映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ケナは韓国が嫌い」

2025-03-08 17:43:39 | 韓国映画(2020年以降)

映画「ケナは韓国が嫌い」を映画館で観てきました。

映画「ケナは韓国が嫌いで」は日本の右翼系嫌韓者の人が喜びそうな題名だが、20代の普通の女の子の視点で描く小説「韓国が嫌いで」の映画化である。監督・脚本はチャン・ゴンジェ。韓国映画は社会問題を巧みに取り上げることが多い。ストーリーのアップダウンが激しいのは魅力で好きな作品も多い。でも直近は、「満ち足りた家族」のような傑作はあっても以前よりはハズレ映画が多くなった。その一方でごく普通の韓国女子の気持ちに焦点をあてる映画だと感じて、同世代の娘がいる自分は観たい気になる。

ソウル郊外団地で両親と妹と共に暮らす28歳のケナ(コ・アソン)は大学を卒業後、正社員として働く3年目の会社員だった。毎日片道2時間かけてソウル市内の会社に通勤している。上司とはそりが合わない。大学時代から交際して7年になる恋人のジミョン(キム・ウギョム)は、ピントのずれた話をしがちでケナはいらだつ。ケナは恋人の家族とつきあうにも居心地の悪さを感じていた。

ケナが家族と暮らす団地は老朽化が進む再開発地区にあり、数年すれば新しいマンションに移れる。求愛する恋人の実家とはそりが合わない。家族が結婚を急かすのは困る。ケナは韓国を抜けだしてニュージーランド移住を決意する。

久々韓国のどぎつくない映画を観た。

韓国映画は極端な格差問題を扱うが、それほどでもない。極悪な奴らや黒社会は一切出てこない。7年付き合っている彼氏はやさしい。主人公ケナはクイっと酒を飲んで大酒飲みで喫煙者よくいる韓国の若い女の子だ。彼氏の実家の方がいい家でという話はあっても格差を問うような話ではない。若者の自殺率が先進国1位など主人公が韓国を嫌がる面は多々言葉にでてくる。それでも現状に不満足なのは自分にはぜいたくに見える。それでも思い切って海外に渡航してしまうのだ。

ただ、時間軸を数年単位で前後に飛ばしていくので映画としてはわかりづらい。突然変わるのでそのシーンがいつのことなのか見えづらい。技巧にはしりすぎと感じる。それでも主演のコ・アソンは若者らしいチャレンジャースピリットがあって好感がもてる。

⒈上司からの叱責と反発のシーン

取引業者のランクを評価する会社の審査基準ががあって、その通りにケナが処理しているのに上司から文句を言われる。あの会社は取引があるんだからうまくやってよと。まじめな女性社員が会社のルール通りに物事を進めるのは日本も韓国も同じだろう。女子社員はルールを逸脱しない。ある意味融通が利かないのはよくありがちなことだけど、言われる方も困るよね。

ケナは反発して会社を辞めますと言いだす。すると、上司は辞められると困ると大慌てで次回異動させるから待ってと言う。部下を辞めさせると上司の評価が下がるようなのだ。日本も基本的には同じだけど、最近の日本は若手の転職が異様に多くなってきたのでサジ加減が変わったかも。

⒉ニュージーランドでの格付け

ニュージーランドに行ったら、掛け持ちでいくつものバイトをして生計の補助にする。そこでおもしろい話題が出た。ニュージーランドの韓国人はランク付けが好きでこんな感じで自分を格付けしているらしい。

米国>日本、韓国>中国>東南アジア

韓国人留学生はいくつもバイトしていて元々一般家庭の出身だという。まさにケナのことだ。本当に金持ちな韓国人だったら米国に行く。ニュージーランドで金持ちの出身なのは東南アジアの留学生なんだよというセリフがあった。なるほどわかる。先に観た中国映画でもオセアニアの話題が多かった。米国の物価も上がりすぎて避けられているんだろう。

⒊開発って賃貸もあり?

もともとソウル郊外の古い団地に住んでいた。ソウルの会社までバスと電車乗り継いで2時間だ。開発エリアに入っていて建て替えるらしい。賃料が話題なので賃貸なんだね。次に住むのは18坪か24坪かなんていうセリフがあって建て替えても住めるみたい。へえそうなんだ。日本だとむずかしいのでは?

⒋ニュージーランド脱出

ニュージーランドでの現地人や同じ留学生との出会いを描く。色んな出会いがあって成長していく姿を見るのは悪くない。ケナと同じFラン大学出のチャラい韓国出身者と付き合ったり、インドネシアの男に誘われて一緒に住もうとと口説かれる。ファッション系のお店に勤めていて、他の女性店員に「あんたの靴はこの店に似合わない」と言われても、代わりに抗弁してかばってくれる同僚もいる。人生勉強をしていくのだ。

そんな変化を見るのもいいんじゃないかな。大学の時から付き合って渡航時にふった出版社にようやく勤めた元彼氏と帰国時に再会する。一緒になろうと口説かれ体を合わせても本質的になびかないニュージーランドに戻っていくのだ。日本の若者にも通じる話が多く、嫌韓の日本人が喜びそうな映画ではなかった。加えてケナの破天荒な妹役がよく見えた。

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映画「石門」

2025-03-07 08:42:05 | 映画(中国映画)

映画「石門」を映画館で観てきました。

映画「石門」は中国映画、望まぬ妊娠をした女子大学生をクローズアップさせる。監督は湖南省出身のホアン・ジーと日本の大塚竜治だ。ロッテントマトで絶賛という評判と現代中国が垣間見れそうという期待に映画館に向かう。いつもながら中国映画は人気がない。あまりに閑散の映画館に驚く。恋人と別れる20歳の女子大生がそのまま産んで、医療事故による親の賠償金代わりに提供するという日本ではありえない話だ。

中国湖南省の長沙市。バイトでお金を稼ぎながら、客室乗務員目指して勉強に励むリン(ヤオ・ホングイ)。郊外で診療所を営んでいる両親は、死産の責任を追及され賠償金を迫られていた。ある日リンは、自分が妊娠一ヶ月であることを知る。お腹の子の父親と別れたばかりのリンは子供を持つことも中絶することも望まない。彼女は両親を助けるため賠償金の代わりに 生まれてくる子供を提供することを決心するのだが…。(作品情報 引用)

編集が下手で緩慢な映画になってしまい期待ハズレだった。

現代中国の裏側を垣間見ることができたのは良かった。上映時間が長いのはわかって観に行ったが、各シーンがムダだらけである。妙に長回しする意味がない。時間を消耗するだけの映画になってしまった。作っている映画人の自己満足にしか見えなかった。宣伝のロッテントマトの評価は自分には信じ難い。でも懐妊した女性の微妙な心理状態を演じきった主演のヤオ・ホングイと両親の演技は好演と感じる

 舞台となる長沙市には行ったことがない。内陸にある1000万都市だ。作品情報では親が診療所を営むとなっていても、父親は薬剤師のようだ。母親はマルチ商法で活力クリームを売るのに狂っている。死産による多額の賠償金というが、完全な過失なのであろうか?裁判の形跡はなく一方的に賠償金を支払う設定もよくわからない。両親が娘の妊娠を知り、産まれた子を賠償金がわりにする設定が日本ではありえない設定なので映画が終わるまで腑に落ちない。

昨年観た杭州市が舞台の「西湖畔に生きる」では、マルチ商法で一攫千金を目指す詐欺集団を取り上げていた。ここでも主人公の母親が「活力クリーム」を売りまくって、幹部になって下に売らせる立場になろうと躍起になるシーンが出てくる。儲けたお金を賠償金の支払いに充当するわけだ。日本では昭和の頃ほどマルチ商法による社会問題はなくなった気がする。逆に現代中国ではこういう詐欺が横行しているのであろうか?

人身売買的な話もある。金になるバイトを探している主人公は中国辺境のウイグルから長沙に来ている若い女の子に代理母親になるような裏取引に関与する。映画を作る側からの現代中国の悪い側面を露わにする意図を感じたが、中途半端な印象を受ける。いつも中国映画の最初に出てくる軍服を着た兵士が映る当局承認のテロップはなかった。

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映画「ゆきてかへらぬ」 広瀬すず&根岸吉太郎

2025-03-06 20:40:14 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「ゆきてかへらぬ」を映画館で観てきました。
映画「ゆきてかへらぬ」はベテラン根岸吉太郎監督広瀬すず主演で「ツィゴイネルワイゼン」などの名脚本家田中陽造と組んだ16年ぶりの新作である。詩人の中原中也と文芸評論家の小林秀雄、そして女優の長谷川泰子の三角関係を描いている。ムードが暗そうなので公開後行こうか迷った。根岸吉太郎監督はこのブログでもアクセスの多い「遠雷」などを手がけており、前作の太宰治の私小説のような「ヴィヨンの妻」は自分の好きな映画だ。なのでやっぱり映画館に突入しようと思い直す。結果的には良かった。
 
中原中也は知っていても詩に疎い自分は彼の作品を知らない。小林秀雄は自分が大学受験する頃、現代国語の問題で最も出題が多い作家と言われていた。当時そんなウワサで読んでみようと試みてもあえなく脱落。今から10年強前に、センター試験の現代国語に小林秀雄の随筆が出題されて受験生が撃沈したのが話題になったのは記憶に新しい。最初に小林秀雄の「モオツアルト」を読んだ時は意味不明で宇宙語かと思ったけど、大人になってからわりとスラスラ読めた。モーツァルトについての知識が増えたからであろう。われわれにとって畏怖の存在である小林秀雄がこんな恋愛三角関係のど真ん中にいた事は初めて知った。
 
1924年の京都、20歳の長谷川泰子(広瀬すず)と17歳の中原中也(木戸大聖)は1個の柿がご縁で知り合う。泰子はマキノ映画に属する女優で、中也は詩人になろうとする学生だった。2人は申し合わせたように同棲を始める。
 
その後、2人は東京へ引っ越しする。結核になった中也の友人の富永から紹介された小林秀雄(岡田将生)が自宅を訪ねてくる。文芸評論の道を歩もうとする小林は新進女優の泰子に好意を持ち、いつの間にか奪うがごとく同棲を始めると知り中也は驚く。それでも3人の関係は途切れることがなく続いていく。
 
観ていくうちに徐々に引き込まれていく作品だった。
大人になりつつある広瀬すずが後半にかけて美しく映し出される。
「ファーストキス」が松たか子を観に行く映画だったのと同様にこの映画は広瀬すずを観に行く映画だ。みんなバラバラになった後に3人が再会する場面でオカッパ頭にした広瀬すずがあまりに美しいのでドッキリした。
 
ただ、この女は本当に扱いが面倒くさい女だ。普通の男がついていくのはむずかしい。小林秀雄と同棲を始めた泰子のもとに中也が壁掛け時計をプレゼントするシーンがある。骨董に目利きが効く小林秀雄が大事にしている陶器を、泰子が時計に投げつけてぶち壊したり、中也が見合いするという女性の写真をビリビリに破いたり、自分が見ると面倒くさい女にしか見えない。女性から見ると、もしかして共感できるところあるのかな?
 
 
良かったと思ったのはロケ撮影が意外に多いこと。大正時代だと普通はセットのみだけどうまくロケハンしている。関西系の寺や日光江戸村に加えて喫茶店のシーンはもしかして神保町のさぼうるじゃないかなあ?桜満開の中で撮影して臨場感が出た。遊園地やボートが浮かぶ湖や中也がローラースケートをしているシーンもいい。大正時代だからといってセットだけだとイマイチになると思う。
 
小林秀雄は長谷川泰子と同棲する。同棲当初に2人の夜の関係がなかったというのが意外だ。積極的に小林秀雄に関係を求める広瀬すずが大人に変貌を遂げるのもいい感じだ。でも、小林は結局奈良に逃げ出す泰子についていけない気持ちは男としてよくわかる。そのまま付き合っていたらあの名随筆は書けなかっただろう。3人の再会の場面も悪くない。映画では中原中也が脳に結核菌が来ておかしくなって死ぬまで映し出している。葬儀シーンのあと年季の入ったレンガ積みの火葬場でのシーンもよく見えた。
 
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映画「TATAMI」

2025-03-04 20:10:29 | 映画(アジア)
映画「TATAMI」を映画館で観てきました。
映画「TATAMI」イランの女子柔道選手がイスラエルとの関係で試合出場を辞退させられることでの葛藤を描くモノクロ作品。イラン出身女優ザーラ・アミールとイスラエル出身のガイ・ナッティヴが共同演出する。ザーラ・アミール主演「聖地には蜘蛛が巣を張る」は観ている。先日もイラン映画「聖なるイチジクの種」を観たが、いずれも本国未公開だ。秘密裏に撮影に参加したイラン出身者は全員亡命したようだ。
 
2019年日本での世界柔道選手権で、イスラエル選手との対戦を辞退せよと指示を受けたイランの男性選手が反発した事件が元ネタになっている。結局ドイツへ亡命して東京オリンピックではモンゴル代表で銀メダルをとった。自分は高校の時に柔道をやっているので、柔道着姿のポスターには引き寄せられて映画館に向かう。
 
ジョージアで開催中の女子世界柔道選手権。イラン代表のレイラ・ホセイニ(アリエンヌ・マンディ)は順調に勝ち進む。ところが、イラン政府から敵対国であるイスラエルとの対戦を避ける指示が来て、ガンバリ監督(ザーラ・アミール)は棄権を命じる。レイラは抵抗するが受け入れられない。自虐的にひたいにケガをして棄権も考える。
 
しかし、試合に出ると強行する。ケガを見て国際柔道協会も注目する。一方で本国では人質に取られた家族に危険が及んでいるのがスマホを通じてわかる。レイラは葛藤に悩む。
主人公の熱演が光っても期待したほどではなかった。
モノクロ映画だ。主人公レイラが闘う柔道の試合のシーンを手持ちカメラが追う。ブレるカメラでスピード感が加わる。負けそうになっても常に逆転する試合展開には手に汗を握る人もいるだろう。本国の家族や夫をイラン当局が拘束する中で、このまま試合を続けるとレイラがどうなってしまうのかの緊張感もある。試合をするなと訴える監督と主人公の葛藤が映画の見どころだ。
柔道をやっていた自分からすると、試合のシーンが長すぎるので技に粗が見えてしまう印象をもつ。ただ、柔道はお互いに全身の力を投入して組み手するので稽古であっても3分以上になるとむちゃくちゃ疲れる。映画で闘った両者ともフラフラだろう。レイラが自虐的に鏡にオデコを打ってケガするのは本気でやったのであろうか?本気だったらすごい。
 
柔道技や審判の指示はもちろん日本語で馴染みのある言葉だ。それなのに柔道が題材でも日本人は出てこない。秘密裏での撮影なので仕方ないと思うけど残念。初めて知ったことであるが、イラン政府は国際的なイベントでイラン人とイスラエル人が対面しないように指図してきたらしい。さすがの北朝鮮も過去には同じような動きをしてきても直近ではないのではないか。
 
個人の自由が奪われるイランの惨状をいくつかの映画で観てきた。確かにやりすぎだと感じる。イランに言論の自由はない。最終的な他国への亡命の決断は正しい。柔道人口が減っているのにヒジャブをつけて試合をするイスラム系の彼女たちには柔道人として敬意を表する。今後どうなるんだろうかと気になる。
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映画「名もなき者A COMPLETE UNKNOWN」 ティモシーシャラメ&ジェームズマンゴールド

2025-03-02 17:54:24 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「名もなき者A COMPLETE UNKNOWN」を映画館で観てきました。
映画「名もなき者」は1960年代前半のボブ・ディランティモシー・シャラメが演じたジェームズ・マンゴールド監督の作品である。「フォードvsフェラーリ」や直近の「インディジョーンズ」などアクション映画が得意な印象を持つが今回は静的である。ジョニーキャッシュの半生記である「ウォーク・ザ・ライン」のような音楽映画の色彩だ。
 
自分が初めてボブディランを知ったのはジョージ・ハリスンが仕切った1971年夏の「バングラデシュ」コンサートの時である。その年から12歳なのに洋楽の全米ヒットチャートをノートに記録するようになり、雑誌「ミュージックライフ」を読むようになった。ジョージ、リンゴの元ビートルズのメンバーを中心に、東パキスタンのバングラデシュを救済するコンサートが開催されたことを知った。このコンサートがレコードになったのは1971年末だった。日本ではレコード会社の駆け引きで発売が遅れている。親にねだって茶色ジャケットの輸入盤を買ってもらい、レコードを聴いて感動した。それにしてもものすごいメンバーである。
 
解散してまだ間もないビートルズメンバーがいるのに、そこで観客の拍手が異様な位鳴り響いたのがボブ・ディランであった。意外だった。少年だった自分はその時初めてボブ・ディランを知った。映画でのボブディランへの大きな拍手初めてレコードを聴いた時の感動が蘇る。
1961年、ニューヨークに来たばかりのボブディランティモシー・シャラメ)は伝説のフォークシンガーであるウディガスリーの病棟を訪れる。そこには人気歌手ピートシーガーエドワード・ノートン)もいて、2人の前でウディに捧げる歌を披露する。ピートに認められたボブはライブハウスで演奏するチャンスを与えられる。そこでは女性フォーク歌手ジョーンバエズ(モニカ・バルバロ)も演奏していた。ギター片手にハーモニカを吹きながら歌うボブディランはその場で絶賛されて、聴いていたコロンビアレコードの社員にも注目される。
 
ボブディランはニューヨークで知り合ったシルヴィ(エル・ファニング)と付き合いながら陽のあたる道を歩くようになる。当初コロンビアレコードのプロデューサーはボブディランに旧来のフォークソングをレコーディングさせていた。一方で仲間のジョーンバエズからはオリジナル曲の良さを認められてあなたの歌を歌わせてくれと頼まれる。同時に二股をかけて付き合う。やがて世相の矛盾を歌詞に取り入れたボブディランの歌が若者に支持され世間の注目を浴びるようになる。
 
すばらしい作品だ。
ボブディランになりきって自ら歌うティモシー・シャラメが凄すぎる。
正直言ってここまでのレベルに歌を仕上げているとは思っていなかった。ジョーンバエズのストーリーへの絡め方も絶妙で、勝手気ままなボブディランとの恋愛に戸惑い気味のモニカ・バルバロの演技も歌も良かった。この2人はアカデミー賞の個人部門で受賞してもおかしくない。エドワードノートン「ファイトクラブ」の武闘派イメージも消えて違った一面が観れてよかった。トシという日本人妻に存在感があった。
⒈ボブディランの歌
映画で流れるボブディランの歌は80%程度知っているけど、全部ではない。若い人はほとんど知らないんじゃないだろうか?それでも楽しめるだろう。ボブディランを知ったきっかけを上記に書いた。バングラデシュコンサートではここでも流れる「Blowin' in the Wind」「A Hard Rain's a-Gonna Fall」を演奏している。でも、字余りのようなボブの歌がすぐ好きになった訳ではない。当時「追憶のハイウェイ61」は名作とされていたけど、最初聴いて自分には合わなかった。
 
こうやって映画の字幕を観ながら歌を聴いていると、いかにボブディランがおもしろい歌を歌っていたんだなと感じる。自らの肌で感じた発想が歌詞に表れていることがよくわかる。1970年代に自分が理解するのは無理だったよなあ。当時のアメリカ史におけるキューバ危機やケネディ暗殺、黒人公民権問題などを劇中に流れるニュースとして取り入れている。このニュースの組入度合いが多すぎず適切だった。キューバ危機の時ここまでニューヨークがパニックに陥ったとは知らなかった。現代アメリカ史を知っていれば、映画のボブディランに関する出来事がいつの時代なのかがわかる。
 
⒉ジョーンバエズ
ジョーンバエズの使い方が絶妙だった。最初にニューヨークのライブハウスでモニカ・バルバロ「朝日のあたる家」を歌うシーンに思わずグイッと引き寄せられる。伸びのある声が美しい。いい加減なボブディランに呆れ気味で自分のところに来るなと言っているのに、ボブの恋人だったシルヴィ(エル・ファニング)がコンサート会場に来た時に親しげに意味深な歌詞の歌をボブとデュエットする。やきもちやかせる複雑な女性心理のシーンもこの映画の見せ場の一つだ。「北国の少女」「悲しきベイブ」はよかった。
 
自分がヒットチャートをつけ始めた1971年にジョーンバエズがザ・バンドの曲「オールドデキシーダウン」をスマッシュヒットさせて初めて彼女を知る。同じ年に映画「死刑台のメロディ」の主題歌も歌っていてラジオで流れていた。反体制のイメージが強い女性だけど、この映画では女性らしさが前面に出てよかった。恋人シルヴィとジョーンバエズとの恋愛と別れを巧みに描いている。
⒊エレキ化への反発
それにしてもスタートのウディガスリーとの出会いから始まって見せ場の多い映画だ。1965年7月ニューポート・フォークフェスティバルでピートシーガーの説得にも関わらず、あえてディランがエレクトリック・ギターを持ち演奏する場面が最終のヤマだろう。この逸話は知っていても、ここまで観客や身内の反感をかっているとは思っていなかった。まさに決行だ。
 
 
そんなシーンにジェームズマンゴールド監督が自ら手がけた「ウォークザライン」の主人公ジョニー・キャッシュを登場させる。使い方がうまい。コロンビアレコードのプロデューサーがピーターポール&マリーの悪口を言っていたり、「ライク・ア・ローリング・ストーン」の録音で当時無名のアル・クーパーオルガンで有名なイントロを弾くシーンなど細かい逸話を散りばめている。ボブディランがバイクに乗るシーンが多く、いつ事故るかとヒヤヒヤしていたが、どうもこの後らしい。
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映画「アノーラ」 マイキー・マディソン&ショーン・ベイカー

2025-03-01 10:17:53 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)

映画「アノーラ」を映画館で観てきました。


映画「アノーラ」カンヌ国際映画祭のパルムドール受賞作でアカデミー賞でも他部門で候補に挙がっている新作だ。監督のショーン・ベイカーの前作「レッドロケット」では破天荒な元ポルノ男優の破茶滅茶さが印象的だった。いい評価を与える人も多いけど、訳がわからん映画だった。今回はストリップダンサーが主人公で18禁映画だ。よくわからないけど、ともかく観てみようと言う感覚で映画館に向かう。

アニーことアノーラ(マイキー・マディソン)はニューヨークのストリップダンサーだ。ロシア語の話せるダンサーということでロシアの富豪の息子イヴァン(マーク・エイデルシュテイン)に付くとすぐさま意気投合する。勢いでロシアに帰るまで7日間1万5千ドルで彼女になる約束をする。イヴァンの大邸宅でイチャイチャしながら贅沢三昧した後でラスベガスに飛んで結婚した。


イヴァンを見張る司祭トロスからイヴァンの両親は息子が娼婦と結婚したと聞き猛反対して用心棒のイゴール(ユーリー・ボリソフ)を豪邸に送り込んで部屋で大暴れ。バツの悪いイヴァンは家から飛び出していく。

このドタバタ劇は自分には合わなかった。
いきなりストリップクラブでプライベートダンスを踊るアノーラを映す。最近行っていないが、日本もニューヨークも変わらずでだいたい雰囲気はわかる。とりあえず、ストリップ嬢がついて股の上で踊り個室で別料金のパターンだ。

日本でもロシアや東欧系の女の子が多いけど、ニューヨークも似たようなものだろうか?主演のマイキー・マディソンアジア系だと思っていたがユダヤ系とのこと。意外に思った。ここのところ、日本映画では気前が悪すぎて以前のように裸満載の映画が少なくなったので、この辺りはマシかな。


ストーリー自体はどうでもいい感じ。ストリッパーと結婚したと聞いた両親がマフィアのような男を派遣して息子を取り戻して、結婚を無効にさせようとするだけの話だ。イヴァンはアノーラを置いて逃げだして行方知れず、自宅に来た3人とアノーラが懸命にニューヨークのダウンタウンを懸命に探すのだ。その道中は波乱だらけだ。


ここではアノーラが元来のアパズレ気質で豪邸や外で大暴れだ。それが見どころの一つなんだろうが、どうものれない。無理やり別れさせようとするロシア人の親とアノーラとのいがみ合いはもういい加減にしてという感じだ。ロシア人用心棒がアノーラのことを気の毒に思って別の感情が生まれるシーンも見どころなんだろうが個人的には肌には合わなかった。

でも、高架鉄道が走るニューヨークの裏ぶれた街の中を4人が彷徨うバックの映像は悪くない。ストリップクラブの楽屋や人種のるつぼのようなダイナーや寂れた遊園地など、しばらくニューヨークに行けない自分から見ると、視覚的には楽しめた。


(後記 3月3日)
なんとアカデミー賞独占、すげ〜!ショーンベイカーおめでとう
これって日本人感覚とアメリカ感覚の違いなんだろうなあ。
直近の日本映画ではヌードを見せない。日米真逆だよね。前年の主演女優賞のエマストーンも脱ぎっぱなしだった。日本の女優も見習ってほしいなあ。
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映画「かなさんどー」 松田るか&浅野忠信&照屋年之

2025-02-26 08:33:33 | 映画(自分好みベスト100)
映画「かなさんどー」を映画館で観てきました。


映画「かなさんどー」は沖縄の離島伊江島を舞台にした人情ドラマだ。ガレッジセール・ゴリこと照屋年之監督の長編第3作である。主演は松田るかだが、国際俳優的な存在の浅野忠信が父親役ででている。浅野忠信演じる父親の危篤の連絡に疎遠だった娘が帰郷する。このテイストだと本来はもっと暗い映画になるかもしれない。でも、逆に照屋年之の演出で明るめの香りがしてこの映画を選択する。結果的には成功だった。周囲の笑い声が絶えなかった

東京にいる美花(松田るか)のもとに沖縄の伊江島にいる父親悟(浅野忠信)が危篤で今月もたないかもしれないという連絡が入る。美花は父親と7年間疎遠だった。いやいや帰郷すると父の部下だった小早川(Kジャージ)が迎えにきて悟のもとへ行くが意識は朦朧としている。

自堕落な父親を許してきた母親町子(堀内敬子)が体調を崩していた時に、電話に出なかった父親が許せず美花は家を出た。小早川と島の人は美花を歓待するが、美花は不機嫌だ。それでも、実家の家の中を探って母親の日記を見つけると、父と母の思い出の記述を読んで感慨にふける。


好きな映画だ。人情味にあふれた展開が良かった。
ここしばらくの日本映画ではいちばんのお勧め

単純にストーリーを読むと、悲しみにあふれる感覚を持ってしまう。でも、真逆でギャグのジャブを次から次に打ってくるので観客で大笑いする人が続出である。でも、娘の両親を思う気持ちが最終局面に向けていい感じに出てきて映画を見ながらジーンと来てしまう。

照屋監督は俳優の使い方が上手である。主要の3人だけでなく、浅野忠信の元部下役であるKジョージなどが実にいい味を出して、主要3人と独特のハーモニーを出す。あまり関係のない病院のおばさん患者さんたちも笑いの渦を生むいい使い方をしている。お見事だ。


⒈いい加減なオヤジ(浅野忠信)
伊江島の建設業者の社長、親からの後継。付き合いといってはしご酒で飲み歩く。翌日は二日酔い。携帯で電話している相手も女みたい。お調子者だけど、部下はついていく。結局は体調も崩して、会社も手放した。今や酸素吸入状態で緩和治療の状態で余命宣告もでている。こんな飲んだくれオヤジを見ていると、自分も似たようなものだ。じっと注視してしまう。世界の浅野忠信もいわゆる日本のダメオヤジが上手い

⒉やさしい奥さん(堀内敬子)
もう亡くなっている。でてくるのは回想シーンだ。自堕落なオヤジに娘がイラつくけど母親がかばう「飲んでいてもお父さんは仕事なんだから仕方ない。」と父親の味方をしてあげる。家でも化粧して常にキレイでありたいと言う。ダメオヤジをかばう姿を見て昭和のお母さんなんだなと感じる。妻に頼られているのに、ダンナは携帯電話の着信を無視する。そのまま亡くなってしまい娘が縁を切ったのだ。堀内敬子は顔がふっくらして「福の相」だ。旦那へのやさしさがあふれて好感を持つ。


⒊故郷に帰った娘(松田るか)
東京にいたけど、父の元の部下に言われて最期を看取りにくるのだ。戻ってきても文句ばかりだ。それでも母親が好きだったテッポウユリの花畑を見たり、アタマもボケている父親は娘を見て母親の名前を呼ぶ。母親の日記を見て父親と母親の関係を知ったりすると気持ちが変わってくる。死ぬ前に昔の母親の姿を再現しようとするのだ。

松田るかは美形なんだけど、今まで彼女とはご縁がなかった。毎日お化粧していた母親の影響を受けてキレイに口紅を塗って目に強いメイクをする。すると、服装次第では銀座の売れっ子ホステスにも見える。この映画ではよく頑張っている。

個人的に日本全国で行ったことのない県が2つになった。沖縄に行ったことがないと言うと驚かれる。会社のコールセンターが沖縄になって、いくチャンスもあったが、観光みたいに思われるといかなかった。そろそろいかねばなるまい。その時に離島の伊江島の独特の形をした山も見てみたくなった。
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映画「あの歌を憶えている」ジェシカ・チャステイン&ピーター・サースガード

2025-02-24 08:14:34 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)
映画「あの歌を憶えている」を映画館で観てきました。

映画「あの歌を憶えている」は人気俳優ジェシカ・チャステインとピーター・サースガード主演のニューヨークを舞台にした新作である。監督はメキシコ人のミシェル・フランコ。偶然だが、自分のブログ記事で掲載したのがともに9作目であった。記事に出演したのに名前がない作品がいくつかある。ピーターは割と悪役も多い。自分の好きな映画リストにはジェシカチャステイン「ゼロダークサーティ」「インターステラー」が入っている。特に「インターステラー」で謎が解けたと「ユーリカ」と叫ぶ場面が好きだ。

そんなご縁の2人の共演は観てみたい。予告編を観ると、どうやらピーターサースガードが記憶に障がいがあるようだが、実際に観ると認知症だった。

予告編ではプロコルハルムの「青い影」が流れていて気になる。小学校低学年の頃、音楽好きの兄貴のいる同級生がいて彼の家のステレオで聴いたのが最初だ。もう57年も前の曲で、例外の自分を除いては現役でこの曲を聴いている人は70歳に手が届くだろう。まだディスコが不良の溜まり場だった高校生の頃に、「青い影」チークタイムでよくかかった。それとは関係ないと思うが、いったい映画館までどうやってきたんだろうと感じる杖をついたり、車椅子の高齢のご婦人たちがいて驚く。

ニューヨークでソーシャルワーカーとして働くシルヴィア(ジェシカ・チャステイン)は、13歳の娘と暮らすシングルマザーだ。アルコール依存症だったので断酒の集いに参加していた。高校の同窓会に出席した時、ある男(ピーター・サースガード)がすぐそばの席に来たのを嫌がりその場を立ち去る。

79丁目の駅に向かってそのまま電車に乗ろうとしたらずっと尾行される。挙げ句の果てに自宅まで来てしまう。カギを閉めて外を見ると男はまだいて外で夜を明かす。翌朝、家族に連絡すると弟とめいが迎えにくる。


その男ソールは認知症だった。昔のことは覚えていても直近の記憶がない。シルヴィアは何で追いかけたのかを確認する。シルヴィアは以前自分に危害を与えた男と決めつけるが、妹の指摘でそれは記憶違いとわかる。その後、ソールのめいから外を出歩かないように昼間の面倒を見てくれないかと依頼を受けて、2人で昼間過ごすことになる。ソールの温厚な性格にシルヴィアも少しづつ惹かれるようになる。

予想ほどには惹かれなかった。
当初のシルヴィアとソールの2人の動きはわかっても、説明を極度に省略していて、それぞれの家族の関係を理解するのに時間がかかる。比較的ショットが多く、場面が次々と変わる映画だけど、繋がりが雑に処理されている印象をもつ。編集がぶつ切りでイマイチなのかな?映画の構成と流れにもう一歩のれない映画だった。主演2人はそれぞれのキャラクターが観客によくわかるように演じてくれて好演だと思う。

映画が始まってしばらくは、断酒会に通っていてアル中歴があったのはわかってもシルヴィアは健常者だと思っていた。いきなり、「あなたに自分は性的愛撫を要求された」などとシルヴィアがソールに言うセリフを聞いて、たいへんなことをしていたのかと思った。すると、妹から年代的にあり得ないと聞いたり、嘘ばかり言うとのセリフが続いてシルヴィアが精神的に病んでいることがわかっていく。

要するに2人ともまともでないのだ。
周囲も心配する。まとも同士でない恋になっていくけど、うまくはいかない。惹かれあってくる2人が身体を触れ合うラブシーンは多い。ピーターサースガードは何度も全裸になり、40代後半になってもまだまだジェシカチャステインはそれに応対して頑張る。

それでも、シルヴィアも過去のトラウマで精神を崩し、ソールは勝手に外にでて路上で倒れたりで家族同士の関係も含めてぐちゃぐちゃになってくる。どんな感じに映画を締めくくるのか気になっていたが、最終局面でのシルヴィアの娘の活躍は殊勲賞ものだ。後味だけは悪くなかった

日本料理屋での会話は日本人が見るとご愛敬
多様性推進の名残でむりやり入った印象
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映画「ブルータリスト」 エイドリアン・ブロディ&ガイ・ピアース

2025-02-22 08:16:20 | 映画(自分好みベスト100)
映画「ブルータリスト」を映画館で観てきました。


映画「ブルータリスト」エイドリアンブロディ主演でハンガリー出身のユダヤ人建築設計士の人生を描いた作品だ。ブラディ・コーベット監督は長編3作目でベネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞してアカデミー賞の最有力候補だ。20世紀はじめのブタペストが優秀な人材を生んだのはコンピューターの開発で名高いフォン・ノイマンの伝記を読んで自分は知っていた。上映時間215分に尻込みするが、インターミッションがあるとの情報で早めに観に行く。(ひさしぶり!助かった。)

登場人物が建設会社に勤める設定であっても、建築家が建築中の現場に関わる映画はあまり記憶にない。映画館に入る時に、映画の中で紹介される建物の小冊子をもらったので、てっきり実在の人物だと思ったらフィクションとのことで驚く。ハンガリー出身のモデルと思しき建築設計士とは履歴がちがうようだ。建築設計、移民問題、ユダヤ人問題とホロコースト、麻薬中毒とよくぞまあこの脚本にまとめたなと感心する。

第二次世界大戦後、ハンガリー系ユダヤ人の建築家ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)は、ユダヤ人への迫害から逃れて移民船でアメリカニューヨークに入国した。妻エルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)、姪ジョーフィア(ラフィー・キャシディ)とは強制的に引き離されていた。

ペンシルヴァニアで家具屋を営む従兄弟アッティラのもとで働くことになり、富豪ハリソンの息子ハリーから豪邸の書斎を改装する仕事を依頼される。ところが、ほぼ完成する前に実業家ハリソン(ガイピアース)がこんなこと頼んだことないと憤慨して、資材の発注をしているのに報酬がなくなってしまう。結局、ラースローは家具屋を追い出されて、石炭を運ぶ人夫となっていた。

その石炭の採石場に突如ハリソンが現れる。ラースローが設計したモダンな円形の書斎が雑誌で取り上げられて賞賛されていることをはじめて知った。しかも、ハリソンはラースローのハンガリーでのモダン建築実績も調べ上げてその才能を認めて、ハリソン宅のパーティに招待する。そこで母親の名を記念した礼拝堂も兼ねたコミュニティセンターの建築設計をラースローに依頼する。ラースローの妻と姪が移住できるように弁護士を通じて手配するのだ。


ようやく同居できてラースローは喜ぶ一方で、ラースローの建築設計に対する理想と執着心が強く、トラブルが次々と発生してしまう。現場の設計変更に頑なに応じないし、資材輸送で事故が発生し計画が頓挫してしまう。

長時間飽きさせずに見せてくれる期待通りの作品だ。
インターミッションを除き約200分眠気が起きなかった。


エイドリアンブロディはほぼ出ずっぱりだ。麻薬に溺れる弱い面が常にある。才能はあるけれど自らの設計の理想とこだわりを追求するあまり周囲を戸惑わせる。そんな主人公ラースロートートのいい面、悪い面を見せてくれる。その生き様を見て映画を観ながら考えるところが多々あった。良かった。

意匠的にすぐれた建物を見せるだけではない。実務的には、設計と工事の建築現場での葛藤はつきものだ。これは日米変わらない。納まりが悪いから工事が設計変更しようとすると、設計士が拒絶する。この映画でもエイドリアンブロディが現場責任者に怒る場面がある。設計図通りだと、すごい梁を作らなければならない。現場が疲弊するというセリフもある。建築現場での実情を理解した脚本と感じた。


⒈RC打ちっ放しと安藤忠雄
「ブルータリスト」の題名は建築のブルータリズムからでていると思う。RC打ちっ放しが特徴の一つだ。映画を観ていて、日本のメジャー建築家安藤忠雄の作品をすぐさま連想した。RCの打ち放しの多用も共通するし、コンクリートの中で薄日が入るのも共通する。映画を観ている時、明らかにラースローは安藤忠雄より年上なので、ラースローの影響かな?と思ったら実在の人物でないと知り驚いた。

コンクリートの中の十字架安藤忠雄の有名な建築「光の教会」に通じる。最後のエピローグでの、コンクリートの冷たい空間は強制収容所を意識したというコメントはやりすぎかと感じた。


⒉建築のパトロンとガイピアース
安藤忠雄曰く、建築家にはパトロンがつきもの。基本設計はカネがかからずできても、建築には金はかかる。そのパトロンである実業家ハリソンを演じたガイ・ピアースが上手かった。最初は自分の部屋をいじられて怒り心頭で、雑誌に掲載されると手のひら返してラースローを絶賛する。その後何があってもかばう。一度離れてもまたくっつく。

イタリアのカッラーラの大理石採石場のシーンが印象的だ。最後に向けては微妙なシーンもあったけど、よくありがちな実業家の盟友を巧みに演じた。エイドリアンブロディ同様に評価されるべきだ。


⒊ハンガリーブタペストのユダヤ人
この映画ではユダヤ人が中心だ。映画の中には丸帽子をかぶったユダヤの礼拝のシーンも多い。富豪ハリソンの顧問弁護士はいかにもユダヤ系で経済学者のミルトンフリードマンそっくりだ。アメリカで最初に頼ったいとこの家具屋はユダヤ人だったのにカトリックに改宗して奥さんもカトリックだ。アメリカになじむためこういう人もいたであろう。

ラースローは1911年生まれのハンガリー出身のユダヤ人だ。すぐさま原爆やコンピューターの開発で名高い科学者フォンノイマンを連想して、彼の伝記を自宅に帰って書棚でピックアップした。当時のハンガリーでラースローのような人物が育つ可能性があるこんな記述がある。

1870〜1914年当時ブダペストとニューヨークは,実力のあるユダヤ人が移り住むのにもってこいの街だった。1890年代,ユダヤ人が実力に見合う収入と地位を得たのは、この2か所を除いて、世界中にほとんどない。ブダペストのユダヤ人はたちまち頭角を表し,医者や弁護士のような専門職になったり,商売で成功したりした。(フォンノイマンの生涯 ノーマンマクレイ p39)

⒋ヘロイン中毒とエイドリアンブロディ
エイドリアンブロディ「戦場のピアニスト」でアカデミー賞主演男優賞を受賞した。ラストに向けてのショパンのピアノソナタの場面が脳裏にこびりつく名作だ。ユダヤ系ポーランド人を演じた。「ブルータリスト」ではより一層ユダヤ色が強い。人種以前にこだわりの強い建築家で扱いが面倒な男だ。ずっとタバコを離さないだけでなく、麻薬中毒に近い状態だ。

ニューヨークに来るや否やジャズクラブでヘロインに溺れる。その後も再三麻薬に狂うシーンが多発する。妻エルジェーベトは下半身に障がいがある。時おり強い痛みに襲われる。その発作を見て、ラースローが洗面所に隠していたヘロインを注射する。ただ、一瞬おさまった妻が泡をふき倒れるシーンがある。戦後日本でもヘロイン中毒が多発したらしい。こういう伝記映画では、天才と麻薬中毒が切れない関係にあることが多い。けっして賞賛される奴ではないのにエイドリアンブロディはなりきった。


アレ?これってどういうことなんだろう?と思うシーンはこの映画でいくつかある。あえて事実をハッキリさせないで暗示させるシーンもある。それでも十分堪能できたすばらしい映画だった。
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映画「聖なるイチジクの種」モハマド・ラスロフ

2025-02-21 17:32:43 | 映画(アジア)
映画「聖なるイチジクの種」を映画館で観てきました。


映画「聖なるイチジクの種」は第77回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞したイラン映画。イラン人監督モハマド・ラスロフは、自作映画でイラン政府を批判したとして8年の禁固刑とむち打ちの有罪判決が下って、国外脱出している。これまで観たイラン映画のレベルはいずれも高い。ただ、政府批判により国内で映画が作れなくなった映画人も多い。映画に出演する美人だらけのイラン人女性も複雑だろう。気になる作品だ。

イランシーア派のイスラム国家で対外的に反アメリカの立場と理解しているが、国内でも反政府のデモがあるという。その政治的背景はわからない。事前情報は少ないままに映画館に向かう。映画を見終わって国家からの過剰な反対派への仕打ちがあると理解できたが正直よくわかってはいない。

2022年のイランでは1人の若い女性の不審死を機に市民や学生による反政府デモが激化していた。20年強裁判所で働くイマン(ミシャク・ザラ)は悲願の昇進を果たして判事となる。妻や2人の娘は喜ぶ。判事になったイマンの仕事は反政府のデモに加わり逮捕された若者を国家の指示により極刑とすることだ。長女は反政府運動をしている友人が酷い暴力を振るわれて、その影響を受けている。イマンは護身用に銃を支給されていた。


イマンは寝室の引き出しに銃を置いていたが、突然なくなる。部屋中探しても見つからず、妻と娘2人が銃を隠したのではと疑う。銃の紛失は処罰を受けて今後の出世にも響き、家族内が疑心暗鬼の状況になってくる。

いつもながら、イラン映画は重い。
俳優の演技レベルは高い。かなりむずかしいセリフや演技を要求されて応えている。実際のデモの場面も映像に織り交ぜる。途中までの展開から予期せぬ形で崩壊する家庭を映し出す。途中からの変貌が何でここまでのことになってしまうのか訳がわからない。サイコスリラーのようだ。

この映画の主題は、判事である家の世帯主イマンの銃がなくなることであるが、そこに至るまでの上映時間は1時間20分程度ある。ちょうど半分だ。それまでは、せっかく昇進したのに、やることは反政府デモに加わった若者を罰することでやりきれないが職務を履行するイマンの姿と、長女レズワンの友人が抗議活動に参加して負傷したのを家で介抱する場面だ。病院に行ってしまえば逮捕だ。友人は逃げ回るしかない。

家族で食卓を囲んだ時にTVのニュースで抗議運動の場面が出ると、反対派をかばう発言をする長女に対して父親が怒る。言い合いだ。そんな余韻がある翌日に銃がなくなる。銃をなくすと、これまで20年強築き上げた信用も無くなるし、ヘタをすると懲役刑だ。家にいた3人の誰が犯人なのか?家族内に大きな亀裂が生まれる。


しかも、反対派に対して重い刑を与えてきた父親イマンがマークされるようになり、自宅の住所がネット上で特定されて不審者に追われるようになる。イマンの精神状態もおかしくなり、いったん家族でイマンの故郷へ行くのだ。その途中でも不審なクルマに追われる。この辺りからはグチャグチャになってくる。

最終局面からはサイコスリラーに変貌していく。この映画ってどう結末をつけるのか予測がつかなくなる。結局監督は国家に属する人物に対して悪い結果を生ませるようにしたかったのであろう。ただ、個人的には銃を隠した理由がいまだに「何でそんなことをするの?」という思いが強くモヤモヤした後味の悪い映画となってしまった。
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