『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、楽しく生きる事
周りにも笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

劇団ステージドア・『今日の特訓』

2014年06月14日 | Weblog

いよいよW杯も始まりましたね。
開幕戦はブラジルがクロアチアを破り順調な滑り出し。
負けたクロアチアの監督が、この試合の審判を担当した日本の西村さんのPK判定に、
痛烈な批判を浴びせていたが、僕からすればどちらとも取れる判定。
立場が逆ならば、反対の事を言うのだろうから、いい加減なものです。
所詮は負け犬の遠吠えみたいに、見苦しいコメントにしか見えなかった。

さて、今日の稽古は昼から夕方まで、狭い部屋しか取れなかったため
男性陣は3時半から集合でした。
とはいえ、遅れると嫌なので3時には到着したのだけれど、部屋が狭いので
同じフロアにある新宿区の図書館で時間つぶし。

行ってみたらなんと、おじさん達が皆来ていて本を読んでいる。
図書館だからお喋りも出来ないで、それぞれが黙々と時間を過ごす・・・・
結局、4時まで待たされて残りの1時間でやれる事と言ったら限られて、
やったのは冒頭のシーンの芝居だけ。

先週は町長役のエドさんが休んで、台本と振付が変更になったのだけれど
その台本の部分で、隊長ジミーさんが『納得行かない』と、意義を唱える。
この人、凄く台本の細かいところまで読んでいるのが判るんだけれど、
どうでも良い事までこだわる癖があって、こう云う時に面倒臭いんだよね。

あれやこれやで、一時間しかない時間がどんどん無くなってしまい、
結果的にほんの少しだけしか稽古が出来なかった。

僕は台詞の中の一言に拘ったところで、台詞を間違えたら終わりだと思っているから
そう云った事にはあまり拘らないし、そんな事は稽古の空き時間にでも
話し合えば良い訳で、ちょっとイライラしたかな?

サッカーの練習用にグラウンドを1時間取ってあったとする。
台本の変更は『戦術変更』だから、事前にすべき話。
ところが、そういう細かい話はこう云った練習の本質に関係ない
『何色のユニフォームを着るか?』と云った事で、揉めて練習が始まらないようなもの・・・・

限られた時間で、やるべき事は何なのか?
という観点で物を考えないと、無駄な時間ばかり費やすのですよ。
これは個人練習をして来ない人と同じ。
全体練習で、個人の練習に付き合わされるのと同じです。

それと唄が遅れるオジサン3人(本当は4人なんだけれど…)に、4拍子の裏打ちを
どうやって覚えさせようかと、考えた『特訓』をやってみた。
い~ち、に~い、さ~ん、しっ『パン』と、4拍目の裏で手拍子を打つ。
アフタービートと言っても判らないし、頭で考えるからやっぱり遅れる。
それで、体で覚えて貰うしかないと考えた策なんだけれど・・・・・

これで少し感じが掴めたら、少しずつテンポを早くして行く。
まだまだ早くすると遅れるけど、少しずつ良くなってきました。

でも、これに音楽に自信のあるエドさんがケチをつけて、
『こうやってカウントするんだ』と言い始める。
僕はそれを聞きながら、『体で覚える事が目的』と受け付けないから、
ちょっとした不穏な空気が漂う。

エドさん、東大出のエリートだから自分の言う事に自信があって
人の意見を聞かない悪い癖がある。
エドさん自身も、僕が効いている限りエッジの聞いていない声で唄うから
遅れて聞こえるんですけどね・・・・・

とにかく、オジサン達には練習しかありません。

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レベルの低い人々

2014年06月13日 | Weblog

この一周間で降った雨は平年の2カ月分を裕に越えるそうだ。
去年、大島で起きた土砂災害もすでに一年が過ぎてしまった。
東北の震災復興に関するニュースも、殆ど聞かなくなっているし、
そのくせ、どうでもいいAKBの総選挙なるニュースをNHKがやってみたり・・・・
最近は自民党が躍起になっている「憲法改正」問題ばかり。

日本のマスメディアは、文章能力、資質、倫理観などが欠如している者でも
「ジャーナリスト」と自称して居る時代。
かつての梶山季之、草柳大蔵、竹中労、五島勉、吉原公一郎、大下英治などのような、
骨太の人間は居なくなった。
フリージャーナリストの草分けだった黒田清は
「ジャーナリズムの基本は伝えることではなく弱者の訴えを代弁する事」を信念と
していたのは、遠い過去の時代の話のように感じたりする。

東北の『震災被災者』と『原発事故の被害者』も今や、ゴチャゴチャにされて
悲しいかな、被災者や被害者の現状を伝える報道はどんどん減ってしまっている。

去年、東北の大船渡と陸前高田を自分の目で見てきたが、とにかく復興には時間がかかる。
それに利権やら、自治体や国の思惑などが絡み、被災者は何処かに置き去りにされている感じがする。

『原発被災者』に関しては特に胸が痛む思いでいる。
こんな言い方をすると、誤解を招いて、批判されそうだが、
そもそも『震災被災者』と『原発の被災者』とは同じ被災者では、内容も質も違う。

『震災被災者』は、金と人をかければ元の生活に戻れる希望がある。
だからこそ、特別な方法で金と人を大量に投入して早く「元の生活」に戻してあげるのが
被災地に住み続ける人に対する国のやるべき事だと思う。

対して『原発事故の被害者』は『震災によって起きた事故の被害者』なので、
『被災者』とは全く違う『被害者』なのである。

放射能の影響で、帰りたくても自分の土地に帰れない。
そして、事故の後始末も全く進んでいない。
廃炉には数十年、除染して再び住めるようになるにはかかる・・・・・
と云う事は、少なくとも僕と同じ世代の人たちは生きている間に戻る事は不可能だろう。

それなのに、これです。
<除染しても線量下がらず>
除染目標値 毎時0.23から0.4~0.6マイクロシーベルトに引き上げ(環境省と福島4市)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3762.html

人の命の安全より、目標値を下げてでも目標達成と云うキャリアの方が重要な人たち。
こんな連中を選挙で選んでしまった人間にも責任があるのでけれど、
こう云う連中は、その場所に住んでみろと言いたい。

でも、僕の会社にも似たような輩が沢山居るんだよね。
装置開発目標の仕様値が達成できないと「影響ないから」と言って目標値を下げてしまう連中。
じゃぁ、最初の数値はなんだったの?と言いたくなるのだが、こういう輩も
仕様を満足したという結果が欲しいだけ。
レベルが低いです。
こう云う連中は、この福島をめぐる話は批判できないよなぁ・・・・・

除染作業に携わる人たちの苦悩を考える事があるけれど、その苦しさは想像できない。

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『技術者としての転機』

2014年06月12日 | Weblog

さて、あと一日でまた週末です。
劇団の公演まであと3週間。稽古が出来るのは2週、4回になりました。

今年で最後になる青山円形劇場での公演。
他に類を見ない形状を自由に変えられる舞台を、いとも簡単に壊してしまう
日本の政治家たちの感覚には、本当に呆れるばかりです。

ここへきて、東京オリンピックの施設を見直すと言う話が出ているらしい。
国立競技場が新築の為に、使用が終了したばかりだけれど、
あのあたりは景観ががらりと変わってしまうので、
建築家などから建設に反対する意見が多かった。
いったい、誰の意見を聞いてそう云った事を決めるのか?
こちらも政治屋の方々のやり方が、良く解らない。

呆れると言えば今日、会社であった『技術報告会』の発表。
トラブル対応の報告なんだけれど、対応策を説明して、
「ここ数カ月、問題が発生して居ない」で終わってしまう。

おいおい・・・・
こうしたら直ったは良いけれど、技術的な裏付けとかを説明して
施策が有効であることの根拠はどうなって居るんだ?と、質問した。

機械設計の施した施策なのだけれど、元はと言えば電気部品が壊れると言う事が発端。
壊れた原因分析をして、その時にその部品に何が起きて壊れるのか?
そう云った予想を立てて、施策を施すのが設計の仕事だろう?

電気的な原理や簡略的な動作を『等価回路』というものにして説明するのが
技術者の基本中の基本なのだけれど、それを要求しても
『これは機械設計の発表だから・・・・』などと言って、ごまかす・・・・。

そもそも『等価回路』が書けない管理職が、部下に仕事をやらせているんだから
部下のやった仕事の検証だって、やっちゃいない。
「こうこう、こうしたら直りました」で、OKを出してしまう。

こうしたら直った・・・・はそれはそれで大事なことです。
でも、それは対処療法と一緒で、根本的な予防策にはつながらない。
検証をして、理屈の上で有効ならば、次の設計ではそれを生かさないと・・・・

ところがその「実績」だけを取り上げて『今までと同じ』と云う輩ばかり。
せめて、こう云う技術的な理由で前のものが最善なので同じにしました・・・・
という説明をしろと、僕は言い続けてきたんだけれどね・・・・・

ハッキリ言って、『等価回路』ひとつサッと書けない管理職や
それを要求しない技術者のレベルの低さには閉口する。

実は僕が若い頃、お師匠さんだった人に言われ続けていた事なのです。
それで、相談に行く時に『等価回路』を示さないと相手にされなかった。
師匠いわく『等価回路が書けないのは理解して居ないから』
間違ってもいいから、自分なりに理解した『等価回路』を示しなさいと・・・・

その後、その『等価回路』をきちんと書けるようになった時に
『やっと、まともに技術的な話が出来るレベルになったね』
と言われて、嬉しかったのを覚えている。
考えてみれば、僕はそれから急激に技術レベルが上がった。
そう云う意味では、『技術者としての転機』だった気がする。

指導する人間のレベルが低いと、若手も育たない・・・・困ったものです。
僕は先輩にも恵まれていたのですねぇ。

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『崇高な職人』

2014年06月11日 | Weblog

床屋さんへ行ってきました。
今回は芝居の役作りもあって、殆ど切らずに整えた程度。
おでこの辺りだけに集中している白髪が目立つところは、染めて・・・・

いっそのこと、白髪のようなメッシュを入れて・・・・
と頼んだけれど、白髪のような透き通った色には出来ないそうで、
やったところで、昔の『茶髪』のようになるだけ・・・・

髪の毛の染め方も、市販の白髪染めと理容店でやってもらう染色は
基本的に使う薬剤が違うので、時間が経過するとその違いがはっきり解る。

市販の白髪染めの殆どは弱酸性の薬剤を使うので、色抜けしてくると
黒かったものも赤っぽく変色する。
一方、理容店などでやって居る染色剤は弱アルカリ性。
こちらは時間が経過して色抜けしても、色そのものが薄くなるだけで
黒い髪が赤くなったりしない。

数百円で買える市販品に対して、理容店で染めて貰うと数千円。
安ければいいと言う人は市販品を使えばいいし、僕のように変色を嫌う人は
理容店で定期的にやって貰えばいい。
僕はそう云った『付加価値』に金を払うだけなのである。

世の中に色々な職業がある中で、これほど『付加価値』だけを売り物にして
営業して居る職種は、音楽などの芸術家を除いて、他に見当たらない。

白髪染めだけでなく、髪の毛なんて単純に切ればいいと思っている人は
世の中に沢山居る。
市販の染色剤、子供用のヘアカット器具、バリカン・・・・
要は散髪なんて、誰でもできる事だし、景気が悪くなると最初に削るのが
こう云った事に対する出費なのだと思う。

そして営業に出たり、販売に出たりする仕事でもない。
店を構え、ひたすらその『付加価値』と云う商品を買ってくれるお客さんを待つ。
だからこそ、常日頃から腕を鍛えておかないと売れるものが無くなる。

夜遅くまでカットの練習をして腕を磨いている人たちの姿を、
店のブラインド越しに見ると、何だか『ガンバレ』と言いたくなったりする。

僕は『床屋』と呼ばれる職業は、凄い職業だなぁと何時も感心し、
何だかとても『崇高な職人』に見えたりする。

仕事って、そうなんだよね。
お金を頂くんだから……
いつも上を見ていないと、誰でも出来る事に、お客様はお金なんて払わないもの・・・・

で、今日はこんな感じ。


今日も、良い感じの仕上がりです。
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笑えないジョーク

2014年06月10日 | Weblog
仕事を干されて、すでに1年8カ月になります。
「給料」は、干される前と同程度の水準の額を貰っているから、
考えようによっては恵まれているのだと思いますが、世の話で良く耳にする 
『リストラ対象者に対して、会社がやる組織的な嫌がらせ(ハラスメント)』
を、延々とやられて居るのだと感じているのです。

ある同僚からは
『精神的にタフな、アンタだから耐えられるんだよ。』と言われたり
『よく我慢してますね』と若い連中から同情されたり・・・・・
意外と、こう云うのは『あはは』と言って、励まされてる気になるのです。
しかし、こんな事を言われるほど周囲は見ているのですな・・・・・。

僕にとって会社と云うものは、金儲けを目的とする組織・集団。
だからこそ、『皆が笑顔で働ける組織』を作るのが大事だと
ずっと思ってやってきた。
会社の利益が思うように上がらない時こそ、そう云う姿勢が大事だとも思ってきた。

これって、自分の家庭と一緒なんだよね。
お金が無いからって、家族が皆ヒステリックになった居たら居心地が悪い。
貧乏でも、いつも笑顔の絶えない家庭に育った子供は、心豊かに育つ。
大人になって、やる事は豊かな生活を目指して頑張るだけ。
家庭はいつも心のよりどころになっていて、家庭が困難な事に遭遇した時は
家族が一緒になって頑張る。
とうぜん、親はその子供たちの為に全精力を注ぐ。
家族に何かあった時に、身を呈してでも守るのが父親の使命、
子供を守るのは、親の使命です。
だからこそ、子供は親を尊敬し、信頼して成長するのですよ。
少なくとも僕の家庭は、決して裕福じゃなかったけれど、
そう云う家庭だった。

この話の『家庭』を『会社』、『家族』を『社員』、『親』を『リーダー』
に置き換えたら、会社はどうあるべきか?答えが出るはずだと思ってます。

人を生かそうとしない組織は、子供の能力を伸ばしてやろうとしない親と一緒、
そういう連中って、いったいどんな育ち方をしてきたのか?
と、思ってしまうし、そういう人達の子供はどんな風に育つのか?

ついこの間まで居た、大先輩がいつも言っていたことは
『サッカーを見れば、仕事のやり方もわかる、人の扱いを見れば育ちが判る』
まぁ、こんな扱いを受ける原因は自分に有るのだと思うしかない。

前出の同僚がこんなことも言ってました。
『僕らは給料貰ってるけど、Uさんは「慰謝料」貰ってると思えば良いんじゃない?』
笑えないジョークでしたが、妙に気が楽になったのでした。
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『人の気持ちを裏切る生き物は人間だけ』

2014年06月09日 | Weblog

三日間続いた大雨も、大きな被害が出ず一安心。
それでも埼玉県の春日部あたりは、水田が水没したり、被害がゼロと云う訳じゃない。

今日は昼間、晴れ間が出て日差しも強かったのだけれど、案の定夕方から雷雨。
夜になって、都心でも纏まった雨が降って鬱陶しい一日でした。

帰りがけに、いつも通り仏壇に供える花を買いに行きました。
以前は2束で500円という花束を2種類買って来て、長さを自分で調節して
仏壇に飾って居たのだけれど、最近は手抜きで仏花という、
出来合の花束を買って来て仏壇に供えていた。

ところが、今日売って居た仏花の花束を見ると、何だか色合いが好きじゃない。
それで以前のように自分で気に入った花を買って、供えようかなと・・・・
男性として、花屋さんの中を見て回るっていうのは、ちょっと恥ずかしい。
恥ずかしいと言うより、照れくさいと言う方が正しいかもしれない。

店を見ていたら一束100円で売ってる花束が有ったので、その中から
気に入った色合いの物を4種類購入した。購入したのは
グラジオラス:アヤメ科で濃いオレンジの縦長の花。

オンシジウム:ラン科の黄色い花。

キンギョソウ:オオバコ科の白い花。

スターチス :紫のイソマツ科リモニウム属のドライフラワーみたいな花。

これを帰ってから、いろいろ組み合わせてみた。
グラジオラスを真中に配置するのは、最初から頭に有ったんだけど、
これにキンギョソウの城を組み合わせると、キンギョソウの葉っぱが
意外に多くて、バランスが取れない。
オマケに茎と云うより蔓(ツル)なので、横に伸びちゃう感じで没!

グラジオラスのオレンジに合せるとなると、やっぱりオンシジウムの黄色が良い。
こちらはラン科だけど、意外と茎がしっかりして居るのでこれを採用。
一番下にスターチスの紫を入れてみたら、黄色が映えるんだけど、
メインのグラジオラスが霞んじゃう。
オマケに黄色と紫が妙に品の無い組合せになってしまいこれも没!

となると、濃い緑の色が欲しくなったんだけど・・・・有りましたよ。
先週活けた時のに使ったナルシオンという葉が、まだ元気なので採用。
この3種類で、取り敢えずざっくり花瓶に放り込んでみたのがこれ・・・・

なんだか、色合いは良いんだけど、何処となくバランスが悪い。
上に伸びすぎて、全体的に落ち着きの無い印象・・・・・
あくまで、僕の感覚なんだけど・・・・・。

これを、フラワーアーティストのひろえ先生が見てくれてアドバイス。
思っていた通り、オンシジウムを低くしてグラジオラスに寄り添うようにしたら・・・・
と云うアドバイス。
そして、直した最終形がこれ・・・・・もう、これ以上は修正できません。

花を活けていると、何だか夢中になって気分転換になります。
なおかつ、絵を描く時のようなアートの感覚も楽しい。
生きている植物を扱うから、鋏を入れる時も『ごめんね』って言う感じ。
だから、切って余った部分も小さな花瓶に入れて捨てないのです。

ペット等の動物は、可愛がると慣ついてくれるように、花も手をかけると
綺麗に花を開いて、長持ちする。
そう云う意味では動物も植物も生きもので、人の気持ちを裏切らない。
『人の気持ちを裏切る生き物は人間だけ』
花を活けていて、そんな事を思うようになりました。

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劇団ステージドア『本番まで残り3週間』

2014年06月08日 | Weblog

今日は雨が残る中、新浦安で通し稽古。

6月も8日。公演の28日まで20日。
残り3週間となりました。
最後の週は、裏方の音響スタッフや照明スタッフの前で通し稽古になるので
実質の稽古は残り2週、4回で終わりです。
今日は照明の塚本先生がお出でになられて、芝居を見てプランニングの打ち合わせをしていました。

だと言うのに、今日は特殊部隊の1人が欠席。
また、こう云う時に限って台本に数か所、修正が入ってしまう。
その理由は、代役がやるといつものように芝居が流れなくなるから・・・・。
照明の大御所は、演出家よりも舞台の事を良く知っている。
塚本先生から『見ていて、退屈』という指摘があった部分がカットになった。

本番近くになると、そう云う部分はどんどん削られてしまうのです。
僕としては、一番アドリブが効いて楽しくやれていた部分だったから
ちょっと残念な気がしました。
まぁ、仕方が無い。代表に今一歩手が届かなかった選手の心境です・・・・。

それよりも、深刻なのはおじさん達の唄。
今日は少し真ともな、合唱おじさんが休んじゃったから最悪・・・・
なんせ、リズム音痴、出遅れ、音残りの三拍子が揃ったトリオですから
一緒に唄っていて、エコーがかかったように遅れて唄が聞こえる。

僕が必死で、リズムに乗せて唄うのだけれど、やっぱり遅れる。
そのうえ、このトリオは唄の簡単な振付ですら覚えない、間違える、遅れる
こちらでも三拍子そろっているから、厄介です。

いーち、にーぃ、さーん、しーぃ、1・2・3・4・5・6・7・8と歩くだけの
簡単な振付なのに
いーち、にーぃ、さーん、しーぃの後は、まるで小走りするようになったり・・・・
こんなおじさん達が、なぜ『ミュージカル』をやるのか?不思議なくらい・・・・・
まぁ、それがアマチュア劇団たるところなのかも知れませんが……

唄だって出遅れる上に
『がんばったな』と云う歌詞が、あるお方は『がんばたな』になって直らない。
しまいには歌唱指導の石崎先生も呆れて
『中国人の方もOKです』と、半ばあきらめ気味……
そうは言っても、練習して少しでも良くしないと、このままでは特殊部隊は全滅です。

最近の稽古は石崎先生、河岡先生の両先生に唄や振付けだけではなく、
その前後の芝居の演技も指導して頂いている。
以前も書いたけれど、要は芝居と云うのは気持ちの問題なのだと・・・・・
その役を自分なりに作り、その役になりきる・・・・・
芝居の中に入り込めば、その時の感情や物事が想像出来て、それなりに見えて来る。
それを如何に、現実であるかのように表現するのが芝居。
と云うところでしょうか?・・・・・

そう云う意味では、この時期になってもまだ気持ちが作りきれていません。
今まではそう云った個人レベルの事を考えれば良かったのだけれど、
今回はそれ以前に、とにかく『特殊な部隊』のおじさん達を何とかしないと・・・・・
今はその部隊が進む場所の、其処ら中に『地雷』が埋まっている気がします。
それも、自分で仕掛けた『地雷』だったりして・・・・・

たいちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~、お願いしますよぉ~
あと3週間で本番がやってきますよぉ~。

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劇団ステージドア・『ドレス・リハーサル』

2014年06月07日 | Weblog

昨日から今日にかけて、記録的な大雨が関東地方に降り、まだ止む気配が無い。
この分だと、日曜日のサッカーも中止になりそう。
と云うより、土砂被害とか発生しないかと、そちらの方が心配です。

さて、今日は衣装デザインのプランナーである小林巨和先生をお招きして、
今回、初めてとなる衣装をつけての通し稽古がありました。
前回のチェックを終えた後に、芝居で実際に使ってみて更に直しが入ります。

普段の生活で、洋服の着こなしはある程度意識して居るのだけれど、
舞台での着こなしと云うのは、観客に見せるためのものと云う点で
普段以上に気を遣わないといけない・・・・と小林先生は教える。

例えば、シャツの襟を立てるならしっかりと立てる、
シャツの袖や、パンツの裾をロールアップするならキチンとする。
蝶ネクタイは曲がらないように、両面テープで軽く固定する。
パンツのボタンは、ベルトでキチンと隠す・・・・
これは得におじさん達が気をつけないと駄目ですね。
これに関しては僕はいつも意識していましたが、仰る事は確かに正しい。

街中で他人に『見られるの』のと、舞台の上で観客に『観せる』くらいの
違いがハッキリ有る気がしました。
考えてみれば、待ちで見かけるあ洒落な人って言うのは皆そうなのかも?
そう云う人は歩く姿勢も含めて、お洒落ですからね・・・・・

芝居をやるようになって、僕自身が一番意識するようになったのが『姿勢』。
立つ時に背中を伸ばす、首を前に出さない。重心を臍の下に置く。
歩く時も背筋をきちんと伸ばして歩く・・・・・
常に出来ている訳ではありませんが、かなり意識するようになりました。

面白いもので、背筋を意識すると自然と体幹を意識するようになる。
サッカーをやって居ても、以前に比べると体幹がしっかりするようになった気がします。

さて、今回の芝居で、僕は一番みすぼらしい恰好をします。
本番のパンフレットの原稿を見せて貰って、役どころを見ると、
我が4人組の『元特殊部隊』は
ジミー(外科医)、エド(町長)、ハリー(校長)と主役の次に書かれているんだけれど
その最後、5番目に有るのが僕の役ダン(失業者)ですからねぇ・・・・・
これは、実生活でもこれくらい格の違いがあるから良いのですが、
それにしても失業者はねぇ……
なんか、他に書き様がある気もしましたが・・・・

女性陣のおバチャマ数人が僕の衣装を見ながらニヤニヤして居るので
僕:『何笑ってるんだよ・・・・』
おバチャマ:『似合ってるねぇ・・・・公園に居そう』
僕:『それは失業者じゃなくて、ホームレス・・・・浮浪者だよ!(怒)』
おばちゃま:『あらぁ、そうだったの・・・・(笑)』
僕:『あぁ、そうだよ・・・・クソ、このばばぁ・・・・』
おバチャマ:『紙袋持って、近くの公園に居たら何か貰えそう・・・・』
僕:『くそぉ・・・・・このあたりじゃ、洒落にならねぇんだよ!!(怒)』

とまぁ、ここでも芝居みたいな会話をして遊ばれてます・・・・。
ここでも僕の役どころは『くそガキ』です。

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今週末は雨模様

2014年06月06日 | Weblog
今週末は雨模様ですね。しかも大雨・・・・・
明日、運動会をやる予定の学校も多いと聞く。

運動会というと秋と云うイメージなんだけれど、今は違うみたい。
僕が子供の頃は、春の運動会は『小運動会』と呼ばれて開催されてはいたが、
徒競争や、リレーと云った陸上の競技種目ばかりだったし、
親が見に来る事も無く、半日で終わるような校内競技大会だった。

それに対して秋の運動会は『大運動会』と呼ばれて、規模も1日がかり。
各学年でやるダンスや遊戯みたいな演技種目と、定番とも言える
低学年の『玉入れ』、『ボール運び』、中学年の『綱引き』、『二人三脚』
そして高学年の『ムカデ競争』があったりで体力に合わせた競技をやったものだ。
一番の注目は男子生徒がやる『騎馬戦』と『組体操』。
今は『組体操』も男女が混じってやるし、『騎馬戦』も同じ。
そのせいか『騎馬戦』は、何処か迫力が無く、見ていても退屈になる。

親が参加する競技が少なくなったのは、共働きで親が来れない子に
配慮しての事なんだろうし、お昼だって教室で食べるようになっちゃった。
朝から腕を奮って、お弁当を御重に詰めて、ゴザの上で家族と食べる・・・・
そんな光景は、遠い昔の運動会の光景になってしまった。

秋の運動会は、1年生も就学して半年経過したところでの開催になって
幼稚園から小学生になって、少しお兄さんになった所を見せる機会でもあったんだけど、
学校の運動会が地域のイベントで無くなって、地域の運動会は『地区運動会』といって、
学校とは切り離して開催されて居るのも、時代と共に変わった所なのかな?

遠足も春は近場でハイキング程度の遠足で、秋は電車やバスを使って
ちょっと遠くの登山や飯合炊爨(はんごうすいさん)に出かけたり、
高学年は5年生に林間学校、6年生は臨海学校があって楽しかった。

そんな訳で、僕は今の時期にやる運動会は『小運動会』だとばかり思っていたが、
都内の学校で、春の運動会だけで終わりと云う話もよく聞く。

『ゆとり教育』とか言ってた割に、僕らが子供の頃に比べたら、
学校行事に『遊び』の要素は少なくなってしまった気がするし、
また、詰め込み教育に戻ったところで、変わらないと思うけど・・・・

そう言えば、娘たちが通っていた幼稚園の『父の日運動会』が
多分、来週あたりにあるんじゃないかな?
長女も次女も、僕のお気に入りの可愛い先生が担任だったので、
運動会の準備から後片付けは率先して手伝っていたなぁ・・・・

卒園後も数年間、その先生に会う目的で幼稚園の運動会を
見に行ってたくらいだから、嫁さんからは
『先生のストーカー』と馬鹿にされてたけど・・・・・・

あれから12年、先生はどうしてるかなぁ・・・・・
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関東甲信越地方が、ついに梅雨入り

2014年06月05日 | Weblog
関東甲信越地方が、ついに梅雨入り。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/masudamasaaki/20140605-00036042/

平年より3日早く、去年より5日早いそうです。
梅雨明けの予想は7月21日とか、一か月も鬱陶しい日が続くと思うとうんざりします。

毎年、この時期はサッカーのリーグ戦が開催されていて、
雨の中で試合を数試合やる。
雨に濡れるのは一向に構わないし、炎天下の熱中症と比べると
身体へのダメージが少ないので、僕個人は雨の試合の方が好きなのだけれど、
今やって居る、市民リーグの会場は泥のグラウンドなので、
泥んこになったユニフォームの泥を落とすのに一苦労する。

泥んこのまま、洗濯機に入れようものなら、嫁さんから怒鳴られ
結局、自宅に帰って最初にやるのは、風呂でシャワーを浴びながら
前日の残り湯を使って、バケツの中で泥を落とす作業。

繊維に入り込んだ泥を落とすのには、大量の水の中で濯ぐのが一番。
特にストッキングは直接泥に接するから、落とすのが大変で、
黄色や、白のような汚れが目立つ色のストッキングは大変なのです。

そこで、チームメイトの1人が変な事を思いついた。
試合会場のグラウンドは、いわゆる河川敷のグラウンド。
ちょっと行った処に、多摩川が流れていて、ちょっとした堰があるので
川の水が多く、ゆっくりと流れる場所がある。

試合が終わると、まずユニフォームの姿のまま川に飛び込む。
その中でユニフォームやストッキングの泥を思い切り叩き落とす。

いい大人が、子供の目の前で水遊び、しかも服を着たまま・・・・
という光景になるんだけれど、これが面白いように綺麗になるのですよ。

そう言えば、洗濯で川に入って、足で汚れを落とす姿を良く観るが
昔から大量の水で洗うのは当たり前なんだよなぁ・・・・

いつの間にか世の洗濯機は、洗剤の泡を利用して『超音波洗浄』みたいに
洗濯機の中でその汚れを落として洗うのが普通になって、
今は少ない水で洗う『ドラム式洗濯機』が人気の時代。

御多聞に漏れず、我家でも数年前に購入したのだけれど、使ってみると
大きくて場所を食う、蓋を前後に開くのでそのスペースも居る、
脱水時の回転軸が垂直じゃない為に、振動が激しいなど・・・・
オマケに少ない水で洗うため洗濯の時間が長いから電気代もかさむ。
その上、叩き洗いなので衣類の傷みが早く、あまり良い事はない。
最近は、嫁さんが前のような『縦型』に戻したいと言い始めている。

僕は2層式の洗濯機で、水をジャージャー流しながら洗うのが好みなんだけどね。

昨日の子供時代の話ではないけれど、試合後に川に入って、
泥の汚れだけでも落として帰れば、洗濯も楽で綺麗になる。
次から、僕も一緒にやろうかと思っています。
それに・・・・・
幾つになっても水遊びは楽しいですからね・・・・・(笑)
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いよいよ、梅雨入り間近

2014年06月04日 | Weblog
いよいよ、梅雨入りが間近に近づいてきたみたいですね。
今年は偏西風が蛇行して、異常気象に拍車をかけているのだけれど
とにかく雨が降った日ほど鬱陶しい日はない。

子供の頃は、今とは全く逆で雨の日が楽しかった。
長靴で水たまりに入ってみたり、今のようにそこら中に、
民家の塀が立ち並ぶ事も無かったから、軒先の雨樋(あまどい)の
壊れたところから、滝のように雨が流れ落ちる場所も無くなって、
傘をお猪口(傘の骨が逆反りして逆さに開いた状態)にして、
雨樋から落ちて来る雨を受け取って遊んだりしている子供も、皆無になった。

長靴なんて、本来はズボンや靴下が濡れないように履くものなんだけど
僕の場合は、雨の日に遊ぶための靴。
靴下も脱いじゃって、水たまりの水を長靴で組み上げて運んだりして、
いわばバケツ代わりに使っていた事が多かったかな?


そう云う事を考えると、今の子は天気が良くても室内でゲームをして遊ぶみたいだけれど、
昔の子は、余程の土砂降りじゃない限り、雨の日でも外で遊んでいた気がします。
水たまりから側溝(どぶ)に向かって、拾ってきた板切れなどで溝を作って
小さな川を作ったり、砂利を集めてその川の護岸工事をやったり、
水たまりの水が無くならないように、他の水たまりの水が集まるように
更に溝を掘って、ちょっとした貯水池みたいなものを作って遊んでいた。
その時にその貯水池へ、水を運ぶために長靴を使ったのです。

だから、雨の日はずぶ濡れな上に、泥んこで親も呆れていた。

今はそう云った遊びをする広場や、水たまりの出来る公園もないのかな?
僕の子供時代は、そう云った遊び場所は殆どが学校だった。
校庭の端っこだったり、砂場だったり、池だったり・・・・・
校庭はいつでも子供が自由に遊ぶ事が出来る空間だった。

今は『怪我をした時の責任が・・・・・』でしょう?・・・・・
個人情報保護の為に、友達の家の電話番号も判らないとか、嫌な時代だね。
親もすぐに『責任問題』を口にする。
問題が起きると面倒くさいから、いっそのこと禁止にしてしまう。
世の中、そう云った責任逃れが横行して、子供の育つ環境を狭めているね。

そう言えば、子供に限らず社会全体がそうなって居るよね。
何か起きると面倒だから、なんでも禁止。
典型的なのが『喫煙者の弾圧』・・・・(笑)
敢えて『弾圧』と表現したのは、今の中国の民主化運動への対応を思い起こしたから・・・・

あはは・・・・・
考えてみたら、僕の会社もそういう対応ばかりの会社だった・・・・(笑)
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ちょっとハマりそう・・・・・

2014年06月03日 | Weblog

最近、全然体重が減らないのでおかしいな・・・・と思い、2年前に成功した
「1日5食ダイエット」を記録した『豚雄君のカロリー』という自作の表計算ソフトを
見直してみて、痩せない原因が判明した。

野菜中心、夜は炭水化物を接収しない・・・・までは良かったんだけど、
このところ味を占めてしまった「美味しい豚肉」が問題だった。
要は、『野菜炒めは低カロリー』という単なる思い込みで、カロリー計算なんて
全然やって居なかった。

野菜炒めに豚バラ肉を200gも入れて作った野菜炒めは、
なんとそれだけで裕に800kcalを越える高カロリーだった。
それで昨日の晩は夜だけで1400Kcalも摂取してしまったのでした。

と云う訳で、今日から再び『2014年豚雄君のカロリー』なる計算ソフトで
毎日食べるものを記録する事にした。
記録すると、面白いもので「これ以上食べたら・・・・・」とか、
「まだこれだけ食べられる」という事が数値で認識できるから歯止めが効く。
7月までに何キロ痩せるか?楽しみになってきました。

そんな訳で、今日は肉屋の前を通らずに帰宅。
帰りがけに仏壇の花と一緒に、花でも活けて気分転換しようと花を買って来ました。
花の名前を全然覚えないのですが、今回は名前を忘れてしまったオレンジ色の花と、
カスミソウ、それに緑の葉を買ってきました。
オレンジの花の名前は何だったっけなぁ?????

活けた花を写真に撮って、友人のひろえ先生に勝手に送りつける(笑)
そしてアドバイスして貰ったんだけど、やっぱり直接教わらないと駄目ですね。

てな訳で、最初に活けた時の写真がこれ!

ひろえ先生のアドバイスで、カスミソウの丈を少し短くしてはみたけど、
何となくバランスが今一つな感じ。それがこれ!

花を活けるのって、絵を描くのと似ていて、構図を作るのが大変。
絵は2次元の平面だけれど、花は360度の立体だからだろうなぁ・・・・・

でも、デザインやアートという視点で見れば凄く面白い。
ひと月に2,3回なら、気分転換にもなるし、花って言うのは
有るだけで部屋の中が殺風景じゃなくなる上に、何か癒される。

ちょっとハマりそうな遊びになりそうです。

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また、憂鬱な一週間だぁ・・・・

2014年06月02日 | Weblog

会社に行く月曜日は、登校拒否児童の気持ちが解る(笑)
本当に頭の芯というか、頭が重くて目の奥の辺りが痛いんです。
それで居て、帰宅するとそれが治るんだから、本当にヤバイ・・・・

会社に行って、デスクに着くと、頭が重くなる。
どこか悪いのかなぁ?
心の病だとしたら、このままで居たらどうなっちゃうのかなぁ?

たぶん、僕を追い込んでいるであろう人間にしたら
『しぶとい野郎だな』なんて思っているんだろうけれど、
タフなものほど、限界点が高いと言う事だから、
逆に壊れる時は凄い壊れ方するのが、世の常・・・・・ 。

何か軋轢があって、こんな状況になったのなら解るんだけれど、
リーダーを交代したその時からずっとだから、全く思い当たる節も無く
だとしたら、ずっと恨まれていたのかな?
いや、他の人間よりずっと気を遣って、評価も高くしてきたんだけど・・・・

とにかく、会社ではイライラする事しかないけれど仕方が無い。
そんな中、今日は自社のHP(ホームページ)を何となく眺めていた。
わが社には企業風土を考える『KF委員会』なるものがあって、
もう20年近く活動してるかな?
KFは企業のK、風土のFという造語。

このHPに書いてある事を観て、こんなもの公の場に公開して居るのか?と
正直な気持ち、恥ずかしさと薄っぺらさに笑ってしまった。
今週は、ちょっと自分の考えを書いてみようかと思う。

まず、何が恥ずかしくて、笑ったかと言うとそこに書かれている文章。
最初に『1企業風土とは?』という題目でこんな事が書いてあった。
【企業とは、"営利の目的で継続的・計画的に同種の経済行為を行う組織体。また、その活動"
 風土とは、"土地の状態。住民の慣習や文化に影響を及ぼす、その土地の気候・地形・地質など"
 (三省堂「大辞林 第二版」による)
 企業風土とはつまり"営利の目的で継続的・計画的に同種の経済行為を行う組織体の
 習慣や文化に影響を及ぼす、その組織体の体質"と位置付けることができると思われます。】
だとさ・・・・・
あははは。こんなの、小学生でも書ける。恥ずかしいけれど、これは御愛嬌かな?

次に書かれているのが『2.企業にとっての風土とは?』
いよいよ核心に触れる部分です。ここには
【企業を支える要素、情報・カネ・モノそしてヒト。
 それらを通じ培われたその企業の風土・文化は経営推進の要であるとともに、
 その企業の外に対する顔であるといえます。
 つまり"企業にとっての風土"とは、その会社を形成する、情報・カネ・モノ・ヒト
 に続く第5の要素です。
 いくら良い人材がいても、それだけでは企業としては成功しているとは言えませんし、
 良い製品があってもそれを継続して作り続ける資金力がなければ長期的な成功は見込めません。
 企業が長期的な成功を納める為には5つの要素がバランスよく、
 より良い状態で存在・成長し続ける事が必須の条件といえます。】

これ、僕の読解力の問題かもしれないけれど、読んでいて何が言いたいのか全然解らない。
そもそも、誰が読んでも同じ受け止め方が出来るような噛み砕いた表現になってない。
書いた人間の自己満足か、偉い人が書いて文句を言えなかったか・・・・?

僕が読んだ本に「経営資源」は人、物、金だと書かれていた。これは目に見える資源。
その他に情報、時間、風土という目に見えない経営資源があるとも書かれていた。
企業風土は英語に直訳すると「Business culture」になるが、これは企業文化とも取れ
むしろ「Organisational Climate(気候)」という言い方の方がイメージしやすい。
まぁ、これも書くと長くなるから次回にしましょう。

そして肝心の運営方針だけど、
①時代の変化を取り組んだ積極的な活動。
②創造性・チャレンジ精神溢れる企業風土を目指し、委員の自主性を最大限尊重。
③KF活動により委員(社員)の能力向上を図る
④ライン組織との十分な意見交換。
⑤直接的労働条件は扱わない。

これも何だか解ったような解らないような・・・・・

そしてこれを基にやって居る活動と言えば、社報みたいなものを作ったりと、
外から見て「活動してるんだぞ!」と云うものばかり・・・・・
これも小学校の『学校を楽しくしよう』みたいな、レベルの話だと感じて観ている。
まさに、これがわが社の『企業風土』なんですね。
良いとか悪いとかいう、評価をするものじゃないです。

そもそも、なんでも紙に書いて貼り出すのが良いみたいなのがダサい。
企業風土なんていうものは、ごく当たり前と考える仕事の仕方、
行動の仕方の常識、暗黙のルール、価値観のような内面にあるものじゃないのかな?

だから部門ごと、例えば営業部門、開発部門、生産部門の風土は大きく違うと思うし、
人事部門は人事部門の風土があって、それぞれ違っているものだと思うんだけど・・・・

まぁ、暇だからこんな揚げ足取りみたいな事を考えては、手帳の隅っこにメモして、
帰宅してからこうやって書いているわけですが・・・・・
この行為自体、俺もレベルが低いよなぁ・・・・

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劇団ステージドア・『特殊部隊は連日、作戦失敗・・・』

2014年06月01日 | Weblog

今日は午前中にサッカーの試合があって、どうしても行かなければならず
試合が終わるまで見た後、高速道路を使って急いで帰宅。
試合は勝てる試合を、自分たちのミスで2-3で負けてしまう残念な結果だったけど
久し振りに出場枠一杯の18人が揃って、僕は出場しないで済みました。
負けたとは言え、若いチームを相手に皆が楽しめて帰ったので良かったです。

帰宅後にシャワーを浴びて、急いで稽古のある新浦安へ・・・・・。
1時半には到着して、何とか稽古に穴を開けずに済みました。
到着して、稽古会場の中から漏れて聞こえる唄は芝居の最初に唄う
男性陣だけで唄うM1『悪い夢を超えて』。
ところが、外で聞いていて恐ろしいほど伴奏と唄が合って居ない。
明らかに唄が遅れていて、伴奏と「輪唱」みたいになっている。

今、入って行くのは恐ろしくて嫌だし、2時半以降に参加すると言っってあったから、
外で冷たいものでも飲みながら、やり過ごそうと思っていたら、
座長に頼まれて飲み物を買いに来たおばちゃんと遭遇してしまった・・・・・。

仕方が無く、入って行ったらやり直しをさせられている。
だろうな・・・・・余りにも聞いていられない感じだったから・・・・
姉さまが『ダン(僕の役名)が居ないから、男性陣は滅茶苦茶!』
と言われてもねぇ……

でも、おじさん達全員、本当に唄が遅れるのです。
唄の事に関して、自信満々の合唱おじさんでさえ、一緒に唄っていると
遅れているのが判るほど、声の立ち上がり(レスポンス)が悪いのですよ。
それに、振付が入ると「次はどう動く」なんて、脳味噌で考えているから、
その分だけ、唄のリズムに反応する時間が遅くなる。

いくら僕が『練習して来てください』と言っても、おじさん達は聞いてくれないし、
平日は全く練習なんてして来ないから、先生に指導して貰うしかない。
本当は男性陣だけで練習して、その成果を先生に見せるのが礼儀なんだけどね・・・・・
『特殊部隊は連日、作戦失敗・・・』と言う感じですねぇ・・・・・とほほ。

芝居もそう。
金曜日に見た芝居とは全く違って、体に力が入っていて、いつも腰高。
重心がヘソの下に無くて、胸のあたりにあるから動きも格好悪いうえに
今回の役どころである『戦争を経験した兵(ツワモノ)』
と言うよりは『何処かの老人団体』みたいになって風格も無い。

とはいえ、
この土曜、日曜日は、芝居の稽古も唄と振付だけでなく、
唄に入る前の芝居や気持ちの表現などを重点的に稽古しました。

土曜日は作曲家の片野先生自ら、指導に来てくれて唄い方の指導。
石崎先生の指導とはちょっと違って、戸惑う人も居るようだけれど
昨日も書いたように座長、振付の河岡先生、歌唱指導の石崎先生、
そして作曲の片野先生が口を揃えて仰っている事は、言い方の違いはあれ
『基本的』な点では何も変わって居ない。
共通しているのは唄は芝居の一部だと言う事。

それなのに、自分のレベルの低さを棚に上げて上手く行かない理由を
『先生の言っている事が皆違う』と、指導法の問題にするのは間違っている。
そう云う事を言えるのは、芝居を全て理解し、テクニック的にも
要求された事をその場で出来る人間だけです。

芝居に限らず、ヘタクソは練習して少しでも上手くなるしかないのです。

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レベルの低い人々

2014年06月01日 | Weblog

この一周間で降った雨は平年の2カ月分を裕に越えるそうだ。
去年、大島で起きた土砂災害もすでに一年が過ぎてしまった。
東北の震災復興に関するニュースも、殆ど聞かなくなっているし、
そのくせ、どうでもいいAKBの総選挙なるニュースをNHKがやってみたり・・・・
最近は自民党が躍起になっている「憲法改正」問題ばかり。

日本のマスメディアは、文章能力、資質、倫理観などが欠如している者でも
「ジャーナリスト」と自称して居る時代。
かつての梶山季之、草柳大蔵、竹中労、五島勉、吉原公一郎、大下英治などのような、
骨太の人間は居なくなった。
フリージャーナリストの草分けだった黒田清は
「ジャーナリズムの基本は伝えることではなく弱者の訴えを代弁する事」を信念と
していたのは、遠い過去の時代の話のように感じたりする。

東北の『震災被災者』と『原発事故の被害者』も今や、ゴチャゴチャにされて
悲しいかな、被災者や被害者の現状を伝える報道はどんどん減ってしまっている。

去年、東北の大船渡と陸前高田を自分の目で見てきたが、とにかく復興には時間がかかる。
それに利権やら、自治体や国の思惑などが絡み、被災者は何処かに置き去りにされている感じがする。

『原発被災者』に関しては特に胸が痛む思いでいる。
こんな言い方をすると、誤解を招いて、批判されそうだが、
そもそも『震災被災者』と『原発の被災者』とは同じ被災者では、内容も質も違う。

『震災被災者』は、金と人をかければ元の生活に戻れる希望がある。
だからこそ、特別な方法で金と人を大量に投入して早く「元の生活」に戻してあげるのが
被災地に住み続ける人に対する国のやるべき事だと思う。

対して『原発事故の被害者』は『震災によって起きた事故の被害者』なので、
『被災者』とは全く違う『被害者』なのである。

放射能の影響で、帰りたくても自分の土地に帰れない。
そして、事故の後始末も全く進んでいない。
廃炉には数十年、除染して再び住めるようになるにはかかる・・・・・
と云う事は、少なくとも僕と同じ世代の人たちは生きている間に戻る事は不可能だろう。

それなのに、これです。
<除染しても線量下がらず>
除染目標値 毎時0.23から0.4~0.6マイクロシーベルトに引き上げ(環境省と福島4市)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3762.html

人の命の安全より、目標値を下げてでも目標達成と云うキャリアの方が重要な人たち。
こんな連中を選挙で選んでしまった人間にも責任があるのでけれど、
こう云う連中は、その場所に住んでみろと言いたい。

でも、僕の会社にも似たような輩が沢山居るんだよね。
装置開発目標の仕様値が達成できないと「影響ないから」と言って目標値を下げてしまう連中。
じゃぁ、最初の数値はなんだったの?と言いたくなるのだが、こういう輩も
仕様を満足したという結果が欲しいだけ。
レベルが低いです。
こう云う連中は、この福島をめぐる話は批判できないよなぁ・・・・・

除染作業に携わる人たちの苦悩を考える事があるけれど、その苦しさは想像できない。

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