もう一度甘苦上海読み直している。
1年少し連載されていたわけだが、読み直して見ると4冊は割とあっさり読める。前回指摘したように、自分の同級生に照らし合わせて、読んでみたりもした。その友人にかかわりのある会社名や地名も出てくる。いずれにせよ、上海は街路に名前があるのが素敵だ。
図書館で上海の写真集を借りた。買うほどのものではないからね。時代は小平が復活して統治しているころの上海だ。光景が若干違う。外灘の由緒ある建物だけでなく、街中の建物がみな戦前から残っておるもののようだ。今でも貧しそうな人はいるが、このころはもっと多そうだ。なんせ文化大革命や四人組の粛清など大事件が次から次へとおきた訳である。このころフランス租界の大邸宅は紅衛兵によって人民に解放なんていっていたのであろうか?
甘苦上海3で衡山路とクロスする東平路の光景が出てくる。このあたりは日本で言うと、麻布~六本木に向けてといったところか?香港の中環セントラルにも素敵なエリアがある。でも東平路のあたりの方が素敵だ。時代を経て残っている古い洋館が多いせいであろう。しかし、ランカイフォンなんて素敵なバー街が香港のセントラルに接してある。猥雑な感じで、セントラルで働く欧米のエリートたちがお酒を楽しんでいる。上海の「新天地」は作られた空間といった印象が強い。猥雑な感じが少し薄れると、楽しくはない。むしろ観光地に近いのではないか?文中に出てくる四川料理俏江南はたくさん支店がある。安定した良い味を出してくる。新天地に近いランドマークにある店が良い。夜のイルミネーションも美しく街並みもきれいだ。
そういったエリアが次から次へと甘苦上海には出てくる。作者はきっと違うというだろうが、私はその昔の田中康夫「なんとなくクリスタル」を連想させる。あの作品でも次から次へと当時の東京の最先端スポットが出ていた。年齢は大学生たちと、中年の遊び人たちと設定は違う。でも主人公紅子ときっと成長したであろう「なんとなくクリスタル」の主人公の年は一緒のはずだ。こんな風に成長してしまうということかもしれない。京との関係にさまよう激しい官能的な表現は、クリスタルの主人公が感じていたそれと似かよっている印象だ。
作者はきれいなところだけを見せるのではなく、中国の真実のようなところに入っていく。カラオケ嬢を作品の中で登場させる。しかも、彼女たちのルーツ、田舎まで追いかけていく。そこには都市部との落差が激しいものが存在する。彼らの顔を見ると、そこに住む人たちの年齢は、明らかに今の日本人よりも10歳はふけていると思う。紅子は運転手と一緒にそこへ向かう。作者は取材で当然田舎の方も行ったはずだがタイムマシーンに乗ったような錯覚に陥ったのだと思う。いかにも中国は奥が深い。
1年少し連載されていたわけだが、読み直して見ると4冊は割とあっさり読める。前回指摘したように、自分の同級生に照らし合わせて、読んでみたりもした。その友人にかかわりのある会社名や地名も出てくる。いずれにせよ、上海は街路に名前があるのが素敵だ。
図書館で上海の写真集を借りた。買うほどのものではないからね。時代は小平が復活して統治しているころの上海だ。光景が若干違う。外灘の由緒ある建物だけでなく、街中の建物がみな戦前から残っておるもののようだ。今でも貧しそうな人はいるが、このころはもっと多そうだ。なんせ文化大革命や四人組の粛清など大事件が次から次へとおきた訳である。このころフランス租界の大邸宅は紅衛兵によって人民に解放なんていっていたのであろうか?
甘苦上海3で衡山路とクロスする東平路の光景が出てくる。このあたりは日本で言うと、麻布~六本木に向けてといったところか?香港の中環セントラルにも素敵なエリアがある。でも東平路のあたりの方が素敵だ。時代を経て残っている古い洋館が多いせいであろう。しかし、ランカイフォンなんて素敵なバー街が香港のセントラルに接してある。猥雑な感じで、セントラルで働く欧米のエリートたちがお酒を楽しんでいる。上海の「新天地」は作られた空間といった印象が強い。猥雑な感じが少し薄れると、楽しくはない。むしろ観光地に近いのではないか?文中に出てくる四川料理俏江南はたくさん支店がある。安定した良い味を出してくる。新天地に近いランドマークにある店が良い。夜のイルミネーションも美しく街並みもきれいだ。
そういったエリアが次から次へと甘苦上海には出てくる。作者はきっと違うというだろうが、私はその昔の田中康夫「なんとなくクリスタル」を連想させる。あの作品でも次から次へと当時の東京の最先端スポットが出ていた。年齢は大学生たちと、中年の遊び人たちと設定は違う。でも主人公紅子ときっと成長したであろう「なんとなくクリスタル」の主人公の年は一緒のはずだ。こんな風に成長してしまうということかもしれない。京との関係にさまよう激しい官能的な表現は、クリスタルの主人公が感じていたそれと似かよっている印象だ。
作者はきれいなところだけを見せるのではなく、中国の真実のようなところに入っていく。カラオケ嬢を作品の中で登場させる。しかも、彼女たちのルーツ、田舎まで追いかけていく。そこには都市部との落差が激しいものが存在する。彼らの顔を見ると、そこに住む人たちの年齢は、明らかに今の日本人よりも10歳はふけていると思う。紅子は運転手と一緒にそこへ向かう。作者は取材で当然田舎の方も行ったはずだがタイムマシーンに乗ったような錯覚に陥ったのだと思う。いかにも中国は奥が深い。