今日のカトリック小金井教会での10時からのミサは久しぶりに幸田和生司教さまが司式してくださいました。
2つのことが感動的でした。
一つは今日読み上げられた「イザヤの予言」、「使徒パウロのガラテヤの教会への手紙」、と「ルカによる福音」は世界中のカトリック教会で同じように朗読されますという幸田司教さまのお話しで、世界中の教会が一致していることに感動しました。そしてかつて自分が訪れた外国の幾つもの教会を懐かしく思い出しました。
カトリック教会のミサは世界中同じなのです。そして各地の司教区はローマ法王のフランスコ教皇に直接つななっがています。ですから説教でもフランシスコ教皇さまの話がよく出ます。
二つ目は幸田司教さまの説教が実に明快なことです。
今日の説教の主題はイエスさまの言う「平和」の意味でした。
日本人は戦争さえ無ければ平和だと思っています。その理解も間違っていませんが、イエスさまの言う平和とか神の与えてくれる平和の意味はもう少し厳しい意味があります。
「主の平和」というときの平和とは心の中に憎しみや争いの無い完全に穏やかな状態であることが必須条件です。平和は個人の心から生まれるのです。例えば独裁国家で人権蹂躙があるような社会では、たとえ戦争が無くても平和とは言えません。あるいは横暴な父のいる家庭では一見平和な家庭に見えても家族一人一人の尊厳が大切にされていなければ平和とは言えません。
このように理解すると神が人間に与える平和は非常に大切なものです。
そのような平和が心の中にありますようにという祈りがミサの間に何度も唱えられるのです。
何気なく、「司祭さまにも平和がありますように」と鸚鵡返しに唱えているその一行の言葉にも深い意味があるのです。
今日の説教の明快さと深い意味に感動して日記に残そうとしました。今日は写真機を持って行きませんでしたので、「幸田和生司教の写真」を検索しましたら沢山の写真がありました。下の1番目の写真は私が選んだ一枚の写真です。
そして写真を検索していたら幸田司教さまがブログを書いていることを発見しました。
それは「毎日がクリスマス」http://nativitas.blog130.fc2.com/ というブログです。
以下は6月26日に幸田司教さまが湘南のカトリック茅ケ崎教会のミサを司式されたときの記事の抜粋です。
茅ケ崎海岸には時々ドライブに行くので、何故かご縁を感じ、幸田司教さまのブログの抜粋を以下にお送りします。
・・・わたしたち全世界のカトリック信者は、フランシスコ教皇の呼びかけに従って、いつくしみの特別聖年という年を過ごしています。聖年には昔からの伝統で、巡礼が行われてきました。今もそうかもしれません。聖年の扉をくぐるためにローマまで行ったり、司教座聖堂に行ったりする人もいるかもしれません。もちろん多くの人はそんなことできまないと思います。フランシスコ教皇は、刑務所にいる人も、病気で動けない人も、聖年の巡礼の恵みにあずかることができるとはっきり言っておられます。わたしたちは今年、特別に、主日のミサの中でルカ福音書を読んでいますから、今日の箇所を出発点としてイエスさまとともに、エルサレムへ向かう巡礼を、霊的な(spiritualな)旅をしていけたら良いと思います。これなら誰でもできます。・・・・以下省略。
下の2番目の写真は幸田司教さまが撮ったカトリック茅ケ崎教会の写真です。
3番目の写真は6月に茅ヶ崎海岸に行った時、私が撮った写真です。
この幸田司教さまの「毎日がクリスマス」というブログを読むと実に分かりやすい文章で書かれていることに感銘を憶えます。
優しいお人柄が伺えるようです。
キリスト教にご興味がある方々にお薦めいたします。ご一読なさいますように祈っております。
2つのことが感動的でした。
一つは今日読み上げられた「イザヤの予言」、「使徒パウロのガラテヤの教会への手紙」、と「ルカによる福音」は世界中のカトリック教会で同じように朗読されますという幸田司教さまのお話しで、世界中の教会が一致していることに感動しました。そしてかつて自分が訪れた外国の幾つもの教会を懐かしく思い出しました。
カトリック教会のミサは世界中同じなのです。そして各地の司教区はローマ法王のフランスコ教皇に直接つななっがています。ですから説教でもフランシスコ教皇さまの話がよく出ます。
二つ目は幸田司教さまの説教が実に明快なことです。
今日の説教の主題はイエスさまの言う「平和」の意味でした。
日本人は戦争さえ無ければ平和だと思っています。その理解も間違っていませんが、イエスさまの言う平和とか神の与えてくれる平和の意味はもう少し厳しい意味があります。
「主の平和」というときの平和とは心の中に憎しみや争いの無い完全に穏やかな状態であることが必須条件です。平和は個人の心から生まれるのです。例えば独裁国家で人権蹂躙があるような社会では、たとえ戦争が無くても平和とは言えません。あるいは横暴な父のいる家庭では一見平和な家庭に見えても家族一人一人の尊厳が大切にされていなければ平和とは言えません。
このように理解すると神が人間に与える平和は非常に大切なものです。
そのような平和が心の中にありますようにという祈りがミサの間に何度も唱えられるのです。
何気なく、「司祭さまにも平和がありますように」と鸚鵡返しに唱えているその一行の言葉にも深い意味があるのです。
今日の説教の明快さと深い意味に感動して日記に残そうとしました。今日は写真機を持って行きませんでしたので、「幸田和生司教の写真」を検索しましたら沢山の写真がありました。下の1番目の写真は私が選んだ一枚の写真です。
そして写真を検索していたら幸田司教さまがブログを書いていることを発見しました。
それは「毎日がクリスマス」http://nativitas.blog130.fc2.com/ というブログです。
以下は6月26日に幸田司教さまが湘南のカトリック茅ケ崎教会のミサを司式されたときの記事の抜粋です。
茅ケ崎海岸には時々ドライブに行くので、何故かご縁を感じ、幸田司教さまのブログの抜粋を以下にお送りします。
・・・わたしたち全世界のカトリック信者は、フランシスコ教皇の呼びかけに従って、いつくしみの特別聖年という年を過ごしています。聖年には昔からの伝統で、巡礼が行われてきました。今もそうかもしれません。聖年の扉をくぐるためにローマまで行ったり、司教座聖堂に行ったりする人もいるかもしれません。もちろん多くの人はそんなことできまないと思います。フランシスコ教皇は、刑務所にいる人も、病気で動けない人も、聖年の巡礼の恵みにあずかることができるとはっきり言っておられます。わたしたちは今年、特別に、主日のミサの中でルカ福音書を読んでいますから、今日の箇所を出発点としてイエスさまとともに、エルサレムへ向かう巡礼を、霊的な(spiritualな)旅をしていけたら良いと思います。これなら誰でもできます。・・・・以下省略。
下の2番目の写真は幸田司教さまが撮ったカトリック茅ケ崎教会の写真です。
3番目の写真は6月に茅ヶ崎海岸に行った時、私が撮った写真です。
この幸田司教さまの「毎日がクリスマス」というブログを読むと実に分かりやすい文章で書かれていることに感銘を憶えます。
優しいお人柄が伺えるようです。
キリスト教にご興味がある方々にお薦めいたします。ご一読なさいますように祈っております。