後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

色づき、散り始めた雑木林の写真

2014年11月01日 | 写真
今日の東京は雨で暗い日です。そこで自然のままの雑木林の紅葉の写真をお送りします。
山梨県西部の甲斐駒岳の麓の私の小さな小屋の周りで、10月27日に撮った写真です。人間がめったに来ない雑木林で、原始林のような感じです。空気が新鮮で鹿と猪と猿がたくさん棲んでいます。











原発は安全で経済の高度成長に欠かせないと信じていた日本人

2014年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム
私は2009年の2月2日にに、「原子力発電に反対し、現実的な解決法を提案します」と題する記事を自分のブログに掲載しました。
その冒頭の部分だけを示すと以下のようになっています。
・・・・原子力発電は技術的にそんなに難しい発電方法ではない。従って安全度は比較的に高い。その上新しい科学原理の実用化という興味深い実用技術である。技術者としての立場から是非推進、発展させたい。これが今までの小生の考えでした。
しかし原子力発電へ強く反対する方々が多いことを知りました。
原子力発電は人間の傲慢の象徴で、青く美しい地球を子孫へ残せないかも知れない。このような直感的反対が根強くあります。人間の感情の奥底から出てくる根源的な反対です。
科学はひどく限定された自然現象しか解明していません。未知のことが多すぎます。科学的に安全性を予測するのも重要ですが、直感力も重要です。
多くの人々が危険と感じながら我慢して生きているのです。間違った感じ方かも知れませんが、そのような心配を持って送る人生は決して幸せとは言えません。
色々考えて来ました。その結果、最近はやはり原子力発電には反対したほうが良いという気持ちになってきました。・・・・以下省略。
そして2年後の2011年3月11日の大津波で福島原発の4基の原発が水素爆発したのですす。
アメリカのジェネラル・エレクトリック社が製造した原発装置をアメリカの同盟国へ輸出する決断を下したのはアイゼンハワー大統領だったと言われています。
ソ連との冷戦が厳しい時代でした。アメリカは同盟国に核兵器の基盤技術を共有して貰ってソ連を軍事的に圧倒しようとしたと言われています。そして放射性物質の安全な取り扱い技術を共有して貰いたかったのです。
このアメリカの意図にいち早く反応したのが中曽根康弘さんを中心とする政治家や外務省や通産省の役人でした。
「原発は安全だ!経済の高度成長には絶対必要だ!」という国家的な宣伝と教育が展開されたのです。
結果として、国民の大多数は原子力の平和利用は素晴らしい!大いに推進すべしと考えるようになったのです。中曽根さんは高崎市に放射線の医学や生物学への利用を推進する研究所を作ったのです。私はその研究所を見学したことがありました。その立派な設備と有能な多数の研究者を見て中曽根さんの視野の広さに吃驚した記憶があります。
その結果、私も2009年2月24日まで原発推進派でした。
公平に見れば中曽根康弘さん達の方針は日本へ大きな貢献もしました。アメリカとの安保体制をより強固にし、アメリカは日本を信頼し、その経済発展へ協力したのです。
結果として1990年までのような経済の高度成長が可能になったのです。ですから中曽根さん達の国策は成功だったと評価する人も多いと思います。
しかし福島第一原発の水素爆発で原発の安全神話の虚構性が脆くも消し飛んでしまったのです。
多くの国民は自分達の考え方が国家によって束縛されていた事実に気がついて愕然としたのです。その結果、経済産業省や東京電力を非難しました。しかし中曽根康弘さんたちの政治家を非難する人は少なかったのです。
さて昔から原発の安全神話を信じないで、原発の建設に反対した人々も多かった事を見落としては公平を欠くことになります。
反対した人々を私は3種類に分類しています。
(1)原発技術を深く理解し、その危険性を技術的に見抜いて反対した人々。
(2)安全神話を信用せず、自分の直感で原発の危険性を感じ、原発に反対していた人々。この主な人は女性でした。
(3)日米安保体制を少しでも脆弱にしソ連や中国の共産勢力とも交流を深めようとした共産党や社会党の思想の影響を受けた人々。
(1)は数が少ないながらいました。(2)は(3)と共同で運動をしていた人も多かったのでよくマスコミの話題になって来ました。
その結果として原発が政治上の権力闘争の道具になってしまったのです。
私は数年間だけですが、旧核燃料サイクル機構のある小さな技術委員会の仕事をした経験があります。福井県にある「もんじゅ」炉の現場見学も2度しました。いろいろな人の意見も聞きました。
反対意見は共産党や社会党の思想の影響が感じられるものが多いのです。
原発は不毛な政治権力の闘争の道具になって来たことに暗然とした思いが忘れられません。
経済産業省や電力会社の情報操作体質は権力闘争の反作用として起きたのです。それは悪い事ですが情報操作体質が出来てきたいきさつも考えるべきと思います。
それはさておき原発の爆発で、原発の安全を信じていた人々の考え方が大きく変わったのです。その勢いで社会の風潮は再生可能エネルギーの方向へと大きく様変わりしたのです。これも大きな意味で時代による人々の考え方の大きな変化ではないでしょうか。
それにしても東日本大震災は原発だけでなくいろいろな方面において人々の考え方や人生観へ深い影響を与えたのです。
下に写真は爆発した原発の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)