氷川丸とマリンタワー(水彩) 立石 崇 作
青鬼集落(水彩) 立石 崇 作
雪の朝(水彩) 立石 崇 作
この恒例の絵画展の詳細は、ひまわりArtboxの2011絵画展のご報告、ひまわりArtboxの「2012絵画展」へ行ってきました などの記事をご覧下さい。
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昨日、八王子で昔の級友の立石 崇さんが活躍している絵画教室の作品展がありました。
今回から彼は油彩画から水彩画の展示に変わり3点の傑作を出していました。一緒に行った家内も静かな感じの良い絵だと感動していました。私もその水彩画の素晴らしさにすっかり魅了されました。
来客多数で忙しそうにしいる立石 崇さんから離れて、私は独りで絵画を見て回っていました。そうしたら数年前にこの絵画展を一緒に見た級友の星野清一郎さんのことを急に思い出しました。彼は立石さんの絵画を買うと言い出したのです。
結局、立石さんは油絵の大作を星野さんと私に贈呈してくれたのです。
その星野さんは2011年9月に病死してしまいました。
そんないきさつもあり、昨日は絵画展を見ながら今は亡き星野君を懐かしく思い出していました。
星野さんとは、仙台の大学の専門課程の1957 年と1958年に机を並べました。
卒業と同時に彼は父が経営する精密鋳物会社の仕事をするために福島へ行ってしまいます。
それから15年間くらいはお互いに多忙で会うこともありませんでした。ところがある時の同級会の折、彼がヨットの話をしていました。猪苗代湖で大きなキャビンのクルーザーでセイリングしているのです。
そして花春カップというクルーザーレースへ3回ほど私を招待してくれたのです。花春カップとは猪苗代湖のそばの大きな酒造会社、花春が主宰するレースなのです。
彼のヨットはヤマハ29という楽しい構造のクルーザーです。船体の真ん中の甲板に操縦席があります。その後ろのキャビンへ降りてゆくと大きなパーティ向きの部屋があり、簡単な炊事用具がついています。
船尾が大きく湾曲して張り出していて、そこに大きなガラス窓が横並びについているのです。シャンペンやビールを飲みながら、美しい猪苗代湖が風波を立てている様子が眺められのです。
レースでは、彼のヨットは遅い船なので、いつも終りの方を走ります。前の方を列を作って競い合いながらセイリングしている他のヨットの夢幻的な光景を見ながら悠々と走ります。
遅れてゴールしても、船体ごとにハンディキャップがついているのでレース結果は何時も2位か3位でした。
残雪の磐梯山を眺めながらの花春カップは終生忘れられない思い出になりました。
花春カップの後は福島の彼の家に寄り、奥様や息子さん達と一緒に夕食をご馳走になったこともあります。
それから又何年かが過ぎ去りました。今度は私が霞ヶ浦にクルーザーを係留していました。以前、猪苗代湖でお世話になったことを思い出して彼を招待しました。一緒に仙台の大学時代の同級生も招待しました。7人が集まりました。
彼は福島から大きな荷物を背負ってやって来ました。
かなり激しいセイリングの後のパーティの時、彼がその大荷物を解き始めました。ぶ厚い断熱布の中から出てきたのはギンギンに冷えたシャンペン3本でした。その上よく冷えたシャンペングラスも、人数分の7個も出て来たのです。高級なシャンペンです。男ばかり7人のキャビンの中が途端に華やかになったものです。
こんなセイリングの会を4回ほどしました。何時も熱心な彼は福島からシャンペンを担いでやって来るのです。
毎回、パーティの次の日は蓮田のなかの「山中のうなぎ」へ昼食を食べに行きます。うなぎが美味しいと言ってましたが、霞ヶ浦でとれた白魚の刺身にはかなり感動していました。
毎年秋になると私のヨットに来るので、彼は自分専用のデッキ・シューズを私の船に預けていました。
2011年もそろそろヨットに来てくれると思い、9月になると、その白いデッキ・シューズを取り出して、すぐに履けるように並べて置きました。
そのデッキ・シューズを揃えて置いた次の週に、彼の急な病死の連絡があったのです。彼は友情に篤く、素直な性格で実に気持ちの良い男でした。
そして昨日は星野さんとの最後のセーリングを思い出しました。
それは2010年の10月27日の晴天の日のことでした。
星野さんと、ネットのお陰で知り合った塚原さんと3人で霞ヶ浦でセイリングしたのです。
その日は、始めは風が穏やかでしたが、沖では物凄くなり、船が身を躍らせて走りまわりました。帰港のころは又静かになり夕日を楽しみながら帰ってきました。
帰港後は3人で塚原さんの持って来たキャンピングカーでシャンパンを飲み、それから土浦駅の北口の居酒屋へ行きました。
星野君はホテルに一泊し、塚原さんは自分のキャンピングカーに泊りました。私は当然、ヨットのメインキャビンの中に寝ました。
翌朝も3人でセイリングへ出ようとしたとき突然雨が降ってきました。
仕方がないので船は出さないでセールにカバーをかけて帰って来ました。
しかし27日のセイリングは3人で力を合わせた激しい、それだけに痛快なセイリングになりました。このヨット遊びが彼との最後のセーリングになりました。
下にその最後のセーリングの時撮った写真をしめします。
昨日の立石さんの絵画の展覧会を見ながら思い出したことを記しました。
2010年の10月27日に撮影しました。
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それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)