後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

アメリカ人と日本人の日中間の歴史認識は非常に違う!

2016年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム
日本と中国とは歴史認識があまりにも違います。特に1930年、昭和5年に始まった日中戦争以後の両国の関係の歴史についての理解には大きな差があります。
例えば南京虐殺で日本軍は30万人の市民を殺したと中国側は認識しています。日本人は30万人とはあまりにも誇大な数だと言います。そもそも市民の虐殺など無かったと主張しています。
中国は日本が侵略し、3000万人の中国人を殺したと言います。日本は侵略でなく、日本が欧米の植民地になるのを防ぐための戦争だったと言います。3000万人なんかとんでもない誇大宣伝だと主張します。
この歴史認識の違いは永久に平行線です。合致する時代が来そうではありません。
さてそれではこのような日中間の歴史認識をアメリカ人はどのように見ているのでしょうか?

アメリカ人と言っても一般のアメリカ人にはあまり関心が無いのが実情ではないでしょうか?
しかし日本と中国の近代史に詳しいアメリカ人なら明確な歴史認識を持っている筈です。
先日からいろいろ検索して調べていました。そうしたらアメリカの弁護士のケント・ギルバートさんの「日本人の歴史認識に物申す」と題する『産経新聞』夕刊フジの意見記事を見つけました。
彼はアメリカ人ですから、当然アメリカの立場に立った歴史認識です。 その歴史認識は日本人や中国の人と驚く程違うのです。
違いますが非常に客観的で考えさせられる内容です。そこで全文を以下に引用いたします。

ケント・ギルバート著「日本人の歴史認識に物申す」
http://ironna.jp/article/1208
 日本人の歴史認識に必ず文句を言う国がある。実は、米国人である私も、日本人の歴史認識には不満がある。今日は私の歴史認識を書く。
 「アジア唯一の国連常任理事国は?」と質問したら、日本人の大半が「中国」と答えるだろう。不正解とは言わないが、正確には中華人民共和国である。英語は「People’s Republic of China」。PRCは同国の略称だ。
 国連常任理事国とは本来、第2次世界大戦の戦勝5カ国だった。しかし、PRCは1949年10月建国で、終戦時には存在しない。国連加盟は1971年である。

大戦時の「中国」とは、蒋介石率いる中華民国(国民党政府)である。だから貴重な文化財は現在も台湾の国立故宮博物院にある。PRCを建国した毛沢東率いる中国共産党軍(八路軍)は当時、ゲリラ組織のようなもので、国民党軍と国共内戦を戦っていた。
PRCの歴史はわずか65年、米国の3割未満だ。世界一歴史の古い日本と比べるとかわいそうだが、3%未満になる。
そんな短い歴史の中でチベットとウイグルに侵攻し、朝鮮戦争と中印戦争にも参戦した。国内では大躍進政策、空中核実験、文化大革命や天安門事件などで甚大な犠牲者を出したとされる。

米国人の1人として、PRCに戦勝国を自称されると腹が立つ。米英仏ソ4カ国は、日本やドイツと戦い、多大な犠牲を払って戦勝国になった。ところが、中国大陸の国民党軍は非武装の日本人居留民は殺しても、日本軍からは逃げ回った。同胞の中国人を殺し、日本軍の仕業にしたものも多いという。共産党軍は散発的なゲリラ戦だけだ。
まともに日本軍と戦うことなく中華民国は政治的理由で戦勝国扱いされた。その後、PRCはロビー活動の巧みさで中華民国を国連から追い出し、常任理事国の地位を得た。中国4000年の謀略史は侮れない。

ところで、ゲリラ組織だった共産党軍が大戦後に軍隊らしく整備され、国共内戦に勝てた理由が意外と知られていない。
中国大陸の日本軍(関東軍)は敗戦で武装解除され、ソ連に全装備を接収された。ソ連はこの装備を共産党軍に与えたのだ。残留日本人のうち、軍人や医師、看護婦らが強制連行され、軍事戦略や飛行機の操縦技術、医療などを教えた。これによって共産党軍は航空隊や砲兵隊、医療班を持つ近代的軍隊になり、国民党軍に勝った。

PRCは建国時から日本人の世話になり、後に日本のODAと民間投資を得て発展した。ところが、今は最大の恩人である日本をプロパガンダで貶め、自然を破壊し、軍事的に脅かしている。

私が、日本人の歴史認識に不満があると言った理由が、ご理解いただけただろうか。(終り)
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上記のケント・ギルバートさんの歴史認識は強大な中国に対峙しているアメリカ人としてかなり感情的な部分も含んでいるようです。
しかし視点がかなり客観的です。アメリカの政権担当者や国防省の感じ方を率直に反映していると私は感じています。
アメリカ人は台湾の中華民国を大切に思っています。
少し日本をひいきにし過ぎた部分は彼の感情論かも知れません。

ケント・ギルバートさんは米カリフォルニア州の弁護士で日本のタレントです。
略歴です;1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行っている。最新刊は『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)。

ご参考になったでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

今日の挿し絵がわりの写真は多摩湖の水の色と秋の空の写真です。先日撮って来ました。





孫氏の兵法と韓国の憲法の問題点

2016年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム
皆様こんにちは。今日は、少しだけ今後の韓国と外交交渉について書きたいと思います。
さて、ある国と戦争をする場合に孫武は2500年も前に教訓を残しています。
この有名な孫子の兵法は戦争の場合だけでなく現在の外交交渉でもよく使われています。それだけではありません。経営者やビジネスマンに愛用されているのです。その兵法の一部だけを示します。
彼を知りて己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。
彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。
彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。

実に明快ですね。日本が真珠湾攻撃をし、その後アメリカに敗れたのは、「彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし」の通りだったのです。

さて将来の韓国との外交交渉で、韓国を説得するためには日本人は韓国の実態を徹底的に知ることが必要です。
それこそが「 彼を知りて己を知れば、百戦して殆(あや)うからず」なのです。

日本が避けて通れない問題に韓国併合があります。それこそが日韓の交渉を難しくする反日政策や反日教育の原因になっているのです。
ご承知のこととは存じますが、1910年(明治43年)8月29日、韓国併合ニ関スル条約に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合した事実です。この後、日本による統治は1945年(昭和20年)9月9日の朝鮮総督府の降伏まで、35年間続いたのです。これはまぎれも無い明白な歴史的な事実なのです。このことは皆様よくご存じです。

しかし多くの日本人はこの韓国併合を土台にして現在の韓国の憲法が出来上がっていることをご存知ありません。ここに重大な知識不足があると私は考えております。

韓国の憲法の前文の抜粋を見てみましょう。
「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に即して、国内では国民生活の均等な向上を期し、外交では恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することで我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを確認しつつ、1948年7月12日に制定された」

この前文の冒頭にある「大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統」という部分を日本人の多くは知りません。当然、無視しています。
三・一運動(さんいちうんどう)とは、1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった日本からの独立運動です。ですから現在、韓国では3月1日を三一節として祝日に指定しています。

以上のように韓国の憲法に書いてあることはまぎれもない事実です。
このように書くと1919年に上海で成立した「大韓民国臨時政府」は架空のもので、その首班の李承晩はハワイに居たという感情的な反対をする人がいます。感情的になればなるほど外交交渉において日本の利益は守れないのです。

たとえ脆弱な臨時政府だったとしても韓国の憲法に「現在の韓国政府は1919年の臨時政府から始まる」と明記してあるのは事実なのです。
日韓関係が良くない原因はいろいろありますが、その根本はこの憲法の前文にあると私は考えています。

さて、この上海の臨時政府のあった建物を昨年、9月に韓国の朴槿恵大統領が訪問しています。
朴槿恵大統領は上海の「大韓民国臨時政府」の旧庁舎の改装オープン式典に出席したのです。

この小さな出来事を知らないと日韓の間の外交交渉で日本が利益を増大することは困難になる可能性があるのです。

1919年に上海に亡命した人々が大韓民国臨時政府を組織したのですが、その代表に選ばれたのが李承晩でした。
しかし世界情勢は韓国にとって不利でした。第一次世界大戦で戦勝国になった日本を尊重し、欧米各国はこの上海の臨時政府を承認しませんでした。

時が流れ、第二次大戦が終了すると韓国は独立します。そしてこの臨時政府代表だった李承晩が初代大統領になったのです。当然ながら李承晩大統領は反日的な政策を次々と実行します。
そして出来上がった韓国の憲法の前文には独立運動の1919年の三・一運動が明記されたのです。
この憲法に忠実に従って槿恵大統領は上海まで行ったのです。
韓国の独立運動の拠点となった「大韓民国臨時政府」が使っていた旧庁舎を改装しオープン式典が行われたのです。

一方、伊藤博文を暗殺したトマス安重根の記念室がハルピン駅にあります。
余談ながら、これらの記念室や臨時政府庁舎の整備は本来韓国の費用でするべきであるのは当然ですが、全て中国政府が出したという事実も忘れないようにしたほうが良いと思います。

皆様は上海に1919年、韓国の臨時政府が出来、李承晩がその代表だったことはご存知でしたでしょうか?私は知りませんでした。
今更、日本人が朝鮮の併合を卑屈に謝る必要はありません。
しかし上海に1919年から韓国の臨時政府が存在し、現在の韓国政府はその臨時政府の延長にあると憲法の前文に明記してあることだけは知っておく方が良いのではないでしょうか?これこそが孫子の兵法の「敵を知れば百戦あやふからず」です。

ついでに韓国における反日教育について、ある韓国人が告白したネット記事を抜粋してご紹介します。
( 以下は、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212123017 からの抜粋です。)

「私は日本に住んでいる20代の韓国の男です。 恥ずかしい話なんですが韓国の小学生時代、学校の先生に反日教育を受けまてました。
当時の私の年齢だとごく一部のことじゃなく全学生がそういう教育を受けてると言っても間違いない位です。
"日本は悪い国""日本製の品物は買っちゃダメ""日常生活で気づかなく使われてる日本語使用禁止""日本語書き込むことなど一切禁止"などです。
この反日教育のお陰で。韓国人の9割以上はこういう傾向がありました。 それが当たり前のことだと思いますし、そういう教育で洗脳されてた私の場合は、たまにどこかに書いてある日本語の文字が目に当たるとすごく嫌な気持ちになってなんか悪いことでもしたようないやらしい気持ちになってたりしました。今はそんなことないですが当時には日本語の文字ってすごく不良な形って感じでした。(今思ったら笑っちゃいます)」以下省略。

さてここで私の書きたいことを書きます。
まず日韓両国民は現在の感情的な日韓関係と距離を置いて少し客観的に考えることが重要なのです。
そして韓国人が日本のことを悪く思い、憎むのは韓国人自身の人格を傷つけ、自分が不幸になっていることに気づくべきです。それは韓国人の問題で外国の人にはどうすることも出来ないのです。
同じように日本人が韓国人をさげすみ悪く言うのは、自分自身の人格を傷つけ、自分が不幸になっていることに気づくべきです。それは日本人自身の問題であり韓国人とは関係の無いことです。

日韓両国民はかなりの距離を置いてお互いに他人同士として尊敬しあい、建設的な態度をとるべきだとと私は思います。
それが迂遠ではありますが、日韓友好への道になると信じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


今日の挿し絵代わりの写真は一昨日、甲斐駒岳の麓の山里で撮って来た花の写真です。