いや驚きました。国立公園の絵葉書のような絵が並んでいる展覧会と思って行ったらそうではなかったのです。
縦横、65cmX 80cmの大作が40枚も展示してあったのです。それもそれぞれの画家が本気て取り組んだ芸術性豊かな油彩画なのです。文部省の予算で頼まれた絵画です。嗚呼、芸術家は絵葉書のような絵画は死んでも描かないのです。
結論を先に書けば「見るべし!」です。前期、後記の両方の展示合計80点の絵画が見られます。足の悪い人はエレベーターで2階に上がれます。中村研一の風景画が沢山展示してありました。
しかし困ったことは絵画一枚、一枚が当然ながら画風がまったく違うことです。見て行くと疲れるのです。
それでも一枚、一枚がそれぞれ感動的なのです。
以下にこの美術館の紹介と展示絵画や中村研一の絵の説明をお送りします。
私共の住んでいる東京都小金井市には小さな市立美術館があります。「はけの森美術館」と言います。
小金井に住んでいた画家、中村研一のアトリエと住居を2004年に小金井市が寄付されて開設された美術館です。
何時もは中村研一の作品を常設展示していますが、数多くの企画展も開催しています。
今回は以下のような企画展をしていたのです。
「小杉放菴記念日光美術館所蔵 絵画で国立公園めぐり―巨匠が描いた日本の自然―」
この企画の概要は次のようなものです。
アメリカ合衆国で生まれた国立公園の真似をして、日本でも昭和初期に国立公園が出来ました。その公園を絵画で紹介する「国立公園洋画展覧会」が企画されたのです。
当時の有名な洋画家たちに絵画を頼み、26点が完成します。
1932(昭和7)年に東京や大阪などでその展覧会が開催され、大好評を博したそうです。
その後、絵画も随時追加制作され、最終的には80点のコレクションとなります。
今回の展示は国立公園の絵画コレクションのある小杉放菴記念日光美術館の絵画を展覧するものです。
巡回館のうち関東地域では小金井市立はけの森美術館のみでの開催となり、全80点を前・後期に分けて紹介します。
また、併せて二階展示室では当館所蔵作品から、小金井での日常の光景を出発して、日本各地を描いた中村研一の旅の様子を展示します。
今回の企画展の会期、
平成30年8月4日(土曜)から9月17日(月曜・祝日)
前期:8月4日(土曜)から8月26日(日曜)。後期:8月28日(火曜)から9月17日(月曜・祝日)※会期中、作品の入れ替えを行います
尚、中村研一は東京美術学校卒の画家で1895年に生まれ 1967年(昭和42年)まで活躍しました。
1920年、東京美術学校を卒業し、同年、『葡萄の葉蔭』が第2回帝国美術院展覧会(帝展)で初入選し、『若き画家』が東京大正博覧会で3等賞を受賞します。1921年、『涼しきひま』が第3回帝展で特選を受賞。1922年、帝展無鑑査(鑑査なしで出品できる資格)となったのです。
1923年、パリに留学します。ここで、モーリス・アスランから大きな影響を受けています。1927年、サロン・ドートンヌ会員となる。
1928年に帰国し、滞欧作『裸体』が第9回帝展で特選を受賞し、1929年、『若き日』が第10回帝展で特選を連続受賞します。そして、1930年、『弟妹集う』が第11回帝展で帝国美術院賞を受賞したのです。
絵の才能に恵まれた一流の洋画家だったのです。
1番目の写真は今回の企画展で前期展示の中村研一《大雪山》1934年です。小杉放菴記念日光美術館 所蔵です。
2番目の写真は今回の企画展で後期展示予定の、石井柏亭《雲仙・春》 1934年です。小杉放菴記念日光美術館所蔵です。
3番目の写真は前期展示の、和田英作《三保富士》1953年です。小杉放菴記念日光美術館所蔵です。
4番目の写真は、中村研一「車を停む」1932年、北九州市立美術館、です。
5番目の写真は、中村研一《弟妹集う》1930年 住友クラブ蔵、です。
6番目の写真は我が家にある中村研一須磨の浦の風景画で、40cmX50cmです。裏に日動画廊から購入したことが書いてあります。
7番目の写真も我が家にある中村研一の秋海棠の絵です。20cmX25cmの大きさです。これも日動画廊から購入したものです。
縦横、65cmX 80cmの大作が40枚も展示してあったのです。それもそれぞれの画家が本気て取り組んだ芸術性豊かな油彩画なのです。文部省の予算で頼まれた絵画です。嗚呼、芸術家は絵葉書のような絵画は死んでも描かないのです。
結論を先に書けば「見るべし!」です。前期、後記の両方の展示合計80点の絵画が見られます。足の悪い人はエレベーターで2階に上がれます。中村研一の風景画が沢山展示してありました。
しかし困ったことは絵画一枚、一枚が当然ながら画風がまったく違うことです。見て行くと疲れるのです。
それでも一枚、一枚がそれぞれ感動的なのです。
以下にこの美術館の紹介と展示絵画や中村研一の絵の説明をお送りします。
私共の住んでいる東京都小金井市には小さな市立美術館があります。「はけの森美術館」と言います。
小金井に住んでいた画家、中村研一のアトリエと住居を2004年に小金井市が寄付されて開設された美術館です。
何時もは中村研一の作品を常設展示していますが、数多くの企画展も開催しています。
今回は以下のような企画展をしていたのです。
「小杉放菴記念日光美術館所蔵 絵画で国立公園めぐり―巨匠が描いた日本の自然―」
この企画の概要は次のようなものです。
アメリカ合衆国で生まれた国立公園の真似をして、日本でも昭和初期に国立公園が出来ました。その公園を絵画で紹介する「国立公園洋画展覧会」が企画されたのです。
当時の有名な洋画家たちに絵画を頼み、26点が完成します。
1932(昭和7)年に東京や大阪などでその展覧会が開催され、大好評を博したそうです。
その後、絵画も随時追加制作され、最終的には80点のコレクションとなります。
今回の展示は国立公園の絵画コレクションのある小杉放菴記念日光美術館の絵画を展覧するものです。
巡回館のうち関東地域では小金井市立はけの森美術館のみでの開催となり、全80点を前・後期に分けて紹介します。
また、併せて二階展示室では当館所蔵作品から、小金井での日常の光景を出発して、日本各地を描いた中村研一の旅の様子を展示します。
今回の企画展の会期、
平成30年8月4日(土曜)から9月17日(月曜・祝日)
前期:8月4日(土曜)から8月26日(日曜)。後期:8月28日(火曜)から9月17日(月曜・祝日)※会期中、作品の入れ替えを行います
尚、中村研一は東京美術学校卒の画家で1895年に生まれ 1967年(昭和42年)まで活躍しました。
1920年、東京美術学校を卒業し、同年、『葡萄の葉蔭』が第2回帝国美術院展覧会(帝展)で初入選し、『若き画家』が東京大正博覧会で3等賞を受賞します。1921年、『涼しきひま』が第3回帝展で特選を受賞。1922年、帝展無鑑査(鑑査なしで出品できる資格)となったのです。
1923年、パリに留学します。ここで、モーリス・アスランから大きな影響を受けています。1927年、サロン・ドートンヌ会員となる。
1928年に帰国し、滞欧作『裸体』が第9回帝展で特選を受賞し、1929年、『若き日』が第10回帝展で特選を連続受賞します。そして、1930年、『弟妹集う』が第11回帝展で帝国美術院賞を受賞したのです。
絵の才能に恵まれた一流の洋画家だったのです。
1番目の写真は今回の企画展で前期展示の中村研一《大雪山》1934年です。小杉放菴記念日光美術館 所蔵です。
2番目の写真は今回の企画展で後期展示予定の、石井柏亭《雲仙・春》 1934年です。小杉放菴記念日光美術館所蔵です。
3番目の写真は前期展示の、和田英作《三保富士》1953年です。小杉放菴記念日光美術館所蔵です。
4番目の写真は、中村研一「車を停む」1932年、北九州市立美術館、です。
5番目の写真は、中村研一《弟妹集う》1930年 住友クラブ蔵、です。
6番目の写真は我が家にある中村研一須磨の浦の風景画で、40cmX50cmです。裏に日動画廊から購入したことが書いてあります。
7番目の写真も我が家にある中村研一の秋海棠の絵です。20cmX25cmの大きさです。これも日動画廊から購入したものです。