何故か知りませんが夏が来るとしきりに思い出すのが幼い頃の遊びの光景です。思い出すたびに、幼かった頃に戻って夏の遊びを楽しんでいます。
私の幼い頃は戦前、戦後にまたがっていました。食べるものも無かった貧しい時代でしたが夏の日々がめっぽう楽しかったのです。
エアコンは勿論、電気冷蔵庫も無い時代でしたので暑かったに違いありませんが、不思議に暑くて困ったという記憶がないのです。
夜になると蚊帳を吊り、渦巻き形の蚊取り線香の香りを楽しみながら蚊帳に入ったり出たりして遊んだものです。網戸もありません。迷ったセミやコガネムシ、ハンミョウなどがが開け放した廊下に飛び込んで来ます。
その夏の夜には近所の子供たちとよく花火遊びをしたものです。
その昔の花火遊びの光景に似た写真を探しました。
1番目の写真は子供たちの花火遊びの写真です。
出典は、http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201508/p1_0008264353.shtml です。
花火遊びで一番魅了されたものが線香花火です。
2番目の写真は線香花火の写真です。
出典は、http://prcm.jp/album/gazou1ro1ro/pic/56877292 です。
線香花火は細い小さな花火ですが赤い丸い火の球が出来、そこから柳や松葉のような繊細な光が飛び出すのです。出来の良い線香花火は何時までも松葉の光を出します。そして散り菊の形になり、丸い火の玉がポトリと落ちて終わります。その後のシンとした寂しさ。あの笹の葉が擦れるような音が80歳になった私の耳に鮮明に残っています。
夏の夜の思い出でもう一つ忘れられない光景があります。それは夜店の並んだ通りの光景です。当時は電灯を並べるなどという贅沢が出来ません。ローソクの炎がゆらゆら揺れて幻想的なものでした。その夜店でひときわ明るい店が所々にあります。カーバイトに水を少しずつ供給しアセチレンガスを発生させ大きな炎を出させるのです。その炎がシューシューと大きな音を立てます。カーバイトから出る特有の臭いを思い出します。
夏の夜はこうして楽しい思い出が沢山ありました。
そして朝になり太陽がまぶしく中天にかかるころになると金魚売りがやって来ます。キンギョ、キンギョーとよく透る呼び声が路地に響きます。
この3番目の写真は金魚売の写真です。出典は、read:http://www.city.shimabara.lg.jp/mailmagazine/backnumber/no135(270401)/270401.html です。
4番目の写真は金魚売りの売っていた金魚の写真です。
出典は、http://ameblo.jp/rika-131/entry-11485194425.html です。
そして夏と言えば海水浴です。当時は貧しい時代だったので娯楽といえば海水浴しか無かったのです。国内旅行などまれで、海外旅行は夢の夢でした。
海水浴では海で泳いで、砂浜に寝そべって甲羅干しをするだけです。海水で冷え切った体に熱い砂が心地よく感るのです。
当時はスイカ割りなどしませんでした。スイカは貴重品です。もったいないのです。私は一度もスイカ割りの経験がありません。
そんな当時の海水浴の光景の写真を探しました。
5番目と6番目の写真は昔の川崎、扇島の海水浴場の写真です。
海水浴の写真2枚の出典は、http://hamarepo.com/news.php?news_id=403 です。
この2枚の写真に示すように海水浴には多数の人が集まり、ただ泳いで砂浜で遊ぶだけです。ビーチパラソルもビーチバレーもありません。バーベキューなど言葉もありませんでした。
そして夏休みになると子供たちは徹底的に遊び回ったのです。私は夏休みの宿題など熱心にした記憶がありません。
海水浴に行けない日は、セミ・トンボ取り、ドジョウ掬い、小鮒釣り、肝試し、なんでもやりました。
遊びは何でもやりましので後悔はありません。
そんな夏の思い出の遊びの光景を楽しみながら老境の日々が今日も静かに流れて行きます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
私の幼い頃は戦前、戦後にまたがっていました。食べるものも無かった貧しい時代でしたが夏の日々がめっぽう楽しかったのです。
エアコンは勿論、電気冷蔵庫も無い時代でしたので暑かったに違いありませんが、不思議に暑くて困ったという記憶がないのです。
夜になると蚊帳を吊り、渦巻き形の蚊取り線香の香りを楽しみながら蚊帳に入ったり出たりして遊んだものです。網戸もありません。迷ったセミやコガネムシ、ハンミョウなどがが開け放した廊下に飛び込んで来ます。
その夏の夜には近所の子供たちとよく花火遊びをしたものです。
その昔の花火遊びの光景に似た写真を探しました。
1番目の写真は子供たちの花火遊びの写真です。
出典は、http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201508/p1_0008264353.shtml です。
花火遊びで一番魅了されたものが線香花火です。
2番目の写真は線香花火の写真です。
出典は、http://prcm.jp/album/gazou1ro1ro/pic/56877292 です。
線香花火は細い小さな花火ですが赤い丸い火の球が出来、そこから柳や松葉のような繊細な光が飛び出すのです。出来の良い線香花火は何時までも松葉の光を出します。そして散り菊の形になり、丸い火の玉がポトリと落ちて終わります。その後のシンとした寂しさ。あの笹の葉が擦れるような音が80歳になった私の耳に鮮明に残っています。
夏の夜の思い出でもう一つ忘れられない光景があります。それは夜店の並んだ通りの光景です。当時は電灯を並べるなどという贅沢が出来ません。ローソクの炎がゆらゆら揺れて幻想的なものでした。その夜店でひときわ明るい店が所々にあります。カーバイトに水を少しずつ供給しアセチレンガスを発生させ大きな炎を出させるのです。その炎がシューシューと大きな音を立てます。カーバイトから出る特有の臭いを思い出します。
夏の夜はこうして楽しい思い出が沢山ありました。
そして朝になり太陽がまぶしく中天にかかるころになると金魚売りがやって来ます。キンギョ、キンギョーとよく透る呼び声が路地に響きます。
この3番目の写真は金魚売の写真です。出典は、read:http://www.city.shimabara.lg.jp/mailmagazine/backnumber/no135(270401)/270401.html です。
4番目の写真は金魚売りの売っていた金魚の写真です。
出典は、http://ameblo.jp/rika-131/entry-11485194425.html です。
そして夏と言えば海水浴です。当時は貧しい時代だったので娯楽といえば海水浴しか無かったのです。国内旅行などまれで、海外旅行は夢の夢でした。
海水浴では海で泳いで、砂浜に寝そべって甲羅干しをするだけです。海水で冷え切った体に熱い砂が心地よく感るのです。
当時はスイカ割りなどしませんでした。スイカは貴重品です。もったいないのです。私は一度もスイカ割りの経験がありません。
そんな当時の海水浴の光景の写真を探しました。
5番目と6番目の写真は昔の川崎、扇島の海水浴場の写真です。
海水浴の写真2枚の出典は、http://hamarepo.com/news.php?news_id=403 です。
この2枚の写真に示すように海水浴には多数の人が集まり、ただ泳いで砂浜で遊ぶだけです。ビーチパラソルもビーチバレーもありません。バーベキューなど言葉もありませんでした。
そして夏休みになると子供たちは徹底的に遊び回ったのです。私は夏休みの宿題など熱心にした記憶がありません。
海水浴に行けない日は、セミ・トンボ取り、ドジョウ掬い、小鮒釣り、肝試し、なんでもやりました。
遊びは何でもやりましので後悔はありません。
そんな夏の思い出の遊びの光景を楽しみながら老境の日々が今日も静かに流れて行きます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)