我々日本人が学校で習う朝鮮の歴史はおもに3件の出来事です。大和朝廷と高句麗、新羅、百済との交流と、豊臣秀吉の李朝時代の出兵と、1912年の朝鮮併合のことです。すべて政治的な事件です。
その一方、朝鮮半島に花咲いた文化についてはほとんど教えません。
ですから現在の日本人は古代からあった郷歌の文学性や百済、新羅、高句麗の三国時代の『三国史記』や『三国遺事』のことは一切教えません。
日本に萬葉集や源氏物語や古事記や日本書紀があったように百済、新羅、高句麗の三国にも同じような文学作品や歴史書があったのです。
これを知らなければ韓国や北朝鮮のことを蔑んだり悪口を言う日本人が多いのも自然ではないでしょうか。
そこで私は11月4日から5回にわたって以下のような連載記事を掲載してきました。
「あなたの隣人を愛せますか?・・・朝鮮文化を少し知ろう(5)革命的な磁器焼成と李朝の白磁」(11月11日掲載)
「あなたの隣人を愛せますか?・・・朝鮮文化を少し知ろう(4)日本人に感動を与えた朝鮮の少女」(11月9日掲載)
「あなたの隣人を愛せますか?・・・朝鮮文化を少し知ろう(3)朝鮮の古典文学」(11月7日掲載)
「あなたの隣人を愛せますか?・・・朝鮮文化を少し知ろう(2)朝鮮の歴史の概略」(11月5日掲載)
「あなたの隣人を愛せますか?・・・朝鮮文化を少し知ろう(1)韓国の世界遺産」(11月4日掲載)
連載を終えるにあたって何故日本人はこの豊かな朝鮮文化を無視してきたか、その原因を考えてみたいと思います。
原因はいろいろあるでしょうが、一番大きな原因は中国文化があまりにも輝かしかったからです。朝鮮文化は中国文化の亜流とみなしたのです。ですから大和朝廷は遣隋使や遣唐使を派遣して本家本元の中國文化を導入してきたのです。
その目的は中国の政治組織や制度、そして輝く文化を導入して大和政権の権威を上げ、政権基盤を盤石にするためだったのです。
輝く太陽が中国文化とすれば朝鮮の歴代の国々はその光を反射する火星や木星のような惑星の一つに過ぎないのです。ついでに言えば日本も惑星の一つに過ぎないのです。しかし惑星の一つ一つに独自の文化と歴史があるのです。
そして日本は明治維新以後は富国強兵の政策を取ります。そのために必要な科学と工業技術と軍隊組織をイギリス、ドイツ、フランス、アメリカから導入しました。ついでにそれらの国々の制度や文化も必要な部分だけ導入してきました。
しかしその他の国々、たとえばスペイン、オーストリア、ルーマニア、ブルガリア、などの独自の文化は無視されました。当然ハプスブルグ家の文化も無視されたのです。
このように概観すると日本の外国からの文化導入は非常に偏ったものであることが明らかに分かるのです。
しかし現在の日本は実に種々多数の分野であらゆる外国との文化交流が進んでいます。大変喜ばしいことです。
しかしながらその反面、韓国や北朝鮮や中国を差別し、蔑視する風潮があることは非常に残念なことです。他国を蔑むことは日本人の品格をもおとしめているのです。
今回の5回にわたる連載記事が少しでも日中関係と日韓関係の改善に役立つようにと祈りつつ連載の終わりといたします。
今日の挿絵写真は世界遺産の「大韓民国の歴史的村落:河回と良洞」の風景写真です。郷愁を感じるような農村風景です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料:朝鮮の文学===================
「文学からの接近:古典文学史:―― 時代区分とジャンルを中心に」、山田 恭子http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/nomahideki/edu_04_004_yamada_se4l.pdf
この研究論文ではまず韓国古典文学史を考える上で重要な時代区分やジャンルについ
て言及し,韓国古典文学の全体像を把握することを目的としています。
そして時代区分を以下のように6つの時代に別けています。
口碑文学,漢文学,国文文学(ハングル文字)の関係から,古代前後期,中世前後期,近世,近代の6 期に分けて考察しています。
口碑文学は5世紀になって漢字や漢文学が入ってくるまでの口承文学ですが。この口承文学は後に「帝釈本解」へと発展します。
そして古代後期とは,建国神話の出現,漢字伝来と漢文学の成立,郷歌の形成に至るまでの時代をさすそうです。
郷歌とは,新羅の三国統一期である6 世紀頃から高麗中期である13 世紀まで存在した文学形式を意味します。しかし広義の郷歌とは紀元前からあった形式で中国漢詩に対する当時の朝鮮の歌謡を広くさす呼称でした。
そして百済、新羅、高句麗の三国時代には.『三国史記』や『三国遺事』が書かれたのです。
それはさておき、中世文学の時代は、漢文学の時代です。科挙制度の前身ともいえる新羅の読書出身科が788 年に,本格的な科挙試験は958 年に実施されたことも漢文学の隆盛とつながったのです。しかし漢文学は訓民正音を用いた国文文学とも共存しました。
最初は漢字を利用した吏読 を通じて,次には朝鮮語を直接表記できる訓民正音との併用されたのです。私が想像しているのはこの訓民正音は日本の万葉仮名に相当するものと思います。
中世前期は郷歌と漢文学,特に漢詩が盛行したのです。
そして1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が、「訓民正音」を正式に公布し、公文書にも使用するようになったのです。それが現在のハングルです。
朝鮮では日本と同様に教養のある人は現在でも漢字の読み書きが出来るのです。
以上のように朝鮮の文学は日本と同様にいろいろな分野があり、内容も豊かなのです。