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映画「バスターのバラード」 コーエン兄弟

2020-05-02 16:57:53 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「バスターのバラード」は2018年のコーエン兄弟監督のNetflix映画


コーエン兄弟監督による西部劇のオムニバス映画で、6つの短編映画でできている。コーエン兄弟監督作品は欠かさずみている。むしろこのブログができた10年ほど前の方が熱心に彼らの作品を追っていた。「バスターのバラード」っていつの間に完成していただろうなあと感じてみた。まさしく短編小説を読むが如くそれぞれが楽しめる。全部が好きというわけではないが、コーエン兄弟監督作品独特のユーモアが満ちあふれるショットに魅せられる。

The Ballad of Buster Scruggs
最初の主役はバスター・スクラッグスティム・ブレイク・ネルソン)というカウボーイ、いつも歌っているいかにも調子のいい男だ。でも、拳銃の腕前はピカイチ、無法者をあっという間に片付ける。


ポーカーゲームが繰り広げられている酒場に入って因縁をつけられる。相手は銃をこちらに向けるが、この酒場は入り口で銃を預けるシステムだ。どうするバスター?と思いしや、バスターはテーブルの板を思いっきり踏み込むと板がテコの原理で反対側が跳ね上がり、無法者の銃が自らにむけて暴発で相手がイチコロ。このシーンで一気に目が覚める。他の因縁をつけられた男との対決では相手の指を次から次へと撃ち落とす。

このあと、別のオチがつくのであるが、コーエン兄弟作品らしく芸が凝っていて、なかなかおもしろいじゃんと一気に映画に引き込まれる。

このあとも、2話)荒野の一軒家のように建つ信託銀行に強盗に入ってきた男と銀行の主のやりとり。3話)金塊を掘り出すために緑あふれる山の間を流れる川のそばで生活する男がようやく見つけたときに、背後から襲われる話。


4話)手足のない男を見世物にして生計を立てている興行主が、四則演算ができる鳥で繁盛している小屋を見つけて乗りかえてしまう話。5話)オレゴンにいる婚約者のもとに向かおうとしていた若い娘が、途中で別のいい男に求婚されているときにインディアンに襲われる話。


6話)駅馬車で同乗する6人の男女の会話。

それぞれ5つの物語がある。6話は訳のわからない会話が続いてちょっとつまらないのを除けば、オチを書くのもためらうくらいおもしろい。
1.短編小説のような物語
オムニバス映画って、全然別々のストーリーが実はどこかでつながっていることが多い。でもここではそれぞれが独立している。時代背景がほぼ同じというだけである。コーエン兄弟が映画作りのためにシコシコネタをため込んできた形跡が感じられる。かといって、一つの物語の流れでは全部のネタは使えない。そんな感じでできた短編集なのであろう。


短編小説の名手吉行淳之介がこう書いている。「長い棒があるとしますね。長編は左から右まで棒の全体を書く。短編は短く切って切り口で全体をみせる。あるいは、短い草がはえていて、すぐ抜けるのと根がはっているのとがある。地上の短い部分を書いて根まで想像させるものがあれば、いくら短いものでもよいと思う。」

金塊を見つけた男や見世物でもうけている興行主の行く末、若い娘に求婚していた男が究極の事実を知ってどうなるのか?など想像に任せるのがいいのであろう。そのあたりはコーエン兄弟は自分なりに考えているんだけど、芥川龍之介の「藪の中」が如く観客に想像させるのだ。

2.ネイティブアメリカンの襲撃
自分が子供の頃までは、アメリカのTV西部劇がそのままゴールデンタイムに放映されていることが多かった。「ララミー牧場」にしろ「ローハイド」にしろそうだ。自分はまだ子供で主題歌には親しみを持ったけど、ストーリーがよくわかるというわけではない。そのときはいつもインディアンに襲撃されて立ち向かうという場面によく出会った気がする。

ジョン・ウェイン主演の名作映画「駅馬車」でもいわゆる最後のスピード感あふれる名場面はインディアンとの対決だ。そのせいか、今は「駅馬車」自体人種差別を助長していると言われることがあると聞いたことがある。あり得そうな話である。


ここでは2話と5話にインディアンの集団が襲撃する場面がある。いずれも無法者の連中という設定である。え!こういうのも作れるんだと思った。これってNetflix映画だからというわけではないと思うけど。

コメント
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