後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

東京で唯一の米軍基地、広大な横田航空基地の物語

2018年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム
東京でただ一つの広大な米空軍基地の横田基地にオスプレイ、5機が10月1日から正式に配備されることになりました。
オスプレイはヘリコプターのように垂直に離着陸できます。その上、ヘリコプターより速度が非常に早く、航続距離が画期的に長いのです。これは驚異的な技術革新です。
この4月から横浜港から運び込まれた機体が横田に置いてあるという報道も見ました。
好奇心の強い私は昨日、車で横田飛行場の周囲を回って写真を撮りに行きました。何時ものように写真を撮るのは家内です。私は飛行場の金網に密着した細い道を探して車を走らせました。
それでは写真で横田基地の風景や航空機の様子をご説明します。

1番目の写真は横田基地の正門の写真です。看板にU.S. Air Force, Yokota Air Baseと書いてあります。この門の内側はアメリカなのです。一戸建て住宅が並び専用のスーパーなどがあり、おまけに小中学校から高校まであります。

2番目の写真は金網越しに見た滑走路のある方向の風景です。遠方に格納庫らしき建物が見えます。
飛行場の回りをくまなく走りましたがオスプレイの姿が見えません。そこで帰宅後にインターネットで検索して欲しい写真を見つけました。

3番目の写真は横田基地の全景です。背後の山並みは奥多摩の山稜です。
米軍の横田基地は輸送機の専用基地で太平洋の西半分とインド洋までを守備範囲としています。
しかし朝鮮戦争やベトナム戦争の時は戦闘機や爆撃機の基地の役目も果たしたのです。

4番目の写真は2015年9月の横田基地日米友好祭に登場したオスプレイの写真です。この写真はオスプレイの前部から後ろを写した写真ですが、周囲の人間と比べると、その大きさが分かります。なお10月1日から常駐するオスプレイは輸送機に使うので荷物の積載量が多くなるように改装したものだそうです。

5番目の写真は例年、9月に開催される横田基地日米友好祭で公開された米軍の大型輸送機です。
横田基地にはこのような大型輸送機が多数駐機していますが、高い塀に隠されて見えないようになっています。
以前は高い塀ではなく金網でしたので見えたのです。
この4月から運び込まれたオスプレオも高い塀に隠されているらしく、昨日は写真は撮れませんでした。

6番目の写真は離陸したばかりの大型輸送機の写真です。横田基地の中枢部分はセパードを連れた兵士によって厳重に警備されてます。

7番目の写真は2017年11月5日に日本訪問のために横田基地に着いたトランプ大統領夫妻の写真です。
従来のアメリカ大統領は民間の羽田空港に専用機を着陸させ、東京に入ったのです。
トランプ大統領だけ米軍基地を誇示するように横田に降り、すぐに基地の米軍将兵を集め、彼等の士気を上げるような演説をしたのです。
余計なことですが、オバマ大統領は羽田空港から入国し、広島の原爆慰霊式典に出席しました。その後、米軍の岩国基地で将兵を鼓舞する演説をしてから岩国基地から帰ったのです。
これは些細なことですが、トランプ大統領とオバマ大統領の人間性の違いを示しているのではないでしょうか。

それはさておき、横田基地の歴史を簡略に書いて今日の記事の終りとします。
この飛行場は日本帝国陸軍の航空部隊の基地として1940年に開設されました。
第二次世界大戦後より、アメリカ第5空軍司令部が置かれて、東アジアにおけるアメリカ軍の主要基地になります。
西太平洋からインド洋をカバーする輸送機の空港と兵站基地としての機能を持っています。
2012年3月からは、航空自衛隊の航空総隊司令部なども常駐するようになり、建前上は日米両国の空軍基地となっていますが実質的には米軍の輸送機のための飛行場です。
広さだけを比較すると、沖縄県以外では日本国内最大のアメリカ空軍基地です。
日米の軍用機の運用のほか、近年では北大西洋条約機構(NATO)加盟国である、フランス空軍輸送機も時々利用しています。
東京都調べによる、2005年(平成17年)5月時点の基地関係者数は、軍人3,600人、軍属700人、家族4,500人、日本人従業員2,200人の、合計約11,000人という資料もあります。

この横田飛行場は本州の中央に位置し軍事的にも重要なので日本への返還は難しいようです。石原慎太郎が東京都の知事だった時、横田を民間も使う案を提案しましたが、アメリカ側から相手にされませんでした。
しかし近くの入間飛行場は航空自衛隊に返還され現在は戦闘機が常駐し、茨城県の百里基地と共に本州の防衛を担っています。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)