け落ちるんじゃないか?って
自分の部下たちも、途方にくれているので大声で
『とにかく机の下に入れ』って怒鳴って・・・・

落ち着いたら、非常口のドアを開けて避難経路を確保。
非常階段から見える、社内の池の水があふれているのが見えて
この地震の凄さを感じた。
子供の居る部下を帰宅させ、心配なものは帰宅を許可した。

とにかくゆれが長かった上に、その後も1時間以上ユラユラ。
デスクで仕事を続けていたら船酔いみたいになってきて
隣の女の子が、気分が悪くなってしまい帰宅させた。

電車が全て止まって、帰宅のすべが無くなったけれど
今日は恩人の元社長の慰労会を部課長以上で料亭にて宴会。
始まる前に宴会の終わる時間に合わせてタクシーを手配してもらって、
方向別に相乗りして帰宅。
3時間以上かかったけれど、苦労することなく帰宅出来た。

しかし、命の危険を感じた瞬間は本当に怖かった。
自然の力には、どうやっても勝てないよなぁ・・・・
人間なんて、本当に非力だって痛感した。
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当たり前・・・・

2011年03月10日 | Weblog

【極刑確定へ】連続リンチ殺人元少年の3被告に死刑 最高裁判決
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110310-00000034-maip-soci

ついこの間、大好きだった母親を亡くして、『命』の大事さ、
生きるという事の大事さ、そして生きている間に
もっとしてやりたかった事や、してやれたことなどを考えていた。
それだけに、他人の命を奪う行為をする人間には、全く同情出来ない。

死刑について、賛否両論があるけれど僕は死刑賛成派。
人を殺めた人間に、生きる権利とか人権とか言う資格なんか無い。
そんな事を認めたら、殺された人間の人権や生きる権利はどうなるのよ?

遺族に償いたいなんて、手紙を書いたりするみたいだけれど
そんなの情状酌量を狙って、あわよくば減刑なんて事を考えていると
詮索されても仕方が無いし、それを否定できるものが何も無い。
被告の支援者は「最高裁に更生した姿を見てほしかった」と言っているらしいが、
そもそも、遺族も語っているように、死刑以外の償いなんて『被害者を生き返らせる』以外に方法は無い。
遺族は、二度と帰ってこないと言う事実を受け入れるしかないのだから、人権を侵害されているのですよ。

人を殺した以上は、殺された人間の恐怖や、無念さを
死刑になるまでの時間で、嫌と言うほど感じて反省して、
刑に服すしかないんじゃないの?

日弁連の『遺憾』発言も、加害者の立ち直りを重視してのことらしいが
こんな身勝手な奴らを、更正させてやる必要なんか全く無い。
加害者の立ち直りより、被害者の立ち直りを重視しない社会はおかしい。

中には、痴呆老人を抱えての殺人とか、同情できるケースも有るけれど
それでも、殺人には変わりない。
法曹界の人は、人を殺して、許されるケースなど無いのだと言うことを、
声を大にして言わなければならない。

このニュースを見て、遺族の無念が晴らされたと思ったら大間違いだ。

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あぁ、老眼・・・

2011年03月09日 | Weblog

今日はうっかりメガネを忘れて、会社に行ってしまい
午前中は会議だったので何とかなったけれど
午後は書類は見えない、図面も全く見えないうえに
メールも読めなくて本当に困った。

元々。『アフリカ人』とまで言われ、電車で向かい側に座っている人の
新聞を読むほど目が良かった僕は、メガネなんていう煩わしそうなものに
縁があるなんて、全く思っていなかった。

実際、目の検査で使う上や横に割りの入った円とか
小さな文字の書かれたシートを使って、規定の2倍の距離で
けんさをしても、一番下の2.0の文字が識別できたくらい。
仕事の仲間が、僕の目は『分解能が高い』と絶賛していたほど
本当に視力が良かった。

目が悪くなり始めたのが、コンピューターで回路図を描く
CADを使うようになり、急激に視力が衰えた。
それから10年で、いまやメガネが無いと自分が書いている文字すら
判らないくらい、本当に目が悪くなった。
老眼だから仕方が無いけれど、コンピュータを使わなかったら
どうなっていたのかな?なんて考えることが良くある。

とはいえ、今日は先週から女性に頼んでいる古い図面の
CAD図面化の手伝いを買って出て、午後から久しぶりに
CADを使い始めたのだけれど、元図が良く見えない上に、
CADの画面も、相当拡大しないと描いているものが見えなくて
2時間ほど作業をやったら、目の辺りが痛くなってきて
しまいには頭痛がしてきてギブアップ。
あぁ、老眼が恨めしい・・・

まぁ、僕がやらなくても女性がやってくれるんだけれど
先週、若手の男子社員が僕が描き直した図面を見て
『さすがに、判りやすくきれいに描き直すなぁ・・・』って
感心して観ていたのに気を良くして、スケベ根性出したんだけれど・・・

極めつけは、頭痛がしたので定時間で帰宅した僕に
『何でこんなに早く帰ってくるの?』と言った嫁さん。
えぇ・・・・、
出来れば残業代も貰えない仕事をもっとして、
遅く帰ってきたかったですよ・・・

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最後は、いつもこの人

2011年03月07日 | Weblog
理由は判らないんだけれど、なぜか眠い。
眠いこと自体は、いつものことなのだけれど、
眠気の質が違うんです。

先週の土曜日に母親の納骨が終わって一息ついた。
何か、肩の荷がひとつ下りたような感覚。
兄貴が海外に居るので、代役として兄弟、親戚の先頭に立って
遺産の整理やら、葬儀の後処理やらに追われていた。

49日の法要で、一区切りついたっていう感じが
緊張していた気持ちから解放されたって言うのかな?

翌日、芝居の稽古に出かけて気分転換しようと思って
台本をきっちり読んで出かけたのだけれど
芝居というのは一人で出来ないから思うように行かない。
そういう意味で、すごく緊張した稽古だったし
全くと言っていいほど、芝居の稽古を楽しめなかった。

気分転換どころか、別の意味で疲れが溜まってしまって
週明けを迎えてしまった感じ。
やっぱり、以前のように毎日、昼間にサッカーをやって
生活のリズムを取り戻すことが一番だって、そんな気がする。

あいにく今日は雨から雪が降って、サッカーは出来なかった。
明日は晴れたらサッカーを再開しようと思う。
平日は、昼間にサッカーをやって汗を流す。
週末は芝居や音楽で気分転換しながら、心に刺激を与える。

やっと、自分の生活を取り戻すときがきたっていう感じ。
しかし、やっぱり眠い・・・・
簡単には、元に戻りそうも無い。
相方が『土日は空けてあるよ』って、メッセージをくれた。
最後は、いつもこの人が助けてくれるんだよね。
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素人なんだから・・・

2011年03月06日 | Weblog

昨日、納骨が終わって今日から芝居の稽古に復帰。

ずっと休んでいたので、せめて台本を手放しておこうと
休んでいる間、ずっと台本を読んでいた。
唄やダンスも、思い出しながら練習してきたけれど
いざ、実際に稽古へ参加するとやっぱり簡単には行かないね。

台詞を一生懸命に暗記しても、相手役がいると喋り方も変わる。
間合いや言い回しで、相手役と作る芝居の雰囲気がガラリと変わる。
そういった稽古でどんどん芝居が変わって行くのが楽しいのであって、
台本を片手に稽古をやっていると、いつまで経っても、
芝居に活気や哀愁といった感じのの『いのち』が宿らない。
生意気なようだけど、そんな気がします。

唄も同じかな?
休んでいる間に、譜面を見ながら個人練習してきたんだけれど、
今度の曲は、二人で唄ういわゆる『コーラスする』部分があって、
相方と散々コーラスをやってきた僕は、少しばかり自信があった。
でも、蓋を開けてみると全然コーラスしていない。

コーラスの部分で、相手のメロディーが聞こえない。
これは声が大きいとかの問題じゃなく『ハモっていない』のです。
声のトーンや音がきっちり合うと、相手の声と自分の声の
区別がつかなくなる。まさに『ハーモナイズ』した時のコーラスは、
思わずニヤリとするほど、気持ちの良い瞬間になる。

そういう状態になるには、とにかく練習を重ねて相手の声や癖を知って、
初めて出来る業って言う感じがする。
プロの歌手の凄いところは、それを最初からやってしまうところかな?
でも、僕らはプロじゃないんだから練習するしかない。
難しいのは僕と女性のコーラスだって言うところかな?

キーの問題もある。
女性にはちょっと高くて、僕には一音くらい低い。
低いキーで唄うと、なぜか息が続かない。
これも素人だからなのでしょう。
自分のキーで唄えても、キーが変わると途端に余裕がなくなる。
『ホーム』と『アウェイ』っていう感じかなぁ?・・・・
練習すれば、凄く良くなる感じがしたから、僕も練習しなくちゃ!!

久しぶりに稽古へ行ったけれど、楽しい半面、不愉快だったり・・・。
稽古に出てこないメンバーが、主だった役をもらっているから
なんだか、馬鹿にされているような気分になる。
うがった見方をすると『自分は上手いんだからいつでも大丈夫』
って思っているんだろうなって、考えてしまう。

そういった配役にした演出も、結局は芝居の評判に対する色気が出て
来ない『上手いメンバー』に頼った『受けの良い芝居』を作っている。
それは演出家が当たり前に持つ、感覚なんだろうとは思う。
ただ、僕は初めて見た劇団本来の
『素人が一生懸命やって、観ている人に元気を与える芝居』
の本質を、何処かで忘れている気がする。
そんな劇団に、だんだん魅力を感じなくなってきたと言うのが本音かな?

サッカーで上手い奴が、試合の時だけ来て活躍して試合に勝っても
いつも一緒に練習してきたメンバーと試合をして負けた時の
楽しさには勝てない時が良くある。
それは一体感とかそういった部分なのだろうけれど、それに似た感覚。
結局、サッカーが好きだから僕は自分でチームを作って
勝ち負け以前に、皆が笑顔で帰って行くチームを作った。
得てしてそういうチームは、それなりに強いんだよね。

大人の金をかけた遊びに、楽しさ以外の不快な部分があったら
我慢して続ける意味は無い。素人なんだからね。

僕は自分が楽しく演技が出来るよう、個人的に頑張るだけ。
稽古は頑張るんじゃなくて、芝居を楽しめば良いし
そういう処から、結果的に良い芝居が作れる気がする。

次の稽古は、もっと楽しめるかな?
僕次第だな・・・・。

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散骨なんて、想像できない・・・・

2011年03月05日 | Weblog
納骨で、お袋を郊外の墓地に置いて帰って来た。

3週間、自分の枕元に居たお袋。
毎日、独り言で話しかけたり、朝晩の挨拶をしたり・・・・
声は聞こえない、手を握ってやったり出来ないけれど
火葬して、骨だけになってしまっても、
僕の枕元に居るのは、やっぱりお袋。

昨今、外国の真似をして海に散骨するような葬儀があるらしいけれど
僕にしてみれば、骨になってもお袋の体の一部。
それを海に捨てるなんて、自分の頭では考えられない。

何時だったか、散骨をめぐっての記事を見たことがあるが
その記事の中では、『後悔している』といった人が結構あった。
散骨をしたいという人に『やめておけ』といった事も書いてあった。
ただ、今のように庶民が墓を作るようになったのは、
江戸幕府の民衆統制制度として檀家制が敷かれてかららしく
もともと墓を作るというならわしは日本古来のものではなく、
かつては一部の上流階級を除いて、庶民は遺体を
海や山に捨てるのが普通だったようだ。

でもねぇ、他人様はともかく、自分の親に対してそれは嫌だな。
僕にとってお袋は、体こそ骨だけになってしまって、
いまや電話の向こうから声も聞けなくなったけれど
やっぱりお袋の体の一部なんだよな・・・・

お袋の遺骨を、27年ぶりに親父の隣に置いてやった。
お袋が58歳のときに亡くなった親父。
あれからずっと一人で頑張って生きてきたお袋。
死ぬ直前まで、『生きるんだ』という強い気持ちで頑張ったお袋。

亡くなる直前に『もう良いよ。よく頑張ったね』と言ってやったけど
そんな事を言った事が、辛くて今日まで来た。
お墓の中で、また夫婦仲良くやって行ってくれるだろう。

今夜から、新しい位牌が僕の枕元に置かれている。
また、位牌に向かってブツブツ話している自分がいる。
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いよいよ納骨

2011年03月04日 | Weblog

明日の納骨は、自分が仕切るので準備が大変。
お布施やら、法要費用やら用意しないといけない。

夕方、新宿の高島屋まで出掛けて、香典のお返しの確認と支払い。
金額も高額のうえ、現金で持っているので、早く支払ってしまいたい。
高島屋が注文リストを元に、送り先の確認をしたところ
文字が違っていたりで、こちらより良く調べている。
やっぱり歴史あるデパートは信頼できるなぁって、感じたのです。

帰宅してから、お寺さんにお渡しするお布施を入れる袋が無いのに気がつき
急遽、近くのスーパーまで出かけて何とか無地の袋をゲット。
自筆で『お布施』って書くのに、何度も練習して筆で記入。

そのほか、納骨費用、墓の名義変更費用、弟に頼んでいた手土産の代金、
納骨後の会食の費用を、全部仕分けして確認。
持って行く金も50万円近くになるのでちょっと心配。

お袋の白木の位牌と、新しい位牌、写真や埋葬許可証の確認をして
墓の『永代使用許可証』も忘れないように準備。
やっていることが、まるで遠足の前日。

それでも、弟と一緒に準備をしてきたので大丈夫でしょう。
天気も良さそうなので、無事終わることを祈っている。
たった、3週間だったけれど、お袋を枕元において
一緒に居られて、良かった気がする。

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馬鹿になるか・・

2011年03月03日 | Weblog

最近、何もしないで居る自分にイライラする。
サッカーも、この一週間やっていない。
昼にグラウンドまで出て行く気持ちがいまひとつ沸かない。
会社の同僚も、『あれ?今日も行かないの?』って訊いて来る。
こんなに、気持ちがサッカーに向かないのは初めてのこと。
体調がいまひとつなのも、サッカーをやって生活のリズムが
何処か狂っているからなのだろうと思う。

芝居の稽古もずっと休んでいる。
あんなにワクワクしていた週末が嘘みたい。
今は、平日に出来ない葬儀の後処理や納骨の準備があって
時間的に余裕が無いのは事実だけれど、それでも何処か
『面倒臭い』といった、気持ちが腰を重くしている。
劇団に対する不満とか、今まで我慢していたことが
こういう状況になると、増幅されちゃう気もする。
これも、普段の自分じゃないって感じている。

あんなに練習してきた相方との音楽活動も、
ついに一年間、ブランクに近い形になってしまった。
それでも毎日、ギターを弾いているからまだマシかな?
でも、一人で弾くギターなんてちっとも楽しくない。
去年、録音した音源を毎日聞いて居るのだけれど
それを聞くと、本当に楽しそうな会話や歌声があって
早く元通りの活動サイクルに戻りたいと思っている。

何処かの酔っ払い親父がこの日記を見たら
『グタグタ言ってる間に、やりゃぁいいじゃねぇか!』
って、またきついお叱りが飛んで来そう。

そうなんだよ。
何かひとつ始めれば、すぐに元通りになるのは判っている。
芝居だって、決して嫌いじゃないし、稽古に行けば笑顔になる。
笑顔になりに行けばいいのだ。
サッカーも汗をかいて、怒鳴りまくっていれば、間違いなく
『あぁ、いつもの五月蝿いオヤジが帰ってきた』って
別の意味で歓迎され、『また、明日』って仲間と笑顔で別れて来る。

音楽は、相方と会えば全てがリスタートされる。
打ち合わせなんかしなくても、楽しい時間が作れるし
今まで、楽しくなかったことなんか一回も無い。

そういうことが判ってるんだけれど、なぜなのかな
週末に納骨が終わったら、また違う生活になるんだろうか?
何がどうなって、今の状況なのか?
そんなこと考えるから、駄目なんだろうな・・・・

いつも通り、馬鹿になるか・・・

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「嫌だなぁ」

2011年03月02日 | Weblog
今週末は、お袋の納骨。
姉貴が帰国して、その日からずっと僕の部屋に安置しているんだけれど
これも、今週末でお別れになる。

オヤジや祖父母の時は、感じなかったことなのだけれど
墓に安置するのが、僕にとって「墓に置いてくる」といった感じがして
お袋の納骨の日が来るのが嫌で仕方が無い。

位牌を守ってやれば同じだろうと思っていたのだけれど
日が近づくにつれ、「嫌だなぁ」という気持ちがどんどん強くなる。

毎日、帰宅するとお袋の写真と遺骨に向かって
『ただいま』とか『今日は寒かったよ』とか
ブツブツ話しかけている自分がいる。

そのくせ、夢にお袋が出てくるわけじゃない。
母親の存在が、こんなに大きかったのかと思うほど
寝る前にもなにやら、独り言でブツブツ話しかけている。
そんな自分に対しても、ちょっと戸惑っている。

お袋が亡くなる前に、姉貴は3ヶ月間ゆっくりとお袋と話が出来た。
兄貴もブラジルへ旅立つ前に、お袋と最後の会話を交わしている。
僕はずっとそばに居たつもりでいたのだけれど、
振り返ってみたら、お袋と話をしていたのは入院して暫くの間。
姉貴が帰国してから、お袋と話をする時間も余裕も無かった。

もう少し、お袋と話をしておきたかった。
今となっては、自分の独り言を聞かせているだけで
何処かに、心残りがある気がする。
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MONTBLANC(モンブラン)

2011年03月01日 | Weblog
今日は、49日の法要後に発送する「香典のお返し」を注文しに
定時で会社を出て、従姉妹の勤める新宿高島屋へ行って来た。

新宿も随分と様変わりして、高島屋は
一番東京よりの階段を上がっても、さらにその先。
ちょっと遠い感じがしたけれど、雨が降る中でも
濡れずに行けるところが素晴らしい。

10階のギフトコーナーで、従姉妹に紹介された担当者と相談して
130人分の香典のお返しを注文してきた。
何せ、130個ともなると金額も半端じゃないから、
信頼できるところに頼まないと、恥をかいちゃうからね。

打ち合わせの後は、久しぶりにデパートをウィンドウショッピング。
最近はスーパーマーケットや、駅ビルのテナントでの買い物が多いので
こうやってウィンドウショッピングしながら、
品物をじっくり見るのは、本当に久しぶり。

ユニクロのラフな服装で歩くには、ちょっと恥ずかしい高級感が
なんだかたまらなく、ワクワクさせてくれる。
子供のころは『余所行き』の服を着て、デパートに出かけたものだが
そういう緊張感みたいなものが、凄く良い。
当然、100円ショップやスーパーでも売っているようなものは興味をそそらない。
併設されている「東急ハンズ」ですら、なんだか違和感を覚えた。

そんな中、以前から行きたかった万年筆売り場へ足を運ぶ。
僕が毎日つけている当用日記は、万年筆で書いている。
ボールペンは先が固く、鉛筆はみすぼらしい。
サインペンや、水性ペンも万年筆で書いた質感とは違う。
万年筆の触感って言うのは、毛筆に通じる柔らかさがあって
筆圧に応じて、ペン先の固さを自分で好みのものにする。
新しい万年筆が、自分の手に合うようになるには、
毎日使っても、2~3ヶ月はかかる。
ペン先が、書き方に馴染むと言ったほうが、正しい表現かもしれない。

で、僕の万年筆もペン先が開いてきて、インクが出すぎるので
修理に出してみようかと、万年筆売り場に行ってみた。
10年前に買った1万円のプラチナ万年筆(写真右)。
売り場の女性が、丁寧に対応してくれて修理代を見積もってくれる。
ペン先交換をすると、7千円。新品との差額は3千円。
これを、地元の文房具屋に見せると「買ったほうが安い」と言われる。
デパートの良い所は、こういう状況でも
決して押し付けがましいことを言わないところ。
お客の意思を、尊重して考えを引き出す。

おっと・・・、ここで話に乗ってしまうと自分から言い出しているだけに
後に引けなくなるのです。
デパートのこういった、余裕の商売って言うのかな?
そういうのが凄く好きで、単なる安い買い物では味わえない
顧客満足度を味あわせてくれる。
元来、僕は車ですら値引き交渉なんてしたこと無いから、
余計にこういう、気持ちの良い買い物を出来るのが好き。

それで、プラチナの万年筆はもう暫く使って決めることにした。
そして、もう一本。35年前に親父が買った形見の万年筆『MONTBLANC』(写真左)。
これは2年前まで使っていて、さすがにペン先が駄目になっちゃった。
これを3階にある、モンブランショップで見たもらったら
修理代が2万3千円。でも、木製のグリップの旧式モデルを
今でも使っている人が多いそうで、恥ずかしい感じがしなかった。
むしろ、店員が『大事に使ってくれてありがとうございます』
と言った、対応でついつい新品に目が行く。

若い頃、大人になったら欲しいものに
『Martin』のギター、カルチェのライター、ゾーリンゲンの髭剃り
鹿革のジャケット、革の手帳、そしてモンブランの万年筆があった。
これらは一応、全部手に入れたがモンブランだけは親父の形見。

いつかは自前のモンブランが欲しいとずっと思っていた。
僕の欲しい『マイスターシュテュック ル・グラン 146』
は定価73500円。
ちょっと、購買意欲をそそられてしまった万年筆でした。
いつか、欲しいなぁ・・・・
でも今時、万年筆なんて金をかける必要なんか無いのかもね?
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