映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「31年目の夫婦げんか」 メリル・ストリープ&トミーリージョーンズ

2014-04-10 05:00:53 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「31年目の夫婦げんか」は2013年のオスカー俳優2人によるドラマ

事前に内容はあまり知らず、ただメリル・ストリープとトミーリージョーンズの共演ということだけで見た。結婚31年目とすると本来は50代後半という年齢だが、彼らはいずれも60代。むしろ41年目と言ってもいいかもしれない。
内容は最近はやりの老人向け映画に近い。夜の生活しばらくご無沙汰の結婚生活31年目に入った2人が主人公で、もう一度夫婦生活を復活させるためにカウンセリングに通うという内容だ。セットその他にそんなにコストがかかっているとは思えない映像で、主演2人とスティーヴ・カレルのギャラだけにお金がかかっているのではないかな?参考になることもないわけではないが、普通


深呼吸をして、夫のアーノルド(トミー・リー・ジョーンズ)の寝室を“訪ねる”ケイ(メリル・ストリープ)。覚悟を決めて今夜は一緒に寝たいと伝えるが、「今日は気分が悪い」と拒絶されてしまう。

結婚31年目、毎日同じ朝食を食べ、同じ時間に帰宅し、同じ会話を交わし、同じゴルフ番組を見るアーノルド。子供たちは独立し、2人にはもはやけんかの種さえ見つからない。

夫婦の関係を見直したい、そう思い立ったケイは結婚生活のカウンセリング本を購入。夢中で読み終えると、著者のバーナード・フェルド医師(スティーヴ・カレル)のホームページにアクセスする。朝食の席でアーノルドに“カップル集中カウンセリング”を受けたいと告げるケイ。1週間4000ドルという料金に目をむいたアーノルドがもっと驚いたのは、定期預金を解約して既に申し込んだというケイの意外な行動だった。

「俺は行かない」と突っぱねたアーノルドだが、結局は渋々飛行機に乗る。行く先は、メーン州のグレート・ホープ・スプリングス。海辺の小さな町だ。いよいよ、カウンセリング初日。「お会いできて――」と切り出すフェルド医師に、「俺はうれしくない」と返すアーノルド。フェルドはケイにここに来た理由を尋ねる。「結婚したいんです。もう一度」。ただ同じ家に住んでいるだけで、触れ合いも絆もないと訴えるケイに、「まず長年の夫婦生活でできた傷痕を取り除くところから始めましょう」と勿体ぶった口調で語るフェルド。終了後、アーノルドは「ペテン師!ちゃんとあの野郎の経歴は調べたのか?」と不平不満をまくしたてる

次の日。出逢い、プロポーズ、いつから寝室を別にしたか──聞かれるままに夫婦の歴史を語る2人。だが、「最後のセックスは?」の質問に口を閉ざすアーノルド。そんな2人に“最初の課題”が与えられる。「今晩しばらく抱き合ってください」。。。
(作品情報より引用)

諸外国よりも日本の夫婦の方が夫婦生活が減退すると聞く。最初はあんなにしたのに、今は。。。なんていうのはよくある話だ。アメリカではそうもいかないのかと思っていたら、こういうテーマが映画化されるということは日本と似た状況があるのかもしれない。妻の方がやけに熱心だ。日本の奥方もそんな気を奥底に秘めているのであろうか


今回はカウンセラーに「しばらく抱き合ってください」と言われる。そういう場面がしばらくないと、なかなか気恥ずかしいのでできない。でもこれって一番アプローチしやすいのかもしれない。むしろキスする方が難しかったりして。。。スティーヴ・カレルはアメリカ映画を代表するコメディアンだが、真顔で2人を指導する。この感じは悪くない。
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映画「黒い画集 あるサラリーマンの証言」 小林桂樹

2014-04-09 19:16:27 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「黒い画集 あるサラリーマンの証言」は1960年の作品
松本清張「黒い画集」という短編集は、粒ぞろいの作品を集めている。どれもこれもスリリングで面白い。中でも「天城越え」が一番有名だ。この作品では、部下と不倫をしているサラリーマンが、情事の帰り道で近所の人と出会ったのに、それを知らないと言い張る。その時間に出会ったとわかれば、近所の人は殺人事件無罪となるのに違う返答をする。流れはヒッチコックばりのサイコサスペンスである。当時のキネマ旬報ベストテン第2位で小林桂樹をはじめとして当時の東宝映画の常連たちが上質のサスペンスを作り上げている。

丸の内にある東和毛織の管財課長・石野(小林桂樹)は、妻(中北千恵子)と子供二人の家庭生活も円満でありながら、同じ課の事務員梅谷(原知佐子)との情事を楽しんでいた。七月十六日の木曜日も、いつものように石野は、会社が終ると新大久保のアパートに梅谷を訪ねた。その帰途、駅の近くで近所に住む保険外交員の杉山とすれちがい挨拶をかわしてしまった。妻には、遅くなった理由を渋谷で映画を見て来たからだと言った。

三日後、石野は刑事(西村晃)の訪問を受けた。十六日の午後九時三十分頃、新大久保で杉山に会ったかどうかと質問された。会ったと言えば、梅谷との関係を洗いざらいにしなければならない。破滅を意味した。石野は、会った覚えはないと答えた。その夜、杉山が向島の若妻殺しの容疑者として逮捕された。石野は梅谷を品川のアパートへ移転させた。彼は杉山が犯人でないことを知った。犯行は、杉山と会った時間に、向島で起っていたのだ。石野は証言台でも「会った事実はない」と証言した。杉山の「どうして嘘を言うのですか」という絶叫を聞き流しながら。

部長の甥の小松が、梅谷と結婚したいと言い出した。梅谷もすべてを清算する機会だという。石野も、波風の立たぬ生活に戻ろうと決心した。アパートに行くと、梅谷が学生の松崎と只ならぬ関係を結んでいた。梅谷は、松崎が石野と彼女の間柄をタネに脅迫したのだという。松崎は社に現われ、石野に五万円を要求した。松崎はチンピラの早川(小池朝雄)に借りた麻雀の金に苦しんでいたのだ。石野は三万円で手をうつことにした。約束の日、約束の時間には間があるので、映画を見、アパートへ行った。が、石野を待っていたのは松崎の死体だった。(kinenote 引用)

昭和30年代のオフィスというのは、自分には未知の世界で映画の中で見れるのが楽しい。日経平均の昭和33年から36年にかけての推移をみると、凄いピッチで急上昇している。ある意味エリートサラリーマンにとってはいい時代だったのかもしれない。映画では主人公は東京の西北部に住むとされ、休みには渋谷で遊んでとなると井の頭線の住宅街に住むと推測すべきだろう。新大久保周辺の映像も三丁目の夕日と同じころの東京の姿を鮮明に映し出してくれる。おばさん役でテレビその他で見ることが多い原知佐子が魅力的な事務員を演じる。

主人公は超一流ではないが、名の通った上場会社に勤務していると解説される。月給7万5千円、手取り5万7千円このほかにボーナス40万でるという。昭和35年の年間の株式ダウ平均は約1100円程度今の10分の1くらいだ。月給を10倍と考えると今でいえば年収1300万と上場会社課長としてはまんざらありえる話だ。でもこの年収じゃ女をかくまえないよな。いくらかは援助しているといった程度だろう。

家に言い訳がましく行き先を嘘言って遊ぶことは自分にもある。誰かに会うとは思わないところで、知人に会うこともある。ときおり、あの時間に○×のあたりにいたでしょと言われることもある。でもこの場合はとんでもない事件がからんでいたのだ。会ったと言えば確実に無罪になるのに隠してしまうのだ。自分だったらどうするんだろうなあ?

バックにはペギー葉山の「南国土佐。。」や水原弘「黒い花びら」が流れる。主人公だけでなく、蝶ネクタイをして出勤する人たちが割といる。そんな時代背景を目で楽しむのも悪くない。
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映画「人生劇場 飛車角」 鶴田浩二

2014-04-06 10:29:43 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「人生劇場 飛車角」は尾崎士郎の「人生劇場 残侠編」に出てくる飛車角をクローズアップした1963年の東映映画だ。
主演は東映に移籍間もない鶴田浩二、脇を高倉健が固める。
映画の構想はのちの東映社長岡田茂で、この映画を起点として、すでに行き詰っていた「時代劇の東映」から大きく路線変更していくのである。チャンバラ映画が任侠道の殺陣に代わる。

なんせ始まりが村田英雄の名曲「人生劇場」で始まるのである。これが超渋い。
「や~ると思えば、どこま~でやるさ~」思わず心臓がドキドキしてしまう。村田英雄は自ら出演している。当然鶴田浩二の男っぷりが映画の見どころなんだけど、佐久間良子の哀愁に満ちた姿も美しいし、高倉健の若々しさも好感が持てる。何よりドキッとさせるのが月形龍之介である。東映では「水戸黄門」の黄門さまといった印象が強いが、黒澤明の初期作品「姿三四郎」でも見せる凄味ある表情が円熟味を見せる。彼がこの映画の一番の見どころではないだろうか。

横浜の遊女だったおとよ(佐久間良子)と逃げのびて来た飛車角こと小山角太郎(鶴田浩二)は、小金親分の計らいで深川の裏町に住むことになった。そんなある日、小金一家と文徳組は喧嘩になった。一宿一飯の義理を持つ飛車角は、宮川健(高倉健)と熊吉を連れて文徳一家に殴りこんだ。そこで飛車角は文徳を刺し殺し、吉良常(月形龍之介)と名のる老人に救われた。吉良常は一目みて飛車角に惚れこんだ。
小金の弟分奈良平(水島道太郎)の計らいでおとよと逢った飛車角は、警察に自首、五年の刑で前橋刑務所に服することになった。飛車角の帰りを待つおとよを、奈良平は深川不動の夏祭に誘った。その二人の目の前で小金親分(加藤嘉)が何者かに殺された。奈良平の冷たい笑いにおとよは総てを察した。おとよは逃げた。そのおとよを宮川が救った。そこで二人は同じような身の上であることを知って自然に結ばれた。だが、宮川はおとよが飛車角の女と知って愕然とした。そして悩んだ。
そんな頃、恩赦で飛車角が刑務所を出た。吉良常一人が出迎えに出ていて、おとよと宮川のことを飛車角につげた。飛車角は男らしくおとよをあきらめ、吉良常の勧めるまま吉良へ足を運んだ。吉良で青成瓢吉(梅宮辰夫)と知り会った飛車角は、吉良で骨を埋めようと決心するのだった。吉良常が娘のように可愛がっている料理屋よしだやの娘お千代(本間千代子)も、そうした飛車角を慕うようになった。そうした飛車角のところに宮川とおとよが詫びを入れに来た。飛車角はどうするのか。。。

佐久間良子は何度も「行かないで!自分と一緒に逃げよう」というが、男は復讐のための決闘に向かう。義理と人情の世界である。果たしてこの映画から51年たって、こんな男っているだろうか?終戦から18年たったこのころは、まだ女よりも義理という世界が重んじられていたのであろうか?一方この時代は、左翼思想に基づく裏切りに次ぐ裏切りの世界もある。政治の世界なんかは寝業師だらけだ。義理と人情っていうのはすばらしいなあと思う人物もいたのか?自分はもう生まれていたが、このあたりはわからない。
でもヒットしたのは事実だ。これがヒットしなければ、鶴田浩二、高倉健の任侠物や「仁義なき戦い」シリーズは生まれていなかったかもしれない。

佐久間良子が日経新聞に「私の履歴書」を連載している時に、鶴田浩二との秘密の恋を告白していた。有馬稲子も名前こそださねど市川監督との関係を告白したのと同じである。なかなかの話であった。公然の秘密であったのかもしれないが、現代日本の知識層が誰もが読む連載の中ではドキドキさせるものであった。まさに付き合っている時の2人の絡みなんで、妙に真実に迫るものがある。
しかも、暴漢から守ってくれた高倉健と関係を持ってしまうが、高倉が自分の情夫の元の盟友と知り困惑する場面もなかなかリアルである。このあたりの佐久間良子の若き日の女っぷりもいい感じに映る。

飛車角を支える吉良常を演じる月形龍之介の存在感が凄い。代表作「水戸黄門」シリーズはすでに撮り終えている。黄門さんのパフォーマンスでなんとも言えない貫禄、落ち着きを得た月形龍之介が重厚感ある風格を見せる。極道の道でも一目を置かれる男ってこんな感じなのではないか?軽くなく、逆に黒澤明「姿三四郎」で見せる荒くれ者的な表情のように残虐的イメージもない。映画をしっかり引き締めている。
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映画「私が愛した大統領」 ビル・マーレイ

2014-04-03 05:18:41 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「私が愛した大統領」はビル・マーレイ主演の2012年の作品だ。
ニューディール政策などで有名な第32代アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの伝記ドラマ。ルーズベルト大統領の一番の理解者として彼を支え続けた女性デイジーとの深い絆と、第2次世界大戦前夜に英国王ジョージ6世夫妻が渡米した際のエピソードの裏側を描く。

ビルマーレイとローラリニーという芸達者を中心に、のどかなアメリカの郊外の町を舞台に静かに映画が進んでいく。世界史における最重要人物の真実の姿に迫る。

1930年代末期のアメリカが舞台だ。第32代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト(ビル・マーレイ)が忙しい執務の合間に安らぎを覚えるのは、一番の理解者である従妹のデイジー(ローラ・リニー)とドライブに出かける時間だけだった。1939年6月、ナチスドイツが徐々に欧州を侵食しつつあっ た時、英国王ジョージ6世(サミュエル・ウェスト)とその妻エリザベス(オリヴィア・コールマン)がアメリカを訪問して、ニューヨーク州ハイドバークにあるルーズベルト邸に立ち寄ることになった。ルーズベルトとジョージ6世はディナーを家族とともにとった後、大統領の執務室で2人だけの時間を持った。お互いにハンデキャップを持つ2人は意気投合し、お互いの秘密を知ることになる。一方でデイジーがある行動をとるが。。。。

アメリカは大統領は2期までとなっている。ところが、戦時中ということもありルーズベルトは4選を果たす。普通に学校で勉強をした日本人なら、小学校の社会の時間でフランクリンルーズベルトの名前を知ることになる。占領下にあった日本であるから、ルーズベルトを称賛するというのは当然のことであったと思われる。日教組系の教師からも、ニューディール政策というのは称賛の的だった。彼の肖像からは、彼が小児麻痺であるというイメージは全く浮かばない。畏怖の念を持って崇拝する存在だった。でも真実の彼の姿はここで映されているような人物なんだろう。

ビルマーレイと言えば、「ゴーストバスターズ」を始めとしたコメディ役者だ。「ロストイントランスレーション」「ブロークンフラワーズ」などで見せる枯れ切った姿の彼が好きだ。普通に見れば、ビルの写真と一般に出回るルーズベルトの写真とは似ても似つかないが、ここで演じるルーズベルトに全く違和感がない。さすがである。

映画「英国王のスピーチ」でジョージ6世のドモリのことを知った。さすがに現女王の父上だけに映画界も欠点をつくのは遠慮がちだったのかもしれない。あの映画を機に一気に今回の構想が浮かび上がったのであろう。1939年と言えば、ナチスの侵攻はもうどうにもとどまらない状態にあった。英国首相ネヴィル・チェンバレンは、ドイツと宥和政策をとっていると周辺から批判されていた。もはや英国はアメリカに頼るしかなかったのである。モンロー主義以来の対外不干渉政策がアメリカの基本方針であれど、もはやそうもいっていられない状態にもあった。有名な開戦のスピーチの前にはこういう逸話もあったのである。

ここでのジョージ6世も素敵な存在だ。ディナーで皿が割れたり、ウェイトレスが給仕する手を滑らせたりするのも軽いジョークで場を和ませたりしていた。その後のルーズベルトとの指しの会談でも自分の欠点をあらわにしながらの会話も好感が持てる。兄の「王位をかけた恋」で予期せず得た地位であれど、さすが大英帝国に君臨する国王である。自国の状況を把握して、ホットドックを食べるシーンもいい感じだ。

クリントンの浮気が大騒ぎになったが、ルーズベルトにもこんな一面もあったのだ。ヒラリークリントンがこの映画を見たらどんな感想を示すであろうか?聞いてみたいものだ。
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映画「白ゆき姫殺人事件」 井上真央

2014-04-02 14:51:02 | 映画(日本 2013年以降主演女性)
映画「白ゆき姫殺人事件」を映画館で見てきました。
湊かなえの原作ということで関心を持ち、ツイッターでニセ情報が蔓延するという現在でありがちな状況が描かれているということで映画館に向かいました。全般的にまとまっている印象を受けた。主人公を演じる井上真央は着々と大女優への道を歩んでいる気がする。

国定公園・しぐれ谷で誰もが認める美人OLが惨殺された。全身をめった刺しにされ、その後火をつけられた不可解な殺人事件を巡り、一人の女に疑惑の目が集まる。彼女の名前は城野美姫(井上真央)。同期入社した被害者の三木典子(菜々緒)とは対照的に地味で特徴のないOLだ。

テレビ局でワイドショーを制作する赤星雄治(綾野剛)は、彼女の行動に疑問を抱き、その足取りを追いかける。取材を通じてさまざまな噂を語り始める、美姫の同僚・同級生・家族・故郷の人々。「城野さんは典子さんに付き合っていた人を取られた……押さえていたものが爆発したんだと思う、あの事件の夜」「小学生の頃、よく呪いの儀式をやってたって。被害者の殺され方が呪いの儀式と同じでしょう?」「犯人です、間違いありません!」。テレビ報道は過熱し、ネットは炎上。噂が噂を呼び、口コミの恐怖は広がっていく。果たして城野美姫は残忍な魔女なのか? それとも──。(作品情報より引用)

黒澤明監督作品「羅生門」は1つの事実に対して当事者3人が証言するという形をとる。しかし、立場の違う3人はまったく違う話をする。どれが本当かわからない。全部違うかもしれない。少し違うがあの映画のことを思い出した。

テレビ製作会社の契約社員である赤星がネタを探していたところに旧知の被害者の同僚である一人の女性から連絡が入る。殺害されたあと、城野という女性が行方不明になっている。きっと彼女が犯人ではないかと同僚がテレビディレクターに告白するところからスタートする。テレビディレクターは絶好のネタとばかりに次から次へと取材を重ねる。しかも彼はツイッター好きで常に事件に関する情報をつぶやいている。冤罪をつくるのは、犯人確保で点数をあげたい警察だけかと思っていたけど、マスコミとネットのガセネタがきっかけということもあるかもしれない。
最初はそれぞれのインタビューを映し出す。同僚が5人でてくる。
美人OLが主人公が好きだった上司を奪ってしまった事実、最近被害者の高級ペンが盗難に遭っていることや事件の日主人公美姫が最寄駅に向かって走っている姿が目撃される話が出てくる。そのあとで学生時代の同級生がそんなことするわけないよというが、小中学校時代イジメを受けていた彼女は放火事件にも絡んでいるし、恨みを持って犯行に及ぶ可能性があると示唆する。その間、再現フィルムには登場するが、主人公は出てこない。1時間以上この状態が続いた後で初めて井上真央の登場である。それまで行方不明なのでいったいどうなったんだろうかと思っていた。
こういうじれったさがいい。

他の誰かが犯人である可能性は一切言わず、彼女が犯人である可能性が強いことをこれでもかと言い続ける。
そして彼女の独白が進む。。。

原作未読了の自分からすると、どういう展開になるの?という感じだったが、ちょっとあっさりかな?という印象だ。でも現代を象徴する話で楽しめた。

この映画を見ていくつかのことを連想した。
まずは袴田事件である。なんと50年近く服役していた死刑囚である被疑者が先日釈放された。地裁の発表を聞くと、いかにも警察による捏造という気がする。驚いたのはその後である。なんと一家殺人で一人だけ別の場所に住んでいて難を逃れた長女が被疑者釈放直後に亡くなっているのである。事件後彼女が現場で証言をしていると聞く。警察は事件性はないと言っているが、本当?警察は病院に搬送していないという。これってなんか変だよね。この映画の展開に似ていると思ったのは自分だけではないだろう。今回の裁判長は自分の地元中学、高校の先輩でこれまでも東京地裁で有名事件を裁いてきた。地検は不満を表明したというが、裁判長の決定を応援したい。

もう一つはS細胞の問題だ。最初細胞の存在が発表がされた時は、これでもかというくらいK嬢はもてはやされた。ところが、あっという間の転落である。ネット上、マスコミの彼女に対する仕打ちは痛々しいくらいだ。しかも、以前提出した論文その他も徹底的に調べられたたかれている。本当に怖い。弁護士をたてて反論しようとしているというが、やっぱり目立つのってよくないことなのね。つくづく思う。
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映画「メリーポピンズ」 ジュリ―アンドリュース

2014-04-02 06:52:50 | 映画(洋画 69年以前)
映画「メリーポピンズ」は1964年公開のミュージカル作品
映画「ウォルトディズニーの約束」を見に行ったあと、思わず見たくなりDVDを借りた。公開の時はまだ幼稚園だったので行っていない。でも街の掲示板に「メリーポピンズ」の映画ポスターがしばらく貼ってあった気がする。それなのでリバイバルの時には行った。何より音楽が親しみやすくて心に残った。96年ブロードウェイでジュリーアンドリュースのミュージカルをみたのもその印象が強かったからだ。

改めて見直してみるといい。当然CG処理が格段の進歩を遂げた最近の映画に比べると映像技術こそ古めかしいが、ジュリ―アンドリュースの歌声を聴くと、心が洗われるような気がする。

1910年。ロンドンでも美しい桜通りに住むバンクス氏(デイヴィッド・トムリンソン)は銀行家で気むづかし屋。奥さん(グリンス・ジョーンズ)も婦人参政権運動に夢中で子供は放りっぱなし。乳母任せの子供たちは腕白ざかりで一向に乳母が居つかない。
ある日、子供たちは自分の夢にぴったりの、優しくて、美しい、親切で若い乳母の条件を書いて父親に見せたが父は紙片をストーブに放りこんでしまった。それは煙突から空高く飛んでいった。

翌朝、パラソルを開いた若い女性がフワフワ空からやってきた。子供の書いた紙片を持って。メリー・ポピンズ(ジュリー・アンドリュース)である。自分勝手に子供部屋へ行き、指を鳴らすと魔法のように散らかったものが片づき、不思議な鞄からは何でも出すのだ。日課の散歩のときなど大道芸人バート(ディック・V・ダイク)の描く絵の中にさえ入って行け、遊ぶことさえできる。

彼女がやって来てからは家中が朗らかになり、歌まで歌いだしたのがバンクス氏は不思議でたまらない。子供の躾に厳格なバンクス氏は子供たちに倹約を教えようと預金させようとした。銀行の老頭取が無理に預金をさせようとしたので、子供は思わず「私のお金を返して!」と大声をだした。それを聞いた預金者たちは銀行が危ないのではないかと勘違い、あわてて払いもどしに殺到、大混乱になった。

逃げだした子供は途中で煙突掃除夫姿のバートに出会った。煙突だらけの屋上に上ると、煙突の中からメリー・ポピンズが現れ、あちこちから煙突掃除夫が飛んできて、皆で踊りつづけた。その夜、バンクス氏は銀行から呼び出しをうけて重役から叱りとばされたが。。。(KINENOTEより引用)

これは余計なことを言わずに動画を見ながら想い出に浸るしかない。
いずれも映画史に残る名場面だ。

Supercalifragilisticexpialidocious
この早口言葉はいえないだろうなあ。


バンクスさんが銀行で歌うシーンがよかった。彼の気持ちがよくわかる。



ジュリーアンドリュースのやさしく歌い上げる「薬なんていらないよ」というのがいい。
メリーポピンズのパフォーマンスに反応する2人の子供がかわいい。



小学生のころテレビでいろんな歌手が日本語で歌うのをずいぶんと聴いたなあ

こんなすばらしい映画もう一度思い出させてくれた「ウォルトディズニーの約束」(SAVINNG MR BANKS)に感謝
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