映画「ペインアンドグローリー」を映画館で観てきました。

2月以来なんと4か月ぶりの映画館行きである。この監督の新作なら必ず観るという映画がある。スペインのペドロ・アルモドバル監督もその一人だ。馴染みのおいしいお店に久々立ち寄る感覚でつい行ってしまう。いつものようにアルベルト・イグレシアスの不安を感じさせる音楽が流れるなかで、独特の色彩感覚をもった映像美に身を任せる。
男色系映画は正直苦手であるが、ペドロアルモドバルの世界だけは別である。おそらくは自己の過去を描いているであろうストーリーとアントニオバンデラスと共演俳優のパフォーマンスにドキドキする。

世界的映画監督のサルバドール (アントニオ・バンデラス)は、脊椎の痛みに悩まされ、心身ともに疲れ引退同然の生活を余儀なくされていた。そうしているうちに、子供時代に母親 (ペネロペ・クルス)と暮らすバレンシアの村での出来事を思い出すようになる。

そんなサルバドールに32年前に撮った作品の上映依頼が届く。その作品で仲違いした主演俳優アルベルトとサルバドールは再会し、自伝的な脚本『中毒』をアルベルトに提供する。そして、アルベルトは小劇場で一人芝居で上演する。その時の公演が思わぬ再会を生むのであるが。。。
⒈色彩設計
「ウルトラQ」のオープニング映像のように液体がにじみでるタイトルバックでスタートする。いつものように強い原色が映像の基調である。前作「ジュリエッタ」に引き続き「赤」がベースになる。

至る所に赤い何かが姿を現し、真っ赤なキッチン、子供のころに着た赤い上着、真っ赤な花など、ひたすら赤が目を奪う。サルバドールの子供のころの住まいは洞窟のような真っ白な壁面だ。そこにタイル職人が様々な柄のタイルを貼っている。そして、今の部屋の壁面の色はキャメルイエローだ。それで原色との調和を保つ。
⒉錯覚に惑わされる
サルバドールは旧知の俳優アルベルトに会い、脚本を提供する。監督をするわけでもない。むしろ自分の名前は出して欲しくはないという。そして、アルベルトは小劇場で上演する。客席が映る。そこにいる見かけた顔はサルバドールだと自分は思っていた。
上演が終わり、楽屋に誰かが訪れる。何かおかしい。客席にいたのはサルバドールでなく別人であった。その別人はサルバドールの昔の恋人であり、この劇を偶然見たのであった。そして、アルベルトにサルバドールの行方を聞くのであった。

錯覚である。冷静に見れば、違うとわかるのであるが、髭もそっくりでジャケットの着こなしも同じだ。われわれ観客に一瞬の錯覚を与える。ここがペドロアルモドバルらしい映画の作り方だ。その後、サルバドールと昔の恋人は再会する。そこでのアントニオバンデラスのパフォーマンスには度肝を抜かれる。ペドロアルモドバルが1つの見どころをわれわれに放つ。

⒊幼少のサルバドールの目覚め
賢そうな顔をした少年である。歌を歌えば美声が響き渡り、ペネロペクルス演じる母親の自慢の息子だ。家のなかでタイルを貼っている無学の職人に語学のイロハを教えている。

しかし、どんなに賢くても家庭は貧しい。神学校に通う以外に教育を受ける手段がない。サルバドールは反発するが、そうするしか手がなかった。そんなサルバドールの家で働く若いタイル職人はたくましい誇らしげな肉体を誇っていた。作業をして、汚くなっている体を水浴びしていた。その全裸にはたくましい男性器があり、カメラはそれを隠さずに捉える。そして、その肉体美を見てサルバドール少年は卒倒するのである!!

これが後にゲイとなってしまうペドロアルモドバルが性に目覚める衝動なのであろう。このタイル職人は絵心があった。赤い服を着ているサルバドールの姿をスケッチしていた。この絵が映画のキーになる。

アントニオバンデラスとペネロペクルスは同じ映像では交わらない。当然である。なぜなら、アントニオバンデラス演じるサルバドールの子供のころの母親役をペネロペクルスが演じるからである。ところが、最終場面に移り、一瞬われわれに再度錯覚を与える。映画の中の映画の手法が好きなペドロアルモドバルらしい錯覚の演出である。

2月以来なんと4か月ぶりの映画館行きである。この監督の新作なら必ず観るという映画がある。スペインのペドロ・アルモドバル監督もその一人だ。馴染みのおいしいお店に久々立ち寄る感覚でつい行ってしまう。いつものようにアルベルト・イグレシアスの不安を感じさせる音楽が流れるなかで、独特の色彩感覚をもった映像美に身を任せる。
男色系映画は正直苦手であるが、ペドロアルモドバルの世界だけは別である。おそらくは自己の過去を描いているであろうストーリーとアントニオバンデラスと共演俳優のパフォーマンスにドキドキする。

世界的映画監督のサルバドール (アントニオ・バンデラス)は、脊椎の痛みに悩まされ、心身ともに疲れ引退同然の生活を余儀なくされていた。そうしているうちに、子供時代に母親 (ペネロペ・クルス)と暮らすバレンシアの村での出来事を思い出すようになる。

そんなサルバドールに32年前に撮った作品の上映依頼が届く。その作品で仲違いした主演俳優アルベルトとサルバドールは再会し、自伝的な脚本『中毒』をアルベルトに提供する。そして、アルベルトは小劇場で一人芝居で上演する。その時の公演が思わぬ再会を生むのであるが。。。
⒈色彩設計
「ウルトラQ」のオープニング映像のように液体がにじみでるタイトルバックでスタートする。いつものように強い原色が映像の基調である。前作「ジュリエッタ」に引き続き「赤」がベースになる。

至る所に赤い何かが姿を現し、真っ赤なキッチン、子供のころに着た赤い上着、真っ赤な花など、ひたすら赤が目を奪う。サルバドールの子供のころの住まいは洞窟のような真っ白な壁面だ。そこにタイル職人が様々な柄のタイルを貼っている。そして、今の部屋の壁面の色はキャメルイエローだ。それで原色との調和を保つ。
⒉錯覚に惑わされる
サルバドールは旧知の俳優アルベルトに会い、脚本を提供する。監督をするわけでもない。むしろ自分の名前は出して欲しくはないという。そして、アルベルトは小劇場で上演する。客席が映る。そこにいる見かけた顔はサルバドールだと自分は思っていた。
上演が終わり、楽屋に誰かが訪れる。何かおかしい。客席にいたのはサルバドールでなく別人であった。その別人はサルバドールの昔の恋人であり、この劇を偶然見たのであった。そして、アルベルトにサルバドールの行方を聞くのであった。

錯覚である。冷静に見れば、違うとわかるのであるが、髭もそっくりでジャケットの着こなしも同じだ。われわれ観客に一瞬の錯覚を与える。ここがペドロアルモドバルらしい映画の作り方だ。その後、サルバドールと昔の恋人は再会する。そこでのアントニオバンデラスのパフォーマンスには度肝を抜かれる。ペドロアルモドバルが1つの見どころをわれわれに放つ。

⒊幼少のサルバドールの目覚め
賢そうな顔をした少年である。歌を歌えば美声が響き渡り、ペネロペクルス演じる母親の自慢の息子だ。家のなかでタイルを貼っている無学の職人に語学のイロハを教えている。

しかし、どんなに賢くても家庭は貧しい。神学校に通う以外に教育を受ける手段がない。サルバドールは反発するが、そうするしか手がなかった。そんなサルバドールの家で働く若いタイル職人はたくましい誇らしげな肉体を誇っていた。作業をして、汚くなっている体を水浴びしていた。その全裸にはたくましい男性器があり、カメラはそれを隠さずに捉える。そして、その肉体美を見てサルバドール少年は卒倒するのである!!

これが後にゲイとなってしまうペドロアルモドバルが性に目覚める衝動なのであろう。このタイル職人は絵心があった。赤い服を着ているサルバドールの姿をスケッチしていた。この絵が映画のキーになる。

アントニオバンデラスとペネロペクルスは同じ映像では交わらない。当然である。なぜなら、アントニオバンデラス演じるサルバドールの子供のころの母親役をペネロペクルスが演じるからである。ところが、最終場面に移り、一瞬われわれに再度錯覚を与える。映画の中の映画の手法が好きなペドロアルモドバルらしい錯覚の演出である。