映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「35年目のラブレター」 笑福亭鶴瓶&原田知世

2025-03-19 14:53:04 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)

映画「35年目のラブレター」を映画館で観てきました。

映画「35年のラブレター」は読み書きができずに65歳にして夜間中学に通うようになった夫を笑福亭鶴瓶が演じ、その妻を原田知世が演じる人情物語だ。監督・脚本は塚本連平。これも観る予定はなかったが、映画好きの飲み仲間から「この話が実話に基づくというのはすごい」との推薦を受けて観ることにした。観客の笑いをとる笑福亭鶴瓶の演技は毎回うまいし、前作「あまろっく」も良かった。若き日の夫婦を目下絶好調の上白石萌音と重岡大毅が演じている。

 

1999年、奈良で寿司職人をしている西畑保(笑福亭鶴瓶)と長く連れ添う皎子(原田知世)の夫婦には2人の娘がいて保はもうすぐ65歳になる。寿司職人を定年で辞めることになっていた。保は小学校を中退したために読み書きができなかった。

1964年、保(重岡大毅)は職を転々とした後で現在でも働く寿司屋の大将(笹野高史)に引き取ってもらい職人の道を歩むことになった。そして1972年、常連客の勧めで皎子(上白石萌音)とお見合いをすると一目惚れして結婚した。しかし、読み書きができないことは皎子に話をしていなかった。結婚して半年経った時、回覧板に自筆で署名する機会があって、妻に文字が書けない秘密がバレてしまった。保がまずいと思った瞬間に「今日から私があなたの手になる」と助け舟を出してもらいその後幸せな夫婦生活を送る。

2000年、保は地元に夜間中学を見つけて教員の谷山(安田顕)に相談してみる。すると温かく励まされ読み書きから学ぶことになった。寄り添い支えてくれた皎子へ感謝のラブレターを書きたいことが入学のきっかけだった。そして2007年、保はついに妻への手紙をしたためることができるようになる。

いかにも人情モノの題材で、鶴瓶をはじめとした俳優の演技も良かった。ただ、映画の構成は間延びしてしまいムダが多すぎる印象をもった。

近鉄電車の車両とお寺で奈良だとすぐわかる。五重塔や鹿も映し出す。歴史がある町なので道路が狭い。主人公の夫婦は関西特有の文化住宅に住む。奈良が舞台の映画を見るのはめったにないので逆に新鮮だ。

キャスティングは絶妙で、笑福亭鶴瓶はまさに適役だ。関西弁でいつもながら笑いをとる。読み書きができない頃、魚の絵に呼応する鰯(イワシ)の字を表示を見ても寿司職人なのに読めない。魚と弱の字が組み合わさっていると言うと、「イワシは腐りやすい」と鶴瓶が反応する。他の俳優がこのセリフを話すと中途半端になる。辛いの文字に一本線を引くと幸せになるというセリフも良かった。

和歌山の山村の生まれで小学校でいじめに遭い不登校でそのまま字が読めない。若き日の苦しい時代、重岡大毅演じる保が文字も読めず不器用に彷徨う。それでも最愛の妻との出会いと新婚シーンは微笑ましい。一緒に中華料理屋に行ってもメニューの文字が読めないので適当に頼むとスープばかり来てしまうシーンはおかしい。上白石萌音とは「溺れるナイフ」で共演している。この時も重岡はジャニーズ系なのにコミカルなキャラを披露して良かった。鶴瓶と重岡大毅が似てないとツッコむ必要はないだろう。

一方で原田知世の奥さんぶりがいい。ここでは孫もいる役柄だ。役柄では年齢を重ねて70代をゆうに超えている。夫よりも早く亡くなる役柄はこれまでないだろう。「時をかける少女」の頃から見ているので、素敵な大人になったなと感じる。「私をスキーに連れて行って」「彼女が水着に着替えたら」時代のキュートさはないが笑顔に親しみを感じる。キネマ旬報1位だった「ペコロスの母に会いに行く」の娼婦役はあえての挑戦だろうけど合わない。清純で澄み切ったイメージをキープしてほしい。

上白石萌音の持つやさしさが生きる役柄だ。重岡大毅演じる保を懸命に支える。保が働く店のカウンターで握る寿司を食べながらおいしいと微笑む姿がかわいい。父親が字を書けなくて子どもたちが戸惑う時も「お父さんは日本一の寿司職人だ」と言い切る。いかにも浪花のど根性物語にお似合いのセリフだ。

それにしても西畑保さんは65歳にして決意してよくぞ夜間中学に20年も通ったものだ。小学校入学レベルからのスタートは確かに時間がかかる。ラブレターを書けるまでまで7年かかった。山田洋次監督「学校」という夜間中学での教員と生徒のふれあいを描いた名作がある。在日の人や字の書けない中年田中邦衛をクローズアップして、西田敏行や竹下景子の教員が対応する。いい映画だ。古い映画なので映画ファンを除いては記憶に薄いだろう。直近は外国人の移住による多国籍化で夜間中学に通う人は増えているだろう。いい時期に公開された。

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映画「逃走」古舘寛治& 杉田雷麟

2025-03-16 21:37:00 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)

映画「逃走」を映画館で観てきました。

映画「逃走」は長年の逃走生活の末、死ぬ前に自らの正体をカミングアウトした新左翼の元活動家桐島聡に焦点を当てた足立正生監督の新作だ。爆破事件の犯人としてお尋ね者のポスターになっていた桐島聡の顔は誰もが何度も見ているだろう。アカ嫌いの自分でも新聞のニュースで自ら名乗ったとの報道に関心を持った。TVの特集で桐島聡逃亡のドキュメンタリー番組を見た。若松孝二監督の一派だけど、バリバリの元赤軍派活動家だった足立正生監督が今回メガホンをとるのも気になる。早速映画館に向かう。

2024年1月、49年に及ぶ逃亡生活を送った後に末期がんで入院した桐島聡(古舘寛治)の病棟シーンからスタートする。1970年代の日本、新左翼過激派集団「東アジア反日武装戦線“さそり”」のメンバー桐島聡(杉田雷麟)は企業の連続爆破事件に絡んでいた。懸命に追う警察の捜査から逃れるが、重要指名手配犯とされていた。仲間の宇賀神と日時を指定して次に会う約束をして別れた。

桐島は偽名を使い土木作業員として建設会社に住込みで働きはじめる。仲間のいざこざで警察が出動しそうになり身に危険を感じた時には職場をかえる。人手不足の建設業界では身を隠して生きていくことができる。「内田洋」という偽名で潜り込んだ工務店で数十年勤める。やがて、地元のライブバーに通うようになり、親しくなった女性もできた。しかし、桐島に病魔が押し寄せてくるのだ。入院後、身内がいない桐島に直接あとわずかの命との余命宣告がなされる。

題材は興味深いが、映画としては普通だった。

足立正生監督が活動の元メンバーや逃亡中に関係あった人たちなど方々に取材にまわったようだ。でも逃亡生活の真実を本人から聞いた訳ではない。足立正生監督自らの脚本には推測のウェイトが大きい。世の中が大きく変貌を遂げる中での独白は赤軍派の活動家だった足立の視線が強く、偏向したものの見方になってしまうのはやむをえない。わかって観たけどもう一歩のれない展開となった。

企業オフィスでの爆破の規模は活動家のもともとの想定を大きく上回ってしまった。民間人も巻き添いになった。仲間うちでやりすぎたと心を痛める新左翼活動家の場面を見ているとムカつくしかない。東アジア反日武装戦線なんて、逆に戦前の大東亜共栄圏みたいに感じる。それにしても、戦後30年近くたった頃に犯罪企業撲滅だと称しての爆弾破裂とは時代錯誤だ。超法規措置により国外に出る仲間たち、自ら命を絶った者など色々いた。世間に迷惑をかけっぱなしだった新左翼集団の一派が完全になくなっていない。困ったものだ。

映画の中では、桐島聡が建設会社に求職に向かう場面がある。名前だけが書いている履歴書を持参して面談。こんな履歴書見たことないと苦笑する社長も人手不足なので、そんな状態でも大歓迎だ。しかも、会社にくっついて寮があるから住まいは確保できる。気がつくと長きにわたり同じ工務店に勤めていたらしい。世を捨てて逃げ回るにはこういうところで働くのがいちばんの逃げ道だと気づく。

身分証明書もなくBK口座は持てないだろうから給与振込はできない。従業員の給与は経費にするんだろうけど、こういった土木作業員は正式な従業員でなく日雇い外注扱いかな?労災保険も福利関係の費用は当然なしだ。給与は現金で手渡しだったけど、いつもは自分の部屋に大金を隠し持っていたのかな?ずいぶんと不用心だ。病院の治療費として現金250万紙袋に包んでベッドで渡していた。

最後桐島は末期がんと診断され、病院のベッドで生死を彷徨う中で自らの正体をカミングアウトする。病院関係者もビックリしただろうなあ。自分の顔写真がある手配ポスターが長らく街に貼ってあって警察にも悪いと思ったのかな?容疑の一つしか関わっていないと言いたかったのかな?色々と想像してみても桐島の心理状態は藪の中だ。

ただ、主役の桐島聡を演じた古舘寛治と杉田雷麟はいずれもなりきっている感じで良かった。途中で2人が出会うシーンはご愛嬌。全体を通じて山下洋輔などのジャズをバックにしているのも映画にはあっている。夜のバーで仲良くなった女性が桐島聡の正体を見破るシーンは実話なのかな?女性が結婚詐欺の常習犯との話も本当かな?

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映画「Playground 校庭」ローラ・ワンデル

2025-03-15 19:39:34 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )

映画「Playground 校庭」を映画館で観てきました。

映画「Playground 校庭」は小学校におけるいじめを題材にしたベルギー映画である。原題は「Un monde」(世界)で英題がPlayground(校庭)だ。予告編で小学生がいじめられている兄貴を見て心を痛めるシーンに胸がキュンとなる。いじめられた経験は自分にもある。観るのが怖くなる。わかっていて選択を後回しにしたが、スキマ時間ができたので72分間鑑賞する。ベルギーの女性監督ローラ・ワンデルの作品で言語はフランス語。題材は日本にも共通する内容のいじめだ。

7歳のノラが小学校に入学した。しかし人見知りしがちで、友だちがひとりもいないノラには校内に居場所がない。やがてノラは同じクラスのふたりの女の子と仲良しになるが、3つ年上の兄アベルがイジメられている現場を目の当たりにし、ショックを受けてしまう。

優しい兄が大好きなノラは助けたいと願うが、なぜかアベルは「誰にも言うな」 「そばに来るな」と命じてくる。その後もイジメは繰り返され、一方的にやられっぱなしのアベルの気持ちが理解できないノラは、やり場のない寂しさと苦しみを募らせていく。(作品情報 引用)

緊迫感あふれる作品だ。重い内容には考えさせられる。

手持ちカメラで学校内にいる主人公の7歳の少女を舐めるように追う。学校外のシーンはない。視線はあくまで少女で、学校内での周囲の出来事は遠目に映し出す。ただ、予想したストーリーと途中から経路が変わる。兄貴へのいじめが徹底的になされて最後で解消される展開と思っていたら、違った。もっと事態は重くなっていくのだ。

公開館は少ないが、ぜひ日本のすべての小中学生や教員に観てもらいたい心に深く突き刺さる映画だ。と言っても道徳的勧告がある映画ではない。客観的にいじめの実態を追い、それによって心悩ませる子どもたちがいることを我々に伝える。映画を観るといじめは万国共通と認識できる。作品情報に「大人にはうかがい知れない子供の世界」と書いてあるが、違うと思う。われわれの誰もが子供のころに自分でなくても周囲で体験したことがあるような話ばかりなのだ。

 

⒈初登校の不安

主人公は途中で少女とわかるが最初は少年だと思っていた。ボーイッシュでもかわいい。校門で主人公が泣きながら校庭に入る場面でスタートする。初登校なのだろうか?転校かな?状況は説明がない。兄が妹を励ましても前方に歩こうとしない。ずいぶんと兄を頼りにする。甘えん坊だなあと感じる。自分の名前をなかなか言えないし、食堂でも視線は離れている席で食べている兄に向かう。でも兄はいやがる。父親は登場するけど、母親は映らない。父親は主夫だ。失業?離婚?幼稚園の類にも行っていなかったのか?いきなり小学校進学なのかもしれない。

自分で振り返ると、初めて小学校に行った日の入学式は脳裏に残っていないが、集合の記念写真を撮られた記憶と教室に入って別の幼稚園出身の見慣れぬ周囲の子どもたちがガヤガヤと走り回っている記憶が残る。この主人公ほど不安な気持ちはなかった気がする。むしろ幼稚園に入園した時に、幼稚園バスに乗るのに抵抗した記憶が心に残る。

⒉苦手な体育とひも結び

主人公ノラは不器用だ。自分も似た者なので親しみを持つ。体育の時間で平均台をうまくこなせないし、靴のひもを結べない。自分は跳び箱が不得手で、先生からいい印象を持たれなかった。跳べるようになった後も通信簿に跳べないと書き込まれていやだった。小学校低学年の自分は先生と合わなかった。

ノラは友達との接触を当初嫌がっていたけど、学校に慣れ2人の女の子と遊ぶようになる。靴のひも結びも教えてもらう。ところが、兄のいじめの噂で周囲の女の子からノラと遊ぶのをいやがられる。男子のいじめとは違う女性特有の陰湿な扱いで、ノラだけ誕生日会に呼ばれない。すると、ノラが爆発してしまうのだ。小学生の頃のお誕生日会は子どもにとっては重要なイベントだ。のけ者にされる辛さ、不安心理もクローズアップする。

辛い時もノラの良き理解者だった先生が途中で交代する。先生の交代がいい方向に進むこともある。自分は高学年に向けてそれで助かった。実際にはノラ自体がわがままだけど逆によくない方向に進む

⒊イジメを親や教員に言えない

兄はドラえもんのジャイアンのような体の大きな生徒たちにいじめられ続ける父親にはいじめられたとは言えない。いじめによる軽いキズもサッカーでケガしたと弁解する。トイレの便器でいじめられているのを妹が遠目に見て監視員を呼ぶ。兄は「誰にも言うな」と口止めする。

さすがにおかしいと思った父親にノラは兄がいじめられていると言うのだ。いじめっ子に父親が「今度やったら親に言うぞ」と諭して収まるかと思ってもやめないもっと酷い仕打ちを受けていよいよ教師にもわかり大騒ぎになるのだ。

いじめの構図はベルギーも日本も同じようなものだ。日本でもいじめられた本人は親に言わないケースがほとんどではないか。それが徐々にエスカレートして大問題になるのも同じ。こんな映画を子供と先生が一緒にみることがいじめ防止の特効薬になる気もする。

⒋いじめられた記憶は一生心に残っても、いじめた方は忘れる行為だ。

普段の生活では忘れていて意識していなくても、何かのきっかけでいじめを受けたことが数十年前のことでも映像のように頭に浮かぶことがある。イヤな奴っていたよね。逆に自分が弱い者いじめをしたのをずいぶんと時が経って相手から指摘されたことがあった。まったく記憶から抜けていて驚いた。いじめたつもりがなかったのが情けなかった。要はいじめる方はたいしたことと思っていないのが問題なのだ。

いじめの場合日本人特有の同調意識で集団でエスカレートすることもある。ただ、高校大学と上級になるといじめは少なくなっても無視の世界もある。自分が社会に入ってからは面倒くさい奴がいると徹底的に逆らって吠えた。その方が相手は静かになるものだ。それでも、自分の地位をキープするためにあえて逆らわず耐え忍ぶこともあった。

ここからネタバレになるが、主人公の兄は学校側にいじめっ子と仲裁された後、なんと一緒になって逆に弱い者いじめをするようになるのだ。このケースもありうる気もする。レベルの低い大学の旧然たる体育会では日常茶飯事かもしれない。いじめる側はいい気になる。悲しいことだ。ここでは兄貴からのいじめ行為を見た主人公ノラが兄貴に抱きついて懸命に止める。希望につながるかどうかわからないがいいシーンだった。

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アニメーション映画「Flow」ギンツ・ジルバロディス

2025-03-14 20:12:03 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )

映画「Flow」を映画館で観てきました。

映画「Flow」は本年のゴールデングローブ賞とアカデミー賞の長編アニメーション映画賞の連覇を果たしたラトビアのギンツ・ジルバロディス監督作品だ。普段は観ないアニメ作品でもなぜか気になる。主役は1匹の猫でたまたま一緒になった動物たちと舟に乗って漂流する。セリフは一切ない。気持ちを言葉で表すことはない。字幕もない。動物たちの鳴き声だけだ。

自分の実家には猫がいて、母親が亡くなったあと妹が飼っていたが長命で死んだ。猫はガンで弱った死ぬ前の母を見ると心配そうにしていた。人間の気持ちはわかるのであろう。そんな猫のやさしい思いがよみがえる作品だ。

とりあえず作品情報を引用する。

世界が大洪水に包まれ、今にも街が消えようとする中、ある一匹の猫は居場所を後に旅立つ事を決意する。流れて来たボートに乗り合わせた動物たちと、想像を超えた出来事や予期せぬ危機に襲われることに。

しかし、彼らの中で少しずつ友情が芽生えはじめ、たくましくなっていく。彼らは運命を変える事が出来るのか?(作品情報 引用)

セリフがない猫の気持ちが伝わるハートフルなアニメ映画でよかった

莫大な予算のアメリカのメジャーアニメ作品を抑えて、アカデミー賞で最優秀作品賞を授与する審査員の気持ちがよく理解できる。制作費は5.5億円とメジャー作品と比べ物にならない。人間のようなセリフがなくても、動物たちの仕草で気持ちがわかる。ぜひ大画面の映画館の前方でこの感動を味わってほしい。おすすめ作品だ。

絵画マンガ系アニメでなくCG系アニメでバックの風景は実写のようだ。森の中を渓流が流れるところに1匹の猫がいる。川で泳ぐ魚を獲物にする猫だ。特に説明もなく、樹木の間を犬や大量の鹿が突如移動していく後で、ナイアガラ滝のような水量の多い洪水が押し寄せてくるのだ。陸地も樹木も水に埋まってしまう。

作品情報だとすぐさま動物たちが一緒のボートに乗るように感じられるがそうではない。犬もカピバラもキツネ猿も白鳥もみんなそれぞれの集団にいたのに、気がつくと一緒になる。漂流してきたボートにそれぞれの動物が恐る恐る乗り込んでいく。仲間からはぐれてきた動物たちもこのボートに乗るしかない。そんな動物たちの動きは実にリアルだ。

猫の動きはいかにも身近にいるホンモノのように敏捷で素早い。すいすいと高い場所に登っていく。猫が伸びをするポーズも母が飼っていた猫のようだ。この猫は水にももぐる。魚に飛びついてくわえてボートに持ってくる。アニメなのにこういう言い方も変だが、猫を捉えるカメラワークがいい。猫や動物を絶妙のショットで捉えている。白鳥につかまって空を飛ぶシーンもあり、空間もうまく使っている。

洪水に襲われた後も常に危機一髪な状況が続く。動物たちは同じボートにずっと一緒なのではなく、何度もはぐれる。仲間割れで取り残された意地悪な白鳥もいる。それでも、お互い助け合う気持ちがでてくる。心が洗われる気分になる。

ジルバロディス監督が「この作品は、とても個人的なストーリーでもあります。かつての作品では全て1人で手掛けていた私が、本作では主人公の猫のように、チームを組み協力すること、仲間を信頼すること、違いを乗り越えることを学びました」と語る。(作品情報 イントロダクション引用)

豪華さはないが、新鮮な感動をもらった。

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映画「ウィキッド ふたりの魔女」シンシア・エリヴォ&アリアナ・グランデ

2025-03-12 20:41:48 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)

映画「ウィキッド ふたりの魔女」を映画館で観てきました。

映画「ウィキッド」は同名の人気ミュージカルの映画化である。正直普段はスルーのパターンの作品で公開してすぐは観に行かなかった。ところが、アカデミー賞の授賞式をNHKTVで見た時に主演女優の2人シンシア・エリヴォとアリアナ・グランデ絶妙のデュエットがあまりにすばらしいので驚いてしまう。共演のミシェル・ヨーが授賞式の観客席で感動して涙を流すほどの美声だ。

しかも監督はジョン・M・チュウ「グランドイリュージョン」やラテン系のミュージカル「イン・ザ・ハイツ」は自分の好きな映画だ。躍動感があって良かった。お金もかかっているアメリカらしいエンターテイメント映画を大画面で楽しみたい気持ちになる。観客が少なめの平日に向かう。ものすごく良かった。おじさんでも楽しめる。

主人公は「オズの魔法使い」で西の悪い魔女と呼ばれるエルファバ(シンシア・エリヴォ)だ。おなじみの少女ドロシーがオズの国に迷い込むずっと前に遡って2人の魔女の出会いがこの映画の主題だ。

魔法の国オズの少女エルファバ(シンシア・エリヴォ)は母親が緑の飲み物を飲んで浮気相手と交わった後で肌が緑色に産まれてしまう。高い地位の総督である父親は妹のネッサローズばかりかわいがる。

それでも聡明なエルファバはオズの国のシズ大学に進学する。そこで魔法学部長であるモリブル夫人(ミシェルヨー)は、エルファバの魔法の才能を認める。そして人気者のグリンダ(アリアナ・グランデ)と同室になる。最初は自己顕示欲が強くわがままなグリンダと合わなかったが、次第に仲良くなっていく。

そのエルファバにオズの魔法使いから特別な招待状が届き、御大のいるエメラルドシティに列車で向かうことになる。見送りに来たグリンダを強引に列車に乗せて2人で華やかで陽気なエメラルドシティに行きオズの魔法使いのお城に向かう。

これはビックリ、すばらしいミュージカルだ。映像美の極致である。ビジュアル、ミュージックすべてにおいて抜きんでたエンターテイメント作品だ。

映画を観ておとぎの国にいる夢のような気分にさせてくれる。最終に向けて魔法使いの杖に乗って空を飛ぶエルファバを見ていると、ここしばらくは空を飛ぶ夢でも見るのではないだろうか。

これだけすばらしいと言葉にするのが愚直に感じてしまう。

VFXを駆使した映像は想像できたが、こんな手の込んだセットや凝った小道具はなかなか作れない。あらゆるハリウッド屈指の美術専門家が携わっているだろう。ともかくあらゆるデザインに凝っている。例えば、オズの魔法使いの有力者がいるエメラルドシティに向かう流星形の列車のデザインもすばらしいし、ディズニーランドのようなエメラルドシティに着いた後も、みんなが陽気にダンスをしながら迎えにくるシーンに胸がドキドキする。

⒈シンシア・エリヴォ

実はアリアナ・グランデは知っていてもシンシア・エリヴォは知らなかった。アフリカ系でアカデミー賞の授賞式でもスキンヘッドだ。アカデミー賞の授賞式にスキンヘッドで現れた女性がこれまでいたのであろうか?とにかく歌がうまい。映画が始まりシンシアの歌を聴いて何度も背筋に電流が流れた。これまでトニー賞、エミー賞、グラミー賞など数々の賞を受賞しているんだよね。

そんな活躍でも主人公2人はオーディションで選ばれたと聞いた。アメリカは奥が深い。2人が主人公だけど、少なくともこの前半ではグリンダの方が性格に難があって、エルファバの方が聡明でまともだ。そんなところもシンシア・エリヴォが巧みに演じる。

⒉「ディファイング・グラヴィティ」

アカデミー賞授賞式でもシンシア・エリヴォとアリアナ・グランデがデュエットしていた曲だ。最終局面で主人公2人がハメられた状況になり危機一髪だ。映画が大詰めになった時に2人が歌い出す。訳詞でグラヴィティを重力としている。重力に逆らう、すなわち空中を飛ぶのだ。どうも舞台でも同じ歌が流れているらしい。エルファバは舞台でも空を飛ぶのであろうか?どうなるかと思ったとき続くででた。次回がたのしみだ。

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映画「ケナは韓国が嫌い」

2025-03-08 17:43:39 | 韓国映画(2020年以降)

映画「ケナは韓国が嫌い」を映画館で観てきました。

映画「ケナは韓国が嫌いで」は日本の右翼系嫌韓者の人が喜びそうな題名だが、20代の普通の女の子の視点で描く小説「韓国が嫌いで」の映画化である。監督・脚本はチャン・ゴンジェ。韓国映画は社会問題を巧みに取り上げることが多い。ストーリーのアップダウンが激しいのは魅力で好きな作品も多い。でも直近は、「満ち足りた家族」のような傑作はあっても以前よりはハズレ映画が多くなった。その一方でごく普通の韓国女子の気持ちに焦点をあてる映画だと感じて、同世代の娘がいる自分は観たい気になる。

ソウル郊外団地で両親と妹と共に暮らす28歳のケナ(コ・アソン)は大学を卒業後、正社員として働く3年目の会社員だった。毎日片道2時間かけてソウル市内の会社に通勤している。上司とはそりが合わない。大学時代から交際して7年になる恋人のジミョン(キム・ウギョム)は、ピントのずれた話をしがちでケナはいらだつ。ケナは恋人の家族とつきあうにも居心地の悪さを感じていた。

ケナが家族と暮らす団地は老朽化が進む再開発地区にあり、数年すれば新しいマンションに移れる。求愛する恋人の実家とはそりが合わない。家族が結婚を急かすのは困る。ケナは韓国を抜けだしてニュージーランド移住を決意する。

久々韓国のどぎつくない映画を観た。

韓国映画は極端な格差問題を扱うが、それほどでもない。極悪な奴らや黒社会は一切出てこない。7年付き合っている彼氏はやさしい。主人公ケナはクイっと酒を飲んで大酒飲みで喫煙者よくいる韓国の若い女の子だ。彼氏の実家の方がいい家でという話はあっても格差を問うような話ではない。若者の自殺率が先進国1位など主人公が韓国を嫌がる面は多々言葉にでてくる。それでも現状に不満足なのは自分にはぜいたくに見える。それでも思い切って海外に渡航してしまうのだ。

ただ、時間軸を数年単位で前後に飛ばしていくので映画としてはわかりづらい。突然変わるのでそのシーンがいつのことなのか見えづらい。技巧にはしりすぎと感じる。それでも主演のコ・アソンは若者らしいチャレンジャースピリットがあって好感がもてる。

⒈上司からの叱責と反発のシーン

取引業者のランクを評価する会社の審査基準ががあって、その通りにケナが処理しているのに上司から文句を言われる。あの会社は取引があるんだからうまくやってよと。まじめな女性社員が会社のルール通りに物事を進めるのは日本も韓国も同じだろう。女子社員はルールを逸脱しない。ある意味融通が利かないのはよくありがちなことだけど、言われる方も困るよね。

ケナは反発して会社を辞めますと言いだす。すると、上司は辞められると困ると大慌てで次回異動させるから待ってと言う。部下を辞めさせると上司の評価が下がるようなのだ。日本も基本的には同じだけど、最近の日本は若手の転職が異様に多くなってきたのでサジ加減が変わったかも。

⒉ニュージーランドでの格付け

ニュージーランドに行ったら、掛け持ちでいくつものバイトをして生計の補助にする。そこでおもしろい話題が出た。ニュージーランドの韓国人はランク付けが好きでこんな感じで自分を格付けしているらしい。

米国>日本、韓国>中国>東南アジア

韓国人留学生はいくつもバイトしていて元々一般家庭の出身だという。まさにケナのことだ。本当に金持ちな韓国人だったら米国に行く。ニュージーランドで金持ちの出身なのは東南アジアの留学生なんだよというセリフがあった。なるほどわかる。先に観た中国映画でもオセアニアの話題が多かった。米国の物価も上がりすぎて避けられているんだろう。

⒊開発って賃貸もあり?

もともとソウル郊外の古い団地に住んでいた。ソウルの会社までバスと電車乗り継いで2時間だ。開発エリアに入っていて建て替えるらしい。賃料が話題なので賃貸なんだね。次に住むのは18坪か24坪かなんていうセリフがあって建て替えても住めるみたい。へえそうなんだ。日本だとむずかしいのでは?

⒋ニュージーランド脱出

ニュージーランドでの現地人や同じ留学生との出会いを描く。色んな出会いがあって成長していく姿を見るのは悪くない。ケナと同じFラン大学出のチャラい韓国出身者と付き合ったり、インドネシアの男に誘われて一緒に住もうとと口説かれる。ファッション系のお店に勤めていて、他の女性店員に「あんたの靴はこの店に似合わない」と言われても、代わりに抗弁してかばってくれる同僚もいる。人生勉強をしていくのだ。

そんな変化を見るのもいいんじゃないかな。大学の時から付き合って渡航時にふった出版社にようやく勤めた元彼氏と帰国時に再会する。一緒になろうと口説かれ体を合わせても本質的になびかないニュージーランドに戻っていくのだ。日本の若者にも通じる話が多く、嫌韓の日本人が喜びそうな映画ではなかった。加えてケナの破天荒な妹役がよく見えた。

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映画「石門」

2025-03-07 08:42:05 | 映画(中国映画)

映画「石門」を映画館で観てきました。

映画「石門」は中国映画、望まぬ妊娠をした女子大学生をクローズアップさせる。監督は湖南省出身のホアン・ジーと日本の大塚竜治だ。ロッテントマトで絶賛という評判と現代中国が垣間見れそうという期待に映画館に向かう。いつもながら中国映画は人気がない。あまりに閑散の映画館に驚く。恋人と別れる20歳の女子大生がそのまま産んで、医療事故による親の賠償金代わりに提供するという日本ではありえない話だ。

中国湖南省の長沙市。バイトでお金を稼ぎながら、客室乗務員目指して勉強に励むリン(ヤオ・ホングイ)。郊外で診療所を営んでいる両親は、死産の責任を追及され賠償金を迫られていた。ある日リンは、自分が妊娠一ヶ月であることを知る。お腹の子の父親と別れたばかりのリンは子供を持つことも中絶することも望まない。彼女は両親を助けるため賠償金の代わりに 生まれてくる子供を提供することを決心するのだが…。(作品情報 引用)

編集が下手で緩慢な映画になってしまい期待ハズレだった。

現代中国の裏側を垣間見ることができたのは良かった。上映時間が長いのはわかって観に行ったが、各シーンがムダだらけである。妙に長回しする意味がない。時間を消耗するだけの映画になってしまった。作っている映画人の自己満足にしか見えなかった。宣伝のロッテントマトの評価は自分には信じ難い。でも懐妊した女性の微妙な心理状態を演じきった主演のヤオ・ホングイと両親の演技は好演と感じる

 舞台となる長沙市には行ったことがない。内陸にある1000万都市だ。作品情報では親が診療所を営むとなっていても、父親は薬剤師のようだ。母親はマルチ商法で活力クリームを売るのに狂っている。死産による多額の賠償金というが、完全な過失なのであろうか?裁判の形跡はなく一方的に賠償金を支払う設定もよくわからない。両親が娘の妊娠を知り、産まれた子を賠償金がわりにする設定が日本ではありえない設定なので映画が終わるまで腑に落ちない。

昨年観た杭州市が舞台の「西湖畔に生きる」では、マルチ商法で一攫千金を目指す詐欺集団を取り上げていた。ここでも主人公の母親が「活力クリーム」を売りまくって、幹部になって下に売らせる立場になろうと躍起になるシーンが出てくる。儲けたお金を賠償金の支払いに充当するわけだ。日本では昭和の頃ほどマルチ商法による社会問題はなくなった気がする。逆に現代中国ではこういう詐欺が横行しているのであろうか?

人身売買的な話もある。金になるバイトを探している主人公は中国辺境のウイグルから長沙に来ている若い女の子に代理母親になるような裏取引に関与する。映画を作る側からの現代中国の悪い側面を露わにする意図を感じたが、中途半端な印象を受ける。いつも中国映画の最初に出てくる軍服を着た兵士が映る当局承認のテロップはなかった。

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映画「ゆきてかへらぬ」 広瀬すず&根岸吉太郎

2025-03-06 20:40:14 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「ゆきてかへらぬ」を映画館で観てきました。
映画「ゆきてかへらぬ」はベテラン根岸吉太郎監督広瀬すず主演で「ツィゴイネルワイゼン」などの名脚本家田中陽造と組んだ16年ぶりの新作である。詩人の中原中也と文芸評論家の小林秀雄、そして女優の長谷川泰子の三角関係を描いている。ムードが暗そうなので公開後行こうか迷った。根岸吉太郎監督はこのブログでもアクセスの多い「遠雷」などを手がけており、前作の太宰治の私小説のような「ヴィヨンの妻」は自分の好きな映画だ。なのでやっぱり映画館に突入しようと思い直す。結果的には良かった。
 
中原中也は知っていても詩に疎い自分は彼の作品を知らない。小林秀雄は自分が大学受験する頃、現代国語の問題で最も出題が多い作家と言われていた。当時そんなウワサで読んでみようと試みてもあえなく脱落。今から10年強前に、センター試験の現代国語に小林秀雄の随筆が出題されて受験生が撃沈したのが話題になったのは記憶に新しい。最初に小林秀雄の「モオツアルト」を読んだ時は意味不明で宇宙語かと思ったけど、大人になってからわりとスラスラ読めた。モーツァルトについての知識が増えたからであろう。われわれにとって畏怖の存在である小林秀雄がこんな恋愛三角関係のど真ん中にいた事は初めて知った。
 
1924年の京都、20歳の長谷川泰子(広瀬すず)と17歳の中原中也(木戸大聖)は1個の柿がご縁で知り合う。泰子はマキノ映画に属する女優で、中也は詩人になろうとする学生だった。2人は申し合わせたように同棲を始める。
 
その後、2人は東京へ引っ越しする。結核になった中也の友人の富永から紹介された小林秀雄(岡田将生)が自宅を訪ねてくる。文芸評論の道を歩もうとする小林は新進女優の泰子に好意を持ち、いつの間にか奪うがごとく同棲を始めると知り中也は驚く。それでも3人の関係は途切れることがなく続いていく。
 
観ていくうちに徐々に引き込まれていく作品だった。
大人になりつつある広瀬すずが後半にかけて美しく映し出される。
「ファーストキス」が松たか子を観に行く映画だったのと同様にこの映画は広瀬すずを観に行く映画だ。みんなバラバラになった後に3人が再会する場面でオカッパ頭にした広瀬すずがあまりに美しいのでドッキリした。
 
ただ、この女は本当に扱いが面倒くさい女だ。普通の男がついていくのはむずかしい。小林秀雄と同棲を始めた泰子のもとに中也が壁掛け時計をプレゼントするシーンがある。骨董に目利きが効く小林秀雄が大事にしている陶器を、泰子が時計に投げつけてぶち壊したり、中也が見合いするという女性の写真をビリビリに破いたり、自分が見ると面倒くさい女にしか見えない。女性から見ると、もしかして共感できるところあるのかな?
 
 
良かったと思ったのはロケ撮影が意外に多いこと。大正時代だと普通はセットのみだけどうまくロケハンしている。関西系の寺や日光江戸村に加えて喫茶店のシーンはもしかして神保町のさぼうるじゃないかなあ?桜満開の中で撮影して臨場感が出た。遊園地やボートが浮かぶ湖や中也がローラースケートをしているシーンもいい。大正時代だからといってセットだけだとイマイチになると思う。
 
小林秀雄は長谷川泰子と同棲する。同棲当初に2人の夜の関係がなかったというのが意外だ。積極的に小林秀雄に関係を求める広瀬すずが大人に変貌を遂げるのもいい感じだ。でも、小林は結局奈良に逃げ出す泰子についていけない気持ちは男としてよくわかる。そのまま付き合っていたらあの名随筆は書けなかっただろう。3人の再会の場面も悪くない。映画では中原中也が脳に結核菌が来ておかしくなって死ぬまで映し出している。葬儀シーンのあと年季の入ったレンガ積みの火葬場でのシーンもよく見えた。
 
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映画「TATAMI」

2025-03-04 20:10:29 | 映画(アジア)
映画「TATAMI」を映画館で観てきました。
映画「TATAMI」イランの女子柔道選手がイスラエルとの関係で試合出場を辞退させられることでの葛藤を描くモノクロ作品。イラン出身女優ザーラ・アミールとイスラエル出身のガイ・ナッティヴが共同演出する。ザーラ・アミール主演「聖地には蜘蛛が巣を張る」は観ている。先日もイラン映画「聖なるイチジクの種」を観たが、いずれも本国未公開だ。秘密裏に撮影に参加したイラン出身者は全員亡命したようだ。
 
2019年日本での世界柔道選手権で、イスラエル選手との対戦を辞退せよと指示を受けたイランの男性選手が反発した事件が元ネタになっている。結局ドイツへ亡命して東京オリンピックではモンゴル代表で銀メダルをとった。自分は高校の時に柔道をやっているので、柔道着姿のポスターには引き寄せられて映画館に向かう。
 
ジョージアで開催中の女子世界柔道選手権。イラン代表のレイラ・ホセイニ(アリエンヌ・マンディ)は順調に勝ち進む。ところが、イラン政府から敵対国であるイスラエルとの対戦を避ける指示が来て、ガンバリ監督(ザーラ・アミール)は棄権を命じる。レイラは抵抗するが受け入れられない。自虐的にひたいにケガをして棄権も考える。
 
しかし、試合に出ると強行する。ケガを見て国際柔道協会も注目する。一方で本国では人質に取られた家族に危険が及んでいるのがスマホを通じてわかる。レイラは葛藤に悩む。
主人公の熱演が光っても期待したほどではなかった。
モノクロ映画だ。主人公レイラが闘う柔道の試合のシーンを手持ちカメラが追う。ブレるカメラでスピード感が加わる。負けそうになっても常に逆転する試合展開には手に汗を握る人もいるだろう。本国の家族や夫をイラン当局が拘束する中で、このまま試合を続けるとレイラがどうなってしまうのかの緊張感もある。試合をするなと訴える監督と主人公の葛藤が映画の見どころだ。
柔道をやっていた自分からすると、試合のシーンが長すぎるので技に粗が見えてしまう印象をもつ。ただ、柔道はお互いに全身の力を投入して組み手するので稽古であっても3分以上になるとむちゃくちゃ疲れる。映画で闘った両者ともフラフラだろう。レイラが自虐的に鏡にオデコを打ってケガするのは本気でやったのであろうか?本気だったらすごい。
 
柔道技や審判の指示はもちろん日本語で馴染みのある言葉だ。それなのに柔道が題材でも日本人は出てこない。秘密裏での撮影なので仕方ないと思うけど残念。初めて知ったことであるが、イラン政府は国際的なイベントでイラン人とイスラエル人が対面しないように指図してきたらしい。さすがの北朝鮮も過去には同じような動きをしてきても直近ではないのではないか。
 
個人の自由が奪われるイランの惨状をいくつかの映画で観てきた。確かにやりすぎだと感じる。イランに言論の自由はない。最終的な他国への亡命の決断は正しい。柔道人口が減っているのにヒジャブをつけて試合をするイスラム系の彼女たちには柔道人として敬意を表する。今後どうなるんだろうかと気になる。
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映画「名もなき者A COMPLETE UNKNOWN」 ティモシーシャラメ&ジェームズマンゴールド

2025-03-02 17:54:24 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「名もなき者A COMPLETE UNKNOWN」を映画館で観てきました。
映画「名もなき者」は1960年代前半のボブ・ディランティモシー・シャラメが演じたジェームズ・マンゴールド監督の作品である。「フォードvsフェラーリ」や直近の「インディジョーンズ」などアクション映画が得意な印象を持つが今回は静的である。ジョニーキャッシュの半生記である「ウォーク・ザ・ライン」のような音楽映画の色彩だ。
 
自分が初めてボブディランを知ったのはジョージ・ハリスンが仕切った1971年夏の「バングラデシュ」コンサートの時である。その年から12歳なのに洋楽の全米ヒットチャートをノートに記録するようになり、雑誌「ミュージックライフ」を読むようになった。ジョージ、リンゴの元ビートルズのメンバーを中心に、東パキスタンのバングラデシュを救済するコンサートが開催されたことを知った。このコンサートがレコードになったのは1971年末だった。日本ではレコード会社の駆け引きで発売が遅れている。親にねだって茶色ジャケットの輸入盤を買ってもらい、レコードを聴いて感動した。それにしてもものすごいメンバーである。
 
解散してまだ間もないビートルズメンバーがいるのに、そこで観客の拍手が異様な位鳴り響いたのがボブ・ディランであった。意外だった。少年だった自分はその時初めてボブ・ディランを知った。映画でのボブディランへの大きな拍手初めてレコードを聴いた時の感動が蘇る。
1961年、ニューヨークに来たばかりのボブディランティモシー・シャラメ)は伝説のフォークシンガーであるウディガスリーの病棟を訪れる。そこには人気歌手ピートシーガーエドワード・ノートン)もいて、2人の前でウディに捧げる歌を披露する。ピートに認められたボブはライブハウスで演奏するチャンスを与えられる。そこでは女性フォーク歌手ジョーンバエズ(モニカ・バルバロ)も演奏していた。ギター片手にハーモニカを吹きながら歌うボブディランはその場で絶賛されて、聴いていたコロンビアレコードの社員にも注目される。
 
ボブディランはニューヨークで知り合ったシルヴィ(エル・ファニング)と付き合いながら陽のあたる道を歩くようになる。当初コロンビアレコードのプロデューサーはボブディランに旧来のフォークソングをレコーディングさせていた。一方で仲間のジョーンバエズからはオリジナル曲の良さを認められてあなたの歌を歌わせてくれと頼まれる。同時に二股をかけて付き合う。やがて世相の矛盾を歌詞に取り入れたボブディランの歌が若者に支持され世間の注目を浴びるようになる。
 
すばらしい作品だ。
ボブディランになりきって自ら歌うティモシー・シャラメが凄すぎる。
正直言ってここまでのレベルに歌を仕上げているとは思っていなかった。ジョーンバエズのストーリーへの絡め方も絶妙で、勝手気ままなボブディランとの恋愛に戸惑い気味のモニカ・バルバロの演技も歌も良かった。この2人はアカデミー賞の個人部門で受賞してもおかしくない。エドワードノートン「ファイトクラブ」の武闘派イメージも消えて違った一面が観れてよかった。トシという日本人妻に存在感があった。
⒈ボブディランの歌
映画で流れるボブディランの歌は80%程度知っているけど、全部ではない。若い人はほとんど知らないんじゃないだろうか?それでも楽しめるだろう。ボブディランを知ったきっかけを上記に書いた。バングラデシュコンサートではここでも流れる「Blowin' in the Wind」「A Hard Rain's a-Gonna Fall」を演奏している。でも、字余りのようなボブの歌がすぐ好きになった訳ではない。当時「追憶のハイウェイ61」は名作とされていたけど、最初聴いて自分には合わなかった。
 
こうやって映画の字幕を観ながら歌を聴いていると、いかにボブディランがおもしろい歌を歌っていたんだなと感じる。自らの肌で感じた発想が歌詞に表れていることがよくわかる。1970年代に自分が理解するのは無理だったよなあ。当時のアメリカ史におけるキューバ危機やケネディ暗殺、黒人公民権問題などを劇中に流れるニュースとして取り入れている。このニュースの組入度合いが多すぎず適切だった。キューバ危機の時ここまでニューヨークがパニックに陥ったとは知らなかった。現代アメリカ史を知っていれば、映画のボブディランに関する出来事がいつの時代なのかがわかる。
 
⒉ジョーンバエズ
ジョーンバエズの使い方が絶妙だった。最初にニューヨークのライブハウスでモニカ・バルバロ「朝日のあたる家」を歌うシーンに思わずグイッと引き寄せられる。伸びのある声が美しい。いい加減なボブディランに呆れ気味で自分のところに来るなと言っているのに、ボブの恋人だったシルヴィ(エル・ファニング)がコンサート会場に来た時に親しげに意味深な歌詞の歌をボブとデュエットする。やきもちやかせる複雑な女性心理のシーンもこの映画の見せ場の一つだ。「北国の少女」「悲しきベイブ」はよかった。
 
自分がヒットチャートをつけ始めた1971年にジョーンバエズがザ・バンドの曲「オールドデキシーダウン」をスマッシュヒットさせて初めて彼女を知る。同じ年に映画「死刑台のメロディ」の主題歌も歌っていてラジオで流れていた。反体制のイメージが強い女性だけど、この映画では女性らしさが前面に出てよかった。恋人シルヴィとジョーンバエズとの恋愛と別れを巧みに描いている。
⒊エレキ化への反発
それにしてもスタートのウディガスリーとの出会いから始まって見せ場の多い映画だ。1965年7月ニューポート・フォークフェスティバルでピートシーガーの説得にも関わらず、あえてディランがエレクトリック・ギターを持ち演奏する場面が最終のヤマだろう。この逸話は知っていても、ここまで観客や身内の反感をかっているとは思っていなかった。まさに決行だ。
 
 
そんなシーンにジェームズマンゴールド監督が自ら手がけた「ウォークザライン」の主人公ジョニー・キャッシュを登場させる。使い方がうまい。コロンビアレコードのプロデューサーがピーターポール&マリーの悪口を言っていたり、「ライク・ア・ローリング・ストーン」の録音で当時無名のアル・クーパーオルガンで有名なイントロを弾くシーンなど細かい逸話を散りばめている。ボブディランがバイクに乗るシーンが多く、いつ事故るかとヒヤヒヤしていたが、どうもこの後らしい。
コメント (2)
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