後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

冬ですね。お花の写真をお送りします

2014年11月25日 | 写真

五年前の今日はブログでこんな記事を書いていました。
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「冬ですね。お花の写真をお送りします」
2009年11月25日 | 写真

色々な花々の季節も終り、落ち葉が風に舞う季節になりました。なんとなく淋しくなって来ましたので、お花屋さんの店先の花の写真をお送りします。昨日、家内とシクラメンの花を買いに行った店です。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。






武蔵野ダルクの渡辺肇さんからの重要なコメントをご紹介いたします。

2014年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム
こんにちは。私は武蔵野ダルクの渡辺と申します。
この活動を始めて約2年が過ぎて、活動をとうして、初めてカトリック東京教区の例えば、教会などと関わりが出来てきて、そして、初めて様々な事を感じてもいるので、ここに辿りつき、投稿してみようと思いました。
私自身は両親共にカトリック信徒でした。府中のカトリック墓地に入り、そうした事も含めて、イエスのカリタス修道女会本部のホームページの中の家庭の絆の中の下に、バツクナンバーがあり、薬物依存を乗り越えて。があるので多くの人にご覧になっていただきたいと思います。ダルクは今や有名になりました。素晴らしい福音宣教です。私は昔、両親に反発しプロテスタントの洗礼を受けた事がありましたが、改宗して、やがて神の国に入る時に、長年、共に住み、生活を共にしたロイ神父や両親と同じところにいき、神の元へいく為にすつきりしたのです。そして武蔵野ダルクの活動をスタートしましたが、活動を初めて、カトリック東京教区で、ダルクの真実。が一切しられていない事に驚きました。
今は内閣府の会議にも参加し、警視庁や、司法、法務省と共連携して活動するダルクが知られていないのに驚きました。

私は、19歳でダルクに繋がり、カトリックのメリノール宣教会へ行くと、そこには、一組の中国人家族がいました。赤ちゃんもいました。ロイさんに聞くと、これからアメリカに亡命する人達と言われました。30年前の事です。
その後、ロイさんのダルク事務所の仕事を手伝い、アメリカ大使館の人達も来ました。ロイさんは、東京にあるカトリック教会はフランシスカンチャペルセンターにだけ一諸にいき、その後一諸にアメリカにいき、NYの国連にいたメリノール会の神父にも協力してもらい、NY、またレンタカーでフイラデルフイアの教会を80.90年代と周り、日本のダルクの活動を支援してもらいました。
アメリカの人達は、日本社会がいかにタイト。であるか、12ステツプによる回復支援が必要か、話してました。それは日本社会の構図の問題でした。
そのあと、28年近く、ダルクはアメリカの教会の人達に支えられました。
今、武蔵野ダルクの活動を初めて、カトリック東京教区で支援をお願いする時、あるアメリカ人が私に言いました。この問題は、日本。東京の問題なのに、いつまでアメリカに頼つているのか。東京の教会も自立しなさい。と。しかし、教会を周り、実際にダルクの活動を、この問題を、知らない人がほとんどなばかりか、社会よりも、教会の方が、偏見や差別が普通にあるのに驚きました。そして悲しいな。と感じています。
宣教も、福祉問題も、社会の人達は、日本の最先端をいくダルクに、武蔵野ダルクの人達に。といい、なんでも聞いてきます。病気の事や、福祉問題なども、警察も法務省の人達も、どうすればいいか。と聞いてくれます。また、ロイさんといてカトリックでしょう?カトリックつてどうなんですか?なども良く聞かれます。答えは、カトリックは開かれています。東京も今武蔵野ダルクはスタートした。他宗教も、国も皆でこの問題は取り組むべきです。病気である。という事です。ただ宗教では虫歯は治らない。信仰は大事で、良い宗教は良いがまず病気の事と、何がどう問題か、学ぶことです。と説明します

キリスト教の土壌のない国というのは、歴史をみてもそのとうりだが、私は、教会を批判するつもりもまつたくないし、どちらかと言うと、私自身、教会では、静かに祈るのが好きな方です。
しかしあらゆる差別は無知からきます。社会の中で様々な人達と今、この武蔵野ダルクの活動をどうしていこうかと話すとき、教会の人達が知らない。では、寂しい話しです。
神の霊は貧しい人たちの上にいる。とはロイ神父の言葉です。
今、公立の学校が私達を呼び、様々な問題を話しています。PTAや教育委員会も私達を呼び共に考えて取り組んでいきましょう。と話しています。
どんな人も同じ人間です。法務省の人が私に言いました。東京のカトリックがこの問題に関心持つとロイさんも天国で喜びますね。。と。
カトリックも組織でこの社会も同じでしょう。しかし、本当に平和を祈るならば私達の活動に目を止め、まず知つてほしい。と願います。
この活動に関わると教会には新しい人達が目を向けて、そしてきます。
ほんとうです。
沢山新しい人達が教会に来ることを願つています。

神に感謝
武蔵野ダルク
渡辺肇

「後藤和弘/藤山杜人のブログ」は「後藤和弘のブログ-gooブログ」へ引っ越しました

2014年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム
2007年11月に始めました、「後藤和弘/藤山杜人のブログ - OCN」(yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp/blog/)は2014年11月25日の今日、ただ今、「後藤和弘のブログーgooブログ」へ引っ越しを完了いたしました。

2007年以来、ご支援頂き、数々の貴重なコメントを頂きましたことに心から感謝いたしています。
ブログを始めた2007年から掲載した全ての記事と写真はすでにこちらのgooブログの方へ引っ越しが完了しています。 このブログは、「後藤和弘のブログ」と称して、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama で御座います。

gooブログの皆様、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
挿絵として添付した写真は千葉県保田港で2008年に撮ったハンス・クリスチャン43の姿です。艇長の毛利さんと一夕一緒にこの美艇で飲んだ思い出の深い写真です。

どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。敬具、後藤和弘

季節の風物詩、冬の渡り鳥、白鳥への想い

2014年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム
自然は美しい。自然は不思議さに満ちている。そして何故か詩情を感じさせる。
冬の渡り鳥の姿を見ているとシベリアから渡って来たその飛来の旅のつらさが偲ばれます。そしてその大地に広がる湿地帯や白樺の樹林の風景が目の前に浮かんできます。
特にコハクチョウは数も多く、全国の川や湖に飛来して人々の目を楽しませてくれます。
白鳥の渡来地として全国的に有名なのは新潟県」阿賀野市の瓢湖(ひょうこ)です。故吉川重三郎氏が日本で初めて野生の白鳥の餌付けに成功したことで、注目を浴びま有名になりました。
その後、国の天然記念物に指定され、平成20年にはラムサール条約登録湿地となりました。毎年11月下旬頃のピーク時には5,000羽を超える白鳥が飛来するそうです。下にその瓢湖(ひょうこ)の白鳥の写真を示します。

(写真の出典は、http://www.niigata-kankou.or.jp/sys/data?page-id=10803です)
瓢湖の吉川重三郎さんは昭和29年(1954年)2月4日に、日本で初めてハクチョウの給餌に成功したのです。
当時、私は高校生でしたが、戦後の暗い社会でこのニュースは復興の希望の灯のように感じました。多くの人々もそのように感じたらしくて新聞は瓢湖の記事を大々的に報道しました。家内の祖母はこの記事を読んで、毎日茶殻を乾して貯めては郵便で送っていたそうです。
多くの高齢者にとって瓢湖の白鳥は忘れ得ない明るい希望の風物詩だったのです。現在、瓢湖の白鳥は吉川重三郎さんの息子の吉川繁男さんが餌を与えて大切に保護しています。重三郎さんは2006年に85歳で他界しました。
現在の日本では白鳥は数多く各地に渡ってきますので、それほど珍しくいはありません。
しかし私は特別な思い入れがあるので現在でも時々車を駆って見に行きます。
下は霞ヶ浦で2007年に私が撮った冬鳥の写真です。

白鳥、鴨類、ゆりかもめ、鳩などが混じって日向を楽しんでいます。ほかにオシドリ、カイツブリ、川鵜、小白鷺がよく遊んでいました。

下は美しいユリカモメです。

そして下はコハクチョウが大空を飛んで渡っている姿です。

(写真の出典は、http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2012:10:09:4948です)
最後に個人的は話で恐縮ですが、昔ドイツに住んでいたころは川や湖で白鳥を沢山見ました。2人の子供連れで住んでいたので子供たちが喜ぶのです。白鳥のほうから近づいて来て子供達と遊ぶのです。白鳥を見ると、まだ若かった家内がパンをちぎって投げていたドイツの生活を思い出すのです。
冬の白鳥は風物詩です。日本の戦後の復興の灯でした。私の家族の楽しい思い出です。この冬も白鳥を見に行こうと考えています。下に日本の渡り鳥の参考資料をつけます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料:日本の渡り鳥===================
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E3%82%8A%E9%B3%A5からの抜粋:
地域をどの範囲まで広げる(狭める)かによって、同一の鳥でも異なる分け方になる場合があるが、日本を基準とした場合、以下のような分け方となる。
夏鳥:主として繁殖のために日本より南の国から渡ってきて、夏を日本で過ごし、繁殖期が終わると再び越冬のために南の国に渡って行く鳥。ツバメ、アマサギ、オオルリ、キビタキ、クロツグミ、ハチクマ、サシバなど。冬鳥:主として越冬のために日本より北の国から渡ってきて、冬を日本で過ごし、冬が終わると再び繁殖のために北の国に渡って行く鳥。ツグミ、ジョウビタキ、ユリカモメ、マガモ、オオハクチョウ、マナヅル、オオワシなど。旅鳥:日本より北の国で繁殖し、日本より南の国で越冬するため、渡りの移動の途中に日本を通過して行く鳥。主として移動時期である春と秋に見られる。シギ、チドリの仲間に多い。