後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

若き日の冒険といささかの自慢話、その2

2016年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム
前回の記事の「若き日の冒険、恥多き思い出、その1」に書いたような事情で、貧乏だった学生の私でもアメリカへの留学のチャンスを掴めたのです。
フルブライト委員会から送ってきたノースウエスト機の航空券で、羽田を飛び立ったのは1960年の8月のことでした。中学校時代の友人や親類が羽田まで多数見送りに来てくれました。日本は外貨不足で、外国への自由な観光旅行が禁止され、外貨持ち出しは60ドルまでと制限されていた時代でした。1ドル360円の時代です。
オハイオ州立大学での勉強は想像以上に厳しいものでした。
それでも1962年の8月には、Doctor of Philosophy (哲学博士)の学位記を手にすることが出来たのです。
アメリカのDoctor of Philosophyの学位を取得するための必要条件は末尾の参考資料に簡略に説明してあります。

さてこのような短期間で学位を貰えた陰にはアメリカ人の強い支援があったからなのです。それは老境にいたった現在振り返っても、胸が熱くなるような励ましといろいろな助けでした。
指導教官のセント・ピールの励ましと学位論文の指導が素晴らしかったのです。
そして15人位いた博士課程の同級生が実に親切でした。言葉が出来ない私に頻繁に行われる試験の日時と出題範囲を噛んで含めるように教えてくれます。総合学力試験の時は各教授の出題傾向まで教えてくれたのです。

その級友のなかで特に親切だったのが、かなり年上のジョージ・オートンさんでした。
ジョージとはハイオ州立大金属工学博士課程の講義に初めて出た時に会ったのです。
彼はアメリカ空軍から大学へ派遣されてきた空軍大佐でした。
驚いたことに彼はB29爆撃機を操縦して、東京へ焼夷弾を落としに何度も来たのです。
大きな体、坊主頭、赤ら顔のカウボーイのような男でした。非常に面倒見のよい人で、英語のできない私にノートを見せてくれ、何度も家に招待してくれました。
当時、彼は空軍大佐でしたので裕福だったのか、真っ赤なイギリスのスポーツカーのMGに乗って通学していました。
自宅での簡単な夕食に招んでくれるときは必ずこのMGに乗せてくれます。運転が上手で、なるほど飛行機の操縦をしていた人は違うと感心したものです。MGは繊細で神経質なスポーツカーで運転が難しいのです。

かなり親しくなってから彼に聞いたことがあります。
「なぜ日本人の私の面倒をそんなに本気でみるのか?」
彼は急に厳しい顔になって、「俺は東京や各地へB29で何十回も空襲に行ったよ。でもそんな質問は二度とするな」と言ったのです。彼はその後、戦争のことは二度と話しませんでした。

私の帰国後もジョージとは長い間、家族同士の付き合いをしました。家族一緒に熱海の旅館へ泊ったこともあります。
日本に来るときは空軍の飛行機できます。その頃は、とっくに退役していたのですが、何時もアメリカの立川基地に来ます。退役していても若い兵が荷物を持って私の車まで送って来ます。兵は直立するときちんと敬礼をして帰っていきます。嗚呼、これが軍隊なのだなと感じたものです。

ジョージの奥さんのケイが死んだのは1980年頃でした。しばらくしてから南部にジョージを訪ね、二人でケイの墓参りをしました。いつも大声で陽気に話していた彼が消え入るように沈み込んでいます。平らな白い石の墓石が一面に広がり、秋風が吹き渡っていました。ジョージは何年か過ぎたときアニタという女性と再婚しました。元気を取り戻しました。

1988年、私はオランダのエルスビーア出版社から初めて英語で専門書を出版することになりました。その時、原稿の英語を逐一訂正してくれたのがジョージともう一人の同級生のジム・バテルでした。

ジョージのことを思い出すと、1945年7月、少年であった私の目の前で一面火の海になった仙台の町々の光景を思い出します。
そして仙台空襲の大火に映しだされるB29の白い機体のゆっくりした動きを思い出します。憎しみも悲しみもない走馬灯のように。
ジョージは2006年の末に亡くなりました。息子から連絡が来ました。花輪を送り、遠くから冥福を祈るだけです。
オハイオの同級生のことはもっと書きたいことがありますが、これで止めにします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
=====参考資料=================
「アメリカで博士の学位をとるために要求される条件」
まずアメリカで博士の学位は多くの分野でDoctor of Philosophy (哲学博士)と呼ばれていることを説明します。
それはギリシャからの伝統にしたがっています。古代ギリシャでは哲学も数学も天文学も科学も、そしてその他の分野の研究も全て哲学と称していたそうです。哲学とは宇宙の中の、勿論、地球上の全ての現象の法則性を考え、いろいろな宇宙観を提唱するものです。ですから日本でいう狭義の哲学は勿論、理学や工学や全ての研究分野でも博士号は全てDoctor of Philosophyと呼びます。
日本のように理学博士、工学博士、農学博士などという細分化した博士の学位はありません。勿論、例外はありますが、長くなるので省略します。
このDoctor of Philosophy (哲学博士)の学位を授与される為には以下の4つほどの条件を満足しなけらばなりません。
(1)大学院の十数個以上の科目の単位を取り、その成績の平均点があるレベル以上でなければなりません。そのレベルは大学によって異なりますが、それを下回った成績をとると強制退学させられます。
(2)学科の勉強と並行して自分の学位論文のテーマを指導教官に決めて貰い、その研究を続けなければなりません。工学の場合は自分で実験装置を組み立てて、授業のない夜の時間や週末に大学に行って実験を一人で行います。
(3)十数個以上の科目の単位を取りおわるとGeneral Examinationという総合的な学力試験を受けます。一日間くらいの筆記試験ですが時間に制限が無く、短時間なら図書館に行って調べて答案を書いても良いのです。
筆記試験の次の日に口頭試験があります。これが一番難しくて厳しいものです。
(4)総合的な学力試験の筆記試験と口頭試験に合格すると自分の実験結果にもとずいた学位論文を指導教官へ提出します。
その論文の審査は、4,5人の教授たちによる口頭試験で行われます。この場合重要なことは審査員の教授の1人は必ず他の学科の教授でなければならないことです。これには審査のなれ合いを防ぐ目的と、学位論文が本当に独創的で普遍的な価値があるかを評価する目的があるのです。
以上のような条件が要求されるのがアメリカの学位制度なのです。ですからアメリカでは大学院に入らないといけません。日本のように論文だけを提出するいわゆる「論文博士」という制度はありません。(名誉博士は別です。)
学位記の授与は大きな講堂で学長から手渡されます。それは伝統的な儀式で、出席する教授も学生も黒いガーンと黒い角帽子をかぶります。後ろの席には正装した家族たちが座ります。黒いガーンと黒い角帽子は大学の正門に近い貸衣装店から1日だけ借りるのです。

今日の挿し絵代わりの写真は先日、都立神代植物公園で撮ったいろいろな睡蓮の花々の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)










トランプ氏の大統領候補決定、世界の右傾化がますます進む!

2016年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、差別主義者のトランプ氏が共和党大会で断然一位の1725票を得で、正式に共和党の大統領候補に決定しました。
この決定の影響で世界はますます右傾化すると考えられます。
ここで右傾化という曖昧な言葉の定義を致します。右傾化とは人種主義、人種差別、排外主義、移民反対主義、偏狭なナショナリズム、その他のすべての不寛容な考え方と定義します。
この世界の右傾化は、1990年頃の米ソ対立の厳しい冷戦構造の解消の頃から静かに次第に世界をむしばみ始めたようです。
ですからトランプ氏の大統領候補決定もイギリスのEU離脱もロシアのクリミア半島合併も急に起きた現象ではなく、この世界の右傾化という一見見えにくいが力強い潮流の結果として起きた現象と思われます。日本の最近の右傾化も例外ではありません。

そこで今日は世界の右傾化についてすこし広い視野で考えてみたいと思います。
まずご紹介したいのは2001年が国連主催で南アフリカで開催された「人種主義、人種差別、排外主義および関連の不寛容に反対する世界会議」のことです。
この世界会議は国連広報センターの資料、http://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/1310/ によると次のように紹介されています。
開催期間は2001年8月31日-9月7日で南アフリカ・ダーバンで開催されました。
この世界会議の目的は、国家、地域、国際レベルにおける人種主義、人種差別、および関連の不寛容の根絶を目的としたものでした。そしてその目的の為に不寛容主義の防止や教育をどのようにすべきかを討議したのです。
その会議の趣旨は次のように説明されています。
・・・・最新の技術により世界中の人々が密接に結びつき、政治の境界線が取り外されても、人種差別、排外主義、および関連の不寛容は依然として私たちの社会を荒廃させています。近年「民族浄化」をはじめとする様々な恐怖が現れ、人種的優越という考え方がインターネットなど新しい情報手段を通じて広まっています。グローバル化が進んでも、民族および人種主義という点から見ると、様々な危険性を内包しており、それが排他主義を生み、不平等をさらに増すことにもなりかねないのです。・・・・

この世界会議は1990年代に準備され2001年に開催されています。
ここで驚くべきことは上記に描かれている世界の状況こそ、現在まさにアメリカ、ヨーロッパ諸国、そして日本でも起きているのです。
それは深い海の底を流れる大きな潮流のようなもので個人の力では変えることが非常に困難です。

次にこの潮流の影響の一例として、最近のドイツの右傾化の現象を報じたものをご紹介致します。
「「世界中で右傾化が止まらないない」 ⇒ 欧州が右傾化、排外主義が勢力拡大!ドイツでは毎週の反イスラムデモが恒例化 」
公開日、2016年1月21日、http://mizuhonokuni2ch.com/blog-entry-7862.html より抜粋。
・・・ 欧州で台頭しつつある反移民感情とナショナリズム運動はフランスの風刺週刊紙シャルリー・エブド銃撃事件を利用し、かつてないほどの切迫感をもって長年訴えてきた彼らの主張をさらに広めようとしている。それは文化的アイデンティティーの喪失だ。
ドイツで結成されたばかりの政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の幹部、アレクサンデル・ガウラント氏は「この流血(仏紙銃撃事件)は、イスラム主義の脅威についての不安を無視したり笑い飛ばしたりする人が間抜けであることを示している」と述べた。「ドイツのための選択肢」は移民を制限し、ドイツがユーロ圏から脱退すべきだと主張している。
 これまで、こうしたレトリックは非主流政党のたわ言として直ちに退けられていた。ただ、ここ数年はフランスやオランダ、英国でこのようなナショナリズムを打ち出す政党の躍進が目立つようになっている。伝統的な生活様式が脅威にさらされているという、欧州市民の間で高まる不満がこれを後押ししているからだ。 ・・・中略
・・・仏紙銃撃事件は特にドイツにとって重要な時期に発生した。ドイツでは毎週月曜日に東部ドレスデンで反イスラムデモが恒例化し、ここ数カ月で国全体が揺らぐようになっていたからだ。
 ベルテルスマン財団が8日発表した最新調査によると、イスラム主義は西側世界と融和できないと考えるイスラム教徒以外のドイツ人の割合が昨年11月時点で61%となり、2012年の52%から上昇した。・・・・

さて世界の右傾化のもう一つの例として「福祉国家とは、差別国家の別の名前である」というアメリカとヨーロッパを比較したネット情報をご紹介いたします。以下は[橘玲の世界投資見聞録];http://diamond.jp/articles/-/85030 よりの抜粋です。

以下の文脈は判り難いので、その主張を最初に書いておきます。ヨーロッパの国々は高福祉です。ですから移民が増大すれば福祉制度が崩れるので移民反対なのです。米国に極右政党が存在しないのは、福祉が貧困だからだという主張です。しかしトランプ氏は移民反対なのでそのうちアメリカもヨーロッパのようになると私は思います。
・・・米国では4000万人が医療保険に加入していない。高齢者と貧困層のための公的医療保険はあるが、アメリカ人の多くは企業が提供する医療保険プランを利用している。労働ビザを持たない不法移民はもちろん、自営業者や失業者も自分の身は自分で守るしかない。
米国の貧弱な社会福祉に比べて、ヨーロッパは公的年金や医療保険、失業保険が充実している。日本が目指すのは、そうした福祉国家だと言われる。
ドイツやフランスをはじめとして、ヨーロッパ諸国はどこも極右政党の台頭に悩まされている。それに比べて米国では、人種差別的団体は存在するものの、移民排斥を掲げる政党が国会で議席を獲得することはない。
一見、無関係に見えるこのふたつの話は、同じコインの両面である。米国に極右政党が存在しないのは、福祉が貧困だからだ。ヨーロッパで組織的・暴力的な移民排斥運動が広がるのは、社会福祉が充実しているからである。
国家は国民の幸福を増大させるためにさまざまな事業を行なっている。その中で、豊かな人から徴収した税金を貧しい人に再分配する機能を「福祉」という。・・・中略
アフリカ諸国やインドなど最貧国では、国民の大半が今も1日1ドル以下で生活している。東ヨーロッパの最貧国であるルーマニアでは、1日4ドル以下で暮らす国民が半数を超えるという。先進諸国の社会的弱者は、世界基準ではとてつもなく裕福な人たちだ。彼らが極右政党を組織して移民排斥を求めるのは、福祉のパイが限られていることを知っているからだ。
貧乏人の子供は貧乏のまま死ぬのが当然、と考える人はいないだろう。不幸な境遇に生まれた人にも、経済的成功の機会は平等に与えられるべきだ。では、貧しい国に生まれた人にも、豊かな暮らしを手に入れる機会が与えられるべきではないだろうか。
ここに、貧困を解決するふたつの選択肢がある。ひとつは、世界中の社会的弱者に平等に生活保護を支給すること。そのためには天文学的な予算が必要になるだろう。もうひとつは、誰もがより労働条件のよい場所で働く自由を認めること。こちらは、何の追加的支出も必要ない。
北朝鮮や旧イラクのような独裁国家には移動の自由はなく、国民は政治的に監禁されている。福祉国家は厳しい移民規制によって、貧しい国の人々を貧しいままに監禁している。誰もが独裁国家の不正義を糾弾して止まない。では、福祉国家は正義に適っているだろうか。
米国ではベビーブーマーが引退の時期を迎え、社会福祉の充実が叫ばれている。それに伴って、移民規制は年々、厳しさを増している。米国がごくふつうの福祉国家になる時、「移民の国」の歴史は終わりを告げるだろう。
福祉国家とは、差別国家の別の名前である。私たちは、福祉のない豊かな社会を目指すべきだ。・・・・・

世界の右傾化は単純に移民反対だけの理由で強くなるものではありません。保護貿易主義から民族文化の保護まで種々の要因によって進行する社会現象です。それは複雑怪奇としか言いようのない難しい問題なのです。

しかし困った問題です。人類の将来が危惧される重大問題だと私は考えています。
皆様からコメントを頂けたら嬉しく思います。

今日の挿し絵代わりの写真は昨日、都立浅間山公園で撮ったヤマユリの写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)