映画とライフデザイン

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映画「グッバイ リチャード!」 ジョニーデップ

2021-04-26 18:16:26 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「グッバイリチャード!」は2020年日本公開


「グッバイ リチャード」ジョニーデップの主演作品。ここ数年はちょっとイマイチな作品にばかり出ている印象が強い。ただ、ラムダイアリーなど彼の駄作と言われる作品でも自分には合う映画が多く、相性は悪くない。

余命が短いと言われた大学教授が自分の好きなように生きていこうとする姿を描く。とっさに黒澤明監督志村喬主演の名作「生きる」を連想した。がんと言われて落胆した公務員が死ぬ前に公園を作ろうと突如奔走するというストーリーだ。ちょっと違うだろうなあとは思っていたが、ある意味似ている部分はある。世捨て人のキャラクターはジョニーデップには合っている。


自分もいい年になってきたので、いつ何時同じような状況になるかわからないと思いながらふと見てしまう。90分に簡潔にまとめていてムダもない。でも、傑作とは言えず世間の評価も良くないが、なぜか心に残る。

大学教授・リチャード(ジョニーデップ)に告げられた突然のがん宣告。博学でエレガント、真面目な夫として美しい妻と素直な娘との何不自由ない暮らしを送っていたはずのリチャードの人生は一変。追い討ちを掛けるかのように妻に上司との不倫を告白された彼の日々は予期せぬ展開を迎える。死を前に怖いものなしになったリチャードは残りの人生を自分のために謳歌しようと決心。

あけすけにものを言い、授業中に酒やマリファナを楽しむ。ルールや立場に縛られない新しい生き方はリチャードにこれまでにない喜びを与え、人の目を気にも留めない彼の破天荒な言動は次第に周囲にも影響を与えてゆく。しかし、リチャードの“終わりの日”は着実に近づいていて…(作品情報引用)

⒈家族には内緒
リチャードはがんで余命が短いと医師に宣告を受ける。家に帰って妻と娘にその話をしようとしたら、する間もなく娘は自分はレズビアンと告白して妻と揉めている。しかも、妻までリチャードが勤務する大学の学長と不倫していると言い出し話を切り出す間もない。結局その後もそのまま何も言わない。


「生きる」では志村喬演じる主人公が自らがんだとわかって帰宅してぼう然としている。それなのに、妻を早々に亡くして男やもめで育てた息子なのに、自分を追い出して家を建てる話を嫁としている。呆然とするばかりだ。思わず夜の街に1人飛び出して放浪する。結局、家族に言い出すことができないままだ。

それぞれ状況は違うがいちばん肝心な家族に言える状態でないということでは同じだ。この辺りは脚本家も「生きる」を軽く意識しているのであろう。


⒉単位はくれてやるから授業に出なくていいよ
リチャードは大学の文学部教授である。講義を聞きにきている学生たちにこう言う。「単位が欲しい人は今すぐ退席すればCの成績をあげるよ。」すると、大多数の学生は退出する。それでもまだ残っている学生はいる。いくつもの退出する条件をあげると、少しづつ退席するが、それでも10人程度の学生は残る。


そこからリチャードの特別講義が始まる。それぞれが読んできた「白鯨」などの作品の要旨を発表させる。それも教室でなくオープンエアでだ。すぐさま、リチャードは思った通りの論評をする。AをくれずBの評価だけど酷評された学生はふくれっ面だ。でも辞めない。しかも、酒場で特別講義は続く。リチャードはちょっとした隙間にバーの店員を口説いてトイレでいたしたりもする。そんな軽いノリだ。この辺りの展開は悪くない。


「生きる」志村喬は自分の疎外感を感じて、行ったこともないストリップ劇場に行ったり、伊藤雄之助演じる怪しい男と夜の酒場を彷徨い散財する。でも、翌日役所を辞めようとしていた小田切みき(チャコちゃんこと四方晴美のお母さん)演じる事務員と語り合い人生を考え直すのだ。リチャードも講義に出席している学長の姪と親密な会話を交わし、近づいていく。構造は似ている。


でも、リチャードは志村喬が汚い下水溝をふさぐ暗渠を作って公園にするためにこれまでになく奔走したような人生をかけた健全な動きはしない。

⒊ついに告白
親しい大学の同僚には自らがんだということは話した。でも他には話さない。妻の冷え切った態度は相変わらずである。抗がん剤治療を選択していないので、あっという間に病状は悪化する。体調も良くない。

そこで大学の学長や妻および大学関係者が集まるパーティがある。そこでの動きはネタバレなので話さない。ただ、ようやくがんであることを告白するのだ。そこからの展開はうーんという感じである。リチャードの妻はインテリ系の奥さんだけど、なんか嫌な女だ。こういう奥さんをもらっていなくて良かったとひたすら思う。


⒋もしも自分が。。。
母が13 年前がんで亡くなるとき、地元の医者に見てもらい、胃カメラでがんであることがわかった。その後で、大学病院へ行き、診察を受け抗がん剤治療となる。その際、自分が医師よりあと半年と言われた。ものすごいショックだった。

母にはそこまで進んでいるがんであることは隠して、しかも妹も含め周囲に言わず自分の胸に置いた。それとは知らず、母は生きようと抗がん剤治療に真面目に取り組んだ。委員を拝命された区の教育審議会の会合にも出席した。結局2年生きたが、限界だった。

自分はどうするんだろう。延命治療を願い出るのではないか。その間にいろんなことをしたい気がする。でも、逆にリチャードのような道を選ぶかもしれない。blogを終了するのもいつのタイミングにするのかな?ちなみに親しい友人にさえもこの映画blogをやっていることは言っていない。知っているのは妻と娘だけだ。しかし、2人とも読むことがない。そうなったとき、どう処置しようか?死にそうになったら止めといてねと娘には言うのかな。


やっぱり、相続にあたってどう処理するのか考える時間がないとまずい気もする。
ついついそんなことまで考えるきっかけになってしまった。
コメント
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