猛暑の今年、8月の中旬に山口県で2歳の藤本理稀(よしき)ちゃんが行方不明になりました。その3日後に大分県から駆け付けたボランティアの78歳の尾畠 春夫さんが山の中で元気にしているを発見し、抱いて連れ帰り、母親へ手渡したのです。
それ以来、私は尾畠 春夫さんとはどういう人間なのか考えています。
そこでまず彼のボランティアに対する想いを皆様と一緒に読んでみたいと思います。
文章の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/尾畠春夫 です。
・・・軽ワゴン車に食料や水、寝袋などの生活用具を積み込み、助ける相手側に迷惑をかけないのが信条。「自己完結するのが真のボランティアだ」と言う。
「対価、物品、飲食、これは絶対、頂かない。敷居をまたいで家の中に入ることもボランティアとして失格だと思っている。私はそれで良いと思うんですよ。人がどうしようと関係ない。尾畠春夫は自分なりのやり方がある。」
私は被災地に行ったら「暑い」とは絶対に言わない。もし自分が被災者であったならば、どう思うのか。ボランティアさせていただいているという立場を忘れてはいけません。当然ですが、言動すべてに気をつける必要があります。赤い服を着ているのもこだわりです。背中には名前が大きく書いてあります。これには理由があり、被災している方は身元がわかるほうが安心するんです。さらによく話すこと。黙っていると怖いでしょう。赤い服もそうですが、すべては安心感をもってもらうためです。」
私の生き方について、
ボランティアを本格的に始めたのは、大分県別府市にあった店を閉めた65歳のころ。「学歴も何もない自分がここまでやってこられた。社会に恩返しがしたい」と思ったから」と、全国各地で車中泊しながら、ボランティア活動を行ってきた。
「人に、世の中に、恩返ししたい」が口癖。
「『かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め』。人の命は地球より重い」
活動費は自分の年金から捻出。
「東日本大震災のボランティア活動で、酒をやめました。それまで自分は浴びるほど飲むタイプでした。南三陸の避難所のベイサイドアリーナには1800人もの避難者がいた。ぎゅうぎゅう詰めで身動きできない。にもかかわらず、誰も文句を言わない。同じ日本人でありながらこんな思いをしている人がいるんだと思った。酒なんか食らっている場合ではないと思ったんです。それから7年5ヵ月一滴も飲んでいません。ただ、酒を断ったわけではありません。中断しているだけです。解禁するときは東北3県の仮設住宅がすべて取り除かれたときと決めています。」
「孫が突然うちに来た。当時、孫は高校生でしたが、真剣な顔で『話があるんだ。じいちゃん、タバコをやめろ』と言うんです。65歳を過ぎると体力が急激に落ちるから絶対にやめろって。自分はヘビースモーカーで、ピースを2箱吸っていました。これはうれしかった。孫の言うことは天の声だと思い、その場ですべて燃やしました。ちなみに、この孫は登山をしています。私の影響だそうです。これ以上うれしいことはないですよ。」
78歳時点での将来の夢は「夜間の高校に行って勉強したい」。
2018年8月の理稀ちゃんの捜索について、
「人の命より重いものはない。尊い命が助かってよかった」と涙を浮かべた。
行方不明になった子供を探していた家族に対し「私が抱きしめて直にお渡しします」と約束していた。無事に発見された後の取材では「口約束も契約。警察が『渡してください』と来たけど、『イヤです』と言った。言うたことは守る。」と話した。
その後のマスコミの取材にこう答えた。「私は子どもを産んだ覚えはないけど、女の人じゃないけど。だけど、十月十日おなかに入れて命がけで産んでおっぱい飲ませた子どもを、3日、4日って行方不明になっていたら、お母さんは正常ではないと思うんです。だから私はお母さんに『必ず見つけたら、必ず手渡しで渡す』って約束したからね。だから警察官が、法律みたいなのがあって『決まりだから渡してください』って言ったけど、だめですと言った。約束は守らないけんと思ったから、それを守らせてもらったんです。」・・・・
私の感想です。
尾畠 春夫さんは宗教の話を一切しません。しかし法華経の利他行を実践する菩薩です。
尾畠 春夫さんはキリスト教の話を一切しません。隣人愛の話もしません。
宗教など一切関係ないようです。人間が生まれながらに持っているボランティア精神を実行したのです。宗教の無力さを考えざるを得ません。そんな感じを受けています。
皆様のご感想をコメントとして頂けたら嬉しく思います。
写真に尾畠 春夫さんと藤本理稀ちゃんを示します。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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====参考資料===========================
尾畠 春夫(おばた はるお、1939年 - )は、大分県速見郡日出町在住のボランティア活動家。元鮮魚商。2012年、大分県「ごみゼロおおいた作戦功労賞」、2014年、環境省「平成26年度地域環境美化功績者表彰」受賞。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/尾畠春夫 より)
大分県の貧しい家庭に生まれ、小学生の時から近所の農家に奉公に出た。28歳のとき、別府市内に鮮魚店「魚春」を開業。40歳から趣味で登山をはじめ、45歳の時に北アルプス55山を単独縦走。2003年、60歳頃からは、ホームグラウンドとしていた由布岳登山道の整備などのボランティアを開始。65歳からは本業だった鮮魚店をやめ、余生をボランティアに捧げる。新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨などの多くの被災地で活動を継続。2011年3月、東日本大震災被災地の宮城県南三陸町では、がれきの中に埋もれた思い出の写真などを拾い集める「思い出探し隊」の隊長として活動。若いボランティアから「師匠」と慕われていた。2012年、大分県から「ごみゼロおおいた作戦功労賞」、2014年には、環境省「平成26年度地域環境美化功績者表彰」を受賞している。2018年8月15日に山口県周防大島町で行方不明の2才児を救出。2018年8月20日には、大分県知事・広瀬勝貞が尾畠の長年の功績を讃え、大分県功労者表彰を授与する意向を示しており、22日には在住する日出町も「日出町功労者表彰」を贈る方針を明らかにしている。
それ以来、私は尾畠 春夫さんとはどういう人間なのか考えています。
そこでまず彼のボランティアに対する想いを皆様と一緒に読んでみたいと思います。
文章の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/尾畠春夫 です。
・・・軽ワゴン車に食料や水、寝袋などの生活用具を積み込み、助ける相手側に迷惑をかけないのが信条。「自己完結するのが真のボランティアだ」と言う。
「対価、物品、飲食、これは絶対、頂かない。敷居をまたいで家の中に入ることもボランティアとして失格だと思っている。私はそれで良いと思うんですよ。人がどうしようと関係ない。尾畠春夫は自分なりのやり方がある。」
私は被災地に行ったら「暑い」とは絶対に言わない。もし自分が被災者であったならば、どう思うのか。ボランティアさせていただいているという立場を忘れてはいけません。当然ですが、言動すべてに気をつける必要があります。赤い服を着ているのもこだわりです。背中には名前が大きく書いてあります。これには理由があり、被災している方は身元がわかるほうが安心するんです。さらによく話すこと。黙っていると怖いでしょう。赤い服もそうですが、すべては安心感をもってもらうためです。」
私の生き方について、
ボランティアを本格的に始めたのは、大分県別府市にあった店を閉めた65歳のころ。「学歴も何もない自分がここまでやってこられた。社会に恩返しがしたい」と思ったから」と、全国各地で車中泊しながら、ボランティア活動を行ってきた。
「人に、世の中に、恩返ししたい」が口癖。
「『かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め』。人の命は地球より重い」
活動費は自分の年金から捻出。
「東日本大震災のボランティア活動で、酒をやめました。それまで自分は浴びるほど飲むタイプでした。南三陸の避難所のベイサイドアリーナには1800人もの避難者がいた。ぎゅうぎゅう詰めで身動きできない。にもかかわらず、誰も文句を言わない。同じ日本人でありながらこんな思いをしている人がいるんだと思った。酒なんか食らっている場合ではないと思ったんです。それから7年5ヵ月一滴も飲んでいません。ただ、酒を断ったわけではありません。中断しているだけです。解禁するときは東北3県の仮設住宅がすべて取り除かれたときと決めています。」
「孫が突然うちに来た。当時、孫は高校生でしたが、真剣な顔で『話があるんだ。じいちゃん、タバコをやめろ』と言うんです。65歳を過ぎると体力が急激に落ちるから絶対にやめろって。自分はヘビースモーカーで、ピースを2箱吸っていました。これはうれしかった。孫の言うことは天の声だと思い、その場ですべて燃やしました。ちなみに、この孫は登山をしています。私の影響だそうです。これ以上うれしいことはないですよ。」
78歳時点での将来の夢は「夜間の高校に行って勉強したい」。
2018年8月の理稀ちゃんの捜索について、
「人の命より重いものはない。尊い命が助かってよかった」と涙を浮かべた。
行方不明になった子供を探していた家族に対し「私が抱きしめて直にお渡しします」と約束していた。無事に発見された後の取材では「口約束も契約。警察が『渡してください』と来たけど、『イヤです』と言った。言うたことは守る。」と話した。
その後のマスコミの取材にこう答えた。「私は子どもを産んだ覚えはないけど、女の人じゃないけど。だけど、十月十日おなかに入れて命がけで産んでおっぱい飲ませた子どもを、3日、4日って行方不明になっていたら、お母さんは正常ではないと思うんです。だから私はお母さんに『必ず見つけたら、必ず手渡しで渡す』って約束したからね。だから警察官が、法律みたいなのがあって『決まりだから渡してください』って言ったけど、だめですと言った。約束は守らないけんと思ったから、それを守らせてもらったんです。」・・・・
私の感想です。
尾畠 春夫さんは宗教の話を一切しません。しかし法華経の利他行を実践する菩薩です。
尾畠 春夫さんはキリスト教の話を一切しません。隣人愛の話もしません。
宗教など一切関係ないようです。人間が生まれながらに持っているボランティア精神を実行したのです。宗教の無力さを考えざるを得ません。そんな感じを受けています。
皆様のご感想をコメントとして頂けたら嬉しく思います。
写真に尾畠 春夫さんと藤本理稀ちゃんを示します。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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====参考資料===========================
尾畠 春夫(おばた はるお、1939年 - )は、大分県速見郡日出町在住のボランティア活動家。元鮮魚商。2012年、大分県「ごみゼロおおいた作戦功労賞」、2014年、環境省「平成26年度地域環境美化功績者表彰」受賞。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/尾畠春夫 より)
大分県の貧しい家庭に生まれ、小学生の時から近所の農家に奉公に出た。28歳のとき、別府市内に鮮魚店「魚春」を開業。40歳から趣味で登山をはじめ、45歳の時に北アルプス55山を単独縦走。2003年、60歳頃からは、ホームグラウンドとしていた由布岳登山道の整備などのボランティアを開始。65歳からは本業だった鮮魚店をやめ、余生をボランティアに捧げる。新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨などの多くの被災地で活動を継続。2011年3月、東日本大震災被災地の宮城県南三陸町では、がれきの中に埋もれた思い出の写真などを拾い集める「思い出探し隊」の隊長として活動。若いボランティアから「師匠」と慕われていた。2012年、大分県から「ごみゼロおおいた作戦功労賞」、2014年には、環境省「平成26年度地域環境美化功績者表彰」を受賞している。2018年8月15日に山口県周防大島町で行方不明の2才児を救出。2018年8月20日には、大分県知事・広瀬勝貞が尾畠の長年の功績を讃え、大分県功労者表彰を授与する意向を示しており、22日には在住する日出町も「日出町功労者表彰」を贈る方針を明らかにしている。