後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「秋は喨喨と空に鳴り」の風景写真を撮りに行きました

2016年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム
最近は空が高くなり透明に澄んだ虚空に秋の雲が流れています。
高い空はもう秋ですが、地上は残暑がまだまだ厳しいのです。
この季節になると毎年、高村光太郎、「秋の祈り」という詩を読みます。
そしてその詩に興奮して秋の空の写真を撮りにいきます。私の初秋の恒例行事です。
昨日も家人とともに村山貯水池の喨々とした秋の空の写真を撮りに行きました。
その前に丁寧に読んだ「秋の祈り」を示します。

高村高太郎、「秋の祈り」

秋は喨喨と空に鳴り
空は水色、鳥が飛び
魂いななき
清浄の水こころに流れ
こころ眼をあけ
童子となる

多端粉雑の過去は眼の前に横はり
血脈をわれに送る
秋の日を浴びてわれは静かにありとある此を見る
地中の営みをみづから祝福し
わが一生の道程を胸せまつて思ひながめ
奮然としていのる
いのる言葉を知らず
涙いでて
光にうたれ
木の葉の散りしくを見
獣のキキとして奔るを見
飛ぶ雲と風に吹かれるを庭前の草とを見
かくの如き因果歴歴の律を見て
こころは強い恩愛を感じ
又止みがたい責めを思ひ
堪へがたく
よろこびとさびしさとおそろしさとに跪く
いのる言葉を知らず
ただわれは空を仰いでいのる
空は水色
秋は喨喨と空に鳴る

「秋は喨喨と空に鳴り」はこの詩の冒頭と終りの句です。
老人になり、この詩を読むと私も「わが一生の道程を胸せまつて思ひながめ」ます。そして恥多い私の人生を神に「奮然としていのる」のです。神の祈り許しを願います。
その次の句「いのる言葉を知らず」が高太郎の悲しみの深さを暗示しています。
そして「よろこびとさびしさとおそろしさとに跪く」と続くのです。
空は水色
秋は喨喨と空に鳴る。

これは人が秋の空を見上げて我が人生を振り返りながら秋の空の美しさをうたい上げた詩ですね。「秋は喨喨と空に鳴る」という句が豊かな詩的情感をかもしだしています。
わたしの好きな詩の一つです。
下に昨日、撮った「秋は喨喨と空に鳴り」の風景写真を示します。









===参考資料=================
高村光太郎:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%91%E5%85%89%E5%A4%AA%E9%83%8E より抜粋しました。
高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年(明治16年)3月13日 - 1956年(昭和31年)4月2日)は、日本の詩人・彫刻家。東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。

日本を代表する彫刻家であり、画家でもあったが、今日にあって『道程』、『智恵子抄』等の詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。著作には評論や随筆、短歌もある。能書家としても知られる。弟は鋳金家の高村豊周。甥は写真家の高村規で、父である高村光雲等の作品鑑定も多くしている。

写真は千恵子と光太朗の写真です。