秋になりました。 店には秋の果物が美しく並んでいます。
戦中、戦後に仙台市に育った頃は秋の果物といえば柿しかありませんでした。冬になれば青森の林檎や静岡のミカンも並びがましたが、一般的に果物は貴重品でたまにしか食べることができませんでした。
そんな時代に郊外の八木山の森深く入って行くと不思議に山栗が沢山落ちているところを一度だけ発見したのです。それは踊り上がるような歓喜の瞬間でした。食糧難の時代だったので栗はあこがれの食べ物だったのです。
栗の実を拾い集めてからさらに森の奥に入って行きました。と、不思議な果物がつるにぶら下がっていたのです。それは淡い紫色になっていたアケビでした。
すぐに取って、中身のふわふわの果実を口に入れると、やさしい穏やかな甘味が広がります。その甘味は砂糖のように強くなく、ほのかな甘味ですが、何故か体中が幸せになるような感じがします。
この世の果物ではないような味です。幻想的な味です。
それ以来、野生のアケビを探して八木山の奥に毎年のように入りましたが、なかなか見つかりません。まさしく幻の果物でした。
・・・それからいろいろな事がありました。
1975年になって山梨県の甲斐駒岳の麓の森の中に小屋を建てました。初めて行った時、小屋の庭の小川の向こうに何と、あの幻の果物のアケビが実っていたのです。薄紫色のアケビが3個ぶら下がっています。
少年の頃。仙台の八木山でアケビを見つけた時の歓喜がよみがえります。
そこでその小屋の名前を「あけび荘」とし、その名前を彫刻用のサクラの板に彫って小屋に取り付けました。
・・・それからまたいろいろな事がありました。
1990年に琵琶湖で中古のヨットを買って、霞ヶ浦のマリーナまで陸送しました。その時、ヨットを買った店の人に「あけび号」と船首に書いて下さいと頼みました。
霞が浦に浮かんだ「ヤマハ19」の白い船首の両側に黒々と「あけび号」と書いてあります。
そして10年後に、少し大きな中古ヨットに買え替えました。LunaⅢ号ですが、その登録名も「あけびⅡ号」としました。
アケビの実は不思議です。
いつもは忘れているのに人生の折り目、折り目に心の中から出てくるのです。そして食料難の頃、仙台の八木山の奥でアケビを発見した時の歓喜がよみがえってきます。幸せな気分になるのです。
こんな俳句も思い出します。
「あの頃のほのかに甘き通草(あけび)かな」 松井矢菅
この秋は80歳の秋です。少年の頃、仙台の八木山の奥で見つけたアケビの実の薄紫の色を思い出します。
そして甲斐駒の山林の中の小屋や、25年間乗った2艇のヨットのことを想うのです。
そうだ今日は車を駆って山林の中の小屋に行ってみることにします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真にあけびの写真を示します。
あけびの写真の出典は、http://tititake.sakura.ne.jp/diary/nicky00088.html です。
2番目の写真は甲斐駒の山林の中の小屋を裏側から見た写真です。この小屋の向こう側の山の斜面にアケビが成っていたのです。1975年の秋でした。
3番目の写真は1990年に琵琶湖で買って、霞ヶ浦まで陸送してきたYamaha19です。「あけび号」です。現在の持主が霞が浦でまだ帆走させています。
4番目の写真は13年間乗った「あけび2世号」です。
5番目の写真はLunaⅢ「あけび2世号」と家内の写真です。ヨットは5年前の75歳で止めました。この写真は2009年頃の写真です。
戦中、戦後に仙台市に育った頃は秋の果物といえば柿しかありませんでした。冬になれば青森の林檎や静岡のミカンも並びがましたが、一般的に果物は貴重品でたまにしか食べることができませんでした。
そんな時代に郊外の八木山の森深く入って行くと不思議に山栗が沢山落ちているところを一度だけ発見したのです。それは踊り上がるような歓喜の瞬間でした。食糧難の時代だったので栗はあこがれの食べ物だったのです。
栗の実を拾い集めてからさらに森の奥に入って行きました。と、不思議な果物がつるにぶら下がっていたのです。それは淡い紫色になっていたアケビでした。
すぐに取って、中身のふわふわの果実を口に入れると、やさしい穏やかな甘味が広がります。その甘味は砂糖のように強くなく、ほのかな甘味ですが、何故か体中が幸せになるような感じがします。
この世の果物ではないような味です。幻想的な味です。
それ以来、野生のアケビを探して八木山の奥に毎年のように入りましたが、なかなか見つかりません。まさしく幻の果物でした。
・・・それからいろいろな事がありました。
1975年になって山梨県の甲斐駒岳の麓の森の中に小屋を建てました。初めて行った時、小屋の庭の小川の向こうに何と、あの幻の果物のアケビが実っていたのです。薄紫色のアケビが3個ぶら下がっています。
少年の頃。仙台の八木山でアケビを見つけた時の歓喜がよみがえります。
そこでその小屋の名前を「あけび荘」とし、その名前を彫刻用のサクラの板に彫って小屋に取り付けました。
・・・それからまたいろいろな事がありました。
1990年に琵琶湖で中古のヨットを買って、霞ヶ浦のマリーナまで陸送しました。その時、ヨットを買った店の人に「あけび号」と船首に書いて下さいと頼みました。
霞が浦に浮かんだ「ヤマハ19」の白い船首の両側に黒々と「あけび号」と書いてあります。
そして10年後に、少し大きな中古ヨットに買え替えました。LunaⅢ号ですが、その登録名も「あけびⅡ号」としました。
アケビの実は不思議です。
いつもは忘れているのに人生の折り目、折り目に心の中から出てくるのです。そして食料難の頃、仙台の八木山の奥でアケビを発見した時の歓喜がよみがえってきます。幸せな気分になるのです。
こんな俳句も思い出します。
「あの頃のほのかに甘き通草(あけび)かな」 松井矢菅
この秋は80歳の秋です。少年の頃、仙台の八木山の奥で見つけたアケビの実の薄紫の色を思い出します。
そして甲斐駒の山林の中の小屋や、25年間乗った2艇のヨットのことを想うのです。
そうだ今日は車を駆って山林の中の小屋に行ってみることにします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真にあけびの写真を示します。
あけびの写真の出典は、http://tititake.sakura.ne.jp/diary/nicky00088.html です。
2番目の写真は甲斐駒の山林の中の小屋を裏側から見た写真です。この小屋の向こう側の山の斜面にアケビが成っていたのです。1975年の秋でした。
3番目の写真は1990年に琵琶湖で買って、霞ヶ浦まで陸送してきたYamaha19です。「あけび号」です。現在の持主が霞が浦でまだ帆走させています。
4番目の写真は13年間乗った「あけび2世号」です。
5番目の写真はLunaⅢ「あけび2世号」と家内の写真です。ヨットは5年前の75歳で止めました。この写真は2009年頃の写真です。