後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ブログ仲間から頂いたクリンソウが咲きました。

2009年05月10日 | インポート

ブログが取り持つ縁で友人になった鬼家雅夫さんの山荘から5月5日に貰って来たクリンソウが小金井の自宅の庭で見事に咲きました。ブログを通して友人を数人作るようにコメントやメールを送りバーチャルなネットの世界を現実の世界にして見ましょう!

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ブログのお陰で出来た親友の立派な行動

2009年05月10日 | うんちく・小ネタ

ブログはバーチャルな世界だから親友なんてできない。そう思っていました。しかし色々なブログを読み、感動し、そして幾人かの人へコメントやメールを送りました。自然な成り行きで、そのうちの何人かの人と実際お会いし、お話を聞くことになりました。世田谷教会のオカブさん、ネパールに住み着いている「ひかるの」さん、甲斐駒山麓に別荘をお持ちの甲斐駒さん、その近所に山荘を作り住み込んでいる鬼家雅夫さん、などとは実際お会いし、お酒も一緒に飲んだ方もいます。下の写真は鬼家さんの山荘でビールを飲み、2階から見た雑木林の写真です。

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これらの友人との交流についてはこのブログで何度もご紹介いたしました。ところが最近、ブログで知り合ったHoota さんと新しく友人になりました。ある漁港に係留してあるヨットの上でビールを飲みあい親しくなりました。その後、5月2日に沼津港の沖でヨットに4時間だけ乗せて頂きました。下の写真で後ろ姿の方が、その時のHootaさんです。(http://hoota.blog.so-net.ne.jp/

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このHootaさんが如何にも男らしい立派な仕事をしたので、ご紹介したいのです。ちょっと良い話です。

私は沼津から新幹線で帰京しましが、その後、このヨットは東京ベイヨットクラブの会員を乗せ、西伊豆の妻良港に行きました。それから伊豆七島の新島へ航海しました。5月4日のことです。ところが次の5日から海が荒れ、帰って来られなくなります。予定では連休最後の6日に帰って来るスケジュールです。

さらに具合の悪いことに、Hootaさんが働いている東京ベイヨットクラブの他の2隻のヨットも新島に集合し、停泊していています。

海が荒れると3,4日は帰れません。7日になれば現役の人は会社に出なければなりません。その人々は潮が引くように一斉に大型客船や航空機に乗って帰京してしまったのです。3隻の船に残ったのはHoota船長ともう一人だけです。荒れる港で3隻の船が傷つかないように、ロープを張り直しながら4日の間頑張ったのです。

どうなるのか?と、心配していたら、クラブの10人もの会員が8日の金曜日の夜遅く、東海汽船の大型客船に乗り、9日の土曜日の朝に新島港に集合したのです。残ったHoota船長と、もう一人を合わせて3隻のヨットに12人集まったのです。一隻当たり4人の乗り組み員がそろったのです。9日の土曜日は快晴。3艇全て、めでたく大島、岡田港まで帰着しました。今日は10日の日曜日。天気は良く、夏のように気温が上がっています。3艇とも順調に帰ってくると信じています。

Hoota船長が困っているのを座視していないで、10人もの友人が助けに新島まで急行したのです。その友情の厚さにも感動しました。翻って、老骨に鞭打って駆けつけようと思いつつも行動に移さなかった自分が情けなく思います。

ブログの上で友人になったHootaさんとは、そのような海の男なのです。忍耐強くて、優しくて、天候の変化に従順なのです。今夜までに無事帰ってくることをお祈りしています。(終わり)


「気楽に洗礼を受ける!失うものは何もない」

2009年05月10日 | インポート

今日は日曜日、カトリック小金井教会へ行って山本量太郎神父様の説教を聞く日。そこで自分が洗礼を受けた1972年のころを思い出して洗礼のことを簡単に書いてみます。

@洗礼を受けると仏教のお葬式へ出られなくなる?

世間ではこういう人がいます。とんでもない間違いです。神社だろうがお寺だろうが自由に、もっと気楽に、もっと親しみを感じながら出入り出来るようになります。洗礼を受けると仏教の素晴らしさが理解できます。波濤万里を越えて来たザビエルの偉さが分かると、唐からインドへ旅した三蔵法師の偉さが理解できます。弘法大師の慈愛が分かります。

お葬式でお坊さんのしていることの意味が理解出来るようになります。洗礼を受けるとこのように心が豊かになります。

@洗礼を受けると戒律が多くて生活が不自由になりませんか?

戒律を強要されたことは一回もありません。洗礼を受けた後も、タバコも酒も自由に飲めます。以前の生活と何も変わりませんでした。ついでに言えば私の悪い性格も直りません。

では何が変わったか?そうです、神の愛やイエス様の愛というものを、時々、実感できるようになっただけです。時々です。四六時中ではありません。それで良いのです。一瞬でもイエス様の愛を感じることが出来ると、世界の見え方が変わります。広い世界が広がります。なにか他人へ寛大な気持ちになれます。四六時中ではありませんが、そのように他人が見えるということが自分を幸にします。それだけの話です。

@洗礼を受けるには資格が必要ですか?

1972年にカトリック立川教会で塚本金明神父様から洗礼を受けました。

洗礼を受ける前に聞きました、「神父さん、洗礼を気楽に受けようと思います。何か試験があって、資格を取らねばならないのですか?」と。

この質問を聞いた塚本神父様の困惑した顔を忘れられません。鳩が豆鉄砲を受けたような表情です。優しい目で私の顔を見ながら沈黙がしばし続きました。そして、「試験も資格も必要ありません。しかし今までの生活を痛悔する必要があります」と答えてくれました。

それまで失敗を何回もし、其の度に後悔や痛悔をしていました。そんなことなら簡単だ、と思って洗礼を受けることにしました。その後、数回は教理の講義を受けましたが、すぐに洗礼を受けました。 

代父なって頂いた山本大二郎先生はある有名な大学の化学の教授でした。しかし、1975年、小金井にも教会が出来て立川へは行かなくなり、お会いすることも途絶えました。

ある時、カトリック小金井教会へ新しい主任司祭様が赴任しました。驚いた事に、私のゴッドファーザーの山本大二郎先生のご子息の山本量太郎神父さんである。毎日曜、神父様の説教を聞きながら代父のことを追想しています。

洗礼を受けるとはそれだけのことであり、世間が狭くなったり、戒律で束縛されたりすることは一切ありませんでした。ですから私は他人へ洗礼を勧められるのです。気楽に洗礼をお受けください。貴方が失うものは何もありません。

今日は晴天の日曜日。皆様が健康で楽しい一日を過ごすことが出来ますようにお祈りいたします。                                                                                        藤山杜人