昨日は一日じゅう車を運転していました。奥多摩の檜原村にある山岳周遊道路を巡りながら紅葉の写真を撮って来たのです。
独りで行ったので少し淋しくもあったのですが、人生のあれこれを静かに考えることが出来ました。
そうして、老境を楽しく幸せに過ごすための法則のようなものを5つのほどに整理してみました。「鉄則」は大げさですが、意志の弱い自分に言い聞かすために強い言葉にしました。それらは以下のようなものです。
(1)何事も楽観的に考える。
以下の写真に写っている時計を見て、「ああ、私に残された時間は刻々過ぎて行く。間もなく死ぬのだな」というふうに考えない事です。「ああ、まだまだ人生を楽しむ時間がいっぱいあるよ」とこの時計が教えていると考えるのです。すると毎日を楽しむための具体的な方法がいろいろ思いつくのです。
(2)病気とは楽しい友人のように気軽に付き合う。
私がネットの上で知り合った方に漆山さんという方がいました。大きな病気を持っていたらしくて入院と退院を繰り返しながら、このブログの記事へユーモア溢れるコメントを何度も下さった方です。そして何時も入院する病院を自分の別荘だと言うのです。
この方のことは、病院に出たり入ったり・・・悠々と活動をする漆山治さんの病気と付き合い方という記事でご紹介しました。
何度も手術を受けていました。それは痛くて辛い筈ですが、気軽な様子です。鼻歌でも聞こえて来るような調子です。ユーモア溢れる文章を書いています。
人生を達観しているのです。病気が怖くないのです。病気との付き合を学びました。真似をしている心算です。
残念ながら1年ほど前にその別荘で亡くなりました。ご冥福を祈っています。
(3)楽しい事だけを何度も思い出す。
人生には悲しい思い出も沢山あります。でも楽しかった事だけを何度も思い出すのです。例えば下の写真にあるような築200年の兜屋という料理屋の前を通過したとします。檜原村の数馬の里にあります。(http://www2n.biglobe.ne.jp/kabutoya/contents.html)
「ああ、この建物も古ぼけて、間もなく朽ち果てるなあ」と考えないで若かった妻と一緒に山菜料理を食べた時の楽しかった事だけを思い出すのです。
30個ほどの小皿に盛った30種類の山菜料理に妻が珍しがって興奮していた様子を何度も思い出すのです。
(4)子供や孫を頼りにしない。
老境になるとつい子供や孫に頼りたくなります。それなのにさっぱり顔を見せない薄情な子供や孫を恨みに思います。それは自分で自分を不幸にしているのです。子供や孫を他人と思い、自分とは別の人間だと声を出して、自分へ言い聞かすのです。
そうすると孫の方から近づいて来ます。私の孫の一人は小学6年生の男の子ですが料理が上手です。最近は毎週一回来て、イタリア料理の夕食を作ってくれます。
しかしそれを頼りにしているつもりはありません。私も料理の本を買って自分で作っています。
(5)社会問題や国際問題にはいろいろな立場があると達観する。
原発撤廃に賛成する人。反対する人。どちらにも立派な理由があります。しかしそれを主張する人の立場が違います。自分が相手の立場にたてば、相手の意見と同じになるのが普通です。
尖閣諸島も日本人の立場では日本固有の領土です。しかし中国の立場にたてば中国の領土だという主張になります。
やっかいな問題ですがこれが「この世の現実」なのです。
感情的にならないで老境を平静な気持ちで過ごすことが幸せに過ごすコツです。
以上、5つの鉄則で毎日が楽しくなると私は信じています。
とは言っても毎日実行しているわけでもありません。「言うは易く、行うは難しい」と古人も言っているとうりです。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)