後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の日記、旧小金井村の光の春の風景写真を撮りに行った」

2021年01月20日 | 日記
私の住いんでいる所は昔、小金井村と言いました。今日は陽の光が明るく、春のようですが気温は大寒の真冬です。近所で旧小金井村の面影を探して光の春の風景写真を撮って来ました。写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。









「ある修業僧へ送る梅の花の和歌と写真」

2021年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム
高野山で修業をし、お寺に属さないで托鉢しながら東日本大震災の被災地を支援しながら犠牲者へ読経していた修業僧がいました。高野山真言宗の僧侶の望月崇英さんです。
その修業僧がコロナで亡くなったという知らせを中村顕三さんという方から昨日頂きました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
そして祈りながら万葉集の梅の花の歌5首と白梅の花の写真3枚をお送りいたします。花の歌5首は万葉集の梅の歌119首の中から選びました。(https://art-tags.net/manyo/flower/ume.html )

『梅を詠んだ歌、5首』

0818: 春されば まづ咲くやどの梅の花 独り見つつや 春日暮らさむ

0824: 梅の花散らまく惜しみ 我が園の竹の林に 鴬鳴くも

1840: 梅が枝に鳴きて移ろふ鴬の 羽白妙に沫雪ぞ降る

0832: 梅の花折りてかざせる諸人は 今日の間は楽しくあるべし

0846: 霞立つ長き春日をかざせれど いやなつかしき梅の花かも

そして白梅の花の写真3枚をお送りいたします。

1番目の写真は、https://www.pakutaso.com/20120319079post-1300.html からお借りしました。

2番目の写真は、http://www.i-nekko.jp/kurashi/2013-012514.html からお借りしました。

3番目の写真は、https://www.pakutaso.com/20120319079post-1300.html からお借りしました。

さて高野山真言宗の修行僧の望月崇英さんについては、私の2011年のブログ記事でご紹介いたした。その記事を以下に再録いたします。

『身元不明遺体の土葬に読経をする僧侶』(2011年06月13日 掲載、https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama )
高野山で修業をし、お寺に属さないで托鉢しながら東日本大震災
の被災地を支援している修業僧がいます。高野山真言宗僧侶の望月崇英さんです。
2011年4月上旬にはじめて行った被災地の東松島市での事です。身元不明の遺体を30体土葬にする場面に申して出て、読経をしたのです。そして一人一人を埋葬するとき丁寧にお経を唱え、引導を渡したそうです。もちろん身元不明ですから誰もお布施を出しません。
土葬には東松島市の環境課の相沢俊明さんが立ちあいました。相沢さんが言っています。「あの混乱の中でお一人ずつ丁寧に見送っていただき、ありがたかった。私たちも救われる気がしました」と。
修業僧の望月崇英さんは銀座で托鉢しながら、アルバイトをして、週末には被災地へ行ったのです。
被災地へ行くと、瓦礫で埋もれた民家の前や海岸に独り立って、お経を唱えます。心を込めて犠牲者の冥福を祈ります。誰も近づきません。遠くから家族を失った人々がソッと一緒に手を合わすだけです。

いろいろな支援の仕方があるという話です。それだけの話です。昨日の読売新聞35ページに載っていた話です。
そうして私は思い出します。昔、清朝の時代に北京では毎晩、赤子が街路に捨てられていたそうです。寒い冬には、朝まで凍った小さな遺体が幾つかあったそうです。当時、北京にいたイエズス会の神父たちが遺体を教会へ集め、お葬式をしてから埋葬していたそうです。不幸にして幼いまま死んだ子供達へ神様のいつくしみが豊かにあるように祈ったのです。神様が子供達を天にやさしく迎えてくれるように祈ったのです。清朝に仕えていたイエズス会のマッテオ・リッチ神父がローマ法王に送った書簡に書いてある話です。
上に書いた2つの話は何か似通っているような気がいたします。
つまらない話かも知れません。でも何か考えさせる話ではありませんか?
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以上の記事に対して、昨日、中村顕三さんという方が以下のようなコメントを下さったのです。
『望月崇英僧侶は、昨年末、知人との会食でコロナに感染し、昨日1月15日になくなりました。』(2021-01-19 20:24:37)

ご冥福を祈りながら、感動しました。たかがブログです。されどブログです。10年も前に発表した私の記事を中村顕三さんは覚えていたのです。85歳の私にとって大きな感動です。
このように毎日、何かに感動して老境の日々を送っています。皆様はどのように日々をお過ごしでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平穏をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)